あみの3ブログ

松倉城(飛騨)@岐阜県高山市松倉町 令和三年(2021)10月24日

お城検索は→こちら


応永年間、三木正頼は南飛竹原郷をおそって益田郡を横領し、数世の後自綱にいたって高山盆地に侵入した。
 天正7年(1579)松倉城は、この自綱によって築かれてものである。  天正10年(1582)八日町の一戦で強豪江馬輝盛を倒すと、鍋山城主三木顕網、高堂城主広瀬氏らを次々に倒して、飛騨全土を平定した。このころ自綱は、越中の佐々成政に通じて秀吉に従わなかったので、天正13年(1585)秀吉は家臣金森長近に命じてこれを撃たせた。自綱は高堂城に迎え戦って敗れ、秀綱は松倉城によって死守した。しかし勇将畑安高が山蔵宗次によって討たれ、また藤瀬新蔵が裏切って金森に通じ、闇夜に火を放ったので城は落ち、三木氏はここに滅び、以後長くは以上となった。城は本丸、二の丸、三の丸の面影を残し、飛騨における有数の城址である。、、、現地案内板より


場所は岐阜県高山市松倉町(高山市上岡本町)
国道41号線(高山バイパス)「上岡本本町南」交差点から、国道158号線を白川郷方向に200mほど進み「飛騨の里」に向かうように左折する。
そのまま「飛騨の里」を通り過ぎて登ていくと、「松倉遊歩道」と「松倉城址」への林道にいたる。


この林道を登っていくこと10分、途中1車線ですり替えのできない道が続くので要警戒。自分は行きも帰りも全く同じ場所で対向車と出会い、偶然にも退避できる側道があったので、譲ったり譲られたりで事なきを得ました。

目的地の休憩広場に到着
芝生広場には屋根付の休憩所やトイレも設置され、登山者の憩いの場となっています。



ここに車を停め、この先徒歩で城址を目指します。



熊の目撃情報があったそうで、備え付けの鐘を鳴らして入山です。
もちろん、リュックには「鈴」を取り付け最低限の対策は怠りません。



遊歩道は多少の登りはありますが整備されており、途中巨石がお出迎え。



南西尾根を断ち切る「堀切」



斜面から回り込む敵を遮る「空堀」



からの
急な登り!!
切岸か?



連続した山城特有の防御施設のあと目にしたものとは、、、

おお~~!!!
思わず感嘆のため息!!!
朝霧に包まれた神秘的な空気の中、下から見上げる石垣は厳かでもありました。



「西南隅櫓台石垣」



南西隅石
自然石や岩盤を巧く取り込んでいます。



南側崖からの石垣
ぐるっと回り込んでみましたが、崖と藪で危険!



南西隅櫓の北側にある遊歩道を登ると、奥には霧の中に本丸外曲輪石垣が浮かんで見えてきた。



西南隅櫓跡 三の丸より
 



搦手石垣
西南隅櫓から三ノ丸に移動する際、急な登りが待ち受けている。安全のためロープが張られているので、それに掴まっての登り降りとなる。注意がロープや足元に行って見落としがちですが、ここから左手に石垣が見えます。



本丸石垣・本丸外曲輪石垣・に続く三の丸石垣ともいえる、西面の三段に積まれた石垣の最下段部分です。搦手を守る最前線の石垣ともいえるのではないでしょうか。





◆★ここで松倉城の配置図で行程を説明します。★◆
(かつて本丸にはこのような説明板があったようです)

コンパクトですが総石垣の山城だったようです。



松倉城復元イラスト
凄く分かり易いです(^^♪

遊歩道からの登りは、当時の「搦手」だったんですね。

金森戦記ブログより転載→こちら
(金森長近と一族についての詳細な記事がみものです)





「三の丸」



三の丸削平地にある休憩所と本丸外曲輪石垣 (西南隅櫓より)



三の丸石垣南面
上段に見えるのは本丸外曲輪石垣




「南東隅櫓と南石門」
三の丸より全景



「南石門」
発掘調査中の南石門
かつて「中間の道」(大手道と搦手道の中間にあった道)からの登城口だったようです。



調査現場に掲示してある発掘当時の写真
左右の石垣は門を形成しており、地中からは石段の敷石が発見されたようです。



南石門の石垣
階段から南東隅櫓台の石垣へと、連続的に繋がっています。



南東隅櫓台石垣
東面の石垣を二の丸方向から
かなり垂直に積んでいますね



南東隅櫓台石垣・南東隅石
東面
荒々しい加工跡



南東隅櫓台石垣・南東隅石
南面
崖の急斜面は藪に阻まれ、これ以上先には進めませんでしたが、この先は南石門に繋がっています。




二の丸
二の丸南面石垣と旗立石、南東隅櫓より



旗立石、下から



二の丸南面石垣・東端



同南東隅石
野太い石積み




二の丸東面石垣
腰曲輪より
下の段は鏡石的なものでしょうか



二の丸「大手門跡」
こちらも発掘調査中



二の丸「井戸跡」



二の丸「旗立石」



二の丸から北方向の眺望
9:41に撮影 朝霧で何も見えませんでした(;^ω^)



「二の丸全景」
本丸より俯瞰、西から東方向
馬の背のような尾根を削平して曲輪を築いたことがわかります。



二の丸より本丸方向
左手(南側)下に見えるのは南東隅櫓




「本丸」
本丸東面石垣
二段になった石垣で、下の段は本丸外曲輪石垣



本丸東面 虎口への登り口
下段は本丸外曲輪石垣



本丸虎口 外側の石垣



本丸虎口 内側の石塁



本丸内側 南面石塁



本丸中央部から東側
現在発掘調査中でした。



発掘途中の状況でしょうか(現場掲示)
建物の礎石が発見されたようです。



本丸西面石垣 本丸外曲輪より
西側から下の本丸外曲輪へ降りることができます。
とても狭い空間で、西面と南面にL字型に削平地が繋がっていますが、藪が酷く西面の一部しか進む事ができませんでした。



同、北から南方向




本丸からの眺望
城址碑 9:49撮影、朝霧で視界ゼロ



同10:24撮影 キタ――(゚∀゚)――!!
待てば海路の日和あり(^^)/



高山の町並み



北アルプスまで一望です




★☆♪ここで休憩~ヽ(^o^)丿 ♪☆★



食後三ノ丸まで戻り
一番の見どころ「本丸外曲輪石垣」を南面から西面まで、ぐるっと回ってみます。

本丸外曲輪高石垣 南面の東端



同、南面東側の「折れ」
東面の虎口に対して横矢をかける防御施設だったのでしょうか



同、東面虎口角石



同、南面西端搦手側



同、南西隅石



この辺りに落下している築石が多数あり。
ハンコの持ち手に見える(笑)加工された築石
この取っ手に見える部分が奥に嵌って、スタンプに見える部分が石垣の表面を飾る。数千もあるピースの一つなんだろうな。




同、西面石垣



同、西面石垣の北端



同、西北角石



同北西隅部の北面から上段へ登る石段発見!
登ってみると、この場所は「折れ」なのか?
そう言えば本丸北側の下には「腰曲輪」があって、そことの関連がありそうです。



一石して石垣の内部が露出している場所がありました。
表面の石と、中に詰め込んが「栗石」の関係が見えます。





【まとめ】
山城でこれだけ立派な高石垣、総石垣の城が存在していたなんて、、、
そしてその石垣がほぼ完全に現存していることに感動です。。。

この石垣を誰が築いたのか???
城主で築城者の三木自綱なのか?
はたまた、秀吉の命で飛騨を攻略した金森長近の改修によるものか?

現在いたるところで発掘調査が行われていますので、その疑問が解ける日も近いことでしょう(^^)/



【松倉城(飛騨国)】
《まつくらじょう》

名称(別名);
所在地;岐阜県高山市松倉町(高山市上岡本町)
城地種類;山城
標高/比高;857m/360m
築城年代;天正7年(1579)
廃城年代;天正16年(1588)
築城者;姉小路頼綱(三木自綱)
主な改修者;
主な城主;姉小路(三木)氏
文化財区分;岐阜県史跡
主な遺構;曲輪、石垣、堀切、井戸
近年の主な復元等;


※出典、、、
地図;

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