野口城は近世の地誌等でも城主が不明とされており、築城主に関する記録は伝わっていません。ところが立地的には、宮川沿いの越中西街道や数河峠がすぐ西で合流する場所で、向小島城や小鷹利城、古川城を望めます。西方面からの古川盆地への出入りを監視する重要な場所に位置します。このような立地から姉小路氏が築城した可能性が高いと考えられます。
山の頂上には3か所の大きな曲輪が連なり、それを守るように堀切・竪堀・切岸と言った遺構があります。遺構からはダイナミックな飛騨の土づくりの城の様相を見ることができます。特徴的なのは、畝状空堀群とよばれる畑の畝のような連続した竪堀です。特に厳重に守りたい峠方向を中心に造られており、横堀を組み合わせて防衛力を増強しています。金森氏の侵攻に備えた三木氏の改修が考えられます。
このように、歴史的にはなぞの多い野口城ですが、立地・遺構の規模に関しては、他の城跡に全くひけをとらない素晴らしい山城です。飛騨市教育委員会、、、飛騨市山城マップ・姉小路編より
場所は岐阜県飛騨市古川町野口
国道41号線と国道471号線が交差し、JR高山本線が並行して走る辺り。
富山からですと国道41号線、HOO古川・神岡線の「野口公民館前」バス停で側道を斜め右に入ります。国道41号線の高架下をくぐり、JR高山線と宮川を右手に見ながら野口の集落に入ります。集落の外れからお墓の脇を通って山へ登ると登城道入り口となります。

集落の奥に「野口城跡この先500m」「通り抜けはできません」という看板があり行く手を阻まれ躊躇していると

近所の御主人がやってきて『ここに車を停めていいよ』と教えてくれました。そこには『ご自由に駐車してください』という看板までありました。


さらにお墓の辺りで山に登る分岐まで案内してくださり、パンフレット(飛騨市教育委員会、、、飛騨市山城マップ・姉小路編)まで頂き感謝感激でした。お世話になりありがとうございました。

登城口には害獣対策の柵が設置して有り、例によって自分で開閉し最後はしっかり戸締りを確認して山の中に分け入ります。

登り始めて5分位で大きな竪堀が待ち構えています。

そこからさらに5分ほど登ると主郭に到着です。

ここで当日の行程を紹介します。
飛騨市教育委員会、、、飛騨市山城マップ・姉小路編より(北が上を向くように変換してあります)

ヤマップの行動履歴と照らし合わせてみます。

主郭中央部にはこんもりとした盛り土がありますが、これが天守台や櫓台だったのかはわかりません。

盛り土の頂上には小さなな祠が建っています。
祠から主郭北方向

同、南方向

主郭から西尾根の曲輪に向かうつもりですが、下へ降りる通路が見当たりません。5mほどある主郭切岸を滑り落ちるように下って尾根に出ました。
堀切

西の曲輪に向かう尾根

西曲輪南側の堀切

西曲輪の西側を時計回りに進むと
畝状空堀群がありました。

西曲輪北側の二重堀切


次に北側の曲輪に向かいます。
北曲輪、北側の尾根に施された三重堀切
先ずは手前の連続堀切

同断面1

同断面2

先端にある三番目の大堀切

北曲輪から東尾根へ

東尾根段郭

畝状空堀群

同、土塁と堀の組み合わせ

横堀を組み合わせて守りを厳重に固めています。

今回は万全を期してGPS機能の地図アプリ「ヤマップ」と目印テープを取り付けながらの移動でしたが、藪化した場所があり曲輪や尾根が明確ではなく迷う場面がありました。
特に北曲輪から東尾根に進み、戻ろうとした際帰り道を見失ってしまい焦りました。下って帰ると思い込んでいたのが失敗の原因でした。途中で気づきヤマップの軌跡を辿り、ようやく帰路に復帰できました。
根っからの方向音痴と、加齢による判断ミス。今後も注意しなければなりません(;^ω^)
※参考、、、飛騨市山城マップ・姉小路編、現地説明板、他
【野口城】
《のぐちじょう》
名称(別名);
所在地;岐阜県飛騨市古川町野口
城地種類;山城
標高/比高;566m/96m
築城年代;不明
廃城年代;
築城者;不明
主な改修者;不明
主な城主;吉川左衛門尉
文化財区分;市指定史跡
主な遺構;土塁,郭,堀
近年の主な復元等;
地図;