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あみの3ブログ

増島城@岐阜県飛騨市古川町片原 令和三年(2021)8月7日

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岐阜県指定史跡 増島城跡
増島城は鉄砲戦に適した広大な水堀を備えた飛騨で唯一の平城である。天正13年(1585)金森長近は飛騨一国を平定し高山藩主となった。養子可重は荒城郷一万石を与えられ、増島城と城下町を築いた。後に可重は二代目高山藩主として高山城に移り、増島藩主には長男重近(後の宗和、宗和流茶道の祖)を据えた。
元和元年(1615)一国一城令により「古川旅館」と改称した。元禄5年(1692)金森氏が出羽の国上山に移され、飛騨は天領になる。元禄8年(1695)城は幕命により破却された。
現在は天守櫓台の石垣や堀に当時の面影が残る。向かって左側石垣のみ、自然石を加工すること無く積んだ野面積みの石垣である。8mを超える高さがあり飛騨地域で最大級の高さを誇る。平成21・22年の小学校改築に伴う発掘調査で、総石垣の平城であることが判明した。飛騨市教育委員会、、、案内板より

場所は岐阜県飛騨市古川町片原町
JR飛騨古川駅から国道473号線を高山方面に直線で500m程行ったところで、荒城川のほとりにある「飛騨市立古川小学校」の敷地に隣接している。


古川小学校のグラウンドから見た城跡
両側にある校舎に挟まれた、写真中央奥の杜が城跡


増島天満神社参道
増島城本丸跡には現在「増島天満神社」が建立されている




御蔵稲荷神社
朱の鳥居が並ぶ


増島天満神社本殿



本丸石垣北西面、上段は櫓台石垣
『飛州志』によると天正年中(1573〜1592)金森長近によって築かれたという。金森長近は地味豊沃で、かつて姉小路氏が威を張っていた古川の地に目を付け、退いて守る山城より、進んで攻める交通の要所を求めて、ここに平城を築いたという。、、、岐阜県文化財伝承課


西側上段にある櫓台石垣


西隅石
上段に櫓台


北西側登り口


北隅石垣



北東側水堀


同水堀俯瞰
左手方向に土橋を挟んで堀が続いていたようですが、埋め立てられています



東隅石垣上部の反り


東隅石垣と水堀


同水堀を泳ぐ鯉
水面下の石積みが見えて萌えます💛


南東側水堀
堀にしては狭いが残りの部分は、右手方向にある小学校の地中に埋まっているのでしょうか





現在は、本丸櫓台の石塁と堀の一部が残り、県史跡として指定されている。
平成9年度に範囲確認調査を実施し、本丸掘の延長及び、二之丸堀、そして南側外堀、隅櫓土橋等の遺構が石積みの堀の立ち上がり部として残されていることが分かり、城郭の縄張りが明らかになった
。、、、岐阜県文化財伝承課

つまり城域としては両脇にある小学校校舎とグランドを合わせた広さがあり、二の丸や御殿などの建物が並び、南西面は荒城川が天然の堀となり、残り三面を水堀が巡る。
四隅には隅櫓が睨みを効かせた総石垣の城、そんなイメージを持ちました。



【増島城】
《》

名称(別名);
所在地;岐阜県飛騨市古川町片原町8-35
城地種類;平城
築城年代;1586年
築城者;金森長近
主な城主;金森氏
文化財区分;県指定史跡
近年の主な復元等;
天守の現状、形態;石垣、堀、天守台

※出典、、、
地図;





◆移築門

【円光寺】
山門
元禄8年(1695)旧増島城城門を移築(飛騨市指定文化財)




円光寺本堂

住所;岐阜県飛騨市古川町殿町11-11
地図:






【金森可重菩提寺 林昌寺】
山門
旧増島城城門を移築






林昌寺本堂

林昌寺にある可重の墓

住所;岐阜県飛騨市古川町片原町2-27
地図;




◆御城印



【飛騨古川まつり会館】

住所;岐阜県飛騨市古川町壱之町14-5
地図;
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