加賀藩は文化3年(1806)1月の『ロシア船に備えよ』との幕命を受けて以降、着実に海防の準備を進め、佐渡沖に異国船出没が伝えられた嘉永年間には、海辺防衛を一層厳重なものにするために、越中国を含めた沿岸一帯に御台場(砲台)を建設するなど、一連の防衛構想を実行に移していきます。
越中国では、伏木に放生津を加え直ちに着工の運びとなりましたが、藩主視察の結果生地と氷見にも築造が命じられたそうです。
黒い☆印は先発築造の6ヶ所、赤い☆印は越中国、青い☆印は富山藩の台場を現わしています。
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《越中の御台場を訪ねて第1弾》
大砲のレプリカと、砲台跡の復元展示は県内ではここだけ!
【生地台場】
生地台場の記事は→こちら
《越中の御台場を訪ねて第2弾》
加賀藩が最初に築造した6ヶ所の台場の一つで、越中初の台場はここだ!!
【伏木台場】
伏木台場の記事は→こちら
《越中の御台場を訪ねて第3弾》
【放生津台場】
加賀藩は領内の海岸線に台場を築造するため、海辺の巡見に金谷多門らを送り出した。一行は嘉永3年(1850)6月11日に放生津に着き、放生津八幡神社の敷地内の海岸側に用地を選定したが、完成までには至っていなかった。台場の形状についての資料はないが、八幡神社境内に台場の石跡が残ると言われている。
※「放生津(台場の)縮図見取り」は金沢市玉川図書館近世史料館に所蔵されています。
場所は富山県射水市放生津 放生津八幡宮内
地図をみると、隣接する伏木港の防衛のための施設と思われます。
つまり新潟方面(地図の右手)から伏木港へ侵入するロシア船を想定し、その手前で叩こうという意図があったのではないでしょうか?
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写真は富山湾に面する放生津海岸と、左手奥が放生津台場があった放生津八幡宮の辺り。
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現在の放生津海岸は埋め立てが進み、新湊漁港が建設され、湾岸道路も整備された。
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放生津台場があった放生津八幡宮の辺り
道路の部分が当時の海岸線だったと思われます。
樹木のある辺りが土塁のようにも見えますが、近年の盛り土と思われます。
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放生津八幡宮裏、海岸側に建つ「奈呉之浦碑」
万葉集で詠まれている名勝の地を顕彰するものです。 万葉歴史館の資料にこの古写真が写っています→こちら
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少し前までは右手の防波堤が海との境界でした。
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境内に展示されている砲弾
一瞬これか!!って思ったけど、こんな近代的は砲弾ではありませんよね(^^♪
明治40年陸軍大臣・寺内元帥から日露戦争終結にあたり奉納されたものでした。
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放生津八幡宮
本殿
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※参考資料、、、現地案内板、板垣英治「加賀藩の火薬」、越中国の歴史と文化
【放生津台場跡】
住所;富山県射水市放生津 放生津八幡宮内
地図;
【周辺】
新湊大橋
平成24年に開通した新湊大橋は、富山新港港口を結ぶ日本海側最大の斜張橋です。上層が車道、下層は歩行者通路「あいの風プロムナード」の2層構造になっています。
海王丸パークや新湊市内を流れる「内川」遊覧ではカモメとふれあえますよ♡
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日本のベニス内川に架かる12の橋
べんがら色の三角屋根の歩行者専用「東橋」と手前は放生津城跡に架かる「放生津橋」
はめ込んである欄間?の図案はお城ファン・戦国ファンの💛わしづかみ
放生津城跡の記事は→こちら
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橋繋がりで
こちらは伏木に近い庄川と小矢部川にはさまれた港湾地帯で見つけた、欄干の擬宝珠(ぎぼし、ぎぼうしゅ)は「獅子舞の像」
獅子舞が盛んな土地柄を現わすモニュメントですね♪
川の風情も港湾地区が感じられます。
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万葉線
JR高岡駅と六度寺駅まで運行される高岡軌道線と、射水市新湊にある越ノ潟駅から六渡寺駅までを結ぶ新湊港線の2路線があるが、写真は小矢部川に架かる鉄橋と六度寺駅でのすり替え風景。
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射水市新湊博物館
道の駅「カモンパーク新湊」隣にあって、放生津城跡出土品や神保氏の歴史を調べることができます。
それ以上に郷土の偉人「石黒信由」に関する資料が充実しています。石黒信由は和算・天文暦学を極め、なかでも加越能三州の測量を任せられ精密な地図を完成させたことで知られています。
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放生若狭屋
かりんとうまんじゅう
こしあん・抹茶・紫いも・かぼちゃ、各100円(税込み)
表面のカリッとした食感、揚げ油とあんの甘みがクセになる💛 人気イチオシの一品♪
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富山県射水市善光寺16-5
営業時間 9:00-19:00
0766-84-0844
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