【鎌刃城】
《歴史》
築城時期は不明だが、山麓の蓮華寺の寺伝によると、鎌倉時代の公安7年81284)鎌刃城城主土肥元頼の記述があるのが「鎌刃城」に関する最古の記録である。その後、応仁・文明の乱(1467~77)の頃には坂田郡の国人堀氏の本拠となっていたとされる。堀氏は戦国時代には浅井氏に臣従し、織田氏が近江に侵攻すると浅井氏を裏切って織田氏に降伏する。その後堀氏は天正2年(1574)に追放され、城は織田氏の直轄領となり、その後まもなく廃城になったと思われる。
《縄張り》
江北と江南の境目に位置し、中山道の間道を見下ろす軍事上の要所にあった。標高約384mの山頂に主郭を構え、2重3階と推測される大櫓を築いていた。主郭の南側に福郭を配置し、福郭から西方にのびた尾根筋に階段状に曲輪を展開しており、主郭の周囲には石垣が築かれ、北辺のほぼ中央に周囲を石垣で固めた枡形虎口を備えていた。、、、続日本100名城 日本城郭協会 学研
◆場所は滋賀県米原市番場
登城ルートは概ね2つ。
中山道番場宿から徒歩で40から50分のルートと、ワイルドな林道ルートは約15分で主郭に着きます。
自分は日帰り2城目という事で、林道ルートを選択。
名神高速道路米原JCの山側に「アイリスオーヤマ」とロゴが入ったでっかい建物があるのを御覧になった方も多いと思います。ザックリ言ってその後方の山と言う感じです。
北陸道米原IC下車、R21を長浜方面に左折、一つ目の信号「樋口西」をJCに戻る方向に左折。
高速道路ガード下で工業団地方面へ左折
アイリスオーヤマの倉庫と工場が左右に見えてきます。その先の分岐を
左は西坂集落、
右折して林道に入る
林道「滝谷武奈線」
「鎌刃城痕6km」の看板があります。
ここから先は舗装されているものの道幅狭く1車線なのですれ違いは退避スペースとなります。登り勾配強く、カーブ多し。途中落石ポイントがあるので要注意!
とにかく①スピードは出さない(特に下りで) ②コーナーではクラクションを鳴らして対向車に自分の存在を知らせる ③崖側にはガードレールが無いので転落の危険性あり、絶対崖側に急ハンドルを切らない ④脇見しない
◆山道走行約5kmで鎌刃城城跡入り口の看板が右手に見えてきます。
左手に退避スペースがあるので3~4台は駐車可能です。
林道わきの側道からスタートです。(クマ注意にビビる)
馬の背のような尾根道を下っていきます。
◆ものの2~3分で城域に到着!
尾根の切れ目と思っていたら、なんと「大堀切」の看板
ここから先主郭までは、西郭の淵を通って行くルートと、西郭の尾根を通って行く「切通」ルートに分かれます。
ちょっとだけ「切通」ルートを覗いてみることにします。ロープを頼りに崖をよじ登る感じです。
素晴らしい眺望ですが、次は急降下の崖が待っていました。高所恐怖症の自分にはムリムリ(;^ω^)
◆早々に引き返して、分岐から「淵を通る」ルートで主郭を目指します。
「淵を通る」ルートが絶対安全かと言えば、う~ん💦 常に危険は伴うので安心は禁物ですよ!
山腹に取り付けられた細い道(獣道みたい)は崖の斜面にあって、途中ロープを頼りに進む場面はちょっと緊張しました。しかし帰りのことに比較すれば楽勝だとは、この時は知る由もありませんでした。
◆10分足らずで主郭分岐に到着です。
ここで縄張り図と当日の行程を紹介します。(米原市教育委員会発行「鎌刃城トレッキングマップより抜粋)
城郭は3つの尾根に、中心部の「主郭」「南郭」、今歩いてきた「西郭」、大石垣が残る「北郭」、そして南東方向に伸びる尾根へと分かれています。
◆先ず向かったのは「主郭」
鎌刃城を代表する一枚
主郭の北側正面にある「石積みの虎口」です。
調査によって主郭の周囲は石垣によって囲まれていたことがわかり、戦国時代にいち早く石垣を導入した先駆的な城として注目されます。虎口は枡形を持ち、その前面には高石垣が積まれています。石はあまり加工されていない石灰岩で、石と石との間には粘度を詰めています。、、、同パンフより
主郭北東角石
主郭東面石垣
主郭内部南側石塁
以前は土塁と考えられていましたが、発掘調査の結果内側にも石が積まれ、石塁だという事が分かったそうです。
一部崩落防止のブルーシートで処置されています。
主郭平坦面
主郭正面虎口からの眺望
北西から北東方向
◆次に北郭に向かいました。
こちらは下り勾配の尾根上に削平した曲輪が階段状に並び、
北-Ⅰから
北-Ⅵまで7つの曲輪が連なって配置されています。
北Ⅳ-2曲輪に木造の見晴らし台が整備されていました。
時代考証は分かりませんが、高い所へは登りたくなるのが人の常(高所恐怖症のくせにw)
見晴らし台からの西側眺望。
佐和山城や彦根城、その先には琵琶湖に浮かぶ沖島まで見渡すことができます。
北-Ⅴから北-Ⅵ曲輪方向
北-Ⅴ曲輪には休憩所のベンチがみえます。
ちょうどお昼になったので、ここでしばし休憩。
野鳥の巣箱のような小箱が取り付けてあります。その中にはパンフレットや御城印が収納されていました。隣の小箱は貯金箱ではなく料金投入箱です。
御城印を買い求め、無人販売所の要領で小箱に料金を投入。
先ほど登城した「玄蕃尾城」では目的の一つとしていた御城印が完売だった為、予期せぬ収穫に感謝!!!
しかも焼き印の入った木の輪切りもゲット!!!ありがとうございますヽ(^o^)丿
◆昼食後散策再開
この北-Ⅴ曲輪には「石積みの枡形虎口」
があります。
発掘により門の礎石が発見され、「薬医門」があったことが分かったそうです。
「水の手」の再現
最南端の堀切の下に「青龍の滝」があり、そこから城内に水を引き入れた水の手跡が確認されたそうです。現在は地域の人たちにより塩ビパイプでここまで引き込まれています。
北郭の最先端の曲輪 北-Ⅵの「大櫓」
発掘調査の結果、土塁や窪み礎石が発見され、半地下式の7間×7間以上の大きな建物があったと考えられています。、、、同
復元CGによれば檜皮葺入母屋造りの御殿で二階部は望楼型とも思える天守のようなものが載っていたようです。
現在はそれをイメージさせる展望台が設置されています。
展望台からの眺望
右手(北東部)には伊吹山、左手(北西部)には小谷城の方向までパノラマが広がります。
天守からの眺めは400年経っても変わらない(*´ω`)
◆「大堀切」
城域の北端には4つの堀切が作られています。
最も大きい堀の深さは約9m 最大幅は約25m
大堀切は長い年月の間に斜面崩壊が進み、深さも浅く傾斜も緩やかになっていると思われます。それでも見る者を圧倒するそのスケールからは、当時の防衛力の高さが偲ばれます。、、、現地案内看板より
尾根は北端に進むごとに狭く・低くなり、その分堀切の規模も小さくなりますが、
北から大櫓のある御殿や主郭への侵入を阻止する重要な防衛施設でありました。
西側尾根の連続堀切と違って、各曲輪間の分断は無く移動は可能だったようです。従ってその分先端における4つの連続堀切の重要性が見て取れます。
◆「大石垣」
北の曲輪の西側には大石垣が残されています。鎌刃城はもともと土の城だと考えられていましたが、今ではこのような石垣が城の多くの部分を取り巻いていたと考えられています。、、、同パンフより
高さは約4m、長さは約30mにも及び、
構築理由はよくわかっていませんが、一つには斜面の崩落防止と考えられているそうです。
◆「南Ⅱ曲輪の土塁と大堀切」
南-Ⅱ曲輪の南辺には大きな土塁が築かれ、その先は深い堀切があります。さらに先に続く尾根筋には7つの堀切が設けられています。、、、同
南郭
主郭とともに主要な郭で、発掘調査により礎石建物があったと考えられています。
南郭大堀切
南郭 南‐Ⅱ削平地と土塁
この土塁は積み上げたのではなく、削り出し成形とわかり、土塁の外側には一部石垣が用いられるなど、城の南方を固めています。
◆南郭から西郭へ
西側尾根「切通」
西-Ⅱと西-Ⅲの間を仕切る堀切は深く大きい
なので往路では下からでも見えました。
昇降はロープが頼りです。
堀切を渡りきると、馬の背のような細い尾根筋が延々と続きます。
途中には大きな岩が露出し道を遮ったり
また倒木が行く手を阻んだり
そして堀切の連続
ほとんどの堀切は深い切込みなので、その都度ロープの助けを借ります
もう何番目の堀切なのか数えるのも忘れ、必死で登ったり下ったりを繰り返し、ようやく最後の堀切をよじ登りました。
そしてロープで降り立った場所は
往路で分岐した大堀切
ようやくたどり着いた安ど感と達成感でへたり込みそうになるのをこらえ、帰路につきました。
【鎌刃城まとめ】
鎌刃城は標高384mの山頂に築かれた、戦国時代の典型的な山城です。山頂の主郭と副郭を中心に、北西の尾根、西の尾根、南東の尾根の三方向に曲輪や堀切・土塁が設けられています。城の規模は東西・南北ともに400mに及び、湖北では小谷城に次ぐ規模を誇るそうです。
林道からの素晴らしい眺めは心に焼き付いています(^^♪
【鎌刃城】
《大堀切と連続堀切、防御力が高い境目の城》
名称(別名);蒲葉城
所在地;滋賀県米原市番場
城地種類;連郭式山城
標高/比高;384m/250m
築城年代;文明4年(1472)以前
廃城年代;天正年間(1573~92)織田信長による堀氏改易による
築城者;土肥氏または堀氏
主な改修者;土肥氏、堀氏、浅井氏
主な城主;土肥氏、堀氏、浅井氏
文化財区分;国指定史跡
主な遺構;曲輪、堀切、石垣、枡形虎口
近年の主な復元等;一部石垣の保全、水の手の復元 物見櫓、展望台
※出典、、、続日本100名城 日本城郭協会 学研
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