山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

露の世は露の世ながらさりながら

2018-11-26 22:30:06 | 文化・芸術
この三、四日、果てしのないような資料整理に明け暮れている。
まだ、いつ終わるか見通しが立たない……

一茶の、喜びも悲しみも ――2006.04.19記



  這へ笑へ二つになるぞ今朝からは

文政2(1819)年、「おらが春」所収。前書に「こぞの五月生れたる娘に一人前の雑煮膳を据ゑて」とあり元旦の句。一茶はすでに57歳、老いたる親のまだいたいけな子に対する感情が痛いくらいに迸る。

  露の世は露の世ながらさりながら

同年、6月21日、掌中の珠のように愛していた長女さとが疱瘡のために死んだ。
三年前の文化13(1816)年の初夏、長男千太郎を生後1ヶ月足らずで夭逝させたに続いての重なる不幸である。
「おらが春」には儚くも散った幼な子への歎きをしたためる。
「楽しみ極まりて愁ひ起るは、うき世のならひなれど、いまだたのしびも半ばならざる千代の小松の、二葉ばかりの笑ひ盛りなる緑り子を、寝耳に水のおし来るごとき、あらあらしき痘の神に見込まれつつ、今、水膿のさなかなれば、やおら咲ける初花の泥雨にしをれたるに等しく、側に見る目さへ、くるしげにぞありける。是もニ三日経たれば、痘はかせぐちにて、雪解の峡土のほろほろ落つるやうに、瘡蓋といふもの取るれば、祝ひはやして、さん俵法師といふを作りて、笹湯浴びせる真似かたして、神は送りだしたれど、益々弱りて、きのふよりけふは頼みすくなく、終に6月21日の朝顔の花と共に、この世をしぼみぬ。母は死顔にすがりてよゝよゝと泣くもむべなるかな。この期に及んでは、行く水のふたたび帰らず、散る花のこずえにもどらぬ悔いごとなどと、あきらめ顔しても、思ひ切りがたきは恩愛のきづななりけり」と。
幼い我が子の死を、露の世と受け止めてはみても、人情に惹かれる気持ちを前に自ずと崩れてゆく。
「露の世ながらさりながら」には、惹かれたあとに未練の思ひを滓のやうにとどめる。



2013.01<今月の購入本>
◇篠田 正浩「河原者ノススメ―死穢と修羅の記憶」幻戯書房
◇江刺 昭子「樺美智子-聖少女伝説」文藝春秋
◇中谷宇吉郎「科学の方法」岩波新書
◇ローラ.カジシュキー「春に葬られた光」ソニーマガジンズ

<愛国百人一首>をご存じか?

2018-11-26 00:56:29 | 文化・芸術
嗚呼、腹立たしや、情けなや……
Wikipediaでは百人百首が総覧できるよ

<愛国百人一首>をご存じか? ――2006.04.15記
 身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留置かまし大和魂  吉田松陰
太平洋戦争のさなか、小倉百人一首に擬して「愛国百人一首」なるものが作られていたというが、吉田松陰の一首もこれに選集されたものである。
対米開戦の翌年、日本文学報国会が、情報局と大政翼賛会後援、東京日日新聞(現・毎日新聞社)協力により編んだもので、昭和17年11月20日、各新聞紙上で発表された、という。
選定顧問に久松潜一や徳富蘇峰らを連ね、選定委員には佐々木信綱を筆頭に、尾上柴舟・窪田空穂・斎藤茂吉・釈迢空・土屋文明ら11名。選の対象は万葉期から幕末期まで、芸術的な薫りも高く、愛国の情熱を謳いあげた古歌より編纂された。



柿本人麿の
 大君は神にしませば天雲の雷の上に廬せるかも  
を初めとして、橘曙覧の
 春にあけて先づみる書も天地のはじめの時と読み出づるかな
を掉尾とする百人の構成には、有名歌人以下、綺羅星の如く歴史上の人物が居並ぶのだ。
どんな歌模様かと想い描くにさらにいくつか列挙してみると、
 山はさけ海はあせなむ世なりとも君にふた心わがあらめやも  源実朝
 大御田の水泡も泥もかきたれてとるや早苗は我が君の為  賀茂真淵
 しきしまのやまと心を人とはゞ朝日ににほふ山ざくら花  本居宣長
ざっとこんな調子で、「祖先の情熱に接し自らの愛国精神を高揚しよう」と奨励されたという「愛国百人一首」だが、いくら大政翼賛会の戦時下とはいえ、まるで古歌まで召集して従軍させたかのような、遠く現在から見ればうそ寒いような異様きわまる光景に、然もありなんかと想いつつも暗澹たるものがつきまとって離れない。



<今月の購入本>-2012年12月
◇川村 湊「牛頭天王と蘇民将来伝説―消された異神たち」作品社
◇本橋 哲也「深読みミュージカル -歌う家族、愛する身体-」青土社