-今日の独言- 今年の三冊、私の場合-2
菅谷規矩雄「詩的リズム-音数律に関するノート 正・続」大和書房刊の初版は1975年。私が初めて読んだのはおそらく80年頃だったろう。今年7月、図書館から借り受けてあらためてじっくりと読み直してみて、これまでわが舞踊においては場面のリズムなどとごく大掴みな把握しかしてこなかったのを省みて、菅谷のリズム論を媒介にもっと具体的に或はもっと根本的に捉えなおしてみたいという思いに至った。さらにこれを契機に、和歌や俳諧、古来より累々と築かれてきた短詩型文学の遥かに連なる峰々へ登攀する旅へと、すでに六十路の覚束ない足取りながら踏み出したばかりである。幸いにして短歌においては先述の塚本邦雄、俳諧においては「芭蕉七部集評釈」の安東次男というこのうえない先達が居る。この巨星ともいうべき二人の背をただひたすら後追いするを旨として歩めばよいのだ。そして時々に菅谷理論へ立ち返ること。「詩的リズム」は出発点だ。出発の地点とはゆきゆきてやがて往還して最終ゴールの地点でもあるだろう。
本書の内容についてはかなりの部分をすでに本ブログ上の<身体-表象>で採り上げているから、関心ある向きはそれを参照していただきたい。
<身体表象-8> 8/24
<身体表象-9> 8/25
<身体表象-10> 9/6
<身体表象-11> 9/9
<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>
<冬-14>
嵐吹く空に乱るる雪の夜に氷ぞむすぶ夢はむすばず
藤原良経
千五百番歌合、冬。
邦雄曰く、肯定形の四句切れはこともあろうに結氷、否定形の結句は、せめて結べと頼みかつ願う夢。みかけるような切迫した冬の叙景のあとの、破格の下句は肺腑に徹る思いもあり、名手の目を瞠らせるような技巧、と。
身に積る罪やいかなる罪ならむ今日降る雪とともに消(け)ななむ
源実朝
金塊和歌集、冬、仏名の心を詠める。
邦雄曰く、観普賢菩薩行法経の「衆罪霜露の如く慧日能く消除す」、梁塵秘抄の「大品般若は春の水、罪障氷の解けぬれば」あたりを心においての詠であろうか。前例の皆無ではないが、若くしてあたかも世捨人か入道した老人の呟きに似た述懐を試みるのが、奇特でもあり、悲愴とも考えられる。上・下句ともに推量形切れで、「らむ」のルフランを聞かせる、と。
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