山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

身に積る罪やいかなる罪ならむ‥‥

2005-12-25 23:27:36 | 文化・芸術
Nakahara050918-096-1

-今日の独言- 今年の三冊、私の場合-2

 菅谷規矩雄「詩的リズム-音数律に関するノート 正・続」大和書房刊の初版は1975年。私が初めて読んだのはおそらく80年頃だったろう。今年7月、図書館から借り受けてあらためてじっくりと読み直してみて、これまでわが舞踊においては場面のリズムなどとごく大掴みな把握しかしてこなかったのを省みて、菅谷のリズム論を媒介にもっと具体的に或はもっと根本的に捉えなおしてみたいという思いに至った。さらにこれを契機に、和歌や俳諧、古来より累々と築かれてきた短詩型文学の遥かに連なる峰々へ登攀する旅へと、すでに六十路の覚束ない足取りながら踏み出したばかりである。幸いにして短歌においては先述の塚本邦雄、俳諧においては「芭蕉七部集評釈」の安東次男というこのうえない先達が居る。この巨星ともいうべき二人の背をただひたすら後追いするを旨として歩めばよいのだ。そして時々に菅谷理論へ立ち返ること。「詩的リズム」は出発点だ。出発の地点とはゆきゆきてやがて往還して最終ゴールの地点でもあるだろう。

 本書の内容についてはかなりの部分をすでに本ブログ上の<身体-表象>で採り上げているから、関心ある向きはそれを参照していただきたい。
 <身体表象-8> 8/24 
 <身体表象-9> 8/25 
 <身体表象-10> 9/6
 <身体表象-11> 9/9



<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬-14>
 嵐吹く空に乱るる雪の夜に氷ぞむすぶ夢はむすばず
                                    藤原良経


千五百番歌合、冬。
邦雄曰く、肯定形の四句切れはこともあろうに結氷、否定形の結句は、せめて結べと頼みかつ願う夢。みかけるような切迫した冬の叙景のあとの、破格の下句は肺腑に徹る思いもあり、名手の目を瞠らせるような技巧、と。


 身に積る罪やいかなる罪ならむ今日降る雪とともに消(け)ななむ
                                    源実朝


金塊和歌集、冬、仏名の心を詠める。
邦雄曰く、観普賢菩薩行法経の「衆罪霜露の如く慧日能く消除す」、梁塵秘抄の「大品般若は春の水、罪障氷の解けぬれば」あたりを心においての詠であろうか。前例の皆無ではないが、若くしてあたかも世捨人か入道した老人の呟きに似た述懐を試みるのが、奇特でもあり、悲愴とも考えられる。上・下句ともに推量形切れで、「らむ」のルフランを聞かせる、と。


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忍び妻帰らむあともしるからし‥‥

2005-12-24 21:51:29 | 文化・芸術
051023-130-1

-今日の独言- 今年の三冊、私の場合-1

 昨日触れたのはあくまで今年発刊された書から書評氏が挙げたものだが、今日は私が今年読んだ書からこれという三冊を挙げてみる。
先ずは、塚本邦雄「定家百首-良夜爛漫」-ゆまに書房刊「塚本邦雄全集第14巻」集中。
これについては先日12月8日付にてもほんの少し言及したが、本書中で定家の恋歌について塚本は「見ぬ恋、会わぬ恋、遂げぬ恋を、しかも逆転の位置で歎くという屈折を極めた発想こそ、彼の恋歌、絵空事の愛欲の神髄であった。恋即怨、愛即歎の因果律を彼ほど執拗に、しかも迫真性をもって歌い得た歌人は他にはいない。虚構の恋に身を灼く以前に、日常の情事に耽溺していた多くの貴族には、この渇望と嫌悪の底籠る異様な作が成しえるはずはない。彼の虚の愛のすさまじさは、西行の実めかした恋の述懐調の臭味を睥睨する」と述べ、より美しい虚、より真実である虚構の存在に賭ける定家を見つめている。短歌は幻想する形式であるとして「定型幻視論」もこのような見解を基盤に見出しうるかと思われる。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬-14>
 忍び妻帰らむあともしるからし降らばなほ降れ東雲の雪  源頼政

源三位頼政集、冬、暁雪。長治元年(1104)-治承4年(1180)。摂津国渡辺(大阪市中央区)を本拠とした摂津源氏の武将。以仁王(後白河院第二皇子)の令旨により平氏打倒の兵を挙げるも、平知盛・重衡ら率いる六波羅の大軍との宇治川の合戦に敗れ平等院に切腹して果てた。享年77歳。「平家物語」に鵺((ぬえ)と呼ばれる怪物退治の説話が記され、能楽に「鵺」、「頼政」の曲がある。
この歌、忍びつまを夫と見、後朝の別れに女の立場で詠んだと解すのが常道かと思われるが、邦雄氏は忍び妻を採る。東雲の-東の空まだ明けやらぬ頃の。
邦雄曰く、密会の跡の歴然たる足跡は、降りしきる雪が消してくれればよい。隠し妻のかわいい履物の印とはいえ、残ればあらわれて、人の口はうるさかろう。豪快な武者歌人の、やや優雅さに欠けた歌にも見えながら、歌の心には含羞が匂いたつ。命令形四句切れの破格な響きは、作者の人となりさえも一瞬匂ってくるようだ、と。


 竹の葉に霰降るなりさらさらにひとりは寝べき心地こそせね
                                    和泉式部


詞花集、恋。詞書に、頼めたる男を今や今やと待ちけるに、前なる竹の葉に霰の降りかかりけるを聞きて詠める、と。
霰-あられ。さらさらに-竹の葉の擬音語であるとともに、決しての意を兼ねた掛詞。
邦雄曰く、霙-みぞれでは湿りがちになり、雪では情趣が深すぎて、霰以外は考えられぬ味であろう。待恋のまま夜が明けても、寂しく笑って済ませるのが霰の持つ雰囲気か、と。


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冬の夜は天霧る雪に空冴えて‥‥

2005-12-23 11:23:52 | 文化・芸術
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-今日の独言- 今年の三冊

 18日付、毎日新聞の書評欄-今週の本棚では、総勢32名の書評者各々が勧める今年の「この三冊」を掲載していた。書評者たちの専門は広く各界を網羅しているから、挙げられた書も多岐にわたって重なることはかなり少ないが、複数人によって重ねて挙げられている書を列記してみると、
 大江健三郎「さようなら、私の本よ」-大岡玲、中村桂子、沼野充義の三氏。
 三浦雅士「出生の秘密」-大岡玲、村上陽一郎、湯川豊の三氏。
 筒井清忠「西條八十」-川本三郎、山崎正和、養老孟司の三氏。
 リービ英雄「千千にくだけて」沼野充義、堀江敏幸の二氏。
と4書のみだが、残念ながら私はいずれも読んではいない。
因みに、32名によって挙げられた書の総計は89冊になるが、この内、私が読んだのは2冊のみ、高橋哲哉「靖国問題」と佐野眞一「阿片王-満州の夜と霧」だけで、些か時流に外れた読書人と言わざるをえないか。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬-13>
 雪のうちにささめの衣うちはらひ野原篠原分けゆくや誰
                                  守覚法親王


北院御室御集、冬、雪。久安6年(1150)-建仁2年(1202)。後白河院の第二子、姉に式子内親王、弟に以仁王。幼少より出家、歌道・学才にすぐれ、御子左家歌人の俊成・定家・寂蓮や六条藤家歌人顕昭・季経・有家らともよく交わる。
ささめ-莎草、茅・萱・菅の類、狩り干して蓑の材料にする。
ささめの蓑を着て、降り積もる雪を打ち払い打ち払い、ひたすらに野を急ぐ旅人を遠望する景。
邦雄曰く、第四句「野原篠原」の重なりも、「誰」と問いかけて切れる結句も、心細さをさらにそそりたてる。新古今歌風からやや逸れたところで、清新素朴な詞華を咲かせている、と。


 冬の夜は天霧る雪に空冴えて雲の波路にこほる月影
                                  宜秋門院丹後


新勅撰集、冬、千五百番歌合に。生没年未詳、平安末期-鎌倉初期。源頼行の女、伯父に源頼政。はじめ摂政九条兼実に仕え摂政家丹後と呼ばれ、後に兼実の息女で後鳥羽院中宮任子(宜秋門院)に仕えた。歌人として後鳥羽院に「やさしき歌あまた詠めりき」と評価が高い。
天霧る-あまぎる、空一面を曇らせる。雲の波路-雲の重畳、たなびくさまを波に比喩。
邦雄曰く、水上に空を見、天に海原を幻覚する手法は、古今集の貫之にも優れた先蹤を見るが、第四句「雲の波路」なども、実に自然に錯視現象を生かしている。丹後の歌には気品が漂う、と。


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袖にしも月かかれとは契りおかず‥‥

2005-12-22 05:27:40 | 文化・芸術
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-今日の独言- 全国的に雪

  太郎を眠らせ太郎の家に雪降り積む
  次郎を眠らせ次郎に家に雪降り積む


 12月にはめずらしい強い寒波がつづく。
22日午前4時47分、鹿児島の市内でも雪が舞っている。
先日、記録破りの雪だった広島もまた大雪となりそうな気配。
アメダスの画像によれば、九州全域に雪雲、中国地方北部と南部一部にも。
そして四国の南部海洋沖、東北地方では北部日本海側とこれまた南部沖上空にも。
列島の海域はほぼすべて荒れ模様、風と浪と雪に見舞われている。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<雑-4>
 わたつみのかざしにさせる白妙の波もて結へる淡路島山
                                   詠み人知らず


古今集、雑、題知らず。わたつみの-海神、「わた」は海のこと。かざし-挿頭。淡路島山-歌枕、瀬戸内の淡路島。
邦雄曰く、海神の挿頭は瀬戸内の白い波の花、それを島のめぐりにぐるりと、淡路島は結いめぐらしている。華やかに、おごそかに、雄大な眺めの歌の随一、と。


 袖にしも月かかれとは契りおかず涙は知るや宇津の山越え
                                   鴨長明


新古今集、羇旅、詞書に、詩を歌に合せ侍りしに、山路秋行といへることを。久寿2年(1155)?-建保4年(1216)。下鴨神社の禰宜、長継の二男。後鳥羽院中心の御所歌壇に地位を占めるも、後に出家して和歌所を去る。「方丈記」の他、歌論書「無名抄」、また仏教説話を集めた「発心集」も彼の作に擬せられている。宇津の山-駿河の国の歌枕、静岡県志太郡と静岡市宇津ノ谷の境にある宇津谷峠。
邦雄曰く、涙は袖に玉をちりばめ、その袖の涙に月が映るようにとは約してもいなかったが、涙はそれを承知かと、屈折を極めた修辞は、いわゆる新古今調とはまた一風変った鮮明な旅の歌である。必ずしも秀作に恵まれない長明にとって、この歌は最高作の一つであろう、と。


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あしひきの山川の瀬の響るなべに‥‥

2005-12-21 01:56:09 | 文化・芸術
051129-022-2

-今日の独言-> <身>のつく語

 常用字解によれば、<身>は象形文字にて、妊娠して腹の大きな人を横から見た形。身ごもる(妊娠する)ことをいう。「みごもる」の意味から、のち「からだ、みずから」の意味に用いる、とある。
 <身>はパースペクティヴの原点である。我が身を置く世界の空間構造そのものが、質的に特異な方向性をもったものとして、<身-分け>され、価値づけられる。<身-分け>とは意味の発生の根拠なのだ。<身-分け>を基層にして<言-分け>の世界もまた成り立つ。
 <身>のつく語は数多いが、どれくらいあるものか、ちなみに手許の辞書(明鏡国語辞典)で引いてみた。これが広辞苑ならさらに多きを数えるのだろうが。


身内、身を起こす、身構え、身が軽い、身に余る、身分、身の多い、身から出た錆、身に沁みる、身につく、身につまされる、身二つになる、身も蓋もない、身も世もない、身を誤る、身を入れる、身を固める、身を砕く、身を粉にする、身を立てる、身を投ずる、身を持ち崩す、身を以って、身をやつす、身請け-身受け、身売り、身重、身勝手、身柄、身軽、身代わり-身替わり、身綺麗-身奇麗、身包み、身拵え、身ごなし、身籠る、身頃、身支度-身仕度、身仕舞い、身知らず、身動き、身すがら、身過ぎ世過ぎ、身銭、身空、身丈、身嗜み、身近、身繕い、身共、身投げ、身形-身なり、身の上、身の皮、身の毛、身代金、身の丈、身の程、身の回り、身幅、身贔屓、身振り、身震い、身分、身寄り、
身口意、身魂、身上、心身-身心、人身、身体、身代、身長、身辺、親身


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<雑-3>
 落ちたぎつ岩瀬を越ゆる三河の枕を洗ふあかつきの夢
                                   藤原為家


大納言為家集、雑、三河、建長5年8月。建久9年(1198)-建治元年(1275)。藤原定家の二男、御子左家を継承し、阿仏尼を妻とした。
三河(みつかわ)-琵琶湖畔の坂本を流れる現在の四ツ谷川(御津川)で、三途の川を暗示しているという万葉時代の歌枕。
邦雄曰く、急流の泡立ち流れるさまを「枕を洗ふ」と表現する第四句、暁の夢の景色だけに鮮烈で特色がある。為家55歳の仲秋の作。律調の強さは作者独特のものだろう、と。


 あしひきの山川の瀬の響(な)るなべに弓月が嶽に雲立ち渡る
                                    柿本人麿


万葉集、巻七、雑歌、雲を詠む。
あしひきの-山に掛かる枕詞。弓月が嶽-大和の国の歌枕、奈良県桜井市穴師の纏向山の一峰かと。
この歌、島木赤彦が「詩句声調相待って活動窮まりなきの慨がある」と、さらに「山川の湍(せ)が鳴って、弓月が嶽に雲の立ちわたる光景を「な経に」の一語で連ねて風神霊動の慨があり、一首の風韻自ら天地悠久の心に合するを覚えしめる」と激賞している。
邦雄曰く、たぎつ瀬々の音、泡立つ瀧の響き、嵐気漲る彼方に山はそばだち、白雲はたなびく。第四句「弓月が嶽」はこの歌の核心であり、この美しい山名はさながら弦月のように、蒼く煌めきつつ心の空にかかる。堂々として健やかに、かつ神秘を湛えた人麿歌の典型、と。


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