山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

玉くしげ明くれば夢の二見潟‥‥

2006-07-29 22:35:53 | 文化・芸術
Geinoumihonichi

-表象の森- 地下鉄と舞台芸術・芸能見本市

 大阪発信の「舞台芸術・芸能見本市」も今年で7回目だという。
類似の企画が東京にもあるが、こちらは「東京芸術見本市」といい、11回目が来春3月開催の予定とか。
東京と大阪では、イベントスケールにおいても開きがあろうけれど、それよりも名称の違いに表れているように、大阪のほうが良くも悪くもごった煮感が強い。
その見本市に、初めて足を運んでみた。
たしか一昨年まではグランキューブ大阪(大阪国際会議場)が会場だったが、集客面の問題もあったのだろうか、昨年からOBP(大阪ビジネスパーク)に会場を移している。


 ちょうど昼時の、夏の盛りとなった炎暑のなか、ただ歩くさえ滅入るような消耗感に襲われる。
地下鉄四つ橋線に乗って、長堀鶴見緑地線に乗り換えた。南港ポートタウン線のニュートラムにしろ、この鶴見緑地線のリニアにしろ、あまり乗る機会がないのだが、車両の狭小さには乗るたびに閉口する。慣れからくる身体感覚というものはおそろしいもので、従来線の地下鉄や環状線の車両に慣れた身には、平日の正午ちかくだから乗客も少ないのだけれど、それでも狭い車内ゆえの圧迫感から免れえない。
ちなみに、大阪市交通局によれば、
在来地下鉄の車両寸法  長さ18.7m×幅2.88m×高さ3.745m
鶴見緑地線のリニア 〃 長さ15.6m×幅2.49m×高さ3.12m
となつており、それぞれ2割ほど縮小された空間に過ぎないといえばそうなのだが、容積にすればほぼ半分である。これではちょいとした不思議の国のアリスの世界だ。
大阪ビジネスパークの駅は、大深度というほどでないにしても、かなり地下深く潜っている。長いエスカレーターを二本乗り継いでやっと改札を出たが、さらに長い階段をあがってやっと地上に出たら、またもや炎熱の空。まだ梅雨明け宣言のない大阪の副都心は、うだるような蒸し暑さで不快指数もうなぎ上りの感。


 お目当ての円形ホールに着いたときは1時を10分あまり過ぎていたか。大谷燠が主宰するDanceBoxプロデュースの「関西コンテンポラリーダンス・ショーケース」はすでにはじまっていた。
ほとんどがsoloによる作品、なかにDuoが一つ二つ。10分前後の小品が次々と矢継ぎ早に演じられる。
「関西を拠点に国内外で活躍中の今最も注目すべきアーティスト10組を厳選、紹介」するという謳い文句を額面どおり受取るなら、コンテンポラリーダンスを標榜する昨今の若手・中堅の動向が、この舞台でほぼ了解できることになるはずだが、果たしてそうか。90年代以降、大谷燠のDanceBoxによる十数年の活動が、関西のダンスシーンを新たに作りかえてきたことは応分に評価されるべきところだが、今日舞台で演じられたこのアーティストたちの表現世界をもって、関西のダンスシーンを代表されるとなると、それではあまりにミニマムに過ぎないか。


 Contemporaryとは、「同時代の」、「現代・当世風の」といった意味だから、Contemporary-Danceといってみても、抑も抽象的にすぎて掴み所のない概念ではある。
70年前後、黒テントの佐藤信たちが、すでに既成勢力と化して旧態依然とした「新劇」を解体し、演劇性をもっと多様なものへと解き放つべく、「同時代の演劇」を標榜していたことがあった。60年代から70年代は、日本の政治的レベルにおいても、文学や美術や演劇などの芸術的レベルにおいても、まさに時代の転換期だったといえる。佐藤信たちが標榜した「同時代の演劇」は、この言葉自体が市民権を得ることはなかったけれど、彼らが遠望した射程は広く遠く、それこそ同時代のさまざまな演劇的現象と交錯、共振しあって、時代の変相のなかで演劇もまた大きく変様を遂げたといえる。
その点、90年代以降のダンスシーンでは、「Contemporary-Dance」が世界中を席巻して、猫も杓子もコンテンポラリーといった態で、もはや世界共通語化しているといっていい現象なのだが、多様化する個性は果てしのない細胞分裂を繰り返すがごとく、極小の世界にひたすら分立していく傾向に流れている。60年代、70年代と、80年代、90年代では、世界は大きく変転して、高度資本主義下の消費文明の勝利となったように、演劇も舞踊も、もちろん他の芸術たちも、巷に氾濫するたんなる消費財の一つになってしまったといえるだろう。
まこと、よくぞ舞台芸術・芸能「見本市」といったものである。消費天国ならではの命名のとおり、Contemporary-Danceにかぎらず、ものみなすべてただ消費されてゆくのだが、何故ここでとことん開き直って「蕩尽」へと立ち向かえないのか、それが絶対の岐路だろうと、時代おくれの小父さんなどには思われてしかたないのだ。


 長堀鶴見緑地線の車両の狭小さからくる身体感覚の違和や圧迫による不快感と、舞台芸術・芸能「見本市」の消費文化としての極小さが感じさせる違和と焦燥に、同じようなものを見てしまったハグレドリの暑い一日の記。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-35>
 玉くしげ明くれば夢の二見潟ふたりや袖の波に朽ちなむ
                         藤原定家

拾遺愚草、上、内大臣家百首、恋二十五首、寄名所恋。
邦雄曰く、定家53歳9月十三夜の作。この中の名所に寄せる恋は秀歌が多く約半数が勅撰入集。ただし最優秀と思われる「二見潟」は洩れている。玉櫛笥は蓋の枕詞、したがって二見との懸詞。「夢の二見潟ふたりや」の畳みかけるような、しかも細やかな技巧は抜群。「いかにせむ浦の初島はつかなるうつつの彼は夢をだに見ず」は、新拾遺集入選の名作、と。

 武庫の浦の入江の渚鳥羽ぐくもる君を離れて恋に死ぬべし
                         作者未詳

万葉集、巻十五。
武庫-摂津国の歌枕。兵庫県、武庫川の西側、六甲山南側の旧都名。神宮皇后が三韓出兵の後、兵器を埋めたことに由来するという。
邦雄曰く、詞書には「新羅に遣はさえし使人ら別れを悲しびて贈答し、また海路にして情を慟み思ひを陳ぶ」と。武庫川の入江にたぐえられた男こそ新羅への使人、彼の懐で愛された女人が、悲しみのあまり贈った歌。答歌は「大船に妹乗るものにあらませば羽ぐくみ持ちて行かましものを」。女歌の不安な二句切れと、激しい推量の響きは、男歌に遙かに勝る、と。


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