―表象の森―「群島-世界論」-05-
シマ、という、深い意味の消息を抱え込んだ日本語の音について考えはじめると、私の思考は底なしの淵に導かれるようにして、豊饒な意味連関の濁り水のなかを嬉々として泳ぎ巡る。シマ、と発声すれば、何よりもまず「島」が現れる。群島をめざす、私たちの意識の最深部にある、炸裂と沈潜の、生者と死者の繋がりの、それは豊かな源泉である。だが同時に、奄美・沖縄の島々では、シマは集落のことでもある。シマン人-チュ、シマ口-グチ-、シマ唄-ウタ-、といった用法はみな、本来は浦々に拓かれたそれぞれの村に住む人、そこで話されている土地ことば、そして村々が伝承するうた-民謡-の固有性を意味する表現であった。そしてそれは「ある囲われた地域」「区切られた場」を意味する音として、なわばりを意味する「シマ」という音へと転じてゆく。流刑地に流されることを「シマ流し」といったが、これも、かならずしも島である必要はなく、区切られ、孤絶した場所=シマ、という意味における用法であったろう。とすればシマは-隅-と語根を同じくする。半島や岬という地形もまた、そうした周囲を海で区切られた孤絶した場所の一つであり、シマ-志摩-やスマ-須磨-やスミ-隅-という音が多くの半島域や海岸域にいまで数多く残っていることがその証である。
私の想像力がさらに昂揚するのは、シマという音に「縞」をさぐりあてるときである。人間がなにをもって最初に縞模様を意識したのかは謎というべきだろうが、たとえば、素朴な織物の柄にはかならず微細な縞模様が縦糸と横糸の交差によって織り込まれる。くっきりと画された二種類の色や風合いの差を視覚によって認識することで、人間は無限の空間にむけて原初の「領域」を画すことを学んだ。そのはじめに画された認識の領土が、シマ=縞なのであろう。
折口信夫の雨にけぶる島の井川。異邦人としての違和に立ち尽くす島尾敏雄の暗川。そして干刈あがたの二世の夢が沐浴のまどろみで見せる不可能な帰郷‥。井筒を抜けた対蹠点にそのような群像の声を響かせながら、カリブ海の島々に寄せる浪は、くっきりとした異質性のなかで並びあう感情の群島へと、はるかに私たちを導いてゆく。
-今福龍太「群島-世界論」/5.二世の井/より-
<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>
「灰汁桶の巻」-31
加茂のやしろは能き社なり
物うりの尻声高く名乗すて 去来
次男曰く、愈、名残の裏入である。
後の元禄6年、膳所の酒堂が業俳として立つべく大坂に移り住んだとき、その門出に贈った去来の句がある、「門売も声自由なり夏ざかな」。「物うりの」句は、いかにも去来好みの起情だろう。作りは雑躰だが、夏気分が横溢している。
下賀茂社の祭神は玉依姫命、上社別雷命の母神である。それを踏まえて、賀茂の物売は「尻声高く名乗すて」ると云えば、明けっぴろげのくすぐりも利いて、なかなかの俳言になる。これは京の暮しに通じた識者ならではの気転だ、と。
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