山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

何おもひ草狼のなく

2009-05-11 17:18:41 | 文化・芸術
Dancecafe08092868

―世間虚仮― 小沢辞任

民主党小沢代表がとうとう辞任へ、と政局が動いた。
13日に党首討論という舞台を控えたタイミングはベストの選択か否か、些か首を傾げたくなるが、小沢の心中如何?

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「灰汁桶の巻」-24

  すさまじき女の智慧もはかなくて  

   何おもひ草狼のなく  野水

次男曰く、「万葉集」巻十の秋相聞に、「章に寄する」と題して
「道の辺の尾花が下の思ひ草いまさらになに物か念はむ」
とあり、この歌は「古今和歌六帖」の雑思や「続後拾遺集」-勅撰第十六集-の恋歌の部にも採られている。

思ひ草を詠込んだ歌は、勅撰だけでも「金葉集」以外に12例、その内9首までが恋の部に見える-のこりは秋2、冬1首-。

「おもひ草」は恋の詞と見なしてよかろうが、さて「尾花が下の」と云う秋草を何に同定するかは、古来、説がある。多くはリンドウと考え、ほかにチガヤ、ツユクサ、ナデシコなどの名を挙げる。近時は、ナンバンギセルと考える説が有力となった。ススキ・ミョウガ・サトウキビなどの根に限って寄生する小草で、茎も葉も退化し、代わりに直接花柄を抽いて、初秋のころその先に紫紅色・筒形の単一花を、横向きにつける。

その恋にちなんだ草の名を連・俳共、実体はひとまず措き三秋の季としている。野水も前を奪って二句恋に仕立てるために名を取り出したまでで-何おもふ-おもひ種-思ひ草-、草の実際など考えてもいまい。其人を付けたと受取れば、どんな思いの種あって狼のように泣くぞ、と読める。狼なら何を思いの種として泣くだろうか、とずらして読んでもよい。これまた、前句に合せて両義をかける仕掛である。

万葉集の「いまさらになに物か念はむ」純情を翻して、「狼のなく」と、怨嗟の凄みを利かせたところ、俳と云えば俳だが、、作りは思案に窮した咄嗟の軽口だろう、と。


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