モノと心の独り言

コミュニケーション/メディア/コミュニティ ココロの建築家になりたいと・・・ 

コミュニケーション、コマース、コミュニティ

2005-01-05 12:31:18 | コミュニケーション-メディア
モバイル・ユビキタス社会は
モノや情報が集散するのではなく、
環境が情報化し、人が動き、集う社会です。

歴史を振り返れば、
メディアは、”語り”、”歌”、”図象”から、
記録され伝播可能な、文字・印刷物へと進み、
表象された抽象的な概念が世界を巡ってきた。
数字はその極で、世界の過去から未来まで、人間の欲望を一手に引き受ける。
言葉は、ローマ字表記になり、インターネット・米語化され、
音楽は、リズムとメロディー、西欧平均律に取り込まれ、
映画は、人間の神話的共通性で普及し、
スポーツは、人類共通の身体性で共感される。

本来は異なるコトゴトを、市場という舞台にのせ、
差異と希少性で交換することにより、
消費ゲームが続いています。

しかし、メディアを支える個人のコミュニケーション道具は、
身体・触れ合い・しぐさ・身なり・声・コトバが写されて、
記号・文字・音・写像・動画として、
普通の個人が受発信・記録できるようになってきました。
そして、身に着けたケイタイの音声・画像・映像は、
常に身体、地域を映し出し、個人が発信しあうメディアです。
個人は、その環境・地域と人との関わりを映すメディアとなり、
その活動地域は、そのメディアである個人によって現前します。
それは、個人的である分ローカルで、
ローカルである分、些細なことまで違いがわかる濃い世界。


今年は、
その活動地域を、生活地域・交流地域・事業地域と分けてみて、
その生活行動にそった情報環境づくりで、
暮らす人中心の濃淡のある社会をめざします。
もう、生産・流通中心の中心市街地という概念では、
都市を考えられないのです。

ケイタイやカラオケで、交信しあう快感を味わえば、
”意識中心の理性的近代個人”という殻は破れだし、
”素直な現代人”として、身体を解放したくなります。
年月を経た体験も、個人や家族という枠を超えて解放して、
いろいろな活動地域ができればと考えます。
墓まで持ち込んでも、参る人も僅かです。

グローバル・メディアが、境界を越えられるコトバを循環させ続け、
ローカル・メディアは、表象できないコトゴトの断片を偏在させる。
この偏りこそ、
異なる活動地域を楽しめる豊かな暮らしの源泉です。
豊かさとは、人それぞれの場所・時間・興味にそって、
選択可能な行動が選べ、参加し、持続できること。

今年のテーマは、
コミュニケーションとコマースにより、
コミュニティを顕在化させる仕組みづくりです。

コマース(commerce)は、商取引と交渉という意味があります。
交渉とは、人と人とのコト、或いは神・感情・思想との交わり。


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