モノと心の独り言

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ボランティアって・・・ お手伝いの時代へ

2011-04-03 04:37:27 | 暮らし・街・環境
1.教会の恵み
2.貴族社会の施し
3.市民社会の奉仕
4.大衆社会のボランティア

どう違う?
1.司祭(神の仲介)
2.王族(支配)
3.市民階級(金持ちの贖罪)
4.労働者 (地縁・血縁の薄れへの反動)

私は、どう関係してるのか?
1.
科学の限界、人の予測の限界で、自然を恐れ、人の情動の集積を恐れると、
司祭や占い師の言葉を、やっぱり、気にしてしまう。
政治家の言葉が、そのとおりになればと、つい、願ってしまう。
所詮、自己責任なのだけど。
2.
武力で守った土地、カネで購った土地使用権も、生産価値で税金で、目減りする。
相続で1/3づつ。生産力が劣った農地・商店地を、優遇税制で死蔵していると、
自分も死に、街も死ぬ。
3.
王族利権から商業資本へ、そして、金融資本市場へと変わったら、
主役は、人から、カネ自体への欲望や恐怖に代った。だれもが、終われない、金融資本ゲームのテーブルを離れられない。
金融工学の限界が来たので、資源・商品市場を開拓中。
4.
工業団地へ、都市へと、通勤・赴任・転勤・移転を重ねた次男・長男の父系社会は、血縁・地縁を希薄にしてきた。
そして、企業さえ、スクラップ&ビルド、いやいや、M&Aによる、世界最適化の時代には、社縁も薄れ、より安全そうな世界企業のリストラされない社員になりたくなる。その裏返しで、責任をもたなくていい相手に、ツブヤキ、気分をよくして、都合のいいときだけのボランティア。一生負担になる相手を探す気もないし、次の世代へと引き継ぐ子も産まない・育てない。さて、自分を満足させようと、王族・市民の娯楽の真似をしてみるのだけど・・・・一瞬の共感消費がソーシャル・コミュニケーションの世界。結局、縁が無くなってしまった、自動収束するマスメディアの有名人へのあこがれなの?スモールワールドじゃなくって、マスワールドなの?

被災支援を続ける自身の仕事・地域・事業が、どんな状態か?
就社すれば、仕事がある?
街にでれば、仕事がある?
事業は、家業のように続く?
いろいろな神話が、地滑りしているのでしょう?
東日本大震災という名前は、ホームレスからランドレスへの始まりか?

今は、マス・コミュニケーションも、パーソナル・コミュニケーションも総動員!
1~4の、手がかりを、総動員しながら、ゆくりと、社会のあり方を変える時期に入ってきた。

ポスト・モダンとは、
核エネルギーと絶対への無限モデルへの決別。
科学と神話は、絶対ではなく、その滑りの幅を仮定して、頼りたい。

だれもが、被災者であり、生活・事業をもり立てながらの支援しかできないとき、
ボランティアって、現代ネットワークを利用して、
いつでも・どこでも・出来ることで、
’お手伝い’という、利用者サイドからの言葉に代るのでは?

その手がかりが此処に
東日本大震災支援活動 「佃 LOVES 東北」、あなたも何かできる!





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1 コメント

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自分のためのボランティア (バカボンの叔父)
2011-04-04 18:17:09
ボランティアは、任意な意志からではない。自分ややらないと気が済まないからなのだ。お母さんが拡げた被災支援の始まりは、自分の不安・子どもの不安を何とかするためだった。http://machihito.blog131.fc2.com/blog-entry-290.html
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