通勤電車で「人生晴れたり曇ったり」

“通勤電車”は、人生という線路を迷走中。
自分の選んだ道だから“晴れても曇っても”自分の足跡をブログに残していきたい。

サンタさんはきっといる!

2010年12月24日 | 気になるニュース
こんばんは

クリスマスイブの夜をいかがお過ごしですか。
寒いです。体ばかりか、心まで凍りそう。

こんな夜はちょっといい話を・・・・・



”らばQ”で、見つけました

題名は、「路上で車のトラブルを見かけたらどうする?」


それでは、はじまりはじまり・・・・


僕は道路で誰かを見つけると車を停めていたのだけれど、
都会に引っ越してからは彼女が他人を乗せることをあまり
快く思っていないようだったので、だんだん誰かを乗せる
ことは減っていった。

ところがあることが僕の身に起こり、それからは以前のよ
うに習慣的に人を乗せている。

少し長い話になるけど、そして路上で起こったということ
以外はヒッチハイクに関係のない話だけど、ちょっと書か
せて欲しい。

この1年の間に車のトラブルが3回もあった。
タイヤのパンクと、ヒューズが飛んだこと、それからガス欠だ。

その3回ともが他人の車を運転していたときに起きたので
精神的に非常つらく、ジャッキと予備のヒューズを車に
載せていたことと、ガス欠のときは下り坂を向いた状態で
車を停めてはいけない知識を持っていたこと以外は、
最悪と言う他は無かった。

とにかくそんな最悪のとき、誰も見向きもせず助けてもくれ
ないことに落胆していたんだ。

何時間も高速の隅でAAA(日本のJAFに相当)を待ちながら、
何台もの車が通り過ぎるのを眺めていた。

訪れた4つのガソリンスタンドはどこも「あなたの安全のため」と
言う名目でガソリン容器を貸してくれず、その代わりフタのない
1ガロンの容器を15ドルで売ると言われた。

『もうこんな国は地獄に落ちてしまえ』と思うに十分な出来事
だった。

だけどそんな折に3回とも誰が救助してくれたのか、わかる
だろうか。

移民者たちだった。メキシコ移民だ。
みんな英語もろくに話せなかったけど、特にその中の1人は
僕に深甚な影響を与えた。

その男はタイヤがパンクしたときに停まってくれた人で、彼の
家族6人全員で僕を助けてくれた。

大きなジープの後ろのタイヤがパンクしたため4時間近くも
立ち往生していた。

スペアタイヤはあったけれどジャッキがなく、車に大きく
『ジャッキを貸して下さい お礼をします』と掲げてみたけど、
運に見放されていたようだった。

もうあきらめてヒッチハイクでもしようかと思ったそのとき、
1台のバンが止まり男が車から下りてきた。

彼は僕のトラブルを見て取ると英語を話せる娘さんを呼び、
彼女を通してジャッキは持っているがジープには小さすぎる
ので、突っ張らせないといけないと伝えてきた。

彼はバンからのこぎりを取り出してくると道路脇の丸太を
切った。
それを二人で転がし、その上にジャックを置いた。

そしてタイヤを取り外したのだけど、そこで僕は彼のタイヤ
レバーを壊してしまったんだ。
壊れやすいタイプだったこともあり不注意で折ってしまった。

彼は気にするなとバンに戻って自分の妻に渡すと彼女は
一瞬のうちにいなくなり、タイヤレバーを買いに行ってくれた。

15分して彼女が戻ってきたころには僕たちは作業を終えて
いて、すがすがしい気持ちだった。

2人とも汗にまみれて汚れていたので妻が手を洗うための
水を渡してくれた。

それから僕が彼に20ドルを手渡そうとすると受け取って
くれなかったので静かに妻に手渡した。

感謝でいっぱいになりながら、小さな女の子にどこに住んで
いるかを尋ねてみた。
このすばらしい行為のお礼に何かプレゼントでも贈ろうと
思ったんだ。

彼女はメキシコに住んでいると答え、お父さんとお母さんは
桃を狩るため数週間だけ滞在しているのだと教えてくれた。
その後でさくらんぼ狩りをして、それからメキシコに戻る
こともわかった。

ついでに彼女は僕にランチを食べたか聞いてきた。

僕が食べていないと答えるとクーラーボックスからタマーレ
(メキシコ料理)を手渡してくれた。

今までに食べたこともない一番おいしいタマーレだった。

はっきり言えるのは、間違いなくみんなや僕よりも貧困な
家族が、そしてみんなと同じく時間がとても大事だという
そんな時に、1時間も2時間もかけて道路で困っている
見知らぬ男を助けてくれたってこと。

レッカー車ですら横を通り過ぎていったというのに。

だけどこの話はここで終わらない。

彼らに感謝を述べて自分の車に戻り、空腹でたまらな
かったのでタマーレのアルミホイルを開けてみたんだ。

するとそこで見つけたものは20ドル紙幣だった。

僕は振り返ってバンまで走った。

彼はウィンドウを下げて僕の手に20ドル紙幣があるのを
見ると、いらないと言うように首を横に振っていた。

僕は『ポルファボール、ポルファボール(英語のプリーズ)』
と言って手を差し出したけど彼は笑顔を見せてもう一度
首を横に振り、大きく集中しながらありったけの英語を
絞り出してこう言った。

『“Today you….Tomorrow me…."(今日、あなた…。
明日、私…。)』

そしてウィンドウを上げると走り去って行った。
彼の娘さんは後ろの窓から僕に手を振っていた。

僕は車に戻ると最高のタマーレにかぶりつきながら
泣いた。
小さな女の子のようにただ泣いていた。

きつい1年だったけど僕がそこまで折れたことなんて
なかった。

その時だけは放心して、どう心の整理をすれば良いのか
わからなかったんだ。

僕はそれから5か月の間に誰かのタイヤを2回替え、
数回ガソリンスタンドまで乗せてあげ、1度は自分の
目的地から外れて女性を空港まで送ったこともある。

謝礼はもらわない。

そして必ず最後には同じことを言うことにしている。

『“Today you….Tomorrow me…."(今日、あなた…。
明日、私…。)』

とりとめもない長い話になったけど、見ず知らずの
親切な人が、いかに僕が困っている他人を助けるように
仕向けたかという話をしてみた。

これを読んだ全ての人に意味があるとは思わない
けれど、間違いなく僕2010年のハイライトな出来事
だったので、書かずにいられなかった。



この歳になり、もう誰にもプレゼントをもらえないかと
思っていたら、素敵な贈り物でした。

メリークリスマス!



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