あかない日記

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弘田 龍太郎

2016-11-17 | 人物忌


 

  台東区谷中「全生庵」に眠る。

今日 11月17日 
作曲家 弘田龍太郎 が亡くなっている。
 
1892(明25)- 1952(昭27)年 享年60歳

 高知県安芸市土居に生まれた。
父は 教育者で 高知県議会議長を務めた弘田正郎。
母 総野(房)は一絃琴の名手で 龍太郎の音楽的才能は
母から受け継がれたものと いわれている。


1910(明43)年東京音楽学校(現・東京芸術大学)に
入学し 本居長世に師事。

1914(大3)年 卒業と同時に母校の助手を勤めたが
1917(大6)年 作曲部が新設され再入学
修了後は 同校講師 助教授となる。

本格的な作曲活動は この頃から始まる。

宮城道雄を中心とした新日本音楽運動にも参加し
琴・三味線を主体とした当時の舞踊界に
洋風の伴奏を取り入れた。


その後 北原白秋を中心とした
童謡運動「赤い鳥運動」にも参加する。

「春よ来い」「叱られて」などの名曲を次々と発表し
童謡・歌手作家としての地位を確立した。
晩年は 幼児教育に携わり
放送や講習会 リズム遊びの指導にあたった。

 作曲の中には 今でも我々が
口ずさむことができるものが多い。

 「靴が鳴る」「雀の学校」「雨」「鯉のぼり」
「お山のお猿」「叱られて」「春よこい」「金魚の昼寝」

 他に 歌曲「浜千鳥」「小諸なる古城のほとり」
「千曲川旅情のうた」

その他 オペラ 仏教音楽 映画音楽 などもある。