あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

台湾紀行(76) 玉山

2013-11-15 | 台湾紀行

 

 

  ツアーバスは 右手 海岸線にそって台東市に向け北上するが

  鉄路は 台東から 山間を抜け花蓮に通じる「台東線」であり 
  この先 途中に 台湾最高峰の「玉山」の登山口 「玉里」駅がある。

  もちろん ツアーコースの予定にはないが ここで「玉山」の話題を

  台湾は 約半分以上の面積が山岳地帯で
  五大山脈(雪山 阿里山 玉山 中央 東部海岸)が走り
  3,000m以上の山は100を越えている。

  その最高峰「玉山」は 海抜3,952mと
  日本の富士山(3,776m)より高く 台湾中央部に位置している。

  ということで 富士山と玉山が友好山として提携することになった。

  日治時代 明治天皇から 富士山よりも高い
  “新しい日本最高峰”ということで 「新高山」(ニイタカヤマ)と名づけられた。

  太平洋戦争の開戦時(昭16)に 
  大本営から発信された暗号電文「ニイタカヤマノボレ一二〇八」には
  この山の名が使われている。

  「一二〇八」は 12月8日のことで
  “この日に 戦闘行動を開始せよ!” の暗文で

  攻撃中止の場合は 「ツクバヤマハレ」 であったそうだ。


台湾紀行(75) 和本温泉

2013-11-14 | 台湾紀行

 

 

 台東市に向かう 11号線 途中 「金針山」と同じような
 「知本温泉」の看板を見る。 

 この知本温泉は 知本渓沿いにあって 渓を境にして
 知本外温泉(温泉橋付近)と 
知本内温泉(知本森林遊楽区付近)に
 分けられる。 
 東海岸沿い最大の温泉地。

 泉質は 炭酸水素ナトリウム泉で 無色 無味 無臭 泉温は95度以上。
 リューマチなどに効果があるという。

 知本温泉郷は 大自然に抱かれた東南部屈指の温泉郷として
 5つ星クラスの温泉旅館が建ち並び 外国人観光客にも人気を集めている。

 また 原住民(卑南族)の集落が多いことで
 原住民料理やいろいろな山の幸を食することができることも人気になっている。  

 日程の宿泊地に組み込まれている 日本人ツアーもあるそうだ。

 

 


台湾紀行(74) 金針山

2013-11-13 | 台湾紀行

 

 

  公路9号線 台東市に向かう 手前 
  太麻里郷に 「金針山」の標識を見る。

  ツボミが食材となる「金針花」が山肌に一帯に
  黄金色に輝くことで有名な金針山の入り口。

  もともとは この山 太麻里山とか鴨子蘭山と呼ばれていたが
  1960年代以降に金針花の栽培が盛んになり 
  台湾一の名産地になったことで金針山と呼ばれるようになった。

  金針花(和名:ホンカンゾウ)は 東南アジア原産のユリ科の植物で
  情熱的なオレンジ色の6枚の花弁がある。

  食材のほか消炎・止血などの薬効もあり
  “金針花スープ”として食されている。
  
花の旬は7~9月。

 

 


台湾紀行(73) パイワン族

2013-11-12 | 台湾紀行

 

 

  前回「大武郷」の写真の反対側は
  写真のとおり 台湾鉄道南迴線が走り

  原住民が住む「大鳥村」への入り口があって モニメントや案内板がある。

  大武郷は 原住民である「パイワン族」の居住区であり
  元の名を「巴塱衛(パロエ)」と呼び

  パイワン語の「パランゴエ」は「棒で打つ」という意味。
  かつて パイワン族が山地から大武溪河口付近に移住した時、
  利用できない沼 沢 湿地を避けるため 地面を棒で打ちたたいて
   識別したことから 
呼ばれるようになったという。

  ここの素朴で静かな原野集落では 住民は農・漁業で生計を立て
  特産品の 玉荷包ライチは 生産期が他の地区よりも早いだけではなく
  肉質が甘く柔らかいことから有名に。

 


台湾紀行(72) 大武郷

2013-11-11 | 台湾紀行

 

 

  高雄を後に 公路1号線から南廻公路 台湾の南を回って
  東の太平洋側へ

  写真は 公路と鉄路が並走するところで 
  順光として望む 紺碧の空・海がすばらしい。

  ここ大武郷は 北は太麻里郷と 西及び南は達仁郷と接し
  
東は太平洋に面している。 
  背後は中央山脈が連なり 太平洋岸に沿って細長く延びて 平原が少ない。
  また 南から 南興村 尚武村 大武村 大鳥村 大竹村の
  5村から構成され 人口は約8万人。

  日治時代には 台東郡下の大武庄に改称されたが 
  戦後 山間部は達仁鄉に区画され 平地部分が大武鄉になった。

  ここの陸と海の環境は 珍しい生態景観を生み出し
  アオウミガメが産卵し 
外洋では黒潮と親潮が混じり
  世界でも少ない湧昇が見られ 豊富な栄養塩を含んでいるため

  大量の深海魚類が回遊している。 
  また 山間部は野生のコチョウランとシンビジウムの生息地でもある。

 

 


台湾紀行(71) 釈迦頭

2013-11-10 | 台湾紀行

 

 

  前回は「マンゴー」の話題であったが 
  9号線の沿線は 写真にあるように「釋迦頭」の看板が多く見られる。
  「釋迦頭」は この地で栽培に成功した作物の代表格で
  果実と出荷されるほか アイスクリームの原料にもなっている。

  ガイドの説明では
  釋迦の頭 ヘアースタイルの“ラホツ”に似ていることから
  「釋迦頭」と呼ばれている果物で 
1個50元~80元ほど。

  皮が黒味かかり さわってやわらかくなっていれば食べごろで
  手で割って食べられる。

  果肉は ミルク色でトロリとして ザクロのように
  無数の種の周りを甘く柔らか包んでいる。

  味は 見た目ほど濃厚ではないものの
  甘くてほんの少しだけ酸味もあるそうだ。

  また 思ったより やわらかく傷つきやすく
  果実も手が汚れやすいとのこと。

 

 


台湾紀行(70) マンゴー

2013-11-09 | 台湾紀行

 

 

  ツアーバスは 高雄から台東市に向けて進む
  途中 坊寮 坊山を経て 楓港へ

  ここは 1号線と別れ 26号線 恒春半島への入り口 
  また 左折すれば9号線 台東へ向かう 岐路の地点。 

  ここの土産物店でトイレ休憩を。 

  店頭には フルーツが売られている。
  日本人客が多いと見え カタカナの値札が付いている。
  大分南下してきたので 暑さも増し 
  買い求めたマンゴーの味が潤いのひと時となる。

  台湾の「マンゴー」(芒菓)の種類は多くあるが
  アーウィン種で別名 愛文マンゴー アップルマンゴーなどと
  呼ばれており 濃厚な甘さがある品種で 日本にも輸出されて
  1個700円程度とか。

  日本のマンゴーは 宮崎産など ハウス内で栽培されて
  高品質で高級品
 1個2000円ほどになっているが
  フルーツの本場 こちら台湾は路地栽培でも収穫できて
  いるので安く気軽に食べられる。

  また シーズンは 5~7月が最盛期であったので 美味しかった。


台湾事情(69) 葬儀事情

2013-11-08 | 台湾紀行

 

 

 前回は「高齢者の養護事情」を話題にしたが
 その先にやってくる「葬儀」についての話題を 

 中古車の宣伝かと思ったが 葬儀の花輪だった。
 日本では お祝いに出されるような「花輪」が並んでいる。
 そこに書かれているのは
 
 
「駕返 瑶池」は 老女の死を悼む成句で 「瑶池」は西王母が住むところ。
 「音容宛在」は あたかも生前の声や姿が生き生きと眼前に浮かぶようである。

 の意味のようだ。

 
台湾のお葬式は “お祭り”かと思うほどだ
 ひつぎをお墓へ運ぶ行列などは 街中をパレードのようにまわり
 
爆竹を鳴らし 派手な装飾を施したトラックの荷台でラッパや太鼓が
 演奏されることもあるとか。
 
   
 最近は 斎場で告別式を行うことが多くなっている。

 まず お通夜があるが 葬式の日は 故人の生年月日や名前を見てもらって 
 一番良い日を決めている。
 しかし 旧暦の7月は 告別式を行わないので 一ヶ月以上もお通夜が
 続くことがあるそうだ。

  

     故人の顔写真を前面に取り付けた霊きゅう車?も

 


台湾紀行(68) 高齢者事情

2013-11-07 | 台湾紀行

 

                       台南市の「慈恵 老人養護中心」

 
  前回は「病院事情」を話題にしたが
   それに準じて ”高齢者の養護事情” を話題に


 台南市街を行くと 大きなビルの看板に「慈恵 老人養護中心」とある。
 日本にも「慈恵」と名のつく病院や大学があるが
 私立の「介護老人福祉施設」と思われる。

 台湾の高齢者(65歳以上)人口の割合は 日本の23%よりは少ないが
 
少子化が急速に進んでいるため やがて追いつくことに。

 また 日本のように年金や蓄えではなく 
 高齢者の収入の半分が子供に依存している現状があり
 加えて 親を養護施設に預けることは「親不孝」と考える向きがある。 

 しかしながら このような施設ができていることは
  そこに 僅かならも変化の兆しが 出てきているのかもしれない。

 


台湾紀行(67) 医療事情

2013-11-06 | 台湾紀行

 

                           高速道路上から見る「高雄榮民總醫院」

 
 写真の建物は 高雄市左営区にある「高雄榮民總醫院

 以前は 現役または退役軍人専用の病院であったが 今は政府直轄で
 国立台湾大学付属醫院などと 台湾の代表的な総合病院である。 
 同じく 台北にも「台北榮民總醫院」がある。 

 ここで “台湾の医療事情”についての話題に

 台湾の病院は 高度な医療設備を揃え 医療技術も高く
 日本や欧米と比較しても  同等で 医療の水準は高いとのこと。

 一方 健康保険制度は 日本と同じように 
 全国民の医療保険制度を完備する目的で1995年から
 「全民健康保険」として実施されている。

 それ以前では「労工保険」「農民保険」「公務員保険」と
 業界別に健康保険制度が実施されていた。


 「全民健保」は 台湾地区戸籍を有す者全員が強制的に
 加入しなければならなく
 加入者は加入資格によって
 第1類(官民の従業員)から第6類(栄誉国民及び
 その家族・上記に分類されない者)に分類されている。

 保険料は 各類に定められた額を毎月納付する。
 医療費負担は 医療費及び処方費の一部を納付し
 不足分は病院が当局に対し支払請求するシステムとなっている。

 


台湾紀行(66) 教育事情

2013-11-05 | 台湾紀行

 

 

 警察局の隣の建物は「高雄市政府教育局」 

 ここで 台湾の教育事情について話題に

 教育制度は 日本の教育制度とほとんど同じようで

 義務教育は 6~15歳の 6─3─3制で
    「9年国民教育」(国民小学6年 国民中学3年)
 高級中学は 3年 日本の普通科高等学校に相当

 高等教育は 一般大学と専科学校があり 
 大学入試は 70大学が全国統一テスト「聯考」を実施。

 台湾の大学は 一般学科4年だが専門性の高い学科は
 5~7年の在籍を要し 大学院は その上に2年から7年となっている。

  また 新学期は9月から始り 2学期制になっていることは日本と違う。

  一方 在留邦人の子女に対して 日本人学校は台北 台中 高雄に
 
 インターナショナルスクールは 台北 高雄にそれぞれある。

 


台湾紀行(65) 治安事情

2013-11-04 | 台湾紀行

 

 
 ツアーバスは 高雄の官庁街を行く。

 写真の建物は「高雄市政府警察局」 
 高雄市の警察組織は 日本の統治時代に東西の水上・消防警察署が
 置かれたことにより始り 
戦後の1945年 正式に高雄市警察局に改組され
 翌年2月に第一、第二分局、水上分局及び消防隊が設けられた。

 現在は 1979年 高雄市が直轄市に昇格したことにより
 「高雄市政府警察局」となっている。
 本局の他に 市の行政区域毎に10の分局を有している。

 ここで台湾の治安について話題に

 台湾の治安はおおむね良好で 凶悪犯罪の発生は多くはないようだ。
 観光旅行なども 日本国内と同様の注意さえ払っていれば
 被害に遭うことはまずないといえ
 
やはりスリ 置き引きなどの軽犯罪はある。

 また 治安が良いといわれていた トルコ・カッパドキアや
 カンボジア・プノンペンで若い邦人女性が 被害にあっている。
 治安が良いといえども細心の
注意は必要だ。


 

 


台湾紀行(64) お金の事情

2013-11-03 | 台湾紀行

 

 

 写真の建物は「台湾銀行高雄分行」
 中央部の屋根部分は 東京の九段会館を思わせる。

 台湾銀行は 日本統治下では台湾の中央発券銀行として
 1899(明32)年に開業し 
日本の台湾支配
 中国・東南アジアへの資本輸出に重要な役割を果たした。

 1945(昭20)年に閉鎖になったが 1946年商業銀行として設立した。
 当初は国営ではなく台湾省営だったが

 1998年の組織改革により 中華民国財政部全額出資の国営銀行となった。 

 では ここで 台湾のお金の話題に

 通常は「元」の単位を用いているが 通貨の表示は「圓」。
 1・5・10・50元の4コインと 100・500・1000元の3紙幣が 流通している。

 因みに 1000元紙幣は子供の図柄になっているのは珍しい。
 また 0.5元・20元のコインや 2002年に発行された200元・2000元の紙幣は
 日本の2000円札(2000年)と同じように流通量が少ないとか。
 なお 日本円との両替は 1元=3円と概算すればよい。

 ついでながら 日本のテレビで 銀行を舞台としたドラマ
 「半沢直樹」が反響を呼んだが 
 
台湾のテレビでも「半沢直樹王牌銀行員」として放映された。

 名ゼリフの “倍返し”→“加倍奉還” 
        “百倍返し”→“百倍奉還” と訳されているとか。


台湾紀行(63) 北投石

2013-11-02 | 台湾紀行

     
     土産物店の柱に掲げられているポスター

 
 今や有名になっているこの北投石 とても希少な鉱石で
 世界中でたった2カ所 
秋田県の玉川温泉と
 台北の北投温泉でしか発見されていないもの。


 明治38年 日本人の地質学者が台湾を訪れ
 北投の瀧之湯の附近の川で ラジウムをなどの放射性物質を
 放つ石を発見し「北投石」と命名された。

 昭和8年 台湾総督府により 天然記念物として指定された。

 その後 日本でも玉川温泉に 同じ石があることがわかり
 大正11年に「玉川温泉の北投石」も、特別天然記念物に指定されている。

 学術名は 「HOKUTOLITE」(ホクトライト)という。 

 北投石は温泉の源泉の沈殿物によって生成された鉱物で
 ラジウムを放出するから 
すごく身体によく
 しかも末期がんをも治すとマスコミにも取り上げられている。

   家人も この北投石のネックレスを買い求めていた。



台湾紀行(62) 二宮金次郎

2013-11-01 | 台湾紀行

 

 

  ツアーが案内された土産店の商品棚に
  例の薪を背負うて本を読む「二宮金次郎」の像があった。
  中には 右手を上げる毛沢東の像もあるが
  その数 大きさは比ではない。


  ガイドの説明では この二宮金次郎像は台湾各地にあるとのことで
  今でも台湾の人に
 その精神が受けいられおり 結構売れているとのこと。

  日本の統治時代に 日本と同じように学校に設置され
  その精神が教育されていたが 戦時中は
  銅像は戦時拠出になってしまい 残ったのは石像のみ。

  さらに 戦後は 国民党政権により撤去されたり
   孔子や蒋介石の像に 置きかえられたりして
   少なくなってしまっているそうだが。
 

             
                
二宮金次郎ゆかりの地 栃木県・二宮町