あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

中欧旅行(46) 国境2

2012-04-15 | 中欧5カ国紀行

                          ミクロフ城
  
  
  オーストリアとチェコの国境を過ぎ 右手前方に霧に霞む”城”を見る。

   この先の街 「ミクロフの城」であった。

      聖セバスチャン巡礼者教会と鐘楼が見える

          ミクロフの人口は 約7600人。

 

                   ムスハフの貯水池

    墨絵のような風景が広がり 静かな水面が鏡のように景色を写している。

    池を割くように架かる橋から「ノヴェームリーニョストジェト貯水池」を見る。

    かつての共産圏の国にゆえ まだまだこのような田園風景が残されている。

     また ユーロの幹線道路といえども ここはかつて共産圏の道路だ

       バスは 鉄路のように一定の"リズム" を刻みながら進む。


      さらに ブルノの街を 経て E50号をプラハに向かう。

 


中欧旅行(45) 国境

2012-04-14 | 中欧5カ国紀行

 

 

  オーストリア・ウィーンから340km先のチェコ・プラハへ向かう

    散在する村の家並みや

     ゆったりした丘陵 麦畑やブドウ畑・・・と

       絵のような風景が 車窓に流れていく。

          車内は 居眠りする人も “もったいないね!”

                   ミクロフの国境検問所

   『チェコの国境に近づいてきましたよ!』 とガイド。

  まもなく 国境をあっという間に通過していく。
   1989年まであったという検問も なんの咎めもなく ここには人影さえない。


  『昔は 車の列が連なり ここを通過するのに何時間も待たされました。 
   今は嘘のように思えるほどですよ。』 とガイド。

  銃を持った警備員がバスまで乗り込み パスポートのチェック
    車内の検査などの
光景は よく映画のシーンで見たが
     一瞬 昨年の大震災時後のガソリン不足で 給油を待つ車の
      列を思い出してしまった。



中欧旅行(44) オーケストラ

2012-04-13 | 中欧5カ国紀行

                 「ウィーナーレジデンツオーケストラ」(ウィーン宮廷管弦楽団)


    夕食後 ウィーン・レジデンツ・オーケストラは 長い歴史を持ち
   ウィーンで最高のレベルを誇る室内管弦楽オーケストラの一つ。

     今宵は モーツアルトからヨハンシュトラウスまでの作品を中心に
    10人ほどの音楽家の演奏とともにロココ調の衣装をまとった
    オペラ歌手とバレエ・ダンサーが共に演じたが
    ま~ ”はとバス”の東京見物と同じく ウィーンの音楽の”さわり”に
   触れたのかな~と・・・
  


    今夜の演奏演目は 。
     ○W. A. モーツアルト
      オペラ『フィガロの結婚』序曲
      オペラ『魔笛』よりパパゲーノとパパゲーナの二重唱
      ディヴェルティメントニ長調KV136 一楽章
      ヴァイオリン協奏曲ト長調KV216 二楽章
      オペラ『ドンジョヴァンニ』二重唱
      トルコ行進曲
      『ネコの二重唱』

   ○ヨハン シュトラウス
      ワルツ『皇帝円舞曲』
      ポルカ『ハンガリー万歳』
      『チク・タク・ポルカ』
      オペレッタ『騎士パスマン』よりチャルダッシュ
      ワルツ『ウィーン気質』
      青き美しきドナウ
      ラデツキー行進曲

 




中欧旅行(43) オーケストラ会場

2012-04-12 | 中欧5カ国紀行

   

  ウィーンの音楽に触れるため 
   国会議事堂裏のアウターシュルベルク通りにある
     「アウエルスベルク宮殿」(1710年建造)へ

 パンフレットによれば
  この宮殿は まだ6歳の子供だったモーツアルトが
  女帝マリア・テレジアの膝に抱かれたところ。
  後にモーツアルトをはじめ有名な作曲家の発表の場所に
  また皇帝フランツ・ヨーゼフと皇妃エリザベートが宴する
  舞踊会が開かれている。
  また 館内の淡いピンクとグリーンの大理石の壁 クリスタルの
  シャンデリアの輝きに フーゴ・フォン・ホフマンスタールは
  リブレット「薔薇の騎士」の着想を得て 
  リヒャルト・シュトラウスの作曲により「薔薇の騎士」の
  オペラが誕生した。
  
近年では「第3の男」をはじめとする数々の映画作品の舞台に
  もなっている。
 とあった。

   ホールに特設ステージを設けているようで
   オペラ座のように本格的な劇場形式ではな
いのは残念だった!
  

 
 
  

 


中欧旅行(42) アイシュタイン

2012-04-11 | 中欧5カ国紀行

 

  ウィーンの森から帰り 一時して
  今宵の夕食は ウィーン市庁舎裏にある カフェ「アインシュタイン」へ

  なぜ店の名が 「アイシュタイン」なのかは分からないが 
  アイシュタインは ウィーンには 
来ていないし 関わる人と言えば
  シクムント・フロイトとの往復書簡があるが 

  多分 店のオーナーがアイシュタインの崇拝者のかもしれない。

  店内には アイシュタインの肖像画や 有名な定理「E=mc²」など
  の関係品が飾られていた。

  料理は  ウィーンで生み出された料理 ターフェルシュピッツが
  出されたようだが
混雑なのか 着いた席は 暗く狭くて十分な
  味わいができなかったのは残念!。

  *アルベルト・アインシュタイン
   (1879-1955 ユダヤ人理論物理学者ノーベール受賞)

 

 


中欧旅行(41) ホイリゲ

2012-04-10 | 中欧5カ国紀行

  
  松やモミの小枝を吊るしているのは “新酒あります!”のサイン

  『ウィーンの森には おいしいワインを飲ませてくるホイリゲという
  農家が沢山ある。』と
ガイドの説明にあった。

  ホイリゲとは、ブドウ農園を持っている農家が農作業やワイン造りの
 合間に営業し
その年の新酒を飲ませるワイン酒場のことで
 どの店でも“シュランメル”と呼ばれる
音楽の生演奏が行われている。

  ホイリゲの歴史は マリア・テレジアの息子ヨーゼフ2世がホイリゲの
  生みの親になる。 

  当時ワインが一部の販売人に独占販売されていたが
    ウィーン郊外の一定の畑で取れたブドウを使い
   そのブドウからできた新酒のみを 自らの農家の軒先で飲ませ
    販売してもよいことを条件に1784年にブドウ栽培農家にも
    開放している。

  そして今でもその約束は守られて ウィーン市堺から10km以内の
  ブドウ畑で採れたブドウを醸造した自家製のワインを飲ませること。
  営業も300日以内とし ブドウが取れた年の
  聖マルティンの日(11月11日)に解禁し 
  翌年の大晦日までとなっている。

  この現地ガイドさん ワイン好きとみえて ワインのウンチクは
   かなりのもの
 また この先の修道場の売店では 
  市内では買えない ワインを購入していた

 

 


中欧旅行(40) ベートーベン2

2012-04-09 | 中欧5カ国紀行

 

   ルートヴィツヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770~1827年)は
  ドイツ・ボン出身。
 21歳のときウィーンに出てハイドンらに
  師事した後 ピアニストとしてデビューした。
  自作のピアノ協奏曲などを演奏してその名を広める。

   30歳過ぎから耳鳴りを伴う難聴に苦しめられて 症状が進行する
   中でも
精力的に作曲を続け 数々の大作を発表しているが
 
  温泉療養のためここ”バーデン”に滞在している。

   ウィーン市内にも ベートーヴェン記念館があったが
   ここラートハウスガッセ通りにも 
「第9の家」として
   ベートーヴェン記念館がある。

   ベートーヴェンは1804年から1825年まで ほとんど毎年バーデンを
   訪れたが 
特に1821年から23年までは 小さなパン屋だった
   この家の2階を借りて住み
 第9交響曲や荘厳ミサ曲を作曲している。

  写真では見づらいが 
    『2階の一番右隅の部屋の窓から 下階の大家の部屋に
    “ひも”が
ぶる下がっているは ベートベンが用事があると
    この“ひも”を引いて
合図をしていた。』
   
とガイドの説明があった。

  また 館内には ベートーベン愛用の旅行カバンや身にまとった
  マントも飾られて
いるとのこと。

 


中欧旅行(39) クワパーク

2012-04-08 | 中欧5カ国紀行

 

    町の北側広大な公園「クアパーク」がある。

   花と緑の中にハプスブルク家の人々をはじめ モーツァルト
     ベートーヴェン
 シューベルト シュトラウス など数多くの記念碑が
        建っている。

  またカフェテリア 噴水 花壇もあって いろいろなイベントも
    開催されているようで
 片隅にはクリスマスに使われた
      もみの木が片付けられていた。

 
  丘の上まで伸びる道を ベートーベンが良く散歩をし 
     「ベートーベンの小道」といわれている。 

  丘の上にはベートーベン音楽堂もあり
    
バーデンが一望できる展望台もあるとのこと。

  この奥に  モーツァルトを称えるギリシャ風のパンテオンが見える。

 


中欧旅行(38) カジノバーデン

2012-04-07 | 中欧5カ国紀行

 

                                 カジノ バーデン

   
    町の北側広大な公園「クアパーク」には 

    花と緑の中にハプスブルク家の人々をはじめ モーツァルト、ベートーヴェン
      シューベルト シュトラウス、など数多くの記念碑が立っている。


  公園の正面にある豪華な建築は オーストリア一番の規模を
   誇る「カジノ」。
     カジノ バーデンは1934年オーストリア初の通年営業のカジノ
      としてウィーンに
オープンし 1968年にこの場所に移転し
       ヨーロッパで最も大きくエレガントな
カジノのひとつになっている。

  こんなところにカジノがあることに驚いたが 調べるに 
   オーストリアのみならず 欧州の観光地には多くあるようだ。

   日本の製紙会社の会長がカジノで何百億円を損失したとか

   日本でも カジノの開設が問題視されているが 果たしていかに?


桜満開!

2012-04-06 | 散策

 

     今日 東京地区の桜が 満開となった!

       ここ千鳥が淵も どっと人が出て 桜見物も 容易ではない状態

          昨年は”自粛”ではあった 今年はその分までか・・・

 

  


中欧旅行(37) バーデン

2012-04-06 | 中欧5カ国紀行

     バーデン町の中心地 ハウプトプラッツ広場には 市庁舎がある。
 

       その壁には 珍しい”混浴”の市章が飾られていることを

         ガイドが盛んに強調していた。

      また中央にはペスト記念柱がある。

  ウィーンから南に約25kmの「バーデン(温泉)」の町は 
   最晩年のモーツアルトが美しい合唱曲・アベベルムコルプスを
   作曲初演し
 ベートーベンが第九を作曲したところとして有名だ。

  都市名が表すように 古代ローマ帝国時代に発見された硫黄温泉が
  近代的な設備を整え 今でも使われている。

  バーデンは 200年ほど前の中産階級勃興時代に 
  病弱の皇帝フランツが
 温泉保養の別荘をかまえたことが
    契機で発展した。

  一度は 大火事で街並みを失ったが 当時の建築様式で復興され
   ビーダーマイヤー時代の家並みが残り 当時の面影を今も留めている。

  *「ビーダーマイヤー」とは 19世紀前半のドイツやオーストリアを
   中心に もっと身近で日常的なモノに目を向けようとして生まれた
     市民文化の形態の総称をいう。

   


中欧旅行(36) シトー修道院

2012-04-05 | 中欧5カ国紀行

 

  このシトー派の修道院は 1133年 時のオーストリア支配者だった
  バーベンベルク辺境伯レオポルト三世 (オーストリアの聖人と称され
  ている。) によって創建され 創立当初から絶えることなく存在する
  シトー修道会として 世界最古のものとなっている。

  修道士は 一日に7回神に祈りを捧げる日課を維持し 朝5時15分の
  “朝課(聖務共唱の祈り)”で始まり 20時15分の“終課”で締めくくられる。
  夜は “沈黙の行” が遵守されているとのこと。

  * ハイリゲンクロイツ=「聖なる十字架」という名は
    
一貴族からキリストの架刑された十字架が寄贈されたという
    言い伝えが元になっている。


   アーチ門を入ると 中庭の周りは1・2階ともルネッサンス様式の
   回廊になっており 
中ほどに 「三位一体」 の記念塔が建っている。
   この「三位一体」とは 

   「主イエスにより啓示された神は 父と子と精霊の3つの位格を有し
    この3位格は 同一の本質を共に有し 唯一の実態において存在
    する。」という。 なかなか難しい・・・

  教会に入ると ゴジック様式アーチ型の天井が高く 薄くらい中に
  鮮やかな花模様のステンドグラスが目に入ってくる。 
  また主祭壇には 十字架を背負ったキリスト像が浮かびあがって見える。

 

 


桜開花!2

2012-04-05 | 散策

 

     桜満開!だ   となれば”お花見”となるが

      その前にしておかなければならない ”場所取り” がある。

     ここにも 会社の今夜の花見のためなのか

      早朝から 新人社員らしき若者が その任についている。

        さすが若者 パソコンを持ち込み

         仕事か ゲームなのか 有効に余る時間を使っている。

    

         
 

     


中欧旅行(35) マイヤーリンク教会

2012-04-04 | 中欧5カ国紀行

 

   マイヤーリンク一帯が
   オーストリア・ハンガリー2重帝国のルドルフ皇太子の
       所有となったと 前回に紹介したたが ここに館を建て
       
狩猟の御所として使っていたが 1889年に愛人マリー
          とともに
遺体となって発見される事件があった。
        この謎の真相は 現在でも明らかにされていない。


   しかし 白黒時代の名映画「うたかたの恋」(1936年 仏国)で
     事件を心中事件としてあつかい 世界的に有名になった。 
       また 最近ではウィーンから始まったミュージカル
             「エリザベート」が
日本の宝塚歌劇団でも演じられ
              事件の概要も日本で知られるようになっている。


   事件後 ルドルフ皇太子の母エリザベート皇后の意向を汲み
      ヨーゼフ皇帝の名で カルメル会の尼僧院として建てられ
        現在 10数人の修道女が居るそうだ。


   礼拝堂の玄関上には 事件の起こった年の「AD-1889」の
      プレートが埋め込まれている。

        内部は 鮮やかなステンドグラスが素晴らしい。
             
人物や花模様で飾られた色彩が見ごたえがある

   また 隣接した建物には 皇太子とマリーの肖像画 
        事件の経緯が時系列に解説した掲示があり
       また皇太子が使用していた当時 そのままに
       再現された部屋がある。

   寝椅子 丸テーブル イスなどが置かれ さらに花瓶には
        花が活けられ 
今にも 皇太子が悩み苦しんでいただろう
          雰囲気を漂わせていた。

 

 


桜開花!

2012-04-04 | 散策

  爆弾低気圧が去り 東京の桜も満開に近い

 ここ 東京・九段 靖国神社には 東京気象台の指定する桜の標準木がある。

 東京地区の桜の開花宣言は この標準木の咲き状態で判断される。

 今年からは 神社側が 標準木の周りに策を儲け 説明の立看板を設けた。

 標準木は 大概は気象台の敷地内にあるのだが 

   東京管区はこの靖国神社の桜になっている。

 かつて気象庁の職員が都内の桜の開花時を調べて その平均開花日を

  探ったところ 靖国の桜が その平均開花日に最も近いことからだそうだ。