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あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

北海道旅行(60) 北見ハッカ記念館

2011-11-16 | 国内・北海道

 

    パンフレットに ”薄荷の風香るまち北見” とある
   北見駅から徒歩10分ほどにある「北見ハッカ記念館」へ

  館長じきじきに説明を受け ハッカの何とか歴史はとか
  少々分かったような気になる。説明によれば 

  1934(昭和9)年に 操業が始まった
  旧ホクレン野付牛薄荷工場の事務所跡。

  当時ハッカは換金作物として広く注目され ピーク時には
  北見産ハッカが世界のハッカ市場の7割を占めていたが
  その後 安い輸入品や合成香料の普及などで工場は
  1983(昭和58)年に閉鎖された。
 
  しかし ハッカの歴史・文化的遺産を伝承するために
  記念館として1986(昭和61)年開館している。

  また 敷地内には薄荷蒸溜館があり 実際に薄荷の蒸溜を
  見学できるが これらの技術は 2007(平成19)年 
  経済産業省の日本近代化産業遺産に認定されている。

      

 

     ハッカは寂れたとは言え
       ハッカによる製品や土産がこんなにあるとは驚き!


北海道旅行(59) 北見駅

2011-11-15 | 国内・北海道

 

  「北見駅」は 1911(明治44)年9月25日に開業。
  当時は、「野付牛駅」の名で、陸別(十勝管内)と結ばれていた。
  1942年(昭和17年)の市制施行に合わせて北見駅と改称され
  ている。

  先の9月25日には 100周年記念事業が行なわれた。

  2006(平成18)年4月までは 北海道ちくほく高原鉄道
  ふるさと銀河線の分岐駅でもあった。

  ここ北見市は 1897(明治30)年 209戸の屯田兵が入植した
  のが歴史の始まりで野付牛とよばれていた。アイヌ語の
  「ヌツプケシ または ブプンケシ」(野の端または野の果て
    という意味)が転訛したもの。
  2006(平成18)年 近隣の留辺藻町 端野町 常呂町と
  合併し新「北見市」が誕生した。

 


北海道旅行(58) 清里

2011-11-14 | 国内・北海道

  

  「清里」は山梨県にもあるが ここ清里は 知床半島の付け根
  平坦な農業地帯だ。
  この自然に恵まれた景観は 1991(平成3)年全国農村景観
  百選(特選20)にも選ばれている。その他全国花のまちづくり賞
  緑化推進運動功労者内閣総理大臣表彰なども受賞している。

  町名は、清らかな里であるという意味と 1943(昭和18)年に
  小清水村と斜里町から分村した歴史を将来に残す意味
  で(「清」は小清水の清、「里」は斜里の里)を兼ねて名付け
  られた。
 

  清里町役場近くにある日本最北の焼酎工場
   町営の「清里町焼酎醸造事業所」へ
 
  1986(昭和61)年 ヨーロッパの古城を思わせる現在の
  新工場が完成。
  新工場は 醸造だけでなく 田園風景と バックにそびえる
  秀峰斜里岳とのコントラストが素晴らしいく 観光の見学
  コースにもなっている。
  早速 工場内を見学させてもらう。丁度 北緯44度の詰め込み
  作業が行なわれていた。

  工場見学のみならず 食事 憩いの場という観光スポットとして
  1989(平成元)年には、焼酎工場とレストハウスが
  「北海道まちづくり百選」にも選ばれて いる。

     

  説明によると 製品の一つ「北緯44度」は 北海道で初めて
  ジャガイモを原料として醸造された本格焼酎で
  原酒で44度とは度数が高く 蒸留を最後まで行なわず途中で
  止めているのだそうだ。
  飲み方は オンザロックか水割りで お刺身などの魚介類を
  肴に飲むのが良いとのことだった。

   ここからの「斜里岳」 裾野を広く広げ均整の取れた姿は
  醸造所と一体となって中々の絶景です。

 斜里岳は アイヌ語ではオンネヌプリ 「老いた山」という意味。
 斜里川の源流に位置するので斜里岳と呼ばれている。
 ちなみに 斜里は アイヌ語の(葦のある湿原)サル(葦のある湿原)
 が訛ったもの。
   日本百名山 北海道の9座の一つ 標高1547m

 


北海道旅行(57) 幾品川橋梁

2011-11-13 | 国内・北海道

   

  羅臼から標津町を通り 野付国道244号線を斜里に向かう
  途中 標高487m「根北峠」(こんぽくとうげ)がある。

  またこの先12kmほど行くと突然橋げたが現れる。

  これが鉄道ファンに人気の「第一幾品川橋梁
  通称越川橋梁なのだ。
  この橋梁は 斜里から標津までを結ぶ根北線として
  1939(昭和14)年に 全長147mの10連アーチ橋として建設
  されたが その直後に 発生した太平洋戦争の為 延長工事は
  中断してしまった。
  その後 1957(昭和53)年に手前の越川駅までは開通したが
  赤字路線により 1970(昭和45)年に廃線となってしまう。
  このため この第一幾品川橋梁は完成したものの 一度も
  線路も敷設されることもなく さらには 国道244号線の
  拡張工事によって 橋梁は途中で分断されしまった。

  その後 地元斜里町は 地域の歴史を伝える貴重な文化財
  として残し 1998(平成10)年に文化庁の登録文化財に
  登録されている。
  今では 幾品川を渡る10連アーチ橋は”絵”になっている。

  斜里町は 知床世界自然遺産を抱え 水産業と観光の町で
  もあるが 漁業のみならず 斜里岳の裾野には
 ジャガイモ
  ビートなどの畑作も盛んである。

  また 1977(昭和52)年 国立公園内の民有地を買い上げ
  知床の自然を守ろうと「知床100平方メートル運動」をもスタート
  させた。
  この運動は日本におけるナショナル・トラスト運動として
  国際的にも高く評価されている。

 

 


北海道旅行(56) クジラの見える丘

2011-11-12 | 国内・北海道

 

 

 羅臼「しおかぜ公園」から道道87号東へ2km先には 
 マッカウス洞窟の「ヒカリゴケ」があり 日本一の規模で 
 1941(昭和16)年に発見されている。

 その先の「ざいもくトンネル」を抜けた先の丘に
 「クジラの見える丘公園」(標高80m)が
羅臼灯台に隣接してある。

 運が良ければ根室海峡に”マッコウクジラ”や”イシイルカ”など
 が見えるとか。

 丁度 長崎大学水産学部の鯨類研究サークルが 陣取って
 盛んに望遠鏡を覗いていた。 当方にはクジラの影は見えな
 かったが サークルの成果は 次のHPでご覧頂きたい。

     http://balaenablog.blog.fc2.com/

 
                          羅臼灯台(昭和46年初点灯)

   この灯台 羅臼港からも視認でき その光は23マイル先
  まで届くそうだ。
  当然国後島からもはっきり認識できることだろう。

    


北海道旅行(55) 知床旅情

2011-11-11 | 国内・北海道

  
                                (資料から)

  1960(昭和35)年 戸川幸夫原作『オホーツクの老人』の
  彦市老人をモチーフに『地の涯に生きるもの』として長期の
  映画ロケが 羅臼で行なわれたが そのとき地元の人々の
  大変な協力が得られた。 ロケ最後の日 そのお礼にと
   森繁久弥 が即興で作った「さらば羅臼」を自ら披露している。
  この歌がいつか『知床旅情』として大ヒット曲となり
   知床ブームの社会現象を起こした。

  そして 知床が国立公園に指定されたのは
              1964(昭和39)年6月のこと。


  羅臼の「しおかぜ公園」には 森繁直筆の歌詞の記念碑がある。

   
 知床の岬に はまなすの咲くころ
     思い出しておくれ 俺たちのことを
     飲んで騒いで 丘にのぼれば
     遥か国後に 白夜は明ける

      旅の情か 酔うほどに さまよい
      浜に出てみれば 月は照る波の上
      君を今宵こそ 抱きしめんと
      岩かげに寄れば ピリカが笑う

       別れの日は来た ラウスの村にも
       君は出て行く 峠を越えて
       忘れちゃいやだよ 気まぐれカラスさん
       私を泣かすな 白いかもめを 」

https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=T40Tx2WS6Ag

   


北海道旅行(54) 羅臼

2011-11-10 | 国内・北海道

               

    羅臼町 国道335号沿い 道の駅「知床・らうす」
  
   羅臼での海産物は 鮭 ホッケ カレイ タラ カニ イクラ
   ウニ タラコ そして羅臼昆布 等
 
   売店での試食の”カニ”の味は忘れられないが
   これら羅臼の味覚を味あうには 9月に開催される
   ”漁火まつり”にまたお出でと・・・。
   
   また6月上旬 観光シーズン幕開けに繰り広げられる
   ”知床開き”は 約半世紀の歴史を持ち 羅臼町最大の
   イベントで 千人踊り 綱引きなどがあるそうだ。

  

  道の駅の展望階から 雲が低く垂れ込めていたが 根室海峡を
 挟んで わずか25km先 ”近くて遠い島” 北方領土・国後島
 肉眼で 遠くに望めたが
 この島 現状から見て 永久に手が届かないだろうな・・・
 
 
町名の「羅臼」は アイヌ語の「ラウシ」(獣の骨のあるところの意味)
 に由来する。
 その昔 このあたりはアイヌ民族の狩場であったと伝えられている。
 

  


栃木旅行 大谷石

2011-11-09 | 国内・栃木

 

  大谷石で有名な 宇都宮市内から8km程の大谷町へ

 よく ”大谷観音”(大谷寺・磨崖仏)と間違われるが 
 この”平和観音” 高さ約27m 胴回り20m 大谷石採石場跡の
 壁面に手彫りで彫られ 1956(昭和31)年に開眼している。

 採石された地下が”資料館”となっており 見学しようとしたが
 東日本大震災の影響は ここまでおよび 当分間休館と
 なっていた。
 地震による直接の被害はなかったものの 今後の地震や
 節電等から休館としたそうだ。
 ということで 周辺は観光客も少なく 土産物店などは戸締り
 状態であり。 
 また農産物販売所にも ”震災と風評被害に苦しむ栃木の
 農業を応援して下さい”と横断幕が掲げれられいた。

 震災から 11月11日で もう8ケ月になるが いろいろな所を
 歩いてみると 直接間接に影響があることを知らされる。
  


北海道旅行(53) 知床峠

2011-11-09 | 国内・北海道

 

 

 斜里町ウトロと羅臼町を結ぶ(約27km) 日本一開通期間
 が短い国道(11月上旬~4月下旬閉鎖)として
 有名な 知床横断道路(国道334号) その頂上にあり
 知床連山の尾根筋にあたる 標高738mの「知床峠」
 知床八景の 一つでもある。

  ウトロ・羅臼間約24km ドライブコースとしても人気が高い 
 天候が良ければ遠く北方領土国後島も望むことができるが
 ここは「霧の通り道」 生憎 羅臼からの霧に隠れ
 羅臼岳の頂 国後島は拝めなかった。

 羅臼岳は日本百名山の北海道に9つある名座の一つ
 知床半島の最高峰で標高1660m。
 古くはアイヌ語で「チャチャヌプリ」とも呼ばれている。
  

 


栃木旅行 鬼怒川温泉

2011-11-08 | 国内・栃木


                    鬼怒川 楯岩橋方面を望む

  11月上旬 栃木県 鬼怒川温泉へ

 紅葉は このところの気候の関係か いまひとつというところ。

 この温泉場は 箱根 熱海と並んで 東京の奥座敷と呼ばれ
 現在でも200万人以上が訪れている。

 しかし 大型ホテル・旅館なども 大手ホテルのグループ傘下
 にはいり 廉価の統一料金での営業するところが多くなって
 いるようだ。

 

  途中 宇都宮の農業公園 「ろまんちっく村」へ
 
 宇都宮市市制100周年記念事業の一環で 農林の振興
 地域活性化 市民の余暇活動の充実を目的に1996(平成8)年に
 開園している。
 
 当初は第三セクターの運営であったが 民間会社に委ねて
 園内には 農園施設 農産物販売 レジャー施設 温泉施設が
 あって 入場無料 無料駐車場 アクセスから年間100万人の
 入場がある。

 

 


北海道旅行(52) 高架木道

2011-11-08 | 国内・北海道

 

 ヒグマが人間に危害を与えないように高架木道(高さ2~5m)
 
には電線が張られており しかもニ湖(五湖最大)からの
 入り口には写真のように厳重な鉄柵になっている。
 高架木道の全長は800m(往復約40分)で
  「湖畔」「オコック」 「連山」の三つの展望台がある。

 熊こそ出没しなかったが 多くの鹿の姿は見られた。
  また 知床連山も まだその顔を見せてはくれぬ!

 

      

         

 

 


信州旅行(7) 姨捨駅

2011-11-07 | 国内・長野

 

 

  篠ノ井線「姨捨駅」は 標高551mの山の中腹に位置し
  1934(昭和9)年に駅舎は建てられた。
  2010(平成22)年に駅舎のリニューアルが行われ
  当初の姿に復元されている。

  
  山腹にあって千分の13の勾配のため 途中は全国でも
  数少ない”スィッチバック方式”となっている。

  かつて 根室本線狩勝峠(現在は廃止) 肥薩線矢岳駅
  とならび 「国鉄三大展望」といわれた姨捨駅からの
  善光寺平の展望は有名である。
  また全国”月の名所”として 駅周辺は「お月見ポイント」
  第一位にも選ばれている。

  
 
                                                                                                            千曲川が流れる善光寺平


北海道旅行(51) 知床五湖

2011-11-06 | 国内・北海道

 

  
 ウトロから18km 年間50万人の観光客が訪れる
 知床八景の一つ 「知床五湖」へ
 駐車場に入るのに 約1時間ほど待たされて
  やっとのことで
 受付のフィールドハウスへ。
 
 利用申込書と大人一人250円を払い 約10分ほどの
   事前レクチャ-で ”受講認定証”の交付を受ける。

  当方は時間の関係で 一湖とニ湖の途中まで 
   一周1.6km 約40分のCコースを周る。

 平成22年から 従来の遊歩道に代わって 一湖まで  800mの
 高架木道が開通した。それまではヒグマが出没すると遊歩道が
 閉鎖され また夏場は五つの湖を全周することもできなかったが
 平成23年からは全周できるようにもなり
 また夏場の植生保護期は 植生への踏みつけ防止 ヒグマ対策の
 基礎知識を普及させるために 事前レクチャーが義務付けら 
 一度に入る人数制限も設けられるようになっている。

 

    
                知床五湖フィールドハウス内

       

                         


信州旅行(6) 片倉館

2011-11-05 | 国内・長野

 

 
  諏訪湖畔にある「片倉館」 日帰り天然温泉”千人風呂”

 この建物は 大正から昭和の初期に製糸業で栄えた片倉財閥が
 地域住民の厚生と社交の場として昭和3年に建設している。

 瀟洒な建物に ステンドグラスや彫刻などの装飾がある。
 千人風呂とよばれる大理石造りの豪華な大浴場は
 1.1mもの深さがあり、立っての入浴 また底に敷かれた
 玉砂利が 他の風呂にない感覚が味わえる。

 ”千人風呂”といっても 千人が入るわけではなく
 約20畳ほどの浴槽 一度に数十人程度か
 多く入れることからそう言われており
 また その当時の多くいた女工さんの入浴ために 
 浴槽の端から端まで 歩いて入浴できるようにしたとも。

  館内2階は 休憩室 食堂になっている。

  
              館内撮影禁止のためパンフレットから


北海道旅行(50) 知床YH

2011-11-04 | 国内・北海道

          
                           (資料から)

 知床クルージングを終えて
  ウトロから 約15kmの知床五湖を目指す。

 途中 外人さんが一人歩いているのを目撃 何でここで?と
 思いつつ進むと 左谷間に 建物発見 ユースホステルで
 あった。そうか ここを利用している かの有名な知床の
 ユースホステルなのかと 合点がいった。

  1955(昭和35)年に第一号のユースホステルが北海道・支笏湖
 が誕生し 1960年代に最大のユースホステルブームが起こった。

 ここは未だに電気は自家発電だそうだが 
 当時 北海道では 礼文 えりも と並んでここ知床YHは 
 ”特異な空間” としてのミーテングがあり有名になっていた。

 また 「知床旅情」「四季の歌」「赤い花白い花」「青葉城恋唄」など
 がよく唄われ そしてレコード化されてヒット曲となっていった。