なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

修業は続く

2010-04-01 00:05:35 | Weblog
 昨日書いたように息子は免許を取ったばかりなので運転をしたくてしょうがない時期のようです。
 今日も「ちょっと練習に行って来る」とか言って出かけて行きました。
  マア行き先は近所の大きな駐車場でターン・車庫入れの練習程度だと思っていたのですが、なかなか帰って来ませんで、こういう時親としては「もしかしたら・・・」みたいな悪い想像をしてしまうようです。
 私の場合は免許を午前中に取って午後には仕事で車を運転していたのですから、それほど心配する事も無いとは思うのですが、「練習」と言いながら乗る甘さみたいなところが心配な気がします。
 糸の切れた凧状態の息子を携帯で呼び出して、昼からは私が歯科大の虫歯治療・昼食にちょっと離れた場所の食堂・大型店舗での買い物に車を使用・・・。
 免許取りたての若葉マークが「自分が運転する」と主張するのです。
  確かに助手席は楽に違いないが、それは信頼できるベテランドライバーの場合に限るわけで、横で乗っていると何か言いたくなるのを我慢するというストレスを味わうのです。
 基本的な事でどうしても言っておこうと思った場合は、「ヘタクソめ!」というh誤解が生じないような気遣いが必要・・・自分の息子にものを言うのに気を使うものです。
  これは囲碁を身内に教える時とか、勉強を見る時も同じだと思うのですが、親しい間柄程難しいものです。
 という事で昨日に続いて無言の行、および気を使ったアドバイスという修業みたいなものでした。

 ところで水曜日はナビスコカップの予選リーグの試合。
  最近スカパーを契約し直したので、この1カ月は契約外の番組が視聴できるので初めてナビスコカップをTV観戦出来ました。
 夜始まった試合・・・内容はともかく結果が良かったので、試合終了から30分後に始まった再放送を見てしまいました。
 内容は分かっているのに
  結果が変わるわけではないのに・・・
 昔プロ野球ファンが贔屓チームが勝つとスポーツニュースや深夜のスポーツ番組を見て、尚且つ翌日のスポーツ新聞を買いにくとか聞いたことがありますが、似たようなものでしょう。
 囲碁の場合の棋譜を繰り返し見直すのとは意味が違いますね・・・あれは自分がプレイヤーですから繰り返し見直す事で少しは役に立つ発見も期待できます。
 スポーツ観戦の場合は単に余韻に浸りたいと言う動機が強いか、あるいは昔TVのない時代に映画館で同じ映画を何度も繰り返し見たような感じの方が似ていそうです。

 マアそれでも贔屓チームの長所と欠点を見たり、現在の調子とかチームの状況を感じ取ることが出来そうですから、広-い意味では修業?・・・野次馬・サポーターレベルですが。