子供は親に似るとはいえ、親は二人いるのだから都合の良い方が似れば良いのに・・・そうすれば品種改良ではないけれど世代を重ねる毎にいくらかでも進化するはずなんですが、そうは上手くいかないものです。
特に我が家においては親のDNAを下回る・・・退化にあると私は感じているのです。
まあ、親の欲目の裏返しで多少の辛さはあるでしょうが、やはり・・・
能力的な問題は神様の配慮もあると思うので、触れないとして生活態度と言うかリズムについては多少のイライラを感じます・・・が、よく考えると。
私が高校生の時は起床はたいてい7時55分から8時の間でした。
その時間に起きても朝食を抜いたことはないので、ある意味”立派”と言うか図太かったに違いない。
顔を洗って、着替えをして、、、目標到着タイムは8時25分。
これは校舎の4階にある教室に先生より早く入れるかどうかが遅刻かセーフかの分かれ道。
2Fにある職員室を出た先生を階段で追い抜けばセーフ・・・そういう緊張感の?ある毎日でした。
まあ、だいたい1勝1敗ペースで、遅刻率5割。
そのため、母親は校長先生から招待されて指導・お叱りを受けたようですが・・・その件では親から叱られたことが無いから、大アマの親であり、すでに諦められていたらしい。
そういう遺伝子は息子にしっかりと伝わるものですね。
彼の母親の遺伝子が伝われば問題が無いのに、どういうわけか父親のDNAが丸ごと伝わるものです。
我が家は中学校の門まで100mも無いし、教室までの距離を考えても家から250mくらいのもの。
従って家を出て3分もあれば教室に着く筈なのに・・・それなのに遅刻の常習犯。
加えて忘れ物も多い・・・良くても朝、出がけに気がつく。
これも私の子供時代を見せつけられるようでした。
さてそんな息子が未だに”学校”に通っている。
それほど学校が好きなのかどうか?・・・私のDNAなら学校が好きなわけがないのに・・・。
語学教室、外国語会話教室に翻訳コースのレッスン!?。
私の正直な第一感は『嘘だろう』・・・『お前さんの日本語が先だろう』なのですが、流石にいかに正しい評価でも可哀そうで言えない。
せっかく本人がその気になっているのに、親が水をかけることになるので、ともすれば口から出そうな言葉をぐっとこらえる毎日です。
高校時代にろくに本を読んでいなかったのが、今は「ドストエフスキーの新訳本」などと言いながら読んでいる・・・「もっと早くから本を読めば良かった」・・・などと、余りにもまともな、まともすぎる。
本当に変わったのだろうか?
いや、「なろうと思えば」あるいは「その気になれば、たいていのことは出来るはず」と思い込んでいる節がある。
成程、そう言うことなら私のDNAかも知れない。
「なろうと思ったものに、成れなくても誰に迷惑がかかるわけではないし」と考えるところが若いころに自分を見るようで・・・しかし私に似たら彼もこれから苦労するに違いない。
その点は少し可哀そうな気もする。
特に我が家においては親のDNAを下回る・・・退化にあると私は感じているのです。
まあ、親の欲目の裏返しで多少の辛さはあるでしょうが、やはり・・・
能力的な問題は神様の配慮もあると思うので、触れないとして生活態度と言うかリズムについては多少のイライラを感じます・・・が、よく考えると。
私が高校生の時は起床はたいてい7時55分から8時の間でした。
その時間に起きても朝食を抜いたことはないので、ある意味”立派”と言うか図太かったに違いない。
顔を洗って、着替えをして、、、目標到着タイムは8時25分。
これは校舎の4階にある教室に先生より早く入れるかどうかが遅刻かセーフかの分かれ道。
2Fにある職員室を出た先生を階段で追い抜けばセーフ・・・そういう緊張感の?ある毎日でした。
まあ、だいたい1勝1敗ペースで、遅刻率5割。
そのため、母親は校長先生から招待されて指導・お叱りを受けたようですが・・・その件では親から叱られたことが無いから、大アマの親であり、すでに諦められていたらしい。
そういう遺伝子は息子にしっかりと伝わるものですね。
彼の母親の遺伝子が伝われば問題が無いのに、どういうわけか父親のDNAが丸ごと伝わるものです。
我が家は中学校の門まで100mも無いし、教室までの距離を考えても家から250mくらいのもの。
従って家を出て3分もあれば教室に着く筈なのに・・・それなのに遅刻の常習犯。
加えて忘れ物も多い・・・良くても朝、出がけに気がつく。
これも私の子供時代を見せつけられるようでした。
さてそんな息子が未だに”学校”に通っている。
それほど学校が好きなのかどうか?・・・私のDNAなら学校が好きなわけがないのに・・・。
語学教室、外国語会話教室に翻訳コースのレッスン!?。
私の正直な第一感は『嘘だろう』・・・『お前さんの日本語が先だろう』なのですが、流石にいかに正しい評価でも可哀そうで言えない。
せっかく本人がその気になっているのに、親が水をかけることになるので、ともすれば口から出そうな言葉をぐっとこらえる毎日です。
高校時代にろくに本を読んでいなかったのが、今は「ドストエフスキーの新訳本」などと言いながら読んでいる・・・「もっと早くから本を読めば良かった」・・・などと、余りにもまともな、まともすぎる。
本当に変わったのだろうか?
いや、「なろうと思えば」あるいは「その気になれば、たいていのことは出来るはず」と思い込んでいる節がある。
成程、そう言うことなら私のDNAかも知れない。
「なろうと思ったものに、成れなくても誰に迷惑がかかるわけではないし」と考えるところが若いころに自分を見るようで・・・しかし私に似たら彼もこれから苦労するに違いない。
その点は少し可哀そうな気もする。