ここ数日頭の中のキーワードは「囲碁と喧嘩」になっています。
落語・講談・浪曲などから見ると囲碁・将棋は格好のネタになっています。
落語に関して言うと、「笠碁」「碁ドロ」などという話があります。
例えば「お客と旦那が対局中にタバコを吸うので畳に焼け焦げを作るので一計を案じた女中と奥さんが赤く塗った消し炭をタバコ盆においておく話」、
「碁敵と喧嘩をして数日相手が来ないので寂しい場面」=「碁敵はにくさもにくし懐かしき」
将棋の方では身分のあるサムライが将棋を指していて、些細な事から(待った、待たない?)喧嘩になり刃傷事件・・・
いかにもありそうなことだし、きっと実際にも似たようなことがあったのでしょう。
囲碁・将棋を好む人の心理が描かれているし・・・逆に周囲からも囲碁・将棋を好きな人はきっとそういう性格・心の動きをする人だろうと思われているのでしょう。
そういう意味では私も「好む人」の一人であるから、似たような経験があるかというと・・・記憶に無い。
記憶が薄れたのでなくて、経験として無いのです。
一般的に「ありそうなこと」と思えるのですが、自分については「無い」
但し、言葉の行き違いなどで口論になったり、何か気まずい事が有ったらしく、ある碁会所に顔を出さなくなり別の碁会所に顔を出すようになったような例は見てきています。
逆に、相当言いたい放題の発言をする人がいて、よく喧嘩にならないものだと感心するやらハラハラするような経験もあります。
ですから、囲碁・将棋に喧嘩は付き物的に考えるのではなく、人と人が接触する場面では時には喧嘩と言うこともあり得るという事なんでしょう。
だからこれはコミュニティでも碁会所でも起こりうると同時に、囲碁将棋とは関係の無い駅のプラットホームだって、ウォーキング中でも、自転車で買い物中でもあり得るし、何かの買い物の行列だって起こりうる。
だから、あえて「人による」と思いたい。
では、私は「人によらない部類」なのかというと・・・少なくとも大学に入るために故郷と離れて以来喧嘩というものに縁が無い。
人より多少は体が大きく、仮に喧嘩をすれば強そうに見えるかもしれないというのが「安全保障?」になっているのか、あるいは故郷の悪口ではないが、特殊業の多い土地で育ったので「恐がらない」事が身についているためか・・・。
でも、大人の世界ですからそういう要素は少ないはずです。
少なくとも「イジメ易いタイプ」には見えないでしょうね。
それでも、腕力の世界ではなくても、気の強い人が気の強さで押し通していくとか、自分の地位とか職を後ろ盾にものを言うような所は大人の世界にはあるような気がします。
私の場合はそういうパワーに抵抗したくなる気持ちが抑えがたい時もある性格。
マアそれでもここまで火花を散らして、火種を燃え上がらせたことは無い。
囲碁に関しては、トラブルが勝った負けたに関して始まるとしたら、自分自身については「負けたのは自分の責任」というのがベースにある以上、この件で他人とは喧嘩にならないと思っている。
マア最近はネットのチーターとかリアルでもズルをする人もいるらしくて、勝敗は全て自分の責任と澄ましていられないこともあるらしいが、でも基本はそれだから他人と争う気にならない。
「待った」「二度打ち」「はがし」などについては、ルール・マナーを遵守すれば喧嘩にはならないはず。
仮に自分の場合だけ融通を利かせてもらって、他人のを認めなければそれは喧嘩になるでしょうね・・・そういうことなら囲碁・将棋だけでなくいろんな生活の局面でトラブルを起こすでしょう。
落語・講談・浪曲などから見ると囲碁・将棋は格好のネタになっています。
落語に関して言うと、「笠碁」「碁ドロ」などという話があります。
例えば「お客と旦那が対局中にタバコを吸うので畳に焼け焦げを作るので一計を案じた女中と奥さんが赤く塗った消し炭をタバコ盆においておく話」、
「碁敵と喧嘩をして数日相手が来ないので寂しい場面」=「碁敵はにくさもにくし懐かしき」
将棋の方では身分のあるサムライが将棋を指していて、些細な事から(待った、待たない?)喧嘩になり刃傷事件・・・
いかにもありそうなことだし、きっと実際にも似たようなことがあったのでしょう。
囲碁・将棋を好む人の心理が描かれているし・・・逆に周囲からも囲碁・将棋を好きな人はきっとそういう性格・心の動きをする人だろうと思われているのでしょう。
そういう意味では私も「好む人」の一人であるから、似たような経験があるかというと・・・記憶に無い。
記憶が薄れたのでなくて、経験として無いのです。
一般的に「ありそうなこと」と思えるのですが、自分については「無い」
但し、言葉の行き違いなどで口論になったり、何か気まずい事が有ったらしく、ある碁会所に顔を出さなくなり別の碁会所に顔を出すようになったような例は見てきています。
逆に、相当言いたい放題の発言をする人がいて、よく喧嘩にならないものだと感心するやらハラハラするような経験もあります。
ですから、囲碁・将棋に喧嘩は付き物的に考えるのではなく、人と人が接触する場面では時には喧嘩と言うこともあり得るという事なんでしょう。
だからこれはコミュニティでも碁会所でも起こりうると同時に、囲碁将棋とは関係の無い駅のプラットホームだって、ウォーキング中でも、自転車で買い物中でもあり得るし、何かの買い物の行列だって起こりうる。
だから、あえて「人による」と思いたい。
では、私は「人によらない部類」なのかというと・・・少なくとも大学に入るために故郷と離れて以来喧嘩というものに縁が無い。
人より多少は体が大きく、仮に喧嘩をすれば強そうに見えるかもしれないというのが「安全保障?」になっているのか、あるいは故郷の悪口ではないが、特殊業の多い土地で育ったので「恐がらない」事が身についているためか・・・。
でも、大人の世界ですからそういう要素は少ないはずです。
少なくとも「イジメ易いタイプ」には見えないでしょうね。
それでも、腕力の世界ではなくても、気の強い人が気の強さで押し通していくとか、自分の地位とか職を後ろ盾にものを言うような所は大人の世界にはあるような気がします。
私の場合はそういうパワーに抵抗したくなる気持ちが抑えがたい時もある性格。
マアそれでもここまで火花を散らして、火種を燃え上がらせたことは無い。
囲碁に関しては、トラブルが勝った負けたに関して始まるとしたら、自分自身については「負けたのは自分の責任」というのがベースにある以上、この件で他人とは喧嘩にならないと思っている。
マア最近はネットのチーターとかリアルでもズルをする人もいるらしくて、勝敗は全て自分の責任と澄ましていられないこともあるらしいが、でも基本はそれだから他人と争う気にならない。
「待った」「二度打ち」「はがし」などについては、ルール・マナーを遵守すれば喧嘩にはならないはず。
仮に自分の場合だけ融通を利かせてもらって、他人のを認めなければそれは喧嘩になるでしょうね・・・そういうことなら囲碁・将棋だけでなくいろんな生活の局面でトラブルを起こすでしょう。