先日借りた「勝負の世界」、将棋と囲碁のプロ棋士の対談集も続編。
今回の組み合わせは、坂田・大山、小松・羽生、小川・林葉、中山・河口、藤沢・米長となっています。
第一集の企画が評判が良くて、「柳の下・・・」の第2集だろうが、なかなか面白いところと、やはり2番煎じかなと思うところは感じました。
第一集の発行が昭和62年ですから1987年、この本が平成2年ですから1990年と言うことになる。
その間は僅か3年ですが、第1集で若手に関する話題に出てくる羽生さん本人が登場するのですから、僅か3年の差が大きな3年かも知れないなどと思いました。
今回の組み合わせの中で、私にとって一番興味深く読んだのは「中山典之・河口俊彦」です。
両先生ともプロの棋士であり、観戦記他その世界での著作があります。
中山先生のものは、ゴーストライターとか監修の他、自分の名前で書いているものは殆ど読んでいるはずです。
今でこそ将棋の棋士が書いたものが多いけれど、少し前は棋士が書いた本は少なかったですから、河口さんの本は楽しませていただいていた。
囲碁と将棋の違いは有るけれど、勝負の世界として似ているところも多いのと、囲碁界のほうは書く人が少なかったから。
ともかく、両者の対談ですから面白いはずです。
ところで中山先生の話に「牛姉妹」が登場します。
これは懐かしい、牛リーリー五段とシェンシェン三段で、来日当初梶原先生とか中山先生のお世話になっていた。
先生姉妹は日本語などの勉強(来日前から相当上手だったと思いますが)、私ら生徒は両先生から指導碁を受けていた時代です。
その教室に中山先生がお見えになったことが2,3回ありました。
丁度その頃と多少の時間差はあるでしょうが、皆ダブって来ます。
それにしても、その時期に両先生から7,80局くらい打っていただいたはずなんだけれど・・・やはり才能の萌芽も無かったようで、未だに開花していない。
そういえば、今日のNHK囲碁講座に出ていた講師のレドモンドさんもその頃一度来てくれた・・・いや、お祝いの碁会だったはず。
ところで、この本の最後の対談「藤沢・米長」・・・実は私はこの種の話が苦手
芸・勝負事、酒・ギャンブル・遊び・・・と言うような話なんだけれど、対談の設定がどこかの小料理店での話しの様子。
話の内容とか、話す人そのものとかではなく、話す人が、一寸(だいぶ)酔った感じで話すあのイメージを感じただけで、拒否反応が出ます。
私にとっても「大秀行さん」であっても誰でも同じです。
これは子供の頃の経験とかの積み重ねですからどうしようもない。
子供の頃、家には職人さんや工場の若い人が何かにつけて集まります。
集まれば酒は付き物で、最初の頃とお終いの頃では雰囲気がかなり違う
毎度話される内容・調子、お酒を飲んだ人の変わり方・・・
今の若い人とこの時代ではかなり違います・・・藤沢先生は古い時代に属するのではないかと思います。
酒を少々飲んでも、正しい判断と正論を述べることが出来る・人の話を理解できる・・・お酒を飲む人は多分自分では皆そう思っていると思う。
でも、私などの下戸にいわせると、だいぶ違います。
多かれ少なかれ、アルコールの影響はあるはずですから、お酒での変化を楽しむのでなければ、酒の入った場での発言は・・・
それから、これは活字になっているのでまだ良いのですが、これがもしフィルム・録音ですと、何を言っているのか発音も論旨も不明なこともあるはず。
一度NHKで放送された番組でもそう思いました。
「酔っているときの発言は認めない・・・酔ったついでのお説教なら席を蹴る」こういう気分で生きてきた・・・
私には偏見があるのでしょう
よく落語で「しん生」を褒めますが、、、晩年のものは何を言っているのかよく分からないところもあって・・・マア私の感性と耳が悪いせいなんでしょうね。
藤沢先生は凄い先生だとは思うのです・・・が、
先生自身公式対局の場合は事前に体調を整えて、アルコールを切って事に臨んだわけでしょう?・・・では何故、こういう場には?。
普段着の姿を出して欲しいとの注文だったのでしょうか?。
私だけなのでしょうか?
どうも行間からアルコールの臭いがして、書かれている事がどうも・・・。
今回の組み合わせは、坂田・大山、小松・羽生、小川・林葉、中山・河口、藤沢・米長となっています。
第一集の企画が評判が良くて、「柳の下・・・」の第2集だろうが、なかなか面白いところと、やはり2番煎じかなと思うところは感じました。
第一集の発行が昭和62年ですから1987年、この本が平成2年ですから1990年と言うことになる。
その間は僅か3年ですが、第1集で若手に関する話題に出てくる羽生さん本人が登場するのですから、僅か3年の差が大きな3年かも知れないなどと思いました。
今回の組み合わせの中で、私にとって一番興味深く読んだのは「中山典之・河口俊彦」です。
両先生ともプロの棋士であり、観戦記他その世界での著作があります。
中山先生のものは、ゴーストライターとか監修の他、自分の名前で書いているものは殆ど読んでいるはずです。
今でこそ将棋の棋士が書いたものが多いけれど、少し前は棋士が書いた本は少なかったですから、河口さんの本は楽しませていただいていた。
囲碁と将棋の違いは有るけれど、勝負の世界として似ているところも多いのと、囲碁界のほうは書く人が少なかったから。
ともかく、両者の対談ですから面白いはずです。
ところで中山先生の話に「牛姉妹」が登場します。
これは懐かしい、牛リーリー五段とシェンシェン三段で、来日当初梶原先生とか中山先生のお世話になっていた。
先生姉妹は日本語などの勉強(来日前から相当上手だったと思いますが)、私ら生徒は両先生から指導碁を受けていた時代です。
その教室に中山先生がお見えになったことが2,3回ありました。
丁度その頃と多少の時間差はあるでしょうが、皆ダブって来ます。
それにしても、その時期に両先生から7,80局くらい打っていただいたはずなんだけれど・・・やはり才能の萌芽も無かったようで、未だに開花していない。
そういえば、今日のNHK囲碁講座に出ていた講師のレドモンドさんもその頃一度来てくれた・・・いや、お祝いの碁会だったはず。
ところで、この本の最後の対談「藤沢・米長」・・・実は私はこの種の話が苦手
芸・勝負事、酒・ギャンブル・遊び・・・と言うような話なんだけれど、対談の設定がどこかの小料理店での話しの様子。
話の内容とか、話す人そのものとかではなく、話す人が、一寸(だいぶ)酔った感じで話すあのイメージを感じただけで、拒否反応が出ます。
私にとっても「大秀行さん」であっても誰でも同じです。
これは子供の頃の経験とかの積み重ねですからどうしようもない。
子供の頃、家には職人さんや工場の若い人が何かにつけて集まります。
集まれば酒は付き物で、最初の頃とお終いの頃では雰囲気がかなり違う
毎度話される内容・調子、お酒を飲んだ人の変わり方・・・
今の若い人とこの時代ではかなり違います・・・藤沢先生は古い時代に属するのではないかと思います。
酒を少々飲んでも、正しい判断と正論を述べることが出来る・人の話を理解できる・・・お酒を飲む人は多分自分では皆そう思っていると思う。
でも、私などの下戸にいわせると、だいぶ違います。
多かれ少なかれ、アルコールの影響はあるはずですから、お酒での変化を楽しむのでなければ、酒の入った場での発言は・・・
それから、これは活字になっているのでまだ良いのですが、これがもしフィルム・録音ですと、何を言っているのか発音も論旨も不明なこともあるはず。
一度NHKで放送された番組でもそう思いました。
「酔っているときの発言は認めない・・・酔ったついでのお説教なら席を蹴る」こういう気分で生きてきた・・・
私には偏見があるのでしょう
よく落語で「しん生」を褒めますが、、、晩年のものは何を言っているのかよく分からないところもあって・・・マア私の感性と耳が悪いせいなんでしょうね。
藤沢先生は凄い先生だとは思うのです・・・が、
先生自身公式対局の場合は事前に体調を整えて、アルコールを切って事に臨んだわけでしょう?・・・では何故、こういう場には?。
普段着の姿を出して欲しいとの注文だったのでしょうか?。
私だけなのでしょうか?
どうも行間からアルコールの臭いがして、書かれている事がどうも・・・。