セカンドライフ 

歳を重ねるのも悪くはない

じじちゃんとの別れ

2011-02-15 | セカンドライフ
私がこの地に嫁いで、約40年。わけのわからないうちに嫁に来てしまった。
有難い事に隣近所の皆さんにとても親切にして頂いた。
特に同じ階の、じじちゃんばばちゃんにはまるで親戚の様に大事にして頂いた。

その当時のじじちゃんは、上場有名企業で管理職にありなかなか頭の良さが光っていた。
ばばちゃんは私の娘が赤ちゃんの頃お風呂に入れて下さったり、五目御飯を作ると必ず、
うちの分まで届けて下さった。それが美味しい事。

季節季節にはよく出かけるご家族だったので、必ず沢山のお土産を届けて下さった。
経済的に豊かと言う事も有ったかもしれないが、大きな優しさで包んでくれた。

田舎者の若い娘(私よ)が、何とかここ迄やってこれたのは全てご夫妻のお陰と言っても
過言では無い。
じじちゃんは65歳で会社を退職して、ゴルフや地域の少年野球の監督等を楽しそうに
されていた。

じじちゃんが、外を歩くと近所のきかん坊の子供達が、帽子を取り「あっ監督こんにちわー」と
元気に挨拶していたっけ。
私が会社から帰って来るとニコニコと「あーママお帰り!ご苦労さま」なんて私を労って下さった。

そうこうしている内にいつの日か、出かけた儘、家に帰れない病気が発症してしまった。
そう、迷子になっちゃうの。随分遠くで交番に声をかけたりして帰宅したり・・・・
首に名札をぶら下げる様になっても、私の顔を見ると「ママお帰り~」と。

まるで坂道を転がる様に病気は悪化してしまった。
会社でバリバリ有能な能力を発揮し、眩しい位素敵だった頃のじじちゃんは見る影も無くなり
10年前から施設に預けられる様になった。直ぐに家族の名前も全く分らなくなってしまった
そうだ。

本当にアルツハイマーと言うのは、肉体以外の全てを蝕み、廃人の様にしてしまう。
恐ろしい病気ですねー。

施設の方で全てを取り行いお骨になって帰って来た、じじちゃん。
娘の結婚式にはご夫妻でお祝いして頂き、孫を見る様な眼で嬉しそうにして下さった。

お線香を上げに伺ったら、ばばちゃんは私の顔を見るなり泣いてしまった。「淋しいわ」と
絞り出すような声で。
「どこに居ても、生きてくれているだけで良かったのに、私の顔を全く分らなくなっても
それでも命が有る事が幸せだったのに・・・・・」と泣く。

私と話しながらずっとお骨の前で残念がって泣いていた。
「ばばちゃんは結婚して60年以上も経つのにじじちゃんの事が好きだったのね」と言うと
子供の様に「うん」と頷いていた。

何とお幸せな事だろう。大家族に嫁いでのご苦労は口に出せない程だったし、実家に帰る所も
無かったので我慢したそうだが、それでもずっと愛し愛され何と美談と言いたい。
ばばちゃんは、子供さん、お孫さん、ひ孫さんと沢山の家族に囲まれているが
みんなに優しいばばちゃんは、休日になるとどやどやと押しかける様にみんなが集まる。

じじちゃんもそんな奥様の元、お幸せな人生を過ごされたと確信する。85歳、安らかに・・・合掌。


               ノースポール
      
       カラー  
         クレマチス
                                     【花の展覧会】より