愛知ボラセンの活動予定⇩(更新日:2024.5.3)
令和6年能登地震 被災者応援ボランティアバス
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NPO法人被災者応援愛知ボランティアセンターは、観光庁からの「観観産第174号(平成29年7月28日)災害時のボランティアツアー実施に係る旅行業法上の取扱いについて(通知)」に基づき、被災地ボランティア活動を実施いたします。
災害時のボランティアツアー実施に係る通知の適用対象となる地域について
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NPO法人被災者応援愛知ボランティアセンターは、観光庁からの「観観産第174号(平成29年7月28日)災害時のボランティアツアー実施に係る旅行業法上の取扱いについて(通知)」に基づき、被災地ボランティア活動を実施いたします。
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11/8台風30号で全世帯の90%が全半壊したフィリピンの離島・キナタルカン島
全島民8,000人に35,000着の衣類を提供!
愛知ボラセン、環境NGOイカオアコ、サンタフェ町、BVERT(島の青年ボランティアチーム)、キナタルカン高校生ボランティアが協力共同!
代表の久田です。愛知ボランティアセンターは2月14日(金)~16日(日)に、定期航路のない、電気もない、車もない、家にトイレもない、1世帯の年収約9万円というフィリピンでも極貧の島で、台風30号で90%の家屋が全半壊したキナタルカン島の皆さんへの応援活動を行いました。
愛知で1,000人を超える方々からお預かりした5万着の応援衣類。このことがまずたいへんなことでした。そして、それらを年末年始の寒い中で、のべ約1,000人のボランティアさんで程度の悪いものを仕分けし、男女サイズ別などに分類し、同じサイズの箱776箱に梱包することもたいへんなことでした。
1箱ずつ重さを量り、配布先の3つの小学校別のラベルも貼り、40フィートのコンテナに積み込むこともたいへんなことでした。名古屋での通関作業などは初体験の私たちにはたいへんなことでした。伊勢湾海運さんにとてもお世話になりました。
約2週間かけてフィリピン・セブ港に到着しましたが、ここからがまたたいへん。フィリピンの政府機関DSWD(開発社会福祉省)から物資が動かないのです。キナタルカン島が属するサンタフェ町災害対策本部長のアルバートさんたちが熱心に、そして真剣に交渉し、そして愛知ボラセンのスタッフ久世と徳倉も参加し、日本から物資を送りっぱなしにするではなく、自分たちで責任をもって配布すると意志表示したことなどもあって、DSWDのスタッフも心打たれ、一気に動きました。これもたいへんなことでした。
そして、名古屋…東別院で776箱を満載した40フィートのコンテナは、セブ島中部のセブ港から陸路4時間、セブ島北部の港町へ運ばれました。そこに漁船8隻と約30人の島民の青年ボランティアさんたち(BVERT=村緊急対策ボランティアチーム)が待っていました。彼らが漁船に物資を積み込み、約1時間の海路で、島に着いたのはすでに午後7時すぎ。真っ暗な中を約300m離れたキナタルカン高校に運び終えたのは午後9時。これもたいへんなことでした。BVERTメンバーは泊まり込みで物資の警備にあたりました。
私たち日本人ボランティア(73歳~19歳までの11人)が島に着くと大歓迎会が待っていました。参加者は約1,500人。サンタフェ町長も参加。皆さんの熱い期待を強く感じました。そして、もし期待に応えられなかったらと緊張もしました。心のこもった歓迎会でした。
キナタルカン高校から他の2箇所の配布先へ約400箱の物資を運んだのは同高校生徒ボランティアの約150人。1人2~3箱を、2km近く離れた別の学校まで人海戦術で運びました。みんな楽しそうな顔をして運んでいました。彼らの姿に感動し泣きました。
配布は1回25世帯ずつ制限時間10分で、家族人数×4着を持っていっていいというルール。10人を越える大家族も珍しくなく、たくさんの服を抱えています。それをサポートしてどこに何があるかをアドバイスするのはBVERTの青年たち。司会とタイムキーパーを務めるのはキナタルカン高校の教頭先生。日本人ボランティアはバックヤードの管理。フィリピン人も日本人もみんな主体的です。作業は丁寧です。キナタルカン島の人たちはしっかりとしています。よく働きます。治安が悪いというようなネガティブなイメージはキナタルカン島ではまったく感じません。日本人ボランティアだけでは絶対に衣服の提供できませんでした。
2~3時間待っても島の皆さんはうれしそうです。衣服を選ぶときも楽しそうです。たくさんの服を抱えて帰る姿は幸せそうです。「サンキュー」、「ありがとうございました」と言って帰っていきます。
お気に入りの衣服を抱えて、帰って行く人たちを見送りながら、このプロジェクトに関わってくださった大勢の人たちのことを想い、感動していました。
本当にまちがいなく応援物資を渡せるのだろうかとずっと思っていました。キナタルカン島にいる3日間、応援物資の配布を通じて、被災者の皆さんのたくさんの笑顔を見ることができました。
私たちとキナタルカン島をつなぎ、いっしょになって活動をした環境NGOのイカオ・アコの後藤代表、フィリピン在住スタッフの倉田さん。イカオ・アコとの出会いがなければ、これだけのことは絶対にできませんでした。
多くの人たちと「信頼」で繋がることができました。このプロジェクトをやってほんとうによかったなと思いました。初の海外被災地応援活動でしたが、私たちと被災地の人たちが、互いに対等な関係として、協力共同で活動できたことは、被災者応援活動の理想的なスタイルであり、一つの典型を創りだすことができたなと実感しました。
今回がキナタルカン島応援活動のスタート。第二弾として島にある3つの小学校と1つの高校の応急仮設校舎を建てる活動を3月末に行います。とくに小学校2校が壊滅的な状況で、木陰で授業をする文字通りの青空教室で授業が行われています。愛知では11月から高校生が校舎再建募金を始めています。
こうした活動は石巻・十八成で多くのことを学んできたからこそできたことだと考えています。従って、十八成の皆さんとの協力共同でもあると私は考えています。これからも十八成の応援活動での学びを通じて、フィリピン台風被災者応援活動を展開していきます。
2月22日(土)午前9時30分~11時に、報告会を行います。会場は東海高校です。DVDも用意してあります。ぜひお越しください。
皆さん 代表の久田です。
2月12日~18日まで、1000人を超える方々からお預かりした5万着の応援衣類を、のべ約1000人のボランティアさんで仕分け・分類した3万5000着(段ボール776箱)を、フィリピン・キナタルカン島の約8,000人の被災者の皆さんにお一人4着ずつお渡ししてきました。
環境NGOイカオ・アコの倉田マリさん、ホセ・サンタフェ町長、町の災害対策本部長のアルバートさんやその仲間、島の若者たちのボランティアグループ約40人、キナタルカン高校生ボランティア約150人ともに、理想的で、感動的な活動を創ることができました。
その報告会を、2月22日(土)9:30~11:00、東海高校サタデープログラムで行います。参加自由、入場無料です。ただし、サタデープログラムHP(http://www.satprogram.net/)から、受講申し込みをしていただけると、運営上、助かります。ぜひお越しください。
そして、私の報告会の後は、追悼キャンドル講座や、バナナくらぶさん、ゆうゆう木工クラブさんの講座、また、あまちゃんの音楽を手がけた大友良英さん、余命3ヶ月の癌から生還した俳優の小西博之さんなど、全50講座をご用意しています。詳細はこちらをご覧ください。
みなさん
こんばんは!!
愛知ボランティアセンター
久世です。
皆さんから集めて、仕分けをした衣類は
いよいよ30日にフィリピン セブ港へ到着致します。
到着する前に
仕分け作業をしていた【昭和の家】を
借りた時よりも綺麗な状態でお返しするよう
大掃除をしたいと思っています。
お時間がある方は是非お越し下さい!!
よろしくお願いいたします!!!
【日時】
1月29日(水)
13時から
【場所】
昭和の家
場所が分からない方は
070-6414ー0589(久世)
までご連絡下さい。お迎えに行きます。
こんにちは 代表の久田です。
本日の朝日新聞名古屋版で、フィリピン台風30号被災者応援物資のことを紹介して頂きました。
皆さんからお預かりした応援物資は、今月末頃にフィリピン・セブ港に到着の予定です。
その後、税関などの検査に1週間ほどかかります。
愛知ボラセンでは、2月12日~18日にフィリピン・現地ボランティアを実施します。
参加者はスタッフも含め、10歳代~70歳代までの男性9人、女性2人、総勢11人。
千葉県、大阪府、大分県からもご参加下さいます。
キナタルカン島での応援物資の配布は、2月14日~16日に行います。
さて、先の視察で、キナタルカン高校の校長先生と懇談しました。
キナタルカン高校は台風でPCルームが被害を受け、8台あったデスクトップPCが使えなくなりました。
校長先生から、ノートパソコンを寄贈してもらえないか、とお話がありました。
キナタルカン島の発電時間は午後6時~11時まで。昼間にはPCは使えませんでした。
これまで、PCの勉強をしたい生徒は午後6時以降に学校に集まっていたとのことです。
ノートパソコンなら夜間充電して、昼間に使用できるから、ノートパソコンを要望されました。
そこで、皆さんにお願いです。
皆さんのお宅や職場にある不要のノートパソコンをご提供いただけませんでしょうか?
OSはなんでもかまいません。ネットはつながりませんので、XP搭載ももちろんOKです。
A4サイズがいいかと思いますが、B5でもかまいません。
バッテリーがへたっていないものを希望しますが、バッテリーが使えなくてもかまいません。
2月に持っていきたいと考えています。よろしくお願いします。
ご提供いただける方は、愛知ボラセンまでメールでお知らせください。
aichiborasen@gmail.com
代表の久田です。
18日(土)午後9時すぎ、フィリピン台風30号被災者応援物資776箱(約3万5000着)を積んだ船が名古屋港を出港。フィリピン・セブ港に向かいました。
11月16日~12月8日まで受けつけた応援物資。800人の方々が東別院に持ってきてくださり、300人の方々が全国から送ってくださいました。その数、約5万着。
11月16日~1月13日までの約2ヶ月間、のべ約1,000人のボランティアさんの手で仕分け・分類。寒い中、本当にたいへんな作業でした。それでも、愛知ボラセンらしく、愛情をたっぷりこめての作業でした。
1月13日にコンテナに積み込み、税関の審査などを経ての出港でした。
1月30日にセブ港に到着予定です。(ただし数日の遅れは日常的なことだそうです)
それから税関の審査などに1週間ほど必要。
セブ港から陸路で4時間かけて、セブ島北部の港町・カイウットメデリェン港へ。
カイウットメデリェン港から、3隻の小舟をチャーターして、約30分かけてキナタルカン島へ。
久世、徳倉が先遣隊として、2月7日からサンタフェ町で待機し、カイウットメデリェン港への物資到着にあわせて、同港に向かい、小舟への積み込み、そしてキナタルカン島への輸送に立ち会います。
キナタルカン島に着いた荷物は、3つの小学校で配布します。が、キナタルカン島には車は1台もありません。そこで、小学校の父母に協力して頂いて、物資を運ぶことになっています。
小学校では行政区毎に応援物資配布の時間を決め、事前にアルバートさん率いるサンタフェ町緊急被災者支援対策本部がチラシを配布して告知します。
なお、同本部は今月中にキナタルカン島の被災者にお米を届けます。その際に、収入につながるマルンガイ、レモンツリー、ココナッツの苗も渡します。
そして、それらに苗を植えた人に応援物資の案内チラシを配布する段取りです。
愛知ボラセンの応援物資をたんに配布するのではなく、被災者の収入増につなげることを考えるアルバートさんたち。賢明な人たちです。
皆さん、あけましておめでとうございます。代表の久田です。
愛知ボラセンは、2014年の活動をお正月から始めました。
1月2日(木)のスタッフミーティングから2014年の愛知ボラセンは始まりました。
3時間の会議で、エール3rd、フィリピン応援を中心に方針を議論しました。
…12月30日までフィリピンでしたから、年末年始のお休みは31日と1日だけでした…
1月3日(金)は、第109回被災地ボランティアの出発。午後7時には47人が乗った大型バスが石巻市十八成浜にむけて出発しました。お正月早々ですが20人近くの皆さんがお見送りに。みなさんありがとうございます。
1月4日(土)は、フィリピン応援物資仕分けに15人、キャンドルに13人の皆さんが参加されました。十八成では47人が活動中。お正月早々にもかかわらず、75人もの方々が愛知ボラセンの活動に参加されました。皆さん、ありがとうございます。
さて、フィリピン応援物資は、年末の28日は10人、29日は16人の方にご参加頂き、
本日は、なんと!千葉、大阪、和歌山、京都から泊まりがけでご参加くださった方々もいらっしゃいました。義援金を集めて送るのが最も合理的でスマートな応援方法だと思います。
ですが、愚直に応援物資を募集し、それをできるだけ丁寧に仕分け・分類することで、こうした出会いやご縁を頂けたことに感謝しています。
どうすれば確実に被災者おに贈ることができるのだろと一生懸命に動くなかで、NPO法人イカオ・アコの後藤先生、倉田さんと出会い、さらにフィリピンでアルバートさんたちに出会うことができました。
愛知ボラセンらしいこの方法はおそらくまちがっていないのだと思います。
明日は、午前7時30分に被災地ボランティアの皆さんが帰ってきますので、その出迎えから始まります。
そして、午前10時~午後4時まで、物資仕分け・分類とキャンドル製作を行います。
フィリピン応援物資仕分けは12日までに終え、13日午後にはコンテナに積み込む予定です。
13日まで毎日午前10時~午後4時までのご都合のよい時間でかまいません。
キナタルカン島のすてきな子どもたちを応援したいと思います。
どうぞ皆さんのお力をお貸しください。
あけましておめでとうございます。
年末、年始も活動中の愛知ボラセン代表 久田です。
フィリピン・キナタルカン島での応援物資配布ボランティアの日程が決まりました。
日程:2月12日(水)~18日(火) 6泊7日
参加費:12万円
申し込み締め切り:1月25日(金)
申し込み方法:申し込みは締め切りました。
参加費の振り込みを確認して、参加確定とさせていただきます。
参加費に含まれるもの:燃油代、航空税、フィリピン国内移動費、食費(朝食のみ自費)
日程
2月12日(水) フィリピンでの時刻は現地時間 時差+1時間
07:30 中部国際空港国際線フィリピン航空カウンター付近集合
09:30 中部国際空港発 フィリピン航空PR0437
13:05 ニイノ・アキノ国際空港着
17:20 ニイノ・アキノ国際空港発 フィリピン航空PR0909
18:35 バコロド シライ国際空港着
シライ市泊
2月13日(木)
ネグロス島シライ市→バンタヤン島サンタフェ町
サンタフェ町長と懇談、サンタフェ町緊急被災者支援対策本部と打ち合わせ
サンタフェ町泊(~16日)
2月14日(金)~16日(日)
キナタルカン島で応援物資配布ボランティア
2月17日(月)
サンタフェ町→ネグロス島シライ市
シライ市泊
2月18日(火)
08:00 シライ市内ホテル発
10:25 バコロド シライ国際空港着 フィリピン航空PR0904
11:35 ニイノ・アキノ国際空港着
14:05 ニイノ・アキノ国際空港発 フィリピン航空PR0438
18:50 中部国際空港着 荷物を受け取って解散
持ち物:特別なものはありません。あるといいものなどを参加者にお知らせします。
12月28日(土)
名古屋では師走の寒い中、東別院裏の「昭和の家」でフィリピン台風被災者応援物資の仕分け・分類が多くの皆さんによって行われていたことと思います。みなさん、ありがとうございます。
私と久世は20人も乗れば満員になる船に乗り、バンタヤン島サンタフェから1時間半ほどかけてキナタルカン島に行きました。サンタフェには小型船用の港がありません。砂浜から10mほど沖に小型船が停泊していて、膝くらいまで海水に浸かって船に乗り込みます。同行したスペインの医療チームは慣れたもので、看護師の女性たちは水着を着ていて、さっさと短パンを脱いで、海の中に入っていきます。幸い私は短パン(久世は長ズボンのため海水でびしょ濡れ^^;)でしたから靴を脱ぎ、イカオ・アコがフィリピンで購入した文具の入った段ボールを担いで船に乗り込みました。
[エールTシャツで荷物を担ぐ私。となりの大きな人は救急テントチームのカナダ人。無理して彼に荷物を渡しませんでした^^]
サンタフェからキナタルカン島には定期船はありません。私たちが乗ったのはサンタフェ町がチャーターしてくれた船でした。私たちの視察にはサンタフェ町に住んでいるキナタルカン高校の校長先生も同行してくださいました。28日のホセ町長との懇談といい、船のチャーターといい、校長先生の同行といい、アルバートさんがすべて手配してくださっています。ですが、彼はそれをことさらのように言うことはまったくありません。ですから、自然の流れのように勘違いしかねません。アルバートさんはかなりすばらしいコーディネイターなのだと感心します。
ただし、完璧というわけではありません。ホテルは予約されておらず、サンタフェでは転々としました。そんなことはご愛嬌で、視察の目的からすれば本筋ではありません^^ 必要なこと、大切なことは確実に抑えられていて、アルバートさんが声をかけると人や事が自然な感じで動いていくということがすばらしいことだと実感します。
もう一点、アルバートさんに感心したことがあります。彼は世界中からやってくる緊急応援チームのコーディネイトをされています。1日に8団体の対応をしたこともあるそうです。同行したスペインの医療チームとも懇意でした。「小さな人間」なら、俺はどこそこの国のなんとか団体とツーカーだ、というようなことをいいそうなものですが、そんなことは一言もありません。かなりの人物です。
〔キナタルカン島で治療にあたるスペインの医療チーム。アルバートさんのコーディネイト〕
また、サンタフェ町役場でのホセ町長との懇談では、キナタルカン島の環境保護をベースにした将来構想についてアルバートさんは熱く語りましたが、説得力のある見事なプレゼンテーションを行い、感心して聞いていました。言葉はまるでわかっていませんが…^^;。
キナタルカン島までの小舟での約1時間半。私と久世は牡鹿半島の山道に慣れているせいかどうかは分かりませんが、船酔いすることもありませんでした。しかし、イカオ・アコメンバー4人のうち3人が船酔いに。帰りの方が波は荒かったのですが、誰も船酔いはしませんでした。帰りの船長さんのほうが波に対する操舵が上手でした。
さて、私たちがキナタルカン島に着くと、私たちを20数人の子どもたちが整然と並んで出迎えてくれました。来ている服はとっても粗末です。シミなどがついて仕分けした服の方がよほどマシです。でも、子どもたちはみんな笑顔なのです。「マアーヨン ハポン(こんにちは)」「アコ シ ヒサダ」(私はヒサダです)、「アコ シ ハポン」(私は日本です←あやしいセブ語)」と声をかけると、みんな人懐っこい笑顔で返事をします。また男の子の中には逃げていく子もいますが、笑顔ですぐに戻ってきます。
もしかしたらこの島に日本人が来るのは以前に視察に来られた倉田さんに次いで私たちが2番目かもしれません。そういう好奇心も働いているのでしょう。
驚いたことは、子どもたちは物資の入っている段ボールを前にしても、それに群がることも、ねだることもしないないことでした。
〔青い空と青い海のキナタルカン島〕
〔私たちを出迎えてくれた子どもたち〕
〔砂浜を自発的に掃除する子どもたち〕
〔砂にまみれて!〕
〔かわいい笑顔のアンジェリ〕
キナタルカン島にはハグダン村(846世帯)、ラングブ村(598世帯)、キナタルカン村(518世帯)の3つの村あわせて1,962家族が暮らしています。17歳以下の子どもは合計3,398人。1家族1.7人ですが、人口(私が頂いた資料には各村の人口が記載されていません。人口の正確なデータがないからだと思います。子どもの数は学校で把握できます)の半分近くが17歳以下の子どもです。また、シニア世代は494人。因みに限界集落の宮城県十八成浜では85世帯に子どもが5人です。村は共同体になっていますから、子どもたちも村全体で育つという感じです。とにかく多くの子どもたちが浜で砂だらけになったり、海に潜ったり、バレーボールをしたりと、元気よく走り回り、笑顔が絶えません。犬には首輪はついていません。野良犬というより島の人たちみんなで飼っているという感じかしれません。吠えることなく、砂浜にねそべって、子どもたちといっしょに遊んでいます。
台風30号(フィリピン名ヨランダ)で、キナタルカン島の家屋の全半壊は91%。島にある3つの小学校(7年制)と1つの高校(4年制)のうち、2校の校舎はほぼ全壊です。全壊の学校ではブルーシートで覆っただけの青空教室で授業が行われているそうです。
〔ここで授業が行われています〕
4校のうち1校だけ礫がかなり残った荒れた状態になっています。他の学校はかなり片付いています。この違いについて聞きそびれてしまいました。
フィリピンは教育には熱を入れていて、キナタルカン島でも8箇所のディケアセンターという名前の保育園と3校の小学校、高校1校があります。小学校の就学率はほぼ100%。高校には85%が進学します。大学へは毎年20人程度進学します。
しかし、バンタヤン高校は生徒数650人に対して教員は15人。教員1人あたりの生徒数は約43人。日本の高校では教員1人あたりの生徒数は20人以下です。また運動場も狭く、650人の生徒数の校地ではありません。1クラスの生徒数は50人~70人。日本の高校では40人以下が標準ですから、就学率は高いものの教育条件は50年ほど前の日本に近いかなり劣悪なものです。
〔台風で破壊された学校〕
サンタフェ町では学校校舎再建に必要な金額を学校毎に出しています。キナタルカン島では、ラングブ小学校721万ペソ(約1,600万円)、キナタルカン小学校252万ペソ(約550万円)、ハグダン小学校1,134万ペソ(約3,500万円)と計上し、サンタフェ町全体では小学校、高校再建に約9,000万ペソ(約2億円)必要としています。しかし、この金額は途中のピンハネも計上され、技術者が算出しただけのオーバーなものだ、とアルバートさんは言っていました。
サンタフェ町の年間予算は国から5,000万ペソ、地方税収入で800万ペソの合計5,800万ペソ(約1.2億円)。村にも予算はありますが、各村とも年間約100万ペソ(約220万円)程度にしかすぎません。キナタルカン島の小学校の校舎再建だけでもサンタフェ町の年間予算を超えています。台風30号(ヨランダ)の被害は、サンタフェ町全体で復興費用は何百億円もかかるはずでしょう。定期船も通っていない離島の校舎再建は、費用の計算はされてはいても、いつ実現することになるのだろうかと思います。
キナタルカン島は周囲約20km。キナタルカン島には車はありませんので、バイクに乗せてもらって島を3分の2ほど周りました。私たちを見ると、子どもだけではなく大人も笑顔で手を振ってくれます。豚がいて、鶏がいて、牛がいて、山羊がいて、米はとれませんが、畑もあります。水は島の中央に泉が沸き、水源になっています。電気は夜の6時~11時まで。自然の中で、自然とともに、みんなで助けあい支えあって暮らしています。
キナタルカン島の人たちは貧しいし、台風の大きなダメージを受けているのですが、不幸せとはいえないように私は思えました。それに対して「豊かな」日本は…。
とはいえ、あの衣服でいいはずはありません。あの校舎のままでいいはずはありません。人口8,000人の島に医師が1人だけでいいはずはありません。定期船がなく、重篤な病人を運ぶ救急船がないことがいいはずはありません。
キナタルカン島の環境を保護しつつ、生活の質の向上をめざす応援活動。アルバートさんたちもそれをめざしています。アルバートさんたちとともに、台風30号で家屋の90%が全半壊になったキナタルカン島の皆さんを応援する活動を進めていきます。
[キナタルカン島の浜から]
皆さんのご協力をよろしくお願いします。
このブログが2013年最後になります。今年も一年間ありがとうございました。
12月27日(金)はサンタフェ町のホセ・ティフィン・エスガナ町長と約1時間半ほど、キナタルカン島の状況や今後の応援について懇談をしました。
サンタフェ町役場
私たちをセブ空港で出迎え、サンタフェまで案内してくれたアルバート・キャメイさんをリーダーとする4人の人たちでしたが、アルバートさんはホセ町長の片腕ともいうべき人でした。
今年の7月までは、NPOイカオアコの現地事務所のあるネグロス島のバコロド市で、教育関係などのボランティア活動をされていたそうです。そこでイカオアコの倉田さんと信頼関係が作られました。
今年7月にサンタフェ町長選が行われ、新人候補のホセ氏にアルバートさんは環境問題を中心に積極的な提案をしました。当選後、ホセ町長はアルバートさんをサンタフェ町のボランティアセンター(のような組織)の責任者としてスカウトしました。
アルバートさんが力を発揮したのが、今回の台風30号です。キナタルカン島は、1,962世帯中1,785世帯が全半壊という大打撃を受けています。しかし、死者はいません。不思議に思ってホセ町長に尋ねました。
するとそれはアルバートさんの功績とのこと。ホセ町長のお話では、アルバートさんは今回の台風がキナタルカン島に甚大な被害を与えることを予測。台風の来る2日前にキナタルカン島へ赴き、全島民約8,500人に対して避難するように誘導しました。その結果、90%以上の家屋が全半壊しながらも犠牲者は一人もでませんでした。もしこの避難指示がなければどれだけの犠牲者が出ていたか分からないとホセ町長は話されています。
アルバートさんは、現在、サンタフェ町緊急被災者支援対策本部長をボランティアで務めていらっしゃいます。
世界中からさまざまな緊急支援チームがサンタフェ町にきました。多い時は1日に8チームが到着したことも。各チームからはいろいろな要求がだされます。そうしたコーディネイトはすべてアルバートさんの仕事です。
獅子奮迅の働きをされているのでしょう。どこでもすぐに寝られる特技があるそうです。仲間の人たちはアルバートさんのことをパラヴィ(ホームレス)アルバートと笑って言っています。いびきもすごいようです。かくいう私もかなりのいびきをかきます。そしてアルバートさんの仲間の男性も。「いびきのシンフォニーだ」と言ってアルバートさんは豪快に笑い飛ばします。
収入は0と笑うアルバートさん。私たちを出迎えてくれた他の3人の人たちもそれぞれに台風の被災者ですが、ボランティアで支援活動に取り組んでいます。口々に「楽しい」「やりがいを感じる」と言われています。国は違っても想いは同じです。
その忙しいアルバートさんたちが2日もかけて私たちを迎えに来てくれたのは、被災から1ヶ月半たって少し落ち着きを取り戻してきたことと、イカオアコの倉田まりさんとの信頼関係の深さによるものです。
フィリピンでのカウンターパートはなく、見切り発車で物資を集めた今回の応援活動ですが、たいへんすばらしいカウンターパートに出会えたことを感謝しています。
応援物資が確実に届くかどうかが、今回の最大のポイントですが、ホセ町長は衣類の提供は初めてと喜んでいただき、必要な機関に職員を派遣して調整し、サンタフェ町が受け取るようにすると仰っています。
ホセ町長からは、キナタルカン島の状況などについても伺いました。それは、明日のキナタルカン島の視察とあわせてご報告します。
中央の青いポロシャツの男性が写真左2人目の女性が倉田さん、中央の青いポロシャツの男性がホセ町長、その隣はNPO法人イカオ・アコ代表の後藤先生(日本福祉大学教授)、右端の男性がアルバートさん。
追伸
フィリピン料理はほとんどの料理が、大多数の日本人の口に合う味です。おいしいです。島国ですから魚のおいしさはいうまでもありません。辛い料理はほとんどなく、素材のよさを引き出す薄めの味付けです。しかも日本の価格から比べると格段のお安さ。
泊まっているコテージの朝食でアメリカンブレックファーストにコーヒーとマンゴージュースをつけて、220ペソ(約470円)くらいです。これでもホテルだから高いそうです。町の食堂で6人でお腹いっぱい食べて、900ペソ(約2,000円)。日本の半額以下です。サンタフェは田舎だからとは思いますが、治安も良好、人はフレンドリー、海はきれいですごく遠浅、夜空はまさに満天の星。サンタフェすばらしいです!