愛知ボラセンの活動予定⇩(更新日:2024.5.3)
令和6年能登地震 被災者応援ボランティアバス
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NPO法人被災者応援愛知ボランティアセンターは、観光庁からの「観観産第174号(平成29年7月28日)災害時のボランティアツアー実施に係る旅行業法上の取扱いについて(通知)」に基づき、被災地ボランティア活動を実施いたします。
災害時のボランティアツアー実施に係る通知の適用対象となる地域について
令和6年能登地震 被災者応援ボランティアバス
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NPO法人被災者応援愛知ボランティアセンターは、観光庁からの「観観産第174号(平成29年7月28日)災害時のボランティアツアー実施に係る旅行業法上の取扱いについて(通知)」に基づき、被災地ボランティア活動を実施いたします。
災害時のボランティアツアー実施に係る通知の適用対象となる地域について
代表の久田です。
12月21日~22日に、愛知ボランティアセンターと愛知県高校生フェスティバル実行委員会の共催で、
愛知ボラセン第6回、高校生フェス第2回の長野応援ボランティアを行いました。
高校生・中学生21校66人、教員9校10人、大人11人、合計87人
発災から2か月以上たち、被災地ボランティアが激減している中での、
大型バス2台での活動は瞠目すべきことと思います。
11月の第一回高校生フェス長野ボラに参加した高校生たちが口々に、
ぜひまた参加したいと語るほどに充実した内容であったことが、今回の中高校生66人参加につながっています。
また、今回の中高校生に対して、タケウチテクノ株式会社様より、活動費補助のご寄付を頂いております。
活動のお世話は今回も中村農園の中村太士さん。
活動場所は、中村さんのお知り合いの82歳の田中さんのリンゴ園です。
リンゴ園のあまりの荒れように、田中さんはリンゴ農家を続ける気力を失っていらっしゃるとのこと。
中村さんとそのお友達の皆さんによって、前日までに、片づけるべき幹や枝ははらわれています。
私たちは、その枝、幹をそれぞれ集めて、落下しているリンゴの実を拾い集めました。
中高校生はそれぞれ自分なりの知恵を使い、工夫をして、効率的に集めることを考え、実践しました。
その姿を見るのはとても楽しいことでした。
ボランティア活動を、単なる作業にはしたくない。
楽しく、やってよかったと思える活動にしたい。
そして、これから先も、アップルラインにきてもらえるきっかけにしたいと考える中村さん。
午後からは、特別にジンギスカンのバーベキューなどもあり、
みんなでおいしく、楽しくいただきました。
中村太士さんから、参加した中高校生へのメッセージをご紹介します。
皆様、昨日は遠く愛知の地から、この長野市アップルラインにお越し下さり誠にありがとうございました。
元来ここは、毎年10月位から、りんごと笑顔で溢れる素晴らしい通りでした。
しかし、それはたった一日で壊れました。
そこには元々あった、笑顔、活気、りんご、便利な機械達は全て無くなりました。
僕もこれは夢じゃないか?
座り込みタバコを吸って、軽い現実逃避モードでした。
しかし、気付けば仲間(青年会議所、先輩、後輩、友達、他地域の農業仲間)が集まり、座っていた僕を引きずり立たせ、背中を押し出しました。
中には自分の会社が被災した奴もいました。
僕は問いました。
「何故仕事休んでまで助けてくれるの?」
そしたら、みんな思い思いにこう言います。
「お前は過去の仕事より、りんごの仕事(農業)やってる今が1番輝いてたよ。お前またやりたいんだろ?だったら俺らが助けてやるよ。だからお前も頑張れ。」
そんな仲間が毎日30人以上集い、周りの人たちが、まだ家の片付けをしている中、店舗の清掃まで終わり、誰よりも早く畑に立つ事が出来ました。
そして、感じたこと、それは、僕だけの復興は本当の復興じゃない。
本当の復興とは、産地を戻すこと、色んな人と絆を深め、この通りを思いやってくれる関係性を作ること。
結果、何年経ってもこの通りを通ってくれる。
ゴールは何となく見えてきました。
ならば最初に、、仲間を助けて一緒に畑の事を考えたい。仲間を助ける方法は?
毎日考えて、監督しなくても勝手に動ける、主婦の軽作業特化(洗浄)部隊を設立。
多くの仲間が会議の議席に座れました。
それと並行して、畑を直す。
やればやるほどゴミが出る。
ゴミ、ゴミ、ゴミ、、、
みんな狂ったように捨てていく。
ちょっと待てよ。
これ本当にゴミなのか?
発想を転換したら「資源」になり得るんじゃないのか?
そこで生まれたのが、りんごの「薪」の販売事業。
今までは→無償
これからは→有償に
みんなありがとうって言いますが、1回ゼロになって悪いとこまで元に戻すことはないからね。
被災してから今日まで、述べ1200人以上の人と関わりました。
君たちもその中の1人。
君たちには、久田理事長と色々と話し、学習の場として提供致しました。
みんななんで「ゆとり、さとり」なんて言われちゃうと思う?
それはね、みんな素直に大人(先生)の言うこと聞いちゃうからなんだ。
大人や周りがやってくれる=考えなくても用意されてる。
結果、自分で考えることはしなくても良い。
でもね、社会に出れば考えて意見言って、自発的に動かないと使えないって言われちゃうからね。
ボラ参加勇気振り絞ったね。
色んな人いたでしょ?
でもね、みんなが今LINEで言ってることみんなで言い合ったら、それは口論かもしれないけど、議論になってきっと多くにフィードバックされると思うよ。だから、これからもいっぱい人と関わっていって下さい。
最後に、コンサル時代に好きだった言葉を数点。
人は考える葦である(柔軟な発想を持つ)。
3人揃えば文殊の知恵(4人以上は?)
明日やろうはバカヤロー(失敗の典型例)
思い立ったら吉日(計画練らないで動いちゃだめよ)
思い(自分だけ)は想い(伝播するよう仕組みを作る)に
みんなの行動力、昨日はこれに82歳のおじいちゃんが助けられました。
みんなの笑顔、それに僕らも救われました。
本当にみんなありがとう。
もし楽しかったっておもったなら、また仲間連れていらっしゃって下さいね。想いが一緒ならきっとみんな仲良くなれる。
そして、短時間で効率よく作業も出来る。
僕が仲間を集うのも今日で最後。
あっという間だったけど、とんでもなく濃い時間を過ごしました。
そして昨日は一番濃い時間🎶
明日からは1人で、来年の復興計画を模索して、また来年みんなの輝ける笑顔に癒されること願っております。
繰り返しにはなりますが、昨日は本当にありがとう。
この経験絶対損にならないからね。
アップルライン近隣代表し御礼申し上げます。
fruit farm 中村農園
代表 仲間太士
りんごの灯火
代表 中村太士
そして、高校生からはとてもすてきな感想がたくさん寄せられています。その一部をご紹介します。
◎安城学園1年 男子
今回の長野ボランティアへの参加は2回目でした。
前回は泥メインで、今回は木メインの撤去作業で、木で出来た山の大きさを泥の山と頭の中で比べると、その大きさに驚きました!!
今回良かったのは、工夫しより効率のいい方法を見つけられた事です!
倒れそうな木とそれを支える支木が、結んであった紐を縛って木を運んだら、もっと効率よく出来るのではと思ったのがキッカケでした。
ボランティアに行くにあたって自分達が迷惑(倒れる、ケガする)をかけては行けない!でもやるからには、全ての木を無くしたいと思ったことから、自分達で工夫して行ったその行動が少しでも復興の貢献になったのならと思いました!
今回改めて感じたのはコミュニケーションです。安全面のために「せーの」や「車行きます」などを大きい声で言う事は当然ですが、その大きな声や僕達高校生の笑顔で作業しながら話し合ってる姿は、僕たちは普通にしていても現地の人にとっては、凄い励みになることなどが分かりました。
短時間に集中して作業を終えたのは、今回の参加者が学校内や仲のいい子だけで繋がらず自分の友達からその子の友達となどして、1つの固まりになれたからだと思います!!
ボランティアは自分を凄い成長させました!ありがとうございました。
◎名古屋高校2年 男子
災害が起こったとき、メディアは災害の状況は一日中報道しているが、復興の現状を報道することはあまりない。復興の現状は現地に行くことでしかわからない。
今回現地に行って、10月に長野を襲った台風19号の影響が凄まじいことを知った。仕事をやめざるをえない高齢者がいるという現状、新幹線が動かないでずっと止まっている、川が黄色く濁っている、りんごの木に稲が引っかかっている、その高さまで水がきていたことをうかがわせる。
いままで、僕たちが当たり前の生活を送ってきた時、すごく近い場所で当たり前の生活ができていない現状があることをいままでは深く考えていなかったし、これほどまでだと知らなかった。
災害は何もしないでも勝手に起こるものだか、復興は何かをしなければならない。今回行ったりんご農家の中村さんは主体的になにかをしようといろいろなアイデアを出して、いち早く復興するために全力を尽くしていた。そこには学ぶべきことがあるだろう。
1番は日本人に足りない行動力だと思う。日本人はなにかをやろうと思った時、他人任せで、自分のことを自分で決められない人が多い印象がある。
中村さんの自らどんどん進めていく行動力は見習うべきではないか。
地元の人は僕たちのことをとても歓迎してくれていた。人と人とのつながりがこれほどまでに温かいものなんだとかんじた。仕事を終えて、食事の時、やり終えた達成感も感じたが、ほんとに感謝されているなということが感じられて嬉しかった。
いつか自分の身にも災害が起こるかもしれない。その時きっと今回の経験からが生かされると思う。
◎高蔵高校2年 女子
私は、ボーイスカウトに入っており、ボランティア活動をしたことがあるのですが、毎回間接的なことばかりで直接被災地へ行き活動することはありませんでした。なので、とても有意義な活動を経験することができたと思っています。
長野は、本当に空気が澄んでいて、山々も美しく日々の生活のリフレッシュにもなりました。台風19号によって木は折れ、林檎は落ちて腐敗してグチャグチャというような酷い光景を目にした時は、人間は自然の力には叶わないなと痛感しました。
ゴミをゴミとして考えずに再利用する方法を考えた中村さんに私は胸を打たれました。これまで、これは使えないから捨てようと諦めていました。でも、何かに再利用できないかと考えるきっかけになりました。
また、このように実際被災地へ行き、お手伝いをして色々なことを感じることが出来るのは自分自身の成長にも繋がるので、今後も是非参加したいと思います。
◎愛知淑徳高校2年 女子
今回ボランティアに参加するのは2回目だったんですが、1回目のボランティアとやる作業が違って、とてもいい経験になりました。
今回は、1回目より参加者の人数が多いくて、みんながみんな同じ作業をするのではなく、班ごとに分かれて違う作業をしていたので、はじめは違う班の子とあまり喋れなかったけど、午後の午前集めた枝を焼いているときに自分から話しかけるのは苦手だけど、名古屋や東海の子と喋れてよかったです!台風で落ちてしまった木をまきと枝に分けてゴミにするのではなく、再利用する考えがすごいなと思いました。そして、私は落ちているリンゴをひたすら拾っていたんですけど、ぐにゅってする腐り切っているりんごは土の栄養になると中村さんに教えてもらって、自然界のサイクルってすごいなと思いました。
また、1箇所にリンゴを集めるためにコンテナケースにリンゴを入れては集めてる場所に運んでと何往復もしてたけど、コンテナの10分めまで入れると重たすぎて、りんごの収穫の大変さを知りました。それと同時に何往復もするだけのリンゴがダメになってしまったと言う被害の大きさを改めて実感しました。
まだまだ、復興して無いところもたくさんあると思うのでまた機会が有れば参加したいです!
◎愛知黎明高校2年 女子
私が今回ボランティアに参加したきっかけは、以前参加したことのある高校生フェスの仲間からの報告を受けて、現地に行き自分の目で現状を見ること、環境や自然に触れ学ぶことの大切さを感じたからです。でも、話を聞くだけで長野のことを調べる訳でもなく、ただただ自分の想像だけで長野に行きました。
りんご農園を見て驚く光景ばかり広がっていました。足の踏み場がないほどに落ちている林檎、足がとられるほどドロドロしている泥、体に触れたら怪我をしてしまいそうな鋭くトゲトゲしている木、今まで生きた中で見たことも無い悲惨な光景でした。普段当たり前のようにスーパーに並んでいる林檎が形も崩れ色もくすんでいたし、匂いも甘い匂いではなかったことはすごく印象に残ってます。
“ 誰かの役に立ちたい!”って参加したボランティア。こんな私でもできることってあるのかなって不安だらけだったけれど、現地の方々は私たちを暖かく迎え入れてくれたし、参加したみんながボランティア精神豊富でみんなと一緒に作業をしているうちに不安はどこかに消えました。ほとんどの人が初対面なのに『やっほー!』って話しかけたらみんな優しく応えてくれて本当に嬉しかったしひとつの作業をするだけでこんなにも色んな人と関わり交流できる素敵な場所に参加することが出来て本当によかったです。
でも、中には食べ物である林檎で遊んでいる人や自分たちの知り合いの中だけで楽しんでいる人や、場を勘違いしている人が少し目立っていたのではないのかなって感じています。出発する前の話の中であった、ボランティアってなんだろう。っていう部分、しっかり見直して欲しいなって思う部分も多くありました。私も気づいていたのに、注意することは出来なかったので私の反省点です。
そして今、私たち高校生にできること。それは沢山の人に長野の現状を伝え続けることだと思います。私は高校生フェスに関わっています。色んな場面でこの長野の現状を発信していきたいし、このボランティアで交流出来たみんなと一緒にボランティア報告をしていきたいって強く思っています。自分の意思で参加した人が多いからこそ、色んな感情があると思います。だからこそ今みんなと発信をしていきたいって思っています。
とても被害が大きかった場所だったけれど、素敵なみんなと充実した時間が過ごせたことは本当に良かったです。
被災地である長野が少しでも早く復興できることを応援しています。
本当にありがとうございました。。
◎東海高校1年 男子
今回のボランティアに参加させて頂いて、天災というものがどれだけ人の人生を狂わせるのかというのをより身近に実感できたと思います。
10年後どうなっているのかな?楽しみだなぁと今思っていても、地震や津波、台風などで全てまっさらな状態にしてしまうのはとても怖いです。
リンゴ農園の方々が今まで育ててきたリンゴさん達があんなふうに地面におちて腐っているのを見て心が痛くなり、失礼かもしれませんが、その光景を今見られたことに感謝、とも思いました。
また活動する上で周りを見ながら時分が何を今しなければならないのかというのがとても大事だと思いました。人手が足りてない場所はあるかな?とか様々なことを考えながら作業すれば、もっともっと効率が上がるんじゃないかと思いました。その事は今している部活の上でも、将来就くであろう仕事の上でも役立つ大切なことだと思います。
本当に今回このボランティアに参加させて頂いて感謝しています。皆さんありがとうございました!
◎日本福祉大学付属高校2年 女子
今回被災地に訪れてのボランティアは初めてで、ちゃんとできるのか、不安がありました。しかし、周りの人たちが優しく接してくれたおかげで、不安はなくなりました。
リンゴを落とす作業をしてる中で、美味しそうなりんごを見つけてこれも落としてしまうのかという気持ちでした。落としたりんごを少し割ってみると、りんごのいい匂いがしてほんとにもったいないと思いました。木の枝や薪を集めると、農園ひとつでこんなにも枝があるのかと驚きました。荷台に積む作業では、量も多く大変な作業でしたが、怪我なくできたのでよかったと思います。
作業が終わってから、リンゴやジンギスカン、ミネストローネ、焼き芋、全部すごく美味しかったです!!
ボランティアに来た人たちをもてなしてくれたり、リンゴの木を薪にしたり、ゴミをゴミにしない中村さんの考えは、すごいなと思いました。次もボランティアに行ける機会があれば、また行きたいと思います!ありがとうございました!
◎岡崎城西高校2年 男子
今回人生で初めて、ボランティアに参加して、そして初めて被災地に行きました。
なんで参加したかというと、被災地をテレビや新聞などでしか見たことがなかったからです。なので、実際被災地に行って、被災地というのは、どういう所なのかなど、いろんな事を学んでみようと思ったからです。
最初長野に着いた時は、本当に緊張しました。自分はちゃんと動けるのだろうか?など色んなことを考えてしまいました。
そして、活動が始まって、大量の枝や薪を拾いました。そうやって班員や他の方々と協力し合いながら作業をやっていくうちに、たくさんの方々と仲良くなって、色んな話をすることが出来ました。改めてコミュニケーションって大事なんだな!って思いました。
ボランティア全体の感想はここまでとして、次はりんご農家についての感想を述べたいと思います
その事で1番驚いたのは、折れてしまった、枝や薪を資源として、使うことです。僕は枝や薪はすべて処分するのかと思ってました。しかし、中村さんは、処分はせずに、火をおこすのに使うなどしていて、すごいなと思いました。自分はいつもなんも考えずにゴミを捨てていますが、中村さんの行動を見て、再利用できる方法とかを考えてから
処分しようと思いました。
今回のボランティアを通して、僕は、今回学んだことを、これから、自分の生活に活かせるようにしたいです。
またこういう機会があったら参加してみようと思います
ありがとうございました!
◎岡崎城西高校2年 男子
僕がこのボランティアに参加しようと思ったきっかけが、生徒会長として避難訓練のアップデートをいろいろな高校を巻き込んでやろーかなって思ってて、その活動をする上で被災された現地に行くという経験は絶対に活かせると思って話をもらった瞬間に親を通さずに即決しました。
そう言った思いもあり、挑んだ今回のボランティアはすごく刺激的でした。被災されたリンゴ農場は大量のリンゴが地面に広がって、リンゴの甘い香りと腐って発酵したのか、お酒のような匂いが充満していました。長靴から伝わる地面は凍るように冷たく、足がジンジンと痛みました。
そんな中での作業。折れた枝や幹を運んだりと単純でそこまで力の使わない作業ではありましたが、枝が積み重なって大きくなった山を見たときは大きな達成感で満たされました。達成感を持てるような作業を考えていただいたおかげで楽しく、辛さを感じることなく作業できました。
そういったボランティアするひと側の立場を気にしたりする気遣いをご自身も被災されたのにもかかわらずにできるということ、愛知県の高校生と繋がるだけでなく他の地域の方々との交流をもち、アップルライン全体の復興に尽力できる企画力と行動力が素晴らしいと思いました。
しかし、この気遣いも命がなければできないことで、この避難訓練のアップデートを確実に成功させなければならないと再確認できました。今回の見た光景、匂い、吸った空気、聞こえた音。全てを生かしていきたいと思います。
今回はありがとうございました。
◎名古屋大谷高校 3年 女子
今回、私は初めて災害復興のボランティアに参加しました。活動する前は被災状況をメディアでしか知ることができなかったので、自分には関係ないことだろうと思っていました。しかし、実際に被災地に来て、がれきの山や土がついたままのアスファルト、濁流の跡が残った窓や家具がない家屋、木の枝やリンゴが地面に落ちたままのリンゴ農園を見て、台風の恐ろしさを実感しました。それとともに、元通りになるのだろうかという不安も感じました。
およそ80人で数時間かかってようやくひとつの農園が綺麗になったことに、復興することはこんなにも難しいことなんだと感じました。
でも、そんな中でどういう風に行動したら効率よくできるかを考えながらやるみなさんの姿勢や、災害によって出てきたものをゴミとして処分せず、肥料や商品として再利用するという中村さんの考え方に、自分も見習わなければと思うところがたくさんありました。
作業後にみんなで食べたご飯は特別に美味しかったです。大学に進んでも、このような機会があればぜひ参加したいです。ありがとうございました。
◎誉高校2年 男子
僕は今回初めて、被災地支援ボランティアに参加しました。きっかけは、誉高校の子2人が、前回のリンゴ農園のボランティアに行き、話を聞いて、自分も行ってみたい、力になりたいと思ったからです。
実際に参加してみて、まず衝撃的でした。現地につくと、テレビなどのメディアには映されない光景が目の前に広がっていました。
畑一面にリンゴが転がり落ちていて、枝や幹などが山積みになっていて、正直これを片付けるのは無理だとさえ思いました。災害が起きたとき、テレビのニュースでは、災害が起きたときは報道するけど、復興の様子はあまり報道されない。現地に行かないとわからないことが多くありました。
作業をしていく中で、人間の力って凄いなって思いました。中村さんがおっしゃっていた、機械で作業をするのではなく、人の力で作業することで、その気持ちで勇気づけられる人もいるということから、人と人のつながりが大切なんだと改めて感じました。リンゴの産地は一人で作れるものじゃない、協力してできること。だから、自分の農園だけが復興して、販売してもそれは産地にはならない。すべてが復興してアップルラインになるので、他の畑の復興も考えている中村さんはすごいと思いました。
中村さんの、枝や幹などのゴミをゴミとして考えない、なにかに使えないか考えている部分は、自分も、見習わなければいけないと思いました。
今回ボランティアに参加して、作業は大変だったけど、現地の方や普段あまり関われない他校の生徒と交流しながら、作業が出来て、良い経験になりました。
災害はいつ、どこに起こるかわかりません。もちろん起きないことが、一番ですが、災害は起きてしまいます。自分たちの周りにもいつ災害は起こるかわかりません。そんな時に、大切なのは、人と人とのつながりなんだってことを今回のボランティアで学びました。
今回のボランティアで感じたこと、学んだことを、そこままにせず、学内で共有したりしながら、一人でも多くの人に伝えていきたいです。
ほんとうに、貴重な経験をさせていただきました。ありがとうございました!
◎金城学院高校1年 女子
今回のボランティア活動の参加のきっかけは、友達からのお誘いでした。
はじめてのボランティアということもあり、何をするのかということも分からず、とても不安でした。しかし、たくさんの方が気さくに話しかけてくださったおかげで、私の不安は消えていき、協力して作業に取り組むことができました。
実際にこの農園に訪れてみると、そこには悲惨な光景が広がっていました。りんごは落ち、折れている木もありました。私は、テレビで見たことがあった光景が目の前にあることに衝撃を覚えました。災害というものが遠くの存在だと思っていましたが、すごく身近にあるものなんだなと思いました。
自分の大切に育てたリンゴが一瞬にしてなくなってしまうことを考えると、農家の方の心の痛みは計り知れません。その痛みに少しでも寄り添えることができたなら、こんなに嬉しいことはありません。
具体的な作業は枝拾いや薪を集めるという内容でした。ボランティア活動は重労働だというイメージを持っていたので、このような作業を通して人の役に立つことができることに驚きました。小さな積み重ねが大きな実を結ぶことを心に刻み、これからの生活に活かしていきたいです。
ありがとうございました!!
◎名経大市邨高校 2年 女子
私は今回のボランティアを通じて大きくわけて2つの事を学びました。
1つ目は災害はどこに居ても被災するという事です。
災害というのは私達にとって遠い存在であるという認識を持つ中で、今回ボランティアに参加し被災地を見て、なおかつ中村さんのまさか自分が被災するなんてと仰っていた事を聞いて、今までの認識が崩れました。災害は身近な物でありいつ、どこで、誰が被災してもおかしくないという認識になりました。
2つ目は人の集団の力は凄いという事です。1番最初に荒れ果てたりんご農園を見て私は「短い時間でここを…」
という思いを抱きました。
しかし、そんな思いとは裏腹にとても素早く作業は進んでいき、最初の農園とは見違える姿になった様子を見て、
人の力が束になったらこんな事ができるんだ、と感動しました。
中村さんの言う「本当の復興」は少し時間がかかると思うけれど、これは私たちにも出来る事だと思います。だからこそ今回のボランティアで学んだ事をまずは身近な人に伝えていく、そしてその輪を広げて行く。そして人が集まればさらに凄い力を発揮出来る。理想論ではあるけど、こんな事になったら嬉しいと思いました。
改めて皆さん、ボランティアお疲れ様でした。
◎犬山市立東部中学校2年 男子
今回2回目ということで前回の経験を生かして動けたと思います(あんまり生かすところ無かったけど)。前回から1ヶ月経っての参加だったのですが、大きな変化があまり見られなかったので、まだまだ人手が必要だなと感じました。また今回高校生の方々と一緒という事で少し緊張して話せなかったところを向こうから話しかけてもらえて、中村さんが仰っていた交流の場とはこういうことなんだなと思いました。
中村さんのボランティアはただの作業ではなく楽しむ場として動けたのでとても良かったです。また行きたいです。
ありがとうございました。
追伸 マシュマロ美味しかったです。
◎東海高校1年 男子
林檎の木の花言葉は「名誉」だそうです。僕らは名誉を集めさせていただいたわけですが、すっかり忘れていました。
ボランティア活動が楽しすぎて!
「人助けに行くぜ!」と意気込んでいましたが、ボランティアって意外とそう言うものでもないですね。
実際には、部活動みたいな「交流の輪」みたいなところが大きかったりします。
僕は東海高校なので、普段の周りは男子ばっかりだったりします。今回の活動で色々知りました……(共学の人、すげぇ)。名古屋高生いわくキリスト教の授業後に板書の写真が出回るそうです。また、僕は久しぶりに女の子と喋って緊張しました。(あれ、俺こんなに焦るの?目を見て話せないんですけど…)ああ、もちろん嫌ってわけじゃなくて、可愛くて照れてるだけです。連れの友だちは驚異のコミュ力を発揮してました(カッコいい)。
まぁ、ようするにボランティア楽しい!ってことですね。林間学校みたいなところありますしね。あーまた行きたいなぁ〜!
ただ、LINE交換をできなかったのが悔しい!コミュ力を磨きますわ!連れの友だちをはじめ、しゃべった皆さん(仮面ライダー好きも入ってる)マジですげぇなと……憧れる。
あと、林檎の花言葉には「選ばれた恋」ってのもあるそうです。(ふざけてすみませんでしたァァア!!)
代表の久田です。
25年前の阪神淡路大震災で、被災者ほどではありませんが、私の人生もかわりました。
大阪・朝日放送はホームページで阪神淡路大震災の映像記録を公開しています。
その中で、25年前の私(当時の体重は約63㎏、今は約53㎏なのでちょっと小太りです^^;)が
約100人の高校生を前に語っています。
朝日放送のHPでは、「語る男性」としか紹介されていません。
この活動が、今もっと大きくなっているとは、当然のことながらご存知ないと思います。
https://www.asahi.co.jp/hanshin_awaji-1995/
まずこのページを開いてください。
震災の動画がでてきます。スキップすることも可能です。動画が終わると地図がでてきます。
105をクリックしてください。動画は日付順になっています。
2月11日までいくと「愛知県から高校生ボランティア」がありますので、それをクリックしてください。
次に地図上の49をクリックしてください。
やはり2月11日の日付をさがしていくと、愛知県の高校生ボランティアに関する動画が4本あります。
避難所での仮設トイレや、高層マンション上層階への水運びボランティアをした高校生のインタビューです。
合計5本、とても貴重な動画です。
なお、この情報を寄せてくれたかつての参加者から、
「(この参加者の中には)分かっているだけで、救命救急医が2人、アフリカで開発支援に当たってる人が1人、
病院介護の事務を取り仕切る人が1人、青年海外協力隊に行き、その後、養護教諭の指導者が1人がいます。
みんな大きな影響を受けたと思います。その節はありがとうございました。
とメッセージが届いています。
0泊3日のボランティアバスはこの時からです。
1995年2月11日(土・祝)で連休でした。
そこで、2月10日(金) 夜に大型バスで、名古屋を出発し、未明に神戸着、
終日活動して、12日(日)早朝に名古屋に帰ってくる高校生ボランティアを企画しました。
これなら宿泊施設の問題もなく、多くの参加者を組織できると考えたからです。
当初はバス1台のつもりでしたが、参加希望者が多く、急遽バス2台となりました。
これが私にとっての第一回の災害ボランティアバスでした。
それが、愛知ボラセンの石巻への0泊3日のボランティアバスに繋がっています。
この時、私は支援物資の仕分けをしました。
全国から神戸に寄せられた膨大な数の段ボール箱を開き、仕分け・分類しました。
私の記憶では、100メートルくらい連なったテントが5列くらいありました。
これはまったく正確ではありませんが、そのくらいの主観的にはとんでもない量の物資が届いていました。
責任者からは、中古衣類はすべて捨てる。
タグのある新品衣類だけを男性、女性、子どもに分類する、ように指示がありました。
この作業を続けながら、私は、次に大災害が起きたら、愛知で集めて、分類して被災地に運べば
もっと多くの人が仕分け・分類ボランティアに参加できる、
私がこの程度のことを考えつくのだから、もっと優秀な人たちがもっと見事なことを考えるであろう、
と思っていました。しかし、その後の大災害でもほぼ同じようなことが繰り返されました。
そこで、愛知ボラセン発足にあたって、新品衣類だけを東別院にもってきていただき、
愛知・名古屋の皆さんにご都合のよい時間に集まっていただき、仕分け・分類ボランティアをはじめました。
やはり、この時に、愛知ボラセンの応援衣類活動に繋がっています。
この時、中央区葺合中学校で炊き出しを行っています。
そのご縁で、春休みに3泊4日の宿泊ボランティアを3回連続で行いました。
つまり9泊10日の高校生ボランティアで、常時80人を超える高校生が葺合中学校を宿舎として活動しました。
この時、葺合中学校には100人ほどの避難者がいました。
そこで、夕食の炊き出しは自分たちと避難者と学校周辺の方々に提供しました。
これが、石巻市十八成浜で、仮設住宅と地域全体を対象にお弁当を提供した「くぐなり食堂」に繋がっています。
この活動の前には、1月28日に神戸へ視察に行っています。今もボラバス派遣の前には視察に行っています。
震災でお父さんお母さんを亡くした子どもたちを応援する活動は、すでにこの時に決まっており、
活動主体は「震災孤児遺児に奨学金を贈る会」でした。
もう1つ重要なことは、私の「特技」です。
医者でもなく、重機を操れるわけでもなく、調理もできず、
被災地で活かせる「特技」は何もない、こんな自分がボランティアにいってもしかたがないなと思っていました。
しかし、重要な「特技」に気づきました。
それは、人を組織する立場と経験がある、ということです。
愛知県私立学校教職員組合連動という私立高校の教員のネットワークがあり、
愛知県高校生フェスティバル実行委員会顧問団長として大きなイベントの責任者の経験がありました。
この「特技」と経験を活かして、多くの高校生を組織しようということです。
20年間の高校生ボランティアで、のべ約1万人がいろいろなボランティアに関わりました。
これも今の愛知ボラセンにとっては重要な考えです。
愛知ボラセンほど、多くの市民の皆さんが活動に参加される災害ボランティア団体は
全国でもないだろうと自負しています。
さらに、今後愛知で大災害が発生すれば、
参加した高校生は真っ先にボランティアに駆けつけるだろうとも思っていました。
愛知ボラセンスタッフのほとんどは、高校時代にこの活動に参加していました。
つまり、1995年2月11日に、愛知ボラセンの活動に繋がることがすべてあったということです。
もちろん、当時は先のことは何も考えず、今やるべきことを懸命に考えて、行動していただけです。
結果として、朝日放送はとても大切な瞬間を記録し、公開してくれました。
ありがとうございます。
代表の久田です。
新年のご挨拶がたいへん遅くなりましたことをまずお詫びします。
2019年は9月以降、かつてない頻度で台風に関連する水害が発生し、
9月に佐賀県(視察1回、ボランティアバス1回)、千葉県(視察2回)、
11月に長野県(視察2回、ボランティア7回、コーディネイト1回)と、
相次いでボランティアバスを派遣しました。
地球温暖化の影響と考えられていて、今後も激しい自然災害が多発することはあっても、
減ることはおそらくないだろうと思います。
しかし、避難所の劣悪な環境は、25年前の阪神淡路大震災の頃から大きくかわってはいません。
避難所の環境だけではなく、被災者への対応も依然として大きな問題があります。
今の私個人の関心は、こうした状況をどうしたら抜本からかえられるかということです。
省庁の改編も必要ではないかと思っていて、政治と深く関わらざるをえないと考えています。
私が選挙に出るとか、政治家になるとかということではありません。
が、個別の事案への対応でしかない今の活動では、
被災者の状況を如何ともしがたい残念なものを感じ続けています。
11月に「小さなボール」を投げてみましたが、残念ながら投げたボールはまだ返ってきていません。
もう少し「大きなボール」をもっと強く投げなければと考えています。
ともあれ、被災された皆さんが少しでも元気になれるような活動を、
皆さんとともに、今年も続けて参ります。
2020年もどうぞよろしくお願いします。