愛知ボラセンの活動予定⇩(更新日:2024.5.3)
令和6年能登地震 被災者応援ボランティアバス
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NPO法人被災者応援愛知ボランティアセンターは、観光庁からの「観観産第174号(平成29年7月28日)災害時のボランティアツアー実施に係る旅行業法上の取扱いについて(通知)」に基づき、被災地ボランティア活動を実施いたします。
災害時のボランティアツアー実施に係る通知の適用対象となる地域について
令和6年能登地震 被災者応援ボランティアバス
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12月28日(土)
名古屋では師走の寒い中、東別院裏の「昭和の家」でフィリピン台風被災者応援物資の仕分け・分類が多くの皆さんによって行われていたことと思います。みなさん、ありがとうございます。
私と久世は20人も乗れば満員になる船に乗り、バンタヤン島サンタフェから1時間半ほどかけてキナタルカン島に行きました。サンタフェには小型船用の港がありません。砂浜から10mほど沖に小型船が停泊していて、膝くらいまで海水に浸かって船に乗り込みます。同行したスペインの医療チームは慣れたもので、看護師の女性たちは水着を着ていて、さっさと短パンを脱いで、海の中に入っていきます。幸い私は短パン(久世は長ズボンのため海水でびしょ濡れ^^;)でしたから靴を脱ぎ、イカオ・アコがフィリピンで購入した文具の入った段ボールを担いで船に乗り込みました。
[エールTシャツで荷物を担ぐ私。となりの大きな人は救急テントチームのカナダ人。無理して彼に荷物を渡しませんでした^^]
サンタフェからキナタルカン島には定期船はありません。私たちが乗ったのはサンタフェ町がチャーターしてくれた船でした。私たちの視察にはサンタフェ町に住んでいるキナタルカン高校の校長先生も同行してくださいました。28日のホセ町長との懇談といい、船のチャーターといい、校長先生の同行といい、アルバートさんがすべて手配してくださっています。ですが、彼はそれをことさらのように言うことはまったくありません。ですから、自然の流れのように勘違いしかねません。アルバートさんはかなりすばらしいコーディネイターなのだと感心します。
ただし、完璧というわけではありません。ホテルは予約されておらず、サンタフェでは転々としました。そんなことはご愛嬌で、視察の目的からすれば本筋ではありません^^ 必要なこと、大切なことは確実に抑えられていて、アルバートさんが声をかけると人や事が自然な感じで動いていくということがすばらしいことだと実感します。
もう一点、アルバートさんに感心したことがあります。彼は世界中からやってくる緊急応援チームのコーディネイトをされています。1日に8団体の対応をしたこともあるそうです。同行したスペインの医療チームとも懇意でした。「小さな人間」なら、俺はどこそこの国のなんとか団体とツーカーだ、というようなことをいいそうなものですが、そんなことは一言もありません。かなりの人物です。
〔キナタルカン島で治療にあたるスペインの医療チーム。アルバートさんのコーディネイト〕
また、サンタフェ町役場でのホセ町長との懇談では、キナタルカン島の環境保護をベースにした将来構想についてアルバートさんは熱く語りましたが、説得力のある見事なプレゼンテーションを行い、感心して聞いていました。言葉はまるでわかっていませんが…^^;。
キナタルカン島までの小舟での約1時間半。私と久世は牡鹿半島の山道に慣れているせいかどうかは分かりませんが、船酔いすることもありませんでした。しかし、イカオ・アコメンバー4人のうち3人が船酔いに。帰りの方が波は荒かったのですが、誰も船酔いはしませんでした。帰りの船長さんのほうが波に対する操舵が上手でした。
さて、私たちがキナタルカン島に着くと、私たちを20数人の子どもたちが整然と並んで出迎えてくれました。来ている服はとっても粗末です。シミなどがついて仕分けした服の方がよほどマシです。でも、子どもたちはみんな笑顔なのです。「マアーヨン ハポン(こんにちは)」「アコ シ ヒサダ」(私はヒサダです)、「アコ シ ハポン」(私は日本です←あやしいセブ語)」と声をかけると、みんな人懐っこい笑顔で返事をします。また男の子の中には逃げていく子もいますが、笑顔ですぐに戻ってきます。
もしかしたらこの島に日本人が来るのは以前に視察に来られた倉田さんに次いで私たちが2番目かもしれません。そういう好奇心も働いているのでしょう。
驚いたことは、子どもたちは物資の入っている段ボールを前にしても、それに群がることも、ねだることもしないないことでした。
〔青い空と青い海のキナタルカン島〕
〔私たちを出迎えてくれた子どもたち〕
〔砂浜を自発的に掃除する子どもたち〕
〔砂にまみれて!〕
〔かわいい笑顔のアンジェリ〕
キナタルカン島にはハグダン村(846世帯)、ラングブ村(598世帯)、キナタルカン村(518世帯)の3つの村あわせて1,962家族が暮らしています。17歳以下の子どもは合計3,398人。1家族1.7人ですが、人口(私が頂いた資料には各村の人口が記載されていません。人口の正確なデータがないからだと思います。子どもの数は学校で把握できます)の半分近くが17歳以下の子どもです。また、シニア世代は494人。因みに限界集落の宮城県十八成浜では85世帯に子どもが5人です。村は共同体になっていますから、子どもたちも村全体で育つという感じです。とにかく多くの子どもたちが浜で砂だらけになったり、海に潜ったり、バレーボールをしたりと、元気よく走り回り、笑顔が絶えません。犬には首輪はついていません。野良犬というより島の人たちみんなで飼っているという感じかしれません。吠えることなく、砂浜にねそべって、子どもたちといっしょに遊んでいます。
台風30号(フィリピン名ヨランダ)で、キナタルカン島の家屋の全半壊は91%。島にある3つの小学校(7年制)と1つの高校(4年制)のうち、2校の校舎はほぼ全壊です。全壊の学校ではブルーシートで覆っただけの青空教室で授業が行われているそうです。
〔ここで授業が行われています〕
4校のうち1校だけ礫がかなり残った荒れた状態になっています。他の学校はかなり片付いています。この違いについて聞きそびれてしまいました。
フィリピンは教育には熱を入れていて、キナタルカン島でも8箇所のディケアセンターという名前の保育園と3校の小学校、高校1校があります。小学校の就学率はほぼ100%。高校には85%が進学します。大学へは毎年20人程度進学します。
しかし、バンタヤン高校は生徒数650人に対して教員は15人。教員1人あたりの生徒数は約43人。日本の高校では教員1人あたりの生徒数は20人以下です。また運動場も狭く、650人の生徒数の校地ではありません。1クラスの生徒数は50人~70人。日本の高校では40人以下が標準ですから、就学率は高いものの教育条件は50年ほど前の日本に近いかなり劣悪なものです。
〔台風で破壊された学校〕
サンタフェ町では学校校舎再建に必要な金額を学校毎に出しています。キナタルカン島では、ラングブ小学校721万ペソ(約1,600万円)、キナタルカン小学校252万ペソ(約550万円)、ハグダン小学校1,134万ペソ(約3,500万円)と計上し、サンタフェ町全体では小学校、高校再建に約9,000万ペソ(約2億円)必要としています。しかし、この金額は途中のピンハネも計上され、技術者が算出しただけのオーバーなものだ、とアルバートさんは言っていました。
サンタフェ町の年間予算は国から5,000万ペソ、地方税収入で800万ペソの合計5,800万ペソ(約1.2億円)。村にも予算はありますが、各村とも年間約100万ペソ(約220万円)程度にしかすぎません。キナタルカン島の小学校の校舎再建だけでもサンタフェ町の年間予算を超えています。台風30号(ヨランダ)の被害は、サンタフェ町全体で復興費用は何百億円もかかるはずでしょう。定期船も通っていない離島の校舎再建は、費用の計算はされてはいても、いつ実現することになるのだろうかと思います。
キナタルカン島は周囲約20km。キナタルカン島には車はありませんので、バイクに乗せてもらって島を3分の2ほど周りました。私たちを見ると、子どもだけではなく大人も笑顔で手を振ってくれます。豚がいて、鶏がいて、牛がいて、山羊がいて、米はとれませんが、畑もあります。水は島の中央に泉が沸き、水源になっています。電気は夜の6時~11時まで。自然の中で、自然とともに、みんなで助けあい支えあって暮らしています。
キナタルカン島の人たちは貧しいし、台風の大きなダメージを受けているのですが、不幸せとはいえないように私は思えました。それに対して「豊かな」日本は…。
とはいえ、あの衣服でいいはずはありません。あの校舎のままでいいはずはありません。人口8,000人の島に医師が1人だけでいいはずはありません。定期船がなく、重篤な病人を運ぶ救急船がないことがいいはずはありません。
キナタルカン島の環境を保護しつつ、生活の質の向上をめざす応援活動。アルバートさんたちもそれをめざしています。アルバートさんたちとともに、台風30号で家屋の90%が全半壊になったキナタルカン島の皆さんを応援する活動を進めていきます。
[キナタルカン島の浜から]
皆さんのご協力をよろしくお願いします。
このブログが2013年最後になります。今年も一年間ありがとうございました。
12月27日(金)はサンタフェ町のホセ・ティフィン・エスガナ町長と約1時間半ほど、キナタルカン島の状況や今後の応援について懇談をしました。
サンタフェ町役場
私たちをセブ空港で出迎え、サンタフェまで案内してくれたアルバート・キャメイさんをリーダーとする4人の人たちでしたが、アルバートさんはホセ町長の片腕ともいうべき人でした。
今年の7月までは、NPOイカオアコの現地事務所のあるネグロス島のバコロド市で、教育関係などのボランティア活動をされていたそうです。そこでイカオアコの倉田さんと信頼関係が作られました。
今年7月にサンタフェ町長選が行われ、新人候補のホセ氏にアルバートさんは環境問題を中心に積極的な提案をしました。当選後、ホセ町長はアルバートさんをサンタフェ町のボランティアセンター(のような組織)の責任者としてスカウトしました。
アルバートさんが力を発揮したのが、今回の台風30号です。キナタルカン島は、1,962世帯中1,785世帯が全半壊という大打撃を受けています。しかし、死者はいません。不思議に思ってホセ町長に尋ねました。
するとそれはアルバートさんの功績とのこと。ホセ町長のお話では、アルバートさんは今回の台風がキナタルカン島に甚大な被害を与えることを予測。台風の来る2日前にキナタルカン島へ赴き、全島民約8,500人に対して避難するように誘導しました。その結果、90%以上の家屋が全半壊しながらも犠牲者は一人もでませんでした。もしこの避難指示がなければどれだけの犠牲者が出ていたか分からないとホセ町長は話されています。
アルバートさんは、現在、サンタフェ町緊急被災者支援対策本部長をボランティアで務めていらっしゃいます。
世界中からさまざまな緊急支援チームがサンタフェ町にきました。多い時は1日に8チームが到着したことも。各チームからはいろいろな要求がだされます。そうしたコーディネイトはすべてアルバートさんの仕事です。
獅子奮迅の働きをされているのでしょう。どこでもすぐに寝られる特技があるそうです。仲間の人たちはアルバートさんのことをパラヴィ(ホームレス)アルバートと笑って言っています。いびきもすごいようです。かくいう私もかなりのいびきをかきます。そしてアルバートさんの仲間の男性も。「いびきのシンフォニーだ」と言ってアルバートさんは豪快に笑い飛ばします。
収入は0と笑うアルバートさん。私たちを出迎えてくれた他の3人の人たちもそれぞれに台風の被災者ですが、ボランティアで支援活動に取り組んでいます。口々に「楽しい」「やりがいを感じる」と言われています。国は違っても想いは同じです。
その忙しいアルバートさんたちが2日もかけて私たちを迎えに来てくれたのは、被災から1ヶ月半たって少し落ち着きを取り戻してきたことと、イカオアコの倉田まりさんとの信頼関係の深さによるものです。
フィリピンでのカウンターパートはなく、見切り発車で物資を集めた今回の応援活動ですが、たいへんすばらしいカウンターパートに出会えたことを感謝しています。
応援物資が確実に届くかどうかが、今回の最大のポイントですが、ホセ町長は衣類の提供は初めてと喜んでいただき、必要な機関に職員を派遣して調整し、サンタフェ町が受け取るようにすると仰っています。
ホセ町長からは、キナタルカン島の状況などについても伺いました。それは、明日のキナタルカン島の視察とあわせてご報告します。
中央の青いポロシャツの男性が写真左2人目の女性が倉田さん、中央の青いポロシャツの男性がホセ町長、その隣はNPO法人イカオ・アコ代表の後藤先生(日本福祉大学教授)、右端の男性がアルバートさん。
追伸
フィリピン料理はほとんどの料理が、大多数の日本人の口に合う味です。おいしいです。島国ですから魚のおいしさはいうまでもありません。辛い料理はほとんどなく、素材のよさを引き出す薄めの味付けです。しかも日本の価格から比べると格段のお安さ。
泊まっているコテージの朝食でアメリカンブレックファーストにコーヒーとマンゴージュースをつけて、220ペソ(約470円)くらいです。これでもホテルだから高いそうです。町の食堂で6人でお腹いっぱい食べて、900ペソ(約2,000円)。日本の半額以下です。サンタフェは田舎だからとは思いますが、治安も良好、人はフレンドリー、海はきれいですごく遠浅、夜空はまさに満天の星。サンタフェすばらしいです!
皆さんこんにちは
武内です。
今年も残すところあとわずかですね!
第108回活動報告です。
今回は、今年最後の現地ボランティアということで、
毎年恒例の「餅つき大会」を行いました。
まず、19日(木)
久世と武内は神戸へ向かい
毎年、お世話になっている「野田北部まちづくり協議会」さんから、
餅つきの道具を借りてきました。
地元のお好み焼き屋でたまたま居合わせたおばちゃんが
「もう阪神大震災から(約)20年も経つんやね。
あのとき、四つん這いになって必死で揺れに耐えたのを、今も思い出すわ。ほんまに怖かった。
外に出ると火があがってて、子供たちがおとうちゃん!おかあちゃん!って叫んでるのが
しばらく耳から離れんかった。そのあとしばらくの記憶が不思議とないんやわ。」
と話してくれました。
お好み屋のおばちゃんも
「もし東南海地震が起きたら、うちは火を扱っているから
火災の原因になってしまうんかもしれへんなぁ」
とおっしゃっていました。
過去の災害から、これからも伝えていかなければいけないことが
たくさんあるんだと感じました。
さて名古屋に戻り、
恒例の出発前ミーティングです。
今回は
こころ配り班
餅つき班
でらえぇ~友だちつぐっぺぇ笑顔プロジェクトのメンバーを中心とした食堂班(雑煮など担当)
に分かれました。
道中、駒ヶ岳SAでみんなで食事
深夜の横川SA
そして、石巻市に到着です。
前日に降り積もった雪で、真っ白になっていました。
黙祷を捧げ、被災された一人ひとりの
さまざまな状況について考える時間となりました。
そして十八成浜に到着!
今回は、仮設住宅でバスを降り、荷物を運び出しました。
私たちは、自分がいける時に行くだけなのですが(それがボランティアでもあるのですが)
くぐなりの方たちは、いつも朝から時間をつくってお迎えをしてくれます。
そして「来てくれてありがとう」と言ってくれます。
本当にありがとうございます。
談話室で朝のミーティング
今回の参加は50人
ぎゅうぎゅう詰めです。
そして、早速餅つきの準備が始まります。
昨年も参加した方を中心に、声をかけあい協力して進めていきます。
的確な指示と、自主的な動きで
あっという間にほとんどの準備が完了し、若干手持無沙汰に。。
その頃、こころ配り班は
サンタに扮して、一軒一軒回ります。
※正体は島岡さんです。
こんにちは~!愛知ボランティアセンターでーす!
※ブラックサンタが怪しさ満点ですが、本当はとてもいい人です。
蒸篭から湯気がたちのぼり、それで暖をとっているかと思いきや、
湯気を頭に仰ぎ、頭がよくなりますようにとお願いしていました(笑
憩いの家では、
雑煮、あんこ、きな粉の準備が進められていきます。
さて、そろそろ蒸しあがったかな。
食べて確認をします。これが一番いい方法。
餅つきが始まりました。
(何を基準にスタートかわかりませんが)
まずは、お米をつぶして
そして、ぺったんぺったんとついていきます。
ついたお餅は
もち加工部隊の元へ運ばれ、
さまざまな加工~梱包がされていきます。
地元の皆さんも一緒に参加をしました。
特に説明もしていないのに、いつの間にか
もち加工ラインが出来あがっていました。
どんどん丸められていきます。
あんこときな粉が届き、
作業はますます加速していきます。
ぺったん ぺったん ぺったんこ
杵の扱い方を教わり、練習
右手は添えるだけ。あとは杵の重さでつく!
こころ配り班が、配達に必要な数を計算しています。
若い参加者が多いこともあって、
途中でバテることなく
謎のかけ声とともに、楽しい笑い声が響きわたっていました。
最後の最後まで盛り上がりました。
若い人はパワーで盛り上げます!
人生の先輩からは、餅つきという伝統の行事について教えもらうことができました。
地元の方たちも楽しみにしてくれていたようです!
色々な話をしながら、地元の方たちが楽しんでくれている様子を見て
参加者も嬉しそうでした。
どんどんみんなが
仲良くなっていきます。
湊小学校で物資配布をしていた時(2011年4月~6月頃)
大変お世話になった、チーム神戸の金田さんが会いに来てくれました!
餅つきがひと段落して、
ビンゴゲームが始まりました。
時代はスマホ。ビンゴの数字もアプリで行います。
景品は代表のチョイス
サンタが一番最初に景品を持っていくという
まさかの展開。
やっぱり持ってます。
一番高価な、デジタルフォトフレーム
邦子さんが持っていきました。
残念ながら最後まで当たらなかった人には
一口サイズのアイスクリームが配られました。
ビンゴの後は、
邦子さんの語り合い
寒暖の差でレンズが曇ってしまいました。
その間にリピーターの方たちは協力して片づけをしました。
手相を見てもらい、
「自分からは追いかけないほうがいい」とか、
「彼氏はできても、逃げられる」とか。。。
そして、外はいつのまにか真っ暗
あっという間の一日でした。
談話室で出発式です。
本日のMVP(Mochi Valuable Player)
若い参加者に混じって、最後まで盛り上げてくれました。
まー君とかずま君の先導で
クリスマスソングをみんなで歌い、
一気にクリスマスムードに。
最後の最後まで楽しい雰囲気に包まれました。
エールを送って
集合写真を撮りました。
※すいませんピンボケしました。。
牡鹿のれん街のクジラのイルミで一枚
本年中は大変お世話になり、また色々ご迷惑をおかけしました。
来年もよろしくお願いします!
よいお年をお迎えください!
みなさん こんにちは
久田@フィリピン・マニラ空港です。
まずはマニラまで到着。この後、セブ空港まで乗り継ぎです。
さて、フィリピンの応援物資の仕分けを今週末28日(土)、29日(日)にも実施します。
仕分け・分類が終わった229箱は名古屋市東区内の某所で保管。「昭和の家」はかなり片付きました。そこで、今週末の28日(土)、29日(日)も午前10時~午後4時まで、仕分け・分類を行います。
「昭和の家」が初めての方は、東別院にお着きになられてから、ボラセン携帯(080-4530-3117)へお電話ください。
マニラ・アキノ空港の久世くん
こんばんは
12月に入り愛知も寒くなってきました。
十八成では先週の土曜に雪が降り、かなりの悪天候だったそうです。
仮設住宅で寒い中生活がこれから始まります。
愛知ボラセンが行く月2回の十八成ボランティア。
温かい心で活動を行っていきたいと思います。
愛知ボラセン 久世です。
遅くなりましたが、第107回活動(12/6~8)を報告します。
今週の活動
くぐなり食堂
こころ配り
チーム恭一
鮎川小学校仮設住宅でクリスマス飾り作り
阿部邦子さんの語り合い
【くぐなり食堂】
朝のミーティング
鮎川の東洋館 千春社長(写真右)もミーティングに参加
注文した材料があるか確認中です
人参ピラフ
さつまいもスープ
豆腐ナゲット
ちびロールキャベツ
きのこ牛肉の佃煮
ねぎのマリネ
最初は順調
でしたが、
終わり掛けにハプニング発生!
豆腐ナゲットを揚げていたフライヤー用のプロパンガスの「ガス」がなくなってしまいました!
つまり、豆腐ナゲットを揚げられない!!
あたふた・・・となる所ですが
何回も料理長を務めている武田さん。
「フライヤーで揚げなくても鍋でできるよ」と。
遅れを取り戻すスピードで揚げていき、時間通りに提供ができました。
武田さんの臨機応変の対応、素早く行動される姿を見て
若い学生さん達はたくさんの事を学んだと思います。ピンチが一番の学習の機会です^^
武田さんいつもありがとうございます。
そして、皆さんお疲れさまでした。
【こころ配り】
朝のミーティング。
ここで、邦子さんはこころ配りとは・・・を参加者に語ります。
初めての参加者もこのミーティングで、
こころ配りの大切さ、重要さ、十八成の皆さんとの関係を理解していきます。
そして各班十八成を歩きます。
皆さん笑顔で、元気に「挨拶」。
そのかけ声で十八成と愛知を結んでいます。
そして温かさを感じる写真
一緒にこころ配りました。
【チーム恭一】
チーム恭一も朝のミーティングを行います。
恭一さんの直感・感じる物で2人の班長さんを指名。
班長さんは重要な役割です。
班長さんの号令で恭一班は回っていきます。
今回の活動場所は、
老人憩いの家(愛知ボラセンが朝・夜のミーティング十八成食堂を行う場所)裏の山。
この裏山は木が伸びきった状態でしたが、1年前に愛知ボラセンが綺麗ににしました。
そして一年たって、また伸びてきています。
皆さんこころを一つにして作業をしました。
急斜面の山なので、足元が安定しません。
木を握り斜面を駆け上がっていき、木を切っていきます。
それでも、どんどん作業がすすみ、あっという間に綺麗に。
軽トラック4台分ほどの木を切りました。
チーム恭一の集合写真
【クリスマス飾り作りIN鮎川小学校】
刺し子や手芸などを鮎川の仮設などで教えていらっしゃる山口さん。実は腰の骨を骨折、治療されていました。骨折は完治して、8か月ぶりにボランティアに参加。
鮎川小学校の仮設では、皆さんは和子さんを拍手で大歓迎!
今回はクリスマスが間近ということでクリスマス飾りを皆さんで作りました。
十八成仮設のもえちゃんも参加。
最初から最後までずっと笑い声や笑顔。とても楽しいひとときです。
【阿部邦子さんの語り合い】
「本当は地震の事を思い出すのも嫌なの。
だから話したくはない。ただ皆さんに助かって欲しいから。
話し聴きたいと思ってくれる人には、本気で話すから」、と邦子さん。
聴く方も「必ず生きる」「必ず活かす」という思いで真剣に聞いています。
最後は皆さん「はい」と手を挙げて、邦子さんの内容を皆さん理解!納得!
帰りのミーティングです。
参加者を代表して、各班2人が前に出て感想を語ります。
それぞれ一日活動して感じた事を思う存分に語ります。
エール
「フレーフレー十八成 フレーフレー愛知 オー」
最後は集合写真
番外
十八成の方に「いってらっしゃい」
と、
お見送りをして頂いた後は
鮎川のおしかのれん街で晩ご飯
ここでも愛知ボラセンを待ってくださっています。
おはようございます!田中です!
「昭和の家」の詳細です!
愛知県名古屋市中区橘1-24-18
中消防署橘出張所とマンションの間の細い路地を北へ。
マンションの裏の一軒屋
http://goo.gl/maps/ZJgrl
いつもの活動場所である東別院お茶所より、大変わかりづらくなっています。
お迎えに行きますのでお電話下さいませ。
090 6590 3117
「昭和の家」と名付けたのは、古民家というほど古くものなく、昭和30~40年代の雰囲気のお家だからです。懐かしいような気分になられる方もたくさんいらっしゃるかと思います。お楽しみに^^
おはようございます。
愛知ボランティアセンター
久世です。
大変遅くなりました。
毎月、11日に行っている「震災孤児遺児応援11日募金」のご報告です。
11月11日 中学生高校生7校16人、大人約10人。
募金額は、25,757円。
12月11日
中学生高校生8校16人、大人約10人
募金額は、47,503円。
「自分も募金活動してたよ」と募金される方。
お母さんからお金をもらい、募金するお子さん。
車の中から「募金するよ」と声を出して募金されるタクシーの運転手さん。
寒くなった11月、12月ですが、寒さを忘れる暖かい言葉をたくさん頂きました。
来年3月11日は震災から3年を迎えます。
愛知ボランティアセンターは今後も毎月11日に街頭に立ち、
皆さんの前で、震災でお父さんお母さんを亡くした子どもたちへの募金活動を続けていきます。
愛知ボラセンの募金はすべて、震災孤児遺児や、被災者のための募金です。活動資金の募金は行いません。
1月11日(土)も17時から19時に、栄・三越 三井住友銀行前(16番出口)で行います。
ぜひご参加出お待ちしています。
なお、高校生は、「フィリピン台風30号倒壊学校応援・8日募金」、「伊豆大島台風被害応援・16日募金」を行っています。また、2014年1月17日は阪神淡路大震災19周年追悼式を栄・希望の泉(噴水)まで開催します。
みなさん お世話になっています。
代表の久田です。
1,100人を超える方々からお預かりし、150人を超える方々で仕分け・分類していただいている
フィリピン台風30号被災者応援物資は、下記の日程でフィリピンの被災者のもとへ送ることになりました。
1月13日(月)までに仕分け・分類終了
1月18日(土)40フィート(約12m)のコンテナ(800箱相当可能)に積み込み
輸出手続きを経て、
1月23日(木)名古屋港出港
2月 6日(木)フィリピン・セブ港着
セブ島のセブ市で関税などの手続きを経て、セブ島の西にあるバンタヤン島のサンタフェ市役所へ送ります。
その後、小舟に積み替えて、バンタヤン島の北にあるキナタルカン島に送ります。
キナタルカン島には、約1,500世帯、6,000人が住んでおり、1日の収入は、世帯当たり100ペソ(約200円)未満という極貧の島です。バンタヤン島のサンタフェからさらに船で1.5時間の道のりです。島の小学校はいまだに屋根が壊れた状態で、運動場にビニールシートを張って授業を行っていました。完成したばかりの発電所もずたずたに壊れていて、島内の電気の供給は2,3台の小型発電機のみです。島の生計手段は、漁業、海藻の養殖、農業(キャッサバ・トウモロコシ)、マット編みなどでしたが、船が壊れたり、養殖場が流されたり、トウモロコシが倒れたり、マット編みの原料のパンダンの葉っぱがびりびりに破れたりしていて、元の生活に戻るまでにだいぶ時間がかかりそうです。(提携先のNPO法人イカオ・アコのブログより)
キナタルカン島でどのように配布するかは、12月末の久田、久世による視察で確認します。
日程が明確になりましたので、フィリピン台風30号被災者応援ボランティアを募集します。
日程:2月5日(水)~2月11日(火)6泊7日 参加費:15万円程度(航空券、燃油代など含む)
久田が同行、案内をします。フィリピン航空利用予定。
なお、2月4日(火)~2月12日(水)の関西国際空港発着で、久世と同行していただける方を1名だけ募集します。参加費はセントレア発着の10%OFFです。ジェットスター利用。
参加のお問い合わせ、お申し込みは、aichiborasen@gmail.com
申込締切は、1月5日(水) 定員は設定していません。
今回の応援物資提供は、愛知ボラセンのフィリピン被災者応援活動のスタートです。
10年ほどの活動をイメージして、学校応援を核にして、経済的な応援活動を展開し、
今後もボランティア&スタディツアーなどを企画していこうと考えています。
十八成浜の応援とあわせて、皆さんの応援をよろしくお願いします。