特定非営利活動法人 被災者応援 愛知ボランティアセンター 公式ブログ

2011年3月17日設立。孤児遺児応援活動、被災地ボランティア活動等、現在進行形で被災者応援活動を行っています。

愛知ボラセンの活動予定⇩(更新日:2024.4.7)

令和6年1月1日に発災した石川県能登地方を震源とする能登半島地震により、
お亡くなりになられた方々に謹んでお悔やみ申し上げますとともに、
被災された皆さまに衷心よりお見舞い申し上げます。

NPO法人被災者応援愛知ボランティアセンターは、観光庁からの「観観産第174号(平成29年7月28日)災害時のボランティアツアー実施に係る旅行業法上の取扱いについて(通知)」に基づき、被災地ボランティア活動を実施いたします。

災害時のボランティアツアー実施に係る通知の適用対象となる地域について


■今後のボランティアバス活動予定
 現在ボランティアバスの募集はありません。

東別院夏祭り2023へ出店します!!!

2023年08月17日 18時36分00秒 | スタッフのつぶやき
こんにちは。スタッフ田中です!
今週末8月20日(日)は東別院夏祭りに出店します!!

なんと4年ぶりの開催!

愛知ボラセンは東北地酒と牛たんジャーキーを販売します!

田中はお酒が全く飲めないのですが、
東北に移り住んだお酒とスイーツが大好きな「まこっちゃん」に今年もセレクトしてもらいました!


今年のお酒は…
【石巻市 墨廼江 純辛夏酒 大辛口特別純米酒】
暑い時にはもってこいの夏専用酒!!爽快なキレ味が特徴的で、冷酒で呑めばさらに抜群のキレ味と喉越しが堪能できます。
キンキンに冷やして飲むのも良し! さっぱりとした食事と一緒に飲むのも良し!
マスカットの香りとスカッと爽快感のある辛口の味わい、キレのある喉越しをぜひお楽しみください。

【気仙沼市 男山本店 蒼天伝 吟のいろは仕込 辛口純米酒】
蒼天伝のあらたな定番酒。
宮城県の酒米「吟のいろは」を使用しました。ややハーブのニュアンスが感じられる穏やか香り。味わいは吟のいろはの特徴である、ふくよかさを最大限に活かしつつ甘さを抑え、柔らかい辛口酒を目指しました。蒼天伝らしさであるスッキリ感もしっかり楽しめます。

【塩竈市 阿部勘酒造 純米吟醸 夏酒 金魚ラベル】
正面からだとかすかにしか見えませんが、裏から見ると赤い金魚が涼しげに見えます。塩竃の食材を引き立たせる食中酒を目指しているということですので、スッキリ辛口です。特に夏酒ということで、より吞み口が爽やかになっています。

【大崎市 新澤醸造店 愛宕の松純米吟醸 ひと夏の恋】
愛が溢れる世の中になるよう願いを込めて、ハートに蔵元の想いを乗せてハートがいっぱい散りばめられたお馴染みのハートラベル!バナナやメロンを思わせる穏やかな香りと、心地よい酸味が爽やかな「愛宕の松」らしい夏酒です。糖度が低く、軽快でフレッシュな味わいは暑い夏にも疲れることなく杯が進み、食欲を刺激します。「究極の夏酒食中酒」

せっかくのお祭りで早々に完売してしまうのも面白くないので、売り切れるかな?というぐらい仕入れました。

売り切れるかな、、!

是非皆さん遊びに来てくださいね(^^)

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ワンコイン・サポーターズ事務作業 ご報告

2023年02月25日 22時18分43秒 | スタッフのつぶやき

こんにちは!スタッフ田中です☆

 
本日のワンコイン・サポーターズ事務作業のご報告を日下部さんよりさせていただきます!



晴れてもまだまだ風が冷たく、春まだ遠し…と感じる日でしたが、3人の方々が足を運んでくださいました。

今日は1月分の銀行の照合をして頂きました。

ゆっくり始めてゆっくり照合しても、照合作業に慣れたボランティアさんたちなので14時30分には終わりました。
ありがとうございました。

事務作業
3月25日(土)13時~
東別院会館 地下106教室
 
2月の銀行照合と、2022年度応援金の申請書


照合を予定しています。
どうぞよろしくお願いします。
 
 


 
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十八成浜海水浴場12年ぶりに開設!

2022年06月15日 22時00分00秒 | スタッフのつぶやき
こんばんは!
愛知ボラセンの徳倉です。

私たちが十八成浜と出逢って11年。

今年、ついに海水浴場が12年ぶりにオープンするそうです!!
石巻・十八成浜海水浴場、12年ぶり開設 7月16日(河北新報) - Yahoo!ニュース

石巻・十八成浜海水浴場、12年ぶり開設 7月16日(河北新報) - Yahoo!ニュース

 宮城県石巻市は13日、東日本大震災で被災し、2011年から休止している牡鹿地区の十八成(くぐなり)浜海水浴場を12年ぶりに開設すると発表した。 期間は7月1...

Yahoo!ニュース

 
十八成浜で一緒にボランティア活動をしたみなさんに、この喜びをシェアしたくブログを投稿しました!

十八成浜にまた「ただいま!」と帰れる日をつくって行きたいと思います!

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阪神淡路大震災から27年。(徳倉)

2022年01月17日 21時11分44秒 | スタッフのつぶやき

みなさま、こんばんは。

ご無沙汰しております。スタッフの徳倉です。

2022年もよろしくお願い致します。

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ブログのタイトル通り、阪神淡路大震災から27年の月日が経ちました。

亡くなられた人を悼みます…

 

 

さて、私は1月17日に毎年「満月の夕」という曲を聴いて過ごしております。

この歌はソウルフラワーユニオンというバンドの曲です。

95年震災直後に、ソウル・フラワー・モノノケ・サミットとして出前慰問ライブを開始。
2月にボーカルの中川敬さんが「満月の夕」を書き下ろしています。

徳倉は2003年1月に高校時代も終わろうとしていた時、ガガガSPというバンドがカヴァーしたのを最初に聴きました。
ガガガSPも神戸出身のバンドです。

そこから19年も、必ず聴いているとは……(そんなにも時間が流れているとは)

27年目の「満月の夕」
よろしければ一度お聴きくださいませ。

ガガガSP「満月の夕」LIVE〜2014.06.21@長田神社〜 - YouTube



 

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祈ることしかできないもどかしさ。

2021年07月06日 17時30分00秒 | スタッフのつぶやき
こんにちは。スタッフ田中です。

お隣静岡県の熱海市で、大規模土石流が発生し、本日14時21分時点では29人の方が行方不明となっていると報道されています。

土砂災害により命をなくされた4人の方のご冥福をお祈りするとともに、被害に遭われている皆様に心よりお見舞い申し上げます。

いつ何が起きるかわからない。
誰が災害に巻き込まれ、被災者になるかわからない。


大切な方の帰りを待っている皆さんのことを考えると胸が押しつぶされる思いです。

行方がわからない方がご存命であること、早く発見され救助されることを祈り願います。



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東日本大震災から10年➈

2021年04月06日 20時57分21秒 | スタッフのつぶやき
【「希望」が花言葉のアーモンドを咲かせよう・十八成浜での活動③】

 

スタッフ田中です。
東日本大震災から10年が経ちました。

節目とはとてもいえず、区切りはまたまだみえませんが、

10年という月日を振り返り想いながら、そしてこれからを見つめながら、

私たちスタッフが撮影してきた写真を投稿していきます。

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先日、十八成浜より、【今年もアーモンドのお花が咲きました!】と嬉しいお知らせがありました!!

 



 


2013年、十八成浜の川端さんが「以前の十八成はお花がいっぱい咲いていて、海も砂浜もきれいで、それはもう“桃源郷”のようでした。皆さんに昔の十八成をお見せしたい」と、におっしゃったことをきっかけに、

アーモンドの木の植樹をする桃源郷プロジェクト」を地元の団体である一般社団法人十八成ビーチ・海の見える丘協議会がスタートさせました。

愛知ボラセンは苗木オーナーさんの管理をしたり、ボランティアの皆さんに呼びかけプロジェクトのお手伝いをしてきました。

毎年きれいなお花を咲かせてくれているアーモンドですが、

一般社団法人十八成ビーチ・海の見える丘協議の皆様、とりわけ阿部恭一さんの毎日のパトロールや細やかなお世話があってこそです。

新芽を食べてしまったり、枝を折ってしまう鹿害も絶えず、鹿が入った形跡を見つけるたびに、対策をしたり修繕をしたりの繰り返しです。

パトロール中に鹿に遭遇したら命の危険もあるのです。

また、愛知ボラセンがバスを出せなくなってしまった今も、乗用車に乗り合わせて、毎月のように応援に駆けつけてくださるボランティアさんもいらっしゃいます。

 

必死に守ってくださる方がいての、尊い「希望の花」なのです。


また今年もアーモンドの花が、被災された方をはじめ多くの方の心を照らしてくださいますように
どうか引き続き応援よろしくお願いいたします。

 

 

 

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愛知ボランティアセンター10年を迎えました。

2021年03月24日 11時18分35秒 | スタッフのつぶやき

代表の久田です。

10年前の2011年3月25日(金)、
東別院境内のお茶所に応援物資の受付、集積場所として、
愛知ボランティアセンターを開設しました。

そして、26日(土)から春物新品応援衣類の受付を始めました。

任意団体としての愛知ボランティアセンターの設立は2011年3月17日ですが、
3月25日は実際の活動を開始した日です。
初日の活動風景をご覧ください。
https://blog.goo.ne.jp/aichiborasen/e/23ba46e48166b5e1f5ecbd47b4512bf8

以来10年間、丁寧に被災者応援活動を続けてきました。


「当事者と非当事者」ではなく、「当事者と準当事者」の関係であると
作家の平野啓一郎氏は「悲しみとともにどう生きるか」(集英社新書)で、興味深いことを書いています。

 震災の時にもう一つ思ったのが、「当事者」と「非当事者」という分け方を当たり前のようにしているけど、実際は「当事者」と「準当事者」と考えるのが正確なのではないかということです。というのは、「当事者」という存在が概念として成り立つのは、「当事者ではない人」との相関関係においてです。ということは、もう少し俯瞰した視点から見ると、当事者周辺にいる人も「当事者ではない」というあり方でその問題に関与している。つまり、「当事者」と「準当事者」というかたちで問題を捉え直すべきではないか。社会の中には、「当事者」がいて、その同じ社会に住んでいる以上、「非当事者」というのはいなくて、それ以外は「準当事者」がいると考えるべきなのではないかと思ったのです。


これまで私は被災者が「当事者」で、被災者ではない者は「非当事者」だと考えていました。
しかし、東日本大震災に関していえば、私たちは復興税を払い、ずっと心を寄せています。
したがって、当事者ではない「非当事者」ではなく、当事者に準ずる「準当事者」である、
と平野氏の文章を読んで認識を新たにしました。

私たちは直接の被災者ではありません。ですが、同じ時代に生きる「準当事者」なのだと思います。
そして、復興に心寄せ、被災者を応援し続けることが「準当事者」としては当たり前のことなのだと思います。


以下、2021年3月11日に開催しました「東日本大震災犠牲者追悼式2021」で、
実行委員会を代表して愛知ボラセンの田中涼子が述べた趣旨説明の全文を掲載します。

マグニチュード9.0、最大震度7.0を観測した東日本大震災。
震災で亡くなられた方は15,899人、
まもなく10年の月日が経とうとしていますが、
未だ行方が分からない方、ご家族のもとへ帰ることができない方は2,526人もいらっしゃいます。

10年という今日のこの日を「節目」と表現しがちですが、終わりなど まるで見えません。
被災した地域やそこに住む方々が受けた大きな爪痕は、
まだ癒えることなくこの先も続いていきます。

2011年以降、災害危険区域の指定が広がり、
自宅に戻ることも再建することも出来なくなってしまった方も多くいらっしゃいます。

原発事故により41,000人もの方が全国で避難生活を強いられ、
福島県では内部被ばく検査も続けられています。
時間は経過していきますが、被災された方にとって まだ「節目」ではないと思うのです。

「東日本大震災犠牲者追悼式 あいち・なごや」は、震災支援活動を続けている14の団体で構成され、
立場や考え方を超え一堂に会し、
ただ純粋に東日本大震災の犠牲者に哀悼の誠を捧げるために毎年手作りで開催している式典です。

震災から10年。
被災した皆さんのために私たちに出来ることを探し続けた10年でした。
本当に被災地の皆さんの支えになっているのだろうかと 問い続けた10年でした。
東日本大震災が起きなかったならば、と今も何度も思います。
しかしまた、多くの出逢いがあり、多くのことを学び続けた10年でもありました。

昨日も今日もそしてこの先も、私たちは何年経っても、東日本大震災が起きたことを忘れません。
そして多くの亡くなられた命のことを、被災された皆さんのことを、
大切な方を亡くされた皆さんのことを忘れません。

今年もまた、その想いひとつに ここに皆様と集い、
ともに被災地へ心を寄せられることに 感謝いたします。

今日のこの追悼式典が、残された私たちを 未来へと繋ぐ時となりますことを願い、
趣旨説明とさせていただきます。

2021年3月11日
NPO法人 被災者応援愛知ボランティアセンター 田中涼子

 

この趣旨説明に、これからの愛知ボランティアセンターの被災者応援活動への思いがこもっています。
これからも私たちは「準当事者」として、
あるいは私たちも「当事者」になることもあるかもしれませんが、
被災者応援活動を続けて参ります。

 

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東日本大震災から10年⑧

2021年03月09日 23時47分00秒 | スタッフのつぶやき

【あなたと十八成浜と・十八成浜での活動②】
スタッフ徳倉です。
東日本大震災から10年が経とうとしています。3月1日~10日まで、
この10年という月日を想いながら
私たちスタッフが撮影してきた写真を投稿していきます。
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仮設住宅に引っ越しをされてからは、くぐなり食堂・心配り・よろずやチーム恭一と3つの班に分かれて
活動を行っていきました。

2011年9月。仮設住宅に引っ越ししてすぐのボランティアに
9歳の子がヴァイオリンを携えて、十八成浜ボランティアにお母さんと一緒に参加しました。
彼女が演奏する童謡「ふるさと」に合わせて、集会所に集まった人で大合唱、涙を流していた人も。

あの時、愛知ボラセンを始めてよかったと心から感じました。

そして、人のちから、音楽のちからを力強く感じました。


「音楽への道の原点は、あの初めて参加したボランティアの日なんですよ!あそこで目にした光景、活動、涙を流していた人々、
全ての事から何となく...何となく進むべき道が見えていったようです。
だから親としても私も本当に出会った皆さまに感謝の気持ちでいっぱいなのです。
そして何より、幼いあの子をイチ参加者として、いつも温かく迎え入れて下さったボラセンの皆さんには格別の感謝です。」
(9年後にお母さんから頂いたメッセージより)









(写真は2017年4月第154回十八成ボランティア)





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「はなちゃんは宝」阿部邦子
2011年09月26日 23時33分14秒 (愛知ボラセンブログより)
またおじゃまします。9歳の子が参加と聞いて、心がほわほわしました。
仮設の我が家の玄関前で、青空コンサートをしてくれました。仮設住宅の談話室でコンサートをしてくれました。ボランティアの方々にも聞いてほしいと思いました。
いつぞや 長渕剛さんが、赴任して活動してくれている自衛隊の皆さんを応援するコンサートをやったって聞いて、私は「よくやってくれた!」と思いました。
はなちゃんは長渕剛さん以上のことをしてくれる。ボランティアの皆さんと被災者がともに楽しめるなんて。

十八成浜からの出発式に、舞台で演奏してほしいと、身もだえするほど熱望しました。

はなちゃんの透明な演奏は、そこに集ったみんなの心を、言葉以上に一つにしてくれました。
お母様が目を真っ赤にして、「私は何もできないけれど。そして、連れて行っていいのだろうかと迷ったけど、良かったんですよね」とおっしゃいました。

「何言ってるの!あんないい子を産んでくれたってだけで、あなたはすごいことをしてくれてるよ!」はなちゃんは お母さんだけの宝ではなくなった瞬間でした。愛知ボラセンの宝。
私たち被災者の宝。そして日本の、地球の宝。  

人はどんな人生を歩むようになるか、誰にも、本人にもわかりません。
高校や就職や結婚や友人や。・・・自分で決めているようだけど、実は 偶然や必然や出会いや不可抗力や理不尽や幸運や・・・様々な要素が絡み合って今の自分があるのだと私は思います。
つまり、視点を変えれば、今の阿部邦子のマイナスもプラスも、それがあるからこそ、阿部邦子。
がんを三度もやって、子供もできなくて、それでも、そういう経験があるからこそ、今の私がある。つまりは、すべてが、私を形作っているパーツ。そのことに、私は誇りを持っています。

でも人は、足並みを揃えることを求めてきがち。
あの人、なんで結婚しないの?あの人、なんで子供がいないの? 
人とあまり交われない人を疎外し、障害のある人を横目で見る。
はっきり書きます。 けっこうそういう視点は多いと思う。 
はなちゃんのお母さんははなちゃんとお兄ちゃんを、そうは育てないだろうなと思えました。
はなちゃんは、相手のことを、受入れ、受け止めてくれる人になってくれるだろうな。

ううん、もうそうなってるよ。

はなちゃんだけじゃない。ボランティアに行こう、そう思えた人は、きっとそういう人たちだと私は思います。
たとえ実際には来られなくても。愛知ボラセンのリーダーは、そういう人たちを育ててくれるために立ち上げてくれたような気さえ、してきました。

ねえ。
認め合おうよ。
受け止め合おうよ。
そして自分を知ってもらえるように、心を開き合おうよ。
愛知ボラセンで、人と人との付き合い方を学んで、それを自分に生かそうよ。
なぜって あなたがたには胸を張って生きて行ってほしいから。

3月11日、リセット釦を押されてしまった私は、その日から新しい自分を生きています。
胸を張って生きていこうと思っています。ただ、肩の力は抜こうね、無理は長続きしないから。
肩に力が入りそうなときは、はなちゃんの演奏を思い出そうね。 

はなちゃん、海辺の町の邦子『お姉ちゃん』は、また会えるのを楽しみにしているからね。
お姉ちゃんってあまりにも図々しいって?ほらほら 相手の思いに添うって、そういうことなんだもんね~~

阿部邦子

 

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東日本大震災から10年⑦

2021年03月09日 11時39分33秒 | スタッフのつぶやき

スタッフ田中です。
東日本大震災から10年が経とうとしています。

3月1日から10日まで、10年という月日を想いながら
私たちスタッフが撮影してきた写真を投稿していきます。

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【震災孤児遺児応援ワンコイン・サポーターズ 20,000人プロジェクト】

「震災発生時にお母さんのお腹の中にいた赤ちゃんを含め、すべての震災孤児遺児の子どもたちが高校を卒業する19年後(2030年)まで、応援金をお贈りする。 」

2011年4月に私たちスタッフはそう決意し、全国にサポーター協力を呼び掛けました。

 

知名度が低い私たちに変わり、著名人の皆さんが応援団として全国各地で呼びかけをしてくださいました。

 

新型コロナウイルス感染症拡大により、プロジェクトの継続が厳しくなった昨年、応援金の8%を運営費へと内容を変更いたしました。

解約される方もいらっしゃるかもしれない。

子どもたちの応援サポーターを失ってしまうのでは。

そうなってしまったら、本末転倒なのではないか。

本当に苦渋の選択でした。

しかし以降サポーターの皆さんから届いたお手紙やお電話は解約どころか

「1口から3口に増やしたいです」「まだまだこれからですよね。一緒に頑張ります」

「8%で足りるんですか?大丈夫ですか?」

といった内容のものばかりでした。

 

子どもたちのために、そして子どももたちを応援してくれるサポーターの皆さんのために自分たちで何とかしなければ、

と思ってやってきましたが、違ったのだと。

「サポーターの皆さんはもっと近いところで、一緒に子どもたちの未来を応援しているのだ」と心強く思いました。

 

事務所に子どもさんの保護者の方からお電話やお手紙を頂くことがあります。

子どもたちが元気に過ごしていること、

夢を見つけ頑張っていること、

学校を卒業できたこと、

そのご報告のひとつひとつを一緒に喜べる関係であることを本当に嬉しく思います。

 

「もう10年も経ったんだからみんな忘れちゃうよね?」

少し前にあるお子さんがくれた1本のメールです。

 

震災から間もなく10年、今もワンコイン・サポーターズ は増え続けています。

これからも、子ども達そしてその保護者の方たちに寄り添える活動を皆さんと一緒に継続していきます。

 

 

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東日本大震災から10年⑥

2021年03月07日 08時34分14秒 | スタッフのつぶやき

【走り続けること  問い続けること  想い続けること・東日本大震災被災者応援犠牲者追悼イベント「エール」】

 

ちょうど10年前の今日、758kmをリレーでつないだ“すずRUN”がスタートしました。

 

1年に1度、一堂に会して東北を想う。

10年経っても、これからもそれは変わりません。

 

-エール1st「Smile宣言」より-

東日本大震災から1年。

被災地の皆さんのために私たちにできることを探し続けた1年でした。

本当に被災地の皆さんの支えになっているのだろうかと問い続けた1年でした

東日本大震災が起きなかったならば、と何度も思います。

しかし、多くの出逢いがあり、多くの事を学び続けた1年でした。

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スタッフ徳倉です。

東日本大震災から10年が経とうとしています。3月1日~10日まで、

この10年という月日を想いながら

私たちスタッフが撮影してきた写真を投稿していきます。

 

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東日本大震災から10年⑤

2021年03月05日 23時47分30秒 | スタッフのつぶやき

【がれきはごみではなくて、誰かの生きた証である・十八成浜での活動①】

発災から3か月。。。

避難所として使われていた十八成「老人憩いの家」

私たちも大変お世話になりました(現在はもうありません)

避難所からずっと同じ光景を3か月間、目の当たりにしていました。

ここの瓦礫と呼ばれたもののお片付けから十八成浜との関係がつくられていきます。

「がれきはごみではなくて、誰かの生きた証」とひとりのボランティアさんが言いました。

そのひとつひとつを重機ではなく、ほぼ手作業で活動していきました。

「久々に、希望が湧いてきた」

「愛知ボラセンは、いきたボランティアである」

そして

「おかえり!」「ただいま!」と言い合える素敵な関係が生まれました。

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スタッフ徳倉です。
東日本大震災から10年が経とうとしています。3月1日~10日まで、
この10年という月日を想いながら
私たちスタッフが撮影してきた写真を投稿していきます。

 

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東日本大震災から10年④

2021年03月04日 23時57分01秒 | スタッフのつぶやき

【0泊3日“通い”のボランティア】

私たちの被災地ボランティア活動は“通い”が基本

金曜夜にバスで愛知を出発し、土曜早朝に宮城県石巻市に到着

ボランティア活動を土曜のみ行い、日曜の朝には愛知に帰ってきます

平日仕事や授業があっても、ボランティアができる

参加をして下さったのは、7歳から86歳まで、それぞれの経験や特技を活かした温かい活動です

その数、154回。

ボランティアのみなさんが“つないで”くださいました

そのスタイルは今も変わりません。

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スタッフ徳倉です。

東日本大震災から10年が経とうとしています。3月1日~10日まで、この10年という月日を想いながら

私たちスタッフが撮影してきた写真を投稿していきます。

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東日本大震災から10年③

2021年03月03日 23時17分58秒 | スタッフのつぶやき

【必要な時に 必要な人に 必要なものを】

避難所となった石巻市立湊小学校では、物資が山積みになっていました。

“この中から自分が必要なものを探し、見つけるなんて、、、”

そんな状況の中、私たちが直接持って行った物資はとても喜ばれました。

必要な時に、必要な人に、必要なものを

皆の愛が届いた瞬間でした

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スタッフ徳倉です。

東日本大震災から10年が経とうとしています。3月1日~10日まで、この10年という月日を想いながら

私たちスタッフが撮影してきた写真を投稿していきます。

 

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東日本大震災から10年②

2021年03月02日 21時47分34秒 | スタッフのつぶやき
 
みなさま、こんばんは。

スタッフ徳倉です。

東日本大震災から10年が経とうとしています。3月1日~10日まで、この10年という月日を想いながら

私たちスタッフが撮影してきた写真を投稿していきます。

昨日に引き続き、私が投稿いたします。

「皆の愛を届けよう!!」teamボラセン

多くの人が初めてのボランティア。そして私たちスタッフも手探り状態でした。

けれど、何かしたい気持ちは常に被災地へ向いていました。

「被災地まではいけないけれど、何かしたい」「春物の服を、私のかわりに届けてほしい」

ひとりひとりのちからは微力かもしれないけれど、みんなで集まれば大きなちからになる。

一緒懸命の一枚です。

 

 

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東日本大震災から10年①

2021年03月01日 22時20分18秒 | スタッフのつぶやき

みなさま、こんばんは。

スタッフ徳倉です。

東日本大震災から10年が経とうとしています。

3月1日~10日まで、この10年という月日を想いながら

私たちスタッフが撮影してきた写真を投稿していきます。

愛知ボラセンは、発災から7日後に石巻市に入りました。この写真は、石巻市門脇地区で撮影しました。

 

朝陽が昇り

目の前に広がる光景に言葉を失いながらも

それでも何かを伝えたい気持ちでシャッターを切りました

 

 

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活動予定カレンダー