愛知ボラセンの活動予定⇩(更新日:2025.4.22)
NPO法人被災者応援愛知ボランティアセンターは、
観光庁からの「観観産第174号(平成29年7月28日)災害時のボランティアツアー実施に係る旅行業法上の取扱いについて(通知)」に基づき、被災地ボランティア活動を実施しております。
【次回のワンコイン・サポーターズ事務作業】
5月24日(土) 13時~ 東別院会館地下106教室
※予定分が終わり次第解散となります。
NPO法人被災者応援愛知ボランティアセンターは、
観光庁からの「観観産第174号(平成29年7月28日)災害時のボランティアツアー実施に係る旅行業法上の取扱いについて(通知)」に基づき、被災地ボランティア活動を実施しております。
【次回のワンコイン・サポーターズ事務作業】
5月24日(土) 13時~ 東別院会館地下106教室
※予定分が終わり次第解散となります。
久田です。
昨日(3月16日)に発生した、福島県沖を震源地とする大きな地震にあたり、
多くの方々がご心配されていらっしゃると思います。
愛知ボラセンが応援している十八成浜の状況について
沼倉憲一さん、阿部恭一さん、三宅真琴さんに伺いました。
十八成では横揺れは大きかったものの、縦揺れはあまりなく、
結果として、甚大な被害にはなっていないとのことでした。
また、復興住宅は耐震性が高いと阿部恭一さんはおっしゃっていました。
愛知ボラセンとしては、
必要があれば来週末にボランティアバスをと考え、
情報収集とあわせて、
すでにドライバーさんを確保していました。
しかし、現状では、
十八成浜へボランティアバスを出す必要はないと判断しています。
ブログを訪れてくださった皆さん、ご訪問ありがとうございました。
こんばんは
愛知ボランティアセンター
久世です
愛知ボランティアセンターが
応援活動を始めた富岡町・松村さんの写真展が
本日から始まります。
私も昨日ギャラリーに行き、お手伝いをしてきました。
テレビでは見る事がなかった、富岡町の地震後の写真が沢山ありました。
ぜひ、沢山の方に足を運んでもらい
原発被害の町の「今」を見て感じて欲しいと思います。
御来場 お待ちしています
写真展「松村直登 福島県富岡町と共に生きる」~福島の涙、そして希望~
10月17日(木)~10月22日(火)
ギャラリータマミジアム (名古屋市中区錦3-24-12玉水ビル2階)
地下鉄栄駅8番出口(観覧車のあるサンシャイン栄ビルの南)
開廊時間 午前11時~午後7時(最終日のみ午後5時)
入場料 無料
東京電力福島第一原子力発電所から20キロ圏内に位置する福島県富岡町は、
2011年4月に警戒区域に指定され、電気や水道などのライフラインが寸断されました。
そして誰もいなくなったこの町にたった一人留まり、
とり残された動物たちの保護活動を続けている人間がいます。
松村直登さん、54歳。
この写真展では、富岡町と共に生きる決意をした松村直登さんがこれまでに見た過酷な現実、
そして今なお復興が進まない被災地の現状をカメラに収めた写真約70点が展示されます。
10月19日(土)、20日(日)には、松村直登さんが来場されます。
【富岡応援】にご協力下さい
台風18号が日本列島を襲い
愛知ボランティアセンターも
17日・18日と被害地の一つ福井県小浜市へ入り
ブログ・HP等での呼びかけに
2日間で70人の方が集まり、泥出し・家具の移動を行ってきました。
急な呼びかけでも沢山のボランティアさんにご参加頂いた事に感謝致します。
(活動報告)
そして、愛知ボランティアセンターの
次なる活動場所へと移っていきたいと思っています。
それは前回スタディーボランティアを行った
福島県富岡町(とみおかまち)です。
今回は一人富岡町に残り、
牛や犬、猫の餌やりを続けている
【松村さん】のお宅へと行き
手付かずとなっている草やお宅の片づけ作業を
お手伝いしてきたいと思っています。
震災が起きた2011年3月11日のまま
時間が止まっている富岡町です。
皆さんの目で富岡町を見て
皆さんの手で止まった月日を少しづつ
動かしていただきたいと思っています。
ぜひご参加お待ちしています。
【参加費】
12,000円(バス代・高速代込み)ボランティア保険は別途
【日程】
第2回
10月4日(金)~10月6日(日)
【行程】
4日(金)
21時15分集合
21時30分出発
5日(土)
9時~14時 富岡町内で活動
14時30分~ 松村さんと意見交換会
18時 スーパー銭湯で入浴
21時 出発
6日(日)
7時 解散
○作業内容
家の掃除・草刈り等
○協力
NPO法人がんばる福島
○草刈り機をお持ちの方は申し込み時に備考欄へご記入下さい
草が生えています。草刈り機があると作業もはかどってきます。
また別の特技等もあればご記入下さい。
※持ち物等は後日送ります。
富岡町は桜がとても綺麗な名所です。
震災後に咲いた桜です。
【お問い合わせ先】
NPO法人 被災者応援 愛知ボランティアセンター
事務局長 久世義晃
070-6414-0589
代表の久田です。
たいへん遅くなりましたが、8月16日~18日に実施しました富岡町スタディーツアーについてご報告します。
1.はじめに
8月10日(土)。愛知ボラセン福島県双葉郡富岡町(とみおかまち)スタディーツアーの一行41人は、富岡町役場総務課の菅野さんにご案内頂き、富岡町内を見学させて頂いた。人口約1万5000人の富岡町。現在は全町民が避難している。正しくはお一人だけ避難勧告地域で、遺棄せざるをえなくなった家畜やペットの世話をされている方が例外的に暮らしていらっしゃる。
今回はスタディーツアーの報告ではなく、それによって私が学んだこと、考えたこと、気づいたことを紹介する。なお、通常のブログ報告では「です」「ます」で記述しているが、今回はあえて「だ」「である」で記述することをお許し頂きたい。
2.2つの「見えないこと」「分からないこと」が富岡町の人々を大きな不安に陥れている
私たちの不安は「見えないこと」「分からないこと」に主に起因する。「幽霊」や「死」を不安に思う人は多いが、それは見えないからであり、分からないからである。見えて、分かれば誰も不安には思わない。当然のことである。
今、富岡町の人々は、2つの「見えないこと」「分からないこと」によって大きな不安に陥れられている。
1つは、「見えない放射線」の「分からない危険性」による大きな不安だ。富岡町役場を見学させてもらった。電気は通っていないため、庁舎内は蒸し暑い。庁舎をでると木陰から心地よい風が吹いてくる。だがこの心地よい風は放射線を含んでいる。それに気づくと、心地いいとはとても思えない。放射線に色はない。匂いもない。蓄積していても気づくことはない。放射線はまったく見ることができない。線量計で計測できるが、それとてもどれだけ正確かは不明である。
そして、安全基準はおそらく、ない。いろいろな機関や関係者から「基準数値」は出されている。しかし、病気のように、これ以下だから安全・安心、これ以上だから危険というラインは、本当のところは「分からない」。正確なデータは公表されていない。広島・長崎の被爆者の詳細なデータを把握していると思われるのはアメリカ軍である。だが、広島でも、長崎でも、ビキニ環礁でも残留放射線の影響はまったくない、というのが今もアメリカ軍の公式見解である。明確なデータが公表されていない中で、日本政府が除染後にめざす年間線量1ミリシーベルト以下が安全であるとは断定しきれない。また、0.9ミリシーベルトがセーフで、1.1ミリシーベルトがアウトであるとは断定できない。線量の数値基準は病気の検査の基準のようにはいかない。
だから、放射線は富岡町の人々のみならず、私たちも不安に陥れている。そしてこの不安は永劫に晴れることのない不安でもある。今回の原発事故で放出された放射性物質の一つプルトニウム239の半減期は2万4065年。2万以上も経ってようやく半減する。半減とはいってもさらに2万4065年後にはまた1/2(元の1/4)になり、さらに2万4065年後にその1/2(元の1/8)になる…。プルトニウム239はほぼ永遠に消滅することはない。1%以下になるには120万年以上も必要となる計算になる。永遠なものはないとする無常観は日本の重要な世界観の一つだ。しかし、原発事故によって、私の無常観は打ち砕かれた。プルトニウムはほぼ永遠に残る。
もう一つは、「将来が見えないこと・分からないこと」による不安だ。本当に町に帰ることができるのかどうか、誰もわからない。自分たちの暮らしがこれからどうなっていくのか、まったくわからない。除染作業後に年間線量が1ミリシーベルト以下になるので、その地域は帰還できると日本政府はいう。だが、本当に帰還してもいいのかどうかは、残留放射線の不安から、誰もが不安に思っている。将来が見えないことは宮城県や岩手県のとりわけ過疎地域の被災者にも共通である。だが、富岡町では残留放射線がいっそう将来を見えなくしている。
3.大災害は人間関係を破壊する。それに加え、原発事故加害者が未必の故意か意図的か、人間関係をさらに破壊している
「災害ユートピア」という言葉がある。大災害後に、被災者は見事な助け合いをする。東日本大震災の被災者が助け合う姿が震災直後にはクローズアップされた。さすが日本人という言辞もあった。それは大きな認識不足か、ナショナリズムを意図的に鼓舞するものであろう。実は古今東西、大災害の後には見事な助けあいや、人命救助の英雄的行為が自然発生的に生まれている。東北のことだけではない。アメリカのジャーナリストであるレベッカ・ソルニットの「災害ユートピア」(亜紀書房)では人々のすばらしい助け合いを報告されている。しかし、レベッカ・ソルニットは「災害ユートピア」が継続できないことを問題点としてあげている。
つまり、被災者同士が助けあい、援助が行われる。だが、残念なことにそれはせいぜい1年程度の期間のことでしかないというのが、「災害ユートピア」の現実である。
非被災者は「絆」「助け合い」というような言葉に未だに幻想を抱いているかもしれない。そして、日本人は困難に対して寡黙で、見事な助け合いをするのだと。おそらくそれは被災者のリアルな姿を見ることがないから、あるいは見ようとしないことからくる幻想だと私は思う。
大災害は被災者の人間関係をも破壊する、ということを十八成での活動を通して気づいた。避難所にはプライバシーはない。見ず知らずの人間が狭い避難所で半年近くも生活する。その中で深まる人間関係はある。しかし、ささいな行き違いの積み重ねによって、深刻な対立が生まれるのもやむをえないことである。
さらに、被災状況は一軒ごとに異なる。それが人間関係を複雑にする。場合によっては人間関係が壊されていく。心ない発言が人を傷つける。
被災者と非被災者の関係も被災直後とは明らかに異なっている。報道もボランティアも激減している。それを裏切られたと感じている被災者は少なくはない。3月11日って何の日だったっけという言葉を名古屋で聞いたことがある。被災地のことは大多数の非被災者にとって、すでに関心の埒外にあるといっても過言ではあるまい。
愛知ボラセンは、今も日常的に被災地の十八成浜を訪問し、被災者との関係を深め続けている。ボランティア同士も、十八成の皆さんとの関係も、震災前には何もなかった。しかし、今は深い人間関係を築いている。「災害ユートピア」的状態は今も続いている。だが、愛知ボラセンの実践は小さな点にすぎない。震災から2年半を経た今、殆どの被災地では、被災者同士の関係は震災以前よりもバラバラにされてしまっている。
富岡町では人間関係の分断はさらに深刻である。町内は帰還困難区域、居住制限区域、避難指示解除準備区域の3つに線引きされている。地図ではそれぞれ順に、赤、黄、緑に色分けされている。放射線量の違いに基づいているものだが、道路を隔てて異なる区域に分けられているところが多くある。この区域分けは単なる線引きにとどまらない。東電からの保障金額も変わってくる。帰還困難区域の保障が最も厚い。この線引きによって富岡町の人々は3つに分断された。
富岡町に帰ることを望んでいる人たち、福島県内にとどまりたい人たち、県外避難をした人たちの関係もおかしくなってしまっている。福島県在住の芥川賞作家である玄侑宗久は「光る山」で、北海道に子どもとともに避難する妻と、県内にとどまり除染活動をする夫の関係が原発事故によって破壊され、離婚せざるをえない状況を描いている。現実でもこうした例はあるのだと思う。年齢によって放射線汚染への対応も異なってくる。こうした差異によって人間関係は分断されている。
それらに加えて、家族や愛する人を亡くした人と亡くしていない人、家が流された人と残った人、仕事を失った人と失っていない人、ローンを抱えている人と預貯金のある人…などなど、それぞれに異なる被災状況が、被災者の人間関係を複雑にし、破壊する。
その上、富岡町の人々は、避難先の住民から心ない言葉を投げつけられることもある。車が傷つけられた事例もあるという。「震災前は原発マネーで潤い、今はその保障で暮らしている」「住民票は富岡町にあるから避難先の市町村には住民税を納めていない。そのくせ住民サービスを当たり前ようにうけている」、そして「放射線汚染差別」…。富岡町町民の中には不届き者もいて、賠償に頼る生活をしているかもしれない。だが、大多数の人はローンを抱えたりして、これからの見通しが立たない状況にいる。住民票を移さないのはいずれ町に帰る意志があったり、富岡町民であることを意識していたりするがためのことだ。だが、富岡町民は原発事故によっていわれのない差別を受けている。そして、福島県全体としては、農水産物の売り上げの激減、福島県民というだけで放射線汚染による差別が事実としてある。悲しいことである。実に残念なことである。
本来なら、被災者は被災直後の「災害ユートピア」状態を維持して大同団結し、さらに被被災者も加わって、被災者のための復興を推進していくように政府や東京電力と交渉していっていいはずである。しかし、現実は関係がバラバラになってしまっている。それでは、交渉力は弱い。日本政府や東京電力は、被災者が分断し、被災者と被被災者も分断するような政策を意図的に仕組んでいるのではないか、と私には思えるのである。
愛知ボラセンの応援の方向性は、被災者が分断されていることを認識し、被災者の人間関係を少しでも回復することができるようにすること。そして、被災者と非被災者の関係を少しでも改善していくことにあると私は考えている。
そのためには富岡町の被災者に対して見える活動、富岡町の被災者と人間関係を深めるような活動を、月に1回以上の回数と、大型バス1台以上の人数で継続していくことが必要であると私は考えている。愛知ボラセンの富岡町応援活動が大型バス1台(約40~45人)で月2回実施した場合、1年にのべ約1,000人が富岡町を訪問したことになる。まずは多くの人が富岡町を訪問し、少しでも学ぶことも重要なことである。この2年半で100回を越える現地ボランティア活動を続ける愛知ボラセンならできないことはないと思っている。
こうしたことが、富岡町の人々の人間関係の回復と、被災者と非被災者との関係回復に間接的に繋がっていくものであることを、この100回の現地ボランティア活動から私たちは学んできた。これを富岡町でも実践し、応用していくことができるのではないかと考えている。
4.地域の状況が異なり、被災者がバラバラになっている状況で、「福島」、「被災者」と一括りにしてしまっては、「被災者」が見えなくなる
町が3分割されている富岡町、町全体が帰還困難区域の大熊町、町全体で除染が進み、住民が戻りつつある南相馬市や楢葉町、福島第一原発から60km以上離れている郡山市、福島市、100kmの会津若松市…。すべて状況は異なる。ちなみに十八成浜は約80kmである。
会津の農産物は福島県ということで「風評被害」により販売が困難になっている状況がある。富岡町では農業生産はされていない。従って「風評被害」は存在しない。だが前述のよう、富岡町民であることで、放射線汚染によるいわれなき差別を受けることがある。「風評被害」ではなく「実害被害」と富岡町の菅野さんは語る。そして、福島県民であることによって他都道府県で差別される。
「福島の人たち」と一括りにすることは正しくないであろう。それぞれの地域によって被害状況は異なる。復興の方法も異なる。風評被害を受けている人たち、実害被害を受けている人たち、それぞれに異なる。
「福島」と一括りすることは、福島県の被害の実情を見えなくし、結果的に差別につながっていくように思う。
被災地・被災者のおかれた状況が複雑であることを学び、正しく認識することが、風評被害や実害被害の克服につながる。そして、私たちが適切な応援活動を築くためにも大切なことだと思う。
今回のスタディーツアーで多くのことを学んだ。だが、それはほんの少しのことでしかないと私は考えている。もっと学ばなければならない。学び続けなければならない。そして、現実の活動を展開し、被災者との関係の中から学び続けなければならない。
9月8日には、富岡町内の松村直登さんを事務局長の久世と訪問する。松村さんは富岡町内に残された家畜やペットの世話をするためにたった一人富岡町に現在も住んでいらっしゃる。
皆さんとともに、福島県双葉郡富岡町の皆さんの応援活動を続けていきたいと考えている。
皆さん、ともに!
代表の久田です。
7月26日(金) 福島県双葉郡富岡町役場・郡山事務所を、事務局長の久世とともに訪問しました。
町役場総務課の方から、1時間半ほどお話を伺いました。
富岡町には東京電力福島第二原子力発電所があります。
2013年6月現在の人口は14,479人。
福島第一原子力発電所事故により、富岡町は現在も全村が避難しています。
2013年3月25日に、町内は帰還困難区域、居住制限区域、避難指示解除準備区域の3区域に設定されました。
帰還困難区域とは、年間の積算線量が50ミリシーベルトを超える地域で、5年間を経過しても、年間積算線量が20ミリシーベルトを下回らないおそれがある地域です。放射線量が非常に高いことから、区域境で国がバリケードなど実施し、住民に対して避難の徹底を求める地域です。富岡町の中心部がほぼ含まれています。
居住制限区域とは、年間積算線量が20~50ミリシーベルトの範囲内と判断される区域です。引き続き避難を継続することが求められる区域です。住民の一時的な帰宅はできますが、宿泊はできません。
避難指示解除準備区域とは、年間積算線量が20ミリシーベルトを下回ると判断される区域です。住民の一時的な帰宅はできますが、宿泊はできません。居住者を対象としない事業の再開は可能です。
ICRP(国際放射線防護委員会=専門家の立場から放射線防護に関する勧告を行う国際学術組織)
1.平常時:年間1ミリシーベルト以下に抑える。
2.緊急事態期:事故による被ばく量が20~100ミリシーベルトを超えないようにする。
3.事故収束後の復旧期:年間1~20ミリシーベルトを超えないようにする。
20ミリシーベルトが、基準になっていますが、20ミリシーベルトが確実に安全というわけではありません。
また、1ミリシーベルトが安全かというとそれも疑問です。たとえば、
胸部レントゲン1枚撮影=0.1ミリシーベルト
腹部レントゲン1枚撮影=1ミリシーベルト
飛行機(東京-ニューヨーク往復)=0.2ミリシーベルト
また、1ミリシーベルト程度は自然の中で放射線を受けています。
私たちは日常生活の中で、1ミリシーベルト以上の放射線を受けています。
しかし、自然の放射線と人工の放射線は別のものであるともいわれています。
年間1ミリシーベルトは、1時間あたり0.114マイクロシーベルトになります。
1ミリシーベルト÷365日÷24時間=0.114マイクロシーベルト
年間20ミリシーベルトは、1時間あたり2.283マイクロシーベルトになります。
富岡町では、9月から避難指示解除準備区域で除染作業が始まります。
除染作業が進んでいくと、帰還希望者は家の掃除などを進めていくと予想されます。
愛知ボラセンの福島・富岡町応援活動は少しずつ慎重に進めていきます。
8月16日(金)~18日(日)は、富岡町の方にご案内いただき、富岡町の避難指示解除準備区域を4時間ほどフィールドワークします。
そして、郡山市内で解説をしていただきます。つまり、今回はスタディー・ツアーとし、仮設住宅などでの活動は実施しません。
今後のことは、8月の活動を踏まえて、進めていきます。
持ち物などの実施詳細などにつきましては、後日ご案内します。
福島応援のお願い
事務局長の久世です。
私は6月11日から14日までの間、福島県の原発被災地の視察に行ってきました。
訪れたのは、全住民避難が続く、飯館村、楢葉町、富岡町。
どの地域も避難指示区再編により、住民の方の立ち入りが指定時間以外は認められていません。
どの地区も人はほとんどいません。
震災が起きた、そして、原発事故が起きたあの時のまま、時間が経っていました。
町で何人かの方にお話を伺いました。
「もうこの町は死んだようなものだ」と、
この地区にいつ戻れるか分からない不安やいらだちを抱きながら
家の片づけをしていらっしゃいました。
愛知ボラセン事務局長の宮垣が5月に富岡町内を特別な許可を頂いて視察してきました。
そこで、富岡町で何か出来ないかと考え、郡山市におかれている富岡町役へ行き、お話を伺いました。
担当の方からは、愛知から風評被害をなくしてほしい。
原発の被害を受けた地区を見て、実情を伝えて欲しいと言われました。
代表と相談し、福島県富岡町へボランティアバスをニーズ次第ではてに月1回のペースで定期的に出していきたいと思います。
午前中は被災者の家の片付けをする予定です。午後からは町役場の方の案内で、富岡町内を視察する予定です。
が、何ができるかはまだ完全には明確にはなっていません。
小さな一歩です。
皆さんの「魂」をそのまま福島県富岡町でも発揮して頂きたく、ご参加をよびかけます。
募集要項
○富岡町での活動は当日20歳以上の男女の方に限らせていただきます。20歳未満の方はいわき市、郡山市などでの仮設住宅での活動をお願いします。
○愛知ボランティアセンターが用意する誓約書に捺印署名出来る方。
○自己責任で活動出来る方。
○スタッフや富岡町の住民の指示に従える方
○日程
8月16日(金)集合:午後9時30分、東別院会館前 出発:午後9時40分
18日(日)早朝帰名
※先着順
○参加費
12,000円(バス代・高速代込み)ボランティア保険は別途
○行程
16日(金)
23時 東別院会館集合&出発
17日(土)(案)
※具体的な活動はまだ決まっていません。
詳細等は参加者に後日お知らせ致します。
代表の久田と久世が7月下旬に富岡町へ訪問し、詳細を詰める予定です。
午前 いわき市(郡山市)の富岡町町民のための仮設住宅での活動。
午後 富岡町で活動または視察
21時 スーパー銭湯で入浴
23時 出発
18日(日)
7時頃 解散(東別院前)
○協力
富岡町の方々
※防護服
積算計を貸し出しも行い、放射能をバス内へ持ちこまない対策を徹底します。
【お問い合わせ先】
NPO法人 被災者応援 愛知ボランティアセンター
事務局長 久世義晃
070-6414-0589
愛知ボランティアセンター
事務局長 久世です
朝晩はめっきり寒くなってきましたが
皆さんは体調は崩していないでしょうか?
今回は泥出しや建物の解体作業のボランティアのお知らせです。
先日代表の元に一本の電話がありました。
相手は昨年石巻市湊小学校の体育館で1ヶ月間応援物資の提供に際し
御尽力頂いた、「チーム神戸」代表の金田真須美さんでした。
※久田代表と金田真須美さんは阪神大震災の活動からの知り合いで
愛知ボランティアセンターが昨年3月20日に石巻市湊小学校に
初めて行った際、金田さんと相談し応援物資の提供が決まりました。
話によると、
湊小学校の避難所が閉鎖後、すぐ近くに事務所を構え
被災者への支援活動を行ってきた場所が行政から「解体」の指示が出て
新たな事務所に移転する事になりました
しかし新しい場所をOPENするには
道路や建物の中に手付かずの泥が沢山あり、解体をしなければいけない建物など
いくつかの乗り越えないといけない壁があります。
そこで、旧知の久田代表に「HELP」の電話がきました。
そこで愛知ボランティアセンターは、「チーム神戸」の新たな事務所が一日でも早く
OPEN出来るよう応援ボランティアを行う事に決定しました!!
泥も沢山ありますので、ガテン系希望の方には活躍出来ると思います
※女性の方でも出来る作業・女性の方しか出来ない作業があります。
心配せずにご参加下さい
☆日にち: 第73回 10月26日から28日
☆内 容:泥出しや建物の解体
☆持ち物:本格的な活動になります。長靴、長袖、防塵マスクなど
詳細はメールでお知らせします。
☆定 員:5名(5名になった時点で締め切ります)
☆応募方法:HPの応募フォーム 10月26日から28日(追加募集)を選択して下さい
※追加募集で応募した方は十八成浜へは行くことは出来ません
それでもいい方は是非ご応募ください
朝湊小学校付近で降りて頂き、夕方湊小学校付近で合流する流れになります。
愛知ボラセン魂を湊地区に集結し
金田真須美さんを応援、新たな事務所で被災者の方が笑顔になれる応援をやりましょう!!
皆さんのご応募お待ちしています
※尚、既に十八成に申し込んだ方は、予定通り十八成で活動があります
愛知ボランティアセンター
事務局長 久世義晃