特定非営利活動法人 被災者応援 愛知ボランティアセンター 公式ブログ

2011年3月17日の設立から8年。孤児遺児応援活動、現地ボランティア活動等、現在進行形で被災者応援活動を行っています。

愛知ボラセンの活動予定

被災地ボランティア

■日程:現在募集している日程はありません。
■主催:株式会社 中部キャラバン(愛知県知事登録旅行業2-882号)

宮城県十八成浜ボランティア

■旅行内容:宮城県十八成浜ボランティア
■日程:現在募集している日程はありません。
■主催:株式会社 中部キャラバン(愛知県知事登録旅行業2-882号)

ワンコイン・サポーターズ20,000人プロジェクト

(2018年12月31日)サポーター登録人数:6,752人 登録口数:10,834口
次回事務作業 4月20日(土)13時~ 東別院会館地下106教室
作業内容:銀行照合、2018年度申請書照合
※終わり次第終了

第13回でらえぇ~友だちつぐっぺぇ笑顔プロジェクト


第12回でらえぇ~友だちつぐっぺぇ~笑顔プロジェクトの活動報告書のダウンロードはこちらから
http://aichiborasen.org/deraee/deraee_houkoku

追悼キャンドル作製2019


■作製本数:11,222本
■日数:37日(273時間)
■ボランティア数:のべ462人
2019年度の活動へご協力いただいた皆さん、本当にありがとうございました。
追悼式典の報告書のダウンロードはこちらから
https://www.aichiborasen.org/candle/

2020年度へ向けた作製は10月よりスタート予定です。



東日本大震災犠牲者追悼式あいち・なごや2019

日時:2020月3月11日(水)
※雨天決行
式典 14:30~15:00(14:46 黙とう)
会場:未定

愛知ボラセンTV

これまでの活動動画をご覧いただけます。
作成:市岡智恵(旧姓 伊藤)

出店情報

7月27日・28日 今池仲田銀座まつり
8月中旬 東別院御坊夏祭り

運営会議

次回会議:未定

(最終更新日:2019年4月12(金)

いよいよ本日から10/22まで 写真展「松村直登 福島県富岡町と共に生きる」~福島の涙、そして希望~

2013年10月17日 00時39分27秒 | [東日本大震災]被災地ボランティア

こんばんは
愛知ボランティアセンター
久世です

愛知ボランティアセンターが
応援活動を始めた富岡町・松村さんの写真展が
本日から始まります。

私も昨日ギャラリーに行き、お手伝いをしてきました。
テレビでは見る事がなかった、富岡町の地震後の写真が沢山ありました。

ぜひ、沢山の方に足を運んでもらい
原発被害の町の「今」を見て感じて欲しいと思います。
御来場 お待ちしています

 

写真展「松村直登 福島県富岡町と共に生きる」~福島の涙、そして希望~

10月17日(木)~10月22日(火)

ギャラリータマミジアム (名古屋市中区錦3-24-12玉水ビル2階)

地下鉄栄駅8番出口(観覧車のあるサンシャイン栄ビルの南)

開廊時間 午前11時~午後7時(最終日のみ午後5時)
入場料 無料

東京電力福島第一原子力発電所から20キロ圏内に位置する福島県富岡町は、
2011年4月に警戒区域に指定され、電気や水道などのライフラインが寸断されました。
そして誰もいなくなったこの町にたった一人留まり、
とり残された動物たちの保護活動を続けている人間がいます。

松村直登さん、54歳。

この写真展では、富岡町と共に生きる決意をした松村直登さんがこれまでに見た過酷な現実、
そして今なお復興が進まない被災地の現状をカメラに収めた写真約70点が展示されます。

10月19日(土)、20日(日)には、松村直登さんが来場されます。

 

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【富岡町応援】にご協力下さい

2013年09月30日 16時55分26秒 | [東日本大震災]被災地ボランティア

【富岡応援】にご協力下さい

台風18号が日本列島を襲い
愛知ボランティアセンターも
17日・18日と被害地の一つ福井県小浜市へ入り
ブログ・HP等での呼びかけに
2日間で70人の方が集まり、泥出し・家具の移動を行ってきました。
急な呼びかけでも沢山のボランティアさんにご参加頂いた事に感謝致します。
活動報告

そして、愛知ボランティアセンターの
次なる活動場所へと移っていきたいと思っています。

それは前回スタディーボランティアを行った
福島県富岡町(とみおかまち)です。

今回は一人富岡町に残り、
牛や犬、猫の餌やりを続けている
【松村さん】のお宅へと行き
手付かずとなっている草やお宅の片づけ作業を
お手伝いしてきたいと思っています。

震災が起きた2011年3月11日のまま
時間が止まっている富岡町です。

皆さんの目で富岡町を見て
皆さんの手で止まった月日を少しづつ
動かしていただきたいと思っています。

ぜひご参加お待ちしています。

【参加費】
12,000円(バス代・高速代込み)ボランティア保険は別途


【日程】
第2回
10月4日(金)~10月6日(日)

【行程】
4日(金)
21時15分集合
21時30分出発

5日(土)
9時~14時  富岡町内で活動
14時30分~ 松村さんと意見交換会
18時      スーパー銭湯で入浴
21時      出発

6日(日)
7時    解散
 
○作業内容
家の掃除・草刈り等

○協力
NPO法人がんばる福島

○草刈り機をお持ちの方は申し込み時に備考欄へご記入下さい
草が生えています。草刈り機があると作業もはかどってきます。
また別の特技等もあればご記入下さい。
※持ち物等は後日送ります。

応募フォーム

富岡町は桜がとても綺麗な名所です。
震災後に咲いた桜です。

【お問い合わせ先】
NPO法人 被災者応援 愛知ボランティアセンター
事務局長 久世義晃
070-6414-0589

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福島県双葉郡富岡町スタディーツアー報告

2013年09月05日 23時13分54秒 | [東日本大震災]被災地ボランティア

代表の久田です。
たいへん遅くなりましたが、8月16日~18日に実施しました富岡町スタディーツアーについてご報告します。

1.はじめに
 8月10日(土)。愛知ボラセン福島県双葉郡富岡町(とみおかまち)スタディーツアーの一行41人は、富岡町役場総務課の菅野さんにご案内頂き、富岡町内を見学させて頂いた。人口約1万5000人の富岡町。現在は全町民が避難している。正しくはお一人だけ避難勧告地域で、遺棄せざるをえなくなった家畜やペットの世話をされている方が例外的に暮らしていらっしゃる。

 今回はスタディーツアーの報告ではなく、それによって私が学んだこと、考えたこと、気づいたことを紹介する。なお、通常のブログ報告では「です」「ます」で記述しているが、今回はあえて「だ」「である」で記述することをお許し頂きたい。

2.2つの「見えないこと」「分からないこと」が富岡町の人々を大きな不安に陥れている
 私たちの不安は「見えないこと」「分からないこと」に主に起因する。「幽霊」や「死」を不安に思う人は多いが、それは見えないからであり、分からないからである。見えて、分かれば誰も不安には思わない。当然のことである。

 今、富岡町の人々は、2つの「見えないこと」「分からないこと」によって大きな不安に陥れられている。

 1つは、「見えない放射線」の「分からない危険性」による大きな不安だ。富岡町役場を見学させてもらった。電気は通っていないため、庁舎内は蒸し暑い。庁舎をでると木陰から心地よい風が吹いてくる。だがこの心地よい風は放射線を含んでいる。それに気づくと、心地いいとはとても思えない。放射線に色はない。匂いもない。蓄積していても気づくことはない。放射線はまったく見ることができない。線量計で計測できるが、それとてもどれだけ正確かは不明である。

 そして、安全基準はおそらく、ない。いろいろな機関や関係者から「基準数値」は出されている。しかし、病気のように、これ以下だから安全・安心、これ以上だから危険というラインは、本当のところは「分からない」。正確なデータは公表されていない。広島・長崎の被爆者の詳細なデータを把握していると思われるのはアメリカ軍である。だが、広島でも、長崎でも、ビキニ環礁でも残留放射線の影響はまったくない、というのが今もアメリカ軍の公式見解である。明確なデータが公表されていない中で、日本政府が除染後にめざす年間線量1ミリシーベルト以下が安全であるとは断定しきれない。また、0.9ミリシーベルトがセーフで、1.1ミリシーベルトがアウトであるとは断定できない。線量の数値基準は病気の検査の基準のようにはいかない。

 だから、放射線は富岡町の人々のみならず、私たちも不安に陥れている。そしてこの不安は永劫に晴れることのない不安でもある。今回の原発事故で放出された放射性物質の一つプルトニウム239の半減期は2万4065年。2万以上も経ってようやく半減する。半減とはいってもさらに2万4065年後にはまた1/2(元の1/4)になり、さらに2万4065年後にその1/2(元の1/8)になる…。プルトニウム239はほぼ永遠に消滅することはない。1%以下になるには120万年以上も必要となる計算になる。永遠なものはないとする無常観は日本の重要な世界観の一つだ。しかし、原発事故によって、私の無常観は打ち砕かれた。プルトニウムはほぼ永遠に残る。

 もう一つは、「将来が見えないこと・分からないこと」による不安だ。本当に町に帰ることができるのかどうか、誰もわからない。自分たちの暮らしがこれからどうなっていくのか、まったくわからない。除染作業後に年間線量が1ミリシーベルト以下になるので、その地域は帰還できると日本政府はいう。だが、本当に帰還してもいいのかどうかは、残留放射線の不安から、誰もが不安に思っている。将来が見えないことは宮城県や岩手県のとりわけ過疎地域の被災者にも共通である。だが、富岡町では残留放射線がいっそう将来を見えなくしている。

3.大災害は人間関係を破壊する。それに加え、原発事故加害者が未必の故意か意図的か、人間関係をさらに破壊している
 「災害ユートピア」という言葉がある。大災害後に、被災者は見事な助け合いをする。東日本大震災の被災者が助け合う姿が震災直後にはクローズアップされた。さすが日本人という言辞もあった。それは大きな認識不足か、ナショナリズムを意図的に鼓舞するものであろう。実は古今東西、大災害の後には見事な助けあいや、人命救助の英雄的行為が自然発生的に生まれている。東北のことだけではない。アメリカのジャーナリストであるレベッカ・ソルニットの「災害ユートピア」(亜紀書房)では人々のすばらしい助け合いを報告されている。しかし、レベッカ・ソルニットは「災害ユートピア」が継続できないことを問題点としてあげている。

 つまり、被災者同士が助けあい、援助が行われる。だが、残念なことにそれはせいぜい1年程度の期間のことでしかないというのが、「災害ユートピア」の現実である。

 非被災者は「絆」「助け合い」というような言葉に未だに幻想を抱いているかもしれない。そして、日本人は困難に対して寡黙で、見事な助け合いをするのだと。おそらくそれは被災者のリアルな姿を見ることがないから、あるいは見ようとしないことからくる幻想だと私は思う。

 大災害は被災者の人間関係をも破壊する、ということを十八成での活動を通して気づいた。避難所にはプライバシーはない。見ず知らずの人間が狭い避難所で半年近くも生活する。その中で深まる人間関係はある。しかし、ささいな行き違いの積み重ねによって、深刻な対立が生まれるのもやむをえないことである。

 さらに、被災状況は一軒ごとに異なる。それが人間関係を複雑にする。場合によっては人間関係が壊されていく。心ない発言が人を傷つける。
 被災者と非被災者の関係も被災直後とは明らかに異なっている。報道もボランティアも激減している。それを裏切られたと感じている被災者は少なくはない。3月11日って何の日だったっけという言葉を名古屋で聞いたことがある。被災地のことは大多数の非被災者にとって、すでに関心の埒外にあるといっても過言ではあるまい。

 愛知ボラセンは、今も日常的に被災地の十八成浜を訪問し、被災者との関係を深め続けている。ボランティア同士も、十八成の皆さんとの関係も、震災前には何もなかった。しかし、今は深い人間関係を築いている。「災害ユートピア」的状態は今も続いている。だが、愛知ボラセンの実践は小さな点にすぎない。震災から2年半を経た今、殆どの被災地では、被災者同士の関係は震災以前よりもバラバラにされてしまっている。

 富岡町では人間関係の分断はさらに深刻である。町内は帰還困難区域、居住制限区域、避難指示解除準備区域の3つに線引きされている。地図ではそれぞれ順に、赤、黄、緑に色分けされている。放射線量の違いに基づいているものだが、道路を隔てて異なる区域に分けられているところが多くある。この区域分けは単なる線引きにとどまらない。東電からの保障金額も変わってくる。帰還困難区域の保障が最も厚い。この線引きによって富岡町の人々は3つに分断された。

 富岡町に帰ることを望んでいる人たち、福島県内にとどまりたい人たち、県外避難をした人たちの関係もおかしくなってしまっている。福島県在住の芥川賞作家である玄侑宗久は「光る山」で、北海道に子どもとともに避難する妻と、県内にとどまり除染活動をする夫の関係が原発事故によって破壊され、離婚せざるをえない状況を描いている。現実でもこうした例はあるのだと思う。年齢によって放射線汚染への対応も異なってくる。こうした差異によって人間関係は分断されている。

 それらに加えて、家族や愛する人を亡くした人と亡くしていない人、家が流された人と残った人、仕事を失った人と失っていない人、ローンを抱えている人と預貯金のある人…などなど、それぞれに異なる被災状況が、被災者の人間関係を複雑にし、破壊する。

 その上、富岡町の人々は、避難先の住民から心ない言葉を投げつけられることもある。車が傷つけられた事例もあるという。「震災前は原発マネーで潤い、今はその保障で暮らしている」「住民票は富岡町にあるから避難先の市町村には住民税を納めていない。そのくせ住民サービスを当たり前ようにうけている」、そして「放射線汚染差別」…。富岡町町民の中には不届き者もいて、賠償に頼る生活をしているかもしれない。だが、大多数の人はローンを抱えたりして、これからの見通しが立たない状況にいる。住民票を移さないのはいずれ町に帰る意志があったり、富岡町民であることを意識していたりするがためのことだ。だが、富岡町民は原発事故によっていわれのない差別を受けている。そして、福島県全体としては、農水産物の売り上げの激減、福島県民というだけで放射線汚染による差別が事実としてある。悲しいことである。実に残念なことである。

 本来なら、被災者は被災直後の「災害ユートピア」状態を維持して大同団結し、さらに被被災者も加わって、被災者のための復興を推進していくように政府や東京電力と交渉していっていいはずである。しかし、現実は関係がバラバラになってしまっている。それでは、交渉力は弱い。日本政府や東京電力は、被災者が分断し、被災者と被被災者も分断するような政策を意図的に仕組んでいるのではないか、と私には思えるのである。

 愛知ボラセンの応援の方向性は、被災者が分断されていることを認識し、被災者の人間関係を少しでも回復することができるようにすること。そして、被災者と非被災者の関係を少しでも改善していくことにあると私は考えている。

 そのためには富岡町の被災者に対して見える活動、富岡町の被災者と人間関係を深めるような活動を、月に1回以上の回数と、大型バス1台以上の人数で継続していくことが必要であると私は考えている。愛知ボラセンの富岡町応援活動が大型バス1台(約40~45人)で月2回実施した場合、1年にのべ約1,000人が富岡町を訪問したことになる。まずは多くの人が富岡町を訪問し、少しでも学ぶことも重要なことである。この2年半で100回を越える現地ボランティア活動を続ける愛知ボラセンならできないことはないと思っている。

 こうしたことが、富岡町の人々の人間関係の回復と、被災者と非被災者との関係回復に間接的に繋がっていくものであることを、この100回の現地ボランティア活動から私たちは学んできた。これを富岡町でも実践し、応用していくことができるのではないかと考えている。

4.地域の状況が異なり、被災者がバラバラになっている状況で、「福島」、「被災者」と一括りにしてしまっては、「被災者」が見えなくなる
 町が3分割されている富岡町、町全体が帰還困難区域の大熊町、町全体で除染が進み、住民が戻りつつある南相馬市や楢葉町、福島第一原発から60km以上離れている郡山市、福島市、100kmの会津若松市…。すべて状況は異なる。ちなみに十八成浜は約80kmである。

 会津の農産物は福島県ということで「風評被害」により販売が困難になっている状況がある。富岡町では農業生産はされていない。従って「風評被害」は存在しない。だが前述のよう、富岡町民であることで、放射線汚染によるいわれなき差別を受けることがある。「風評被害」ではなく「実害被害」と富岡町の菅野さんは語る。そして、福島県民であることによって他都道府県で差別される。

 「福島の人たち」と一括りにすることは正しくないであろう。それぞれの地域によって被害状況は異なる。復興の方法も異なる。風評被害を受けている人たち、実害被害を受けている人たち、それぞれに異なる。

 「福島」と一括りすることは、福島県の被害の実情を見えなくし、結果的に差別につながっていくように思う。

 被災地・被災者のおかれた状況が複雑であることを学び、正しく認識することが、風評被害や実害被害の克服につながる。そして、私たちが適切な応援活動を築くためにも大切なことだと思う。

 今回のスタディーツアーで多くのことを学んだ。だが、それはほんの少しのことでしかないと私は考えている。もっと学ばなければならない。学び続けなければならない。そして、現実の活動を展開し、被災者との関係の中から学び続けなければならない。

 9月8日には、富岡町内の松村直登さんを事務局長の久世と訪問する。松村さんは富岡町内に残された家畜やペットの世話をするためにたった一人富岡町に現在も住んでいらっしゃる。

 皆さんとともに、福島県双葉郡富岡町の皆さんの応援活動を続けていきたいと考えている。

 皆さん、ともに!

 

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福島・富岡町報告 8月の福島応援活動は、富岡町スタディーツアーを実施します。

2013年07月27日 23時02分42秒 | [東日本大震災]被災地ボランティア

代表の久田です。

7月26日(金) 福島県双葉郡富岡町役場・郡山事務所を、事務局長の久世とともに訪問しました。
町役場総務課の方から、1時間半ほどお話を伺いました。

富岡町には東京電力福島第二原子力発電所があります。
2013年6月現在の人口は14,479人。

福島第一原子力発電所事故により、富岡町は現在も全村が避難しています。
2013年3月25日に、町内は帰還困難区域、居住制限区域、避難指示解除準備区域の3区域に設定されました。

帰還困難区域とは、年間の積算線量が50ミリシーベルトを超える地域で、5年間を経過しても、年間積算線量が20ミリシーベルトを下回らないおそれがある地域です。放射線量が非常に高いことから、区域境で国がバリケードなど実施し、住民に対して避難の徹底を求める地域です。富岡町の中心部がほぼ含まれています。

居住制限区域とは、年間積算線量が20~50ミリシーベルトの範囲内と判断される区域です。引き続き避難を継続することが求められる区域です。住民の一時的な帰宅はできますが、宿泊はできません。

避難指示解除準備区域とは、年間積算線量が20ミリシーベルトを下回ると判断される区域です。住民の一時的な帰宅はできますが、宿泊はできません。居住者を対象としない事業の再開は可能です。

ICRP(国際放射線防護委員会=専門家の立場から放射線防護に関する勧告を行う国際学術組織)
1.平常時:年間1ミリシーベルト以下に抑える。
2.緊急事態期:事故による被ばく量が20~100ミリシーベルトを超えないようにする。
3.事故収束後の復旧期:年間1~20ミリシーベルトを超えないようにする。

20ミリシーベルトが、基準になっていますが、20ミリシーベルトが確実に安全というわけではありません。
また、1ミリシーベルトが安全かというとそれも疑問です。たとえば、
胸部レントゲン1枚撮影=0.1ミリシーベルト
腹部レントゲン1枚撮影=1ミリシーベルト
飛行機(東京-ニューヨーク往復)=0.2ミリシーベルト
また、1ミリシーベルト程度は自然の中で放射線を受けています。
私たちは日常生活の中で、1ミリシーベルト以上の放射線を受けています。
しかし、自然の放射線と人工の放射線は別のものであるともいわれています。

年間1ミリシーベルトは、1時間あたり0.114マイクロシーベルトになります。
 1ミリシーベルト÷365日÷24時間=0.114マイクロシーベルト
年間20ミリシーベルトは、1時間あたり2.283マイクロシーベルトになります。

富岡町では、9月から避難指示解除準備区域で除染作業が始まります。
除染作業が進んでいくと、帰還希望者は家の掃除などを進めていくと予想されます。

愛知ボラセンの福島・富岡町応援活動は少しずつ慎重に進めていきます。
8月16日(金)~18日(日)は、富岡町の方にご案内いただき、富岡町の避難指示解除準備区域を4時間ほどフィールドワークします。
そして、郡山市内で解説をしていただきます。つまり、今回はスタディー・ツアーとし、仮設住宅などでの活動は実施しません。

今後のことは、8月の活動を踏まえて、進めていきます。

持ち物などの実施詳細などにつきましては、後日ご案内します。

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【福島応援】ボランティアバス出します

2013年07月12日 15時03分32秒 | [東日本大震災]被災地ボランティア

福島応援のお願い
事務局長の久世です。

私は6月11日から14日までの間、福島県の原発被災地の視察に行ってきました。

訪れたのは、全住民避難が続く、飯館村、楢葉町、富岡町。
どの地域も避難指示区再編により、住民の方の立ち入りが指定時間以外は認められていません。
どの地区も人はほとんどいません。
震災が起きた、そして、原発事故が起きたあの時のまま、時間が経っていました。

町で何人かの方にお話を伺いました。
「もうこの町は死んだようなものだ」と、
この地区にいつ戻れるか分からない不安やいらだちを抱きながら
家の片づけをしていらっしゃいました。

愛知ボラセン事務局長の宮垣が5月に富岡町内を特別な許可を頂いて視察してきました。
そこで、富岡町で何か出来ないかと考え、郡山市におかれている富岡町役へ行き、お話を伺いました。

担当の方からは、愛知から風評被害をなくしてほしい。
原発の被害を受けた地区を見て、実情を伝えて欲しいと言われました。

代表と相談し、福島県富岡町へボランティアバスをニーズ次第ではてに月1回のペースで定期的に出していきたいと思います。

午前中は被災者の家の片付けをする予定です。午後からは町役場の方の案内で、富岡町内を視察する予定です。
が、何ができるかはまだ完全には明確にはなっていません。
小さな一歩です。
皆さんの「魂」をそのまま福島県富岡町でも発揮して頂きたく、ご参加をよびかけます。

募集要項
○富岡町での活動は当日20歳以上の男女の方に限らせていただきます。20歳未満の方はいわき市、郡山市などでの仮設住宅での活動をお願いします。
○愛知ボランティアセンターが用意する誓約書に捺印署名出来る方。
○自己責任で活動出来る方。
○スタッフや富岡町の住民の指示に従える方

○日程
8月16日(金)集合:午後9時30分、東別院会館前 出発:午後9時40分
18日(日)早朝帰名
※先着順

○参加費
12,000円(バス代・高速代込み)ボランティア保険は別途

○行程
16日(金)
 23時  東別院会館集合&出発

17日(土)(案)
 ※具体的な活動はまだ決まっていません。
  詳細等は参加者に後日お知らせ致します。
  代表の久田と久世が7月下旬に富岡町へ訪問し、詳細を詰める予定です。
 午前  いわき市(郡山市)の富岡町町民のための仮設住宅での活動。
 午後  富岡町で活動または視察
 21時    スーパー銭湯で入浴
 23時   出発

18日(日)
 7時頃  解散(東別院前)
 
○協力
富岡町の方々

応募フォーム

※防護服
積算計を貸し出しも行い、放射能をバス内へ持ちこまない対策を徹底します。

【お問い合わせ先】
NPO法人 被災者応援 愛知ボランティアセンター
事務局長 久世義晃
070-6414-0589

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石巻での泥出しや建物の解体作業ボランティアのお知らせです

2012年10月15日 15時40分03秒 | [東日本大震災]被災地ボランティア

愛知ボランティアセンター
事務局長 久世です

朝晩はめっきり寒くなってきましたが
皆さんは体調は崩していないでしょうか?

今回は泥出しや建物の解体作業のボランティアのお知らせです。

先日代表の元に一本の電話がありました。
相手は昨年石巻市湊小学校の体育館で1ヶ月間応援物資の提供に際し
御尽力頂いた、「チーム神戸」代表の金田真須美さんでした。

※久田代表と金田真須美さんは阪神大震災の活動からの知り合いで
愛知ボランティアセンターが昨年3月20日に石巻市湊小学校に
初めて行った際、金田さんと相談し応援物資の提供が決まりました。

話によると、
湊小学校の避難所が閉鎖後、すぐ近くに事務所を構え
被災者への支援活動を行ってきた場所が行政から「解体」の指示が出て
新たな事務所に移転する事になりました

しかし新しい場所をOPENするには
道路や建物の中に手付かずの泥が沢山あり、解体をしなければいけない建物など
いくつかの乗り越えないといけない壁があります。

そこで、旧知の久田代表に「HELP」の電話がきました。

そこで愛知ボランティアセンターは、「チーム神戸」の新たな事務所が一日でも早く
OPEN出来るよう応援ボランティアを行う事に決定しました!!
泥も沢山ありますので、ガテン系希望の方には活躍出来ると思います
※女性の方でも出来る作業・女性の方しか出来ない作業があります。
 心配せずにご参加下さい

☆日にち: 第73回 10月26日から28日
☆内 容:泥出しや建物の解体
☆持ち物:本格的な活動になります。長靴、長袖、防塵マスクなど
     詳細はメールでお知らせします。
☆定 員:5名(5名になった時点で締め切ります)
☆応募方法:HPの応募フォーム 10月26日から28日(追加募集)を選択して下さい

※追加募集で応募した方は十八成浜へは行くことは出来ません
それでもいい方は是非ご応募ください
朝湊小学校付近で降りて頂き、夕方湊小学校付近で合流する流れになります。

愛知ボラセン魂を湊地区に集結し
金田真須美さんを応援、新たな事務所で被災者の方が笑顔になれる応援をやりましょう!!

皆さんのご応募お待ちしています

※尚、既に十八成に申し込んだ方は、予定通り十八成で活動があります

愛知ボランティアセンター
事務局長 久世義晃

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第21回・S4現地ボランティア 名古屋到着時間について

2011年08月14日 11時40分28秒 | [東日本大震災]被災地ボランティア
お出迎えを予定されている皆様へ

到着予定時間は12時半過ぎから13時の予定です。
11時半恵那峡SAを出発します。
8月14日11時30分更新


到着予定時間は 12時から12時半の予定です。
10時現在恵那付近を走行中。11時に恵那峡SAで休憩を取り、東別院に向かって戻ってくる予定です。
8月14日10時20分更新


昨日の夜、名古屋を出発した第21回現地ボランティアですが、お盆の帰省ラッシュ等による道路の混雑により現地への到着が遅れました。その影響で、明日の朝の名古屋への戻り時間がおそらく明日(8月13日)お昼12時頃になると思われます。
夏休み宿泊プランS4(8月9日出発)の戻り時間も同様です。

お出迎えを予定されている皆様は明日10時以降に、当ページの更新をご確認ください。また愛知ボランティアセンターへ直接お電話にてお問い合わせをお願いいたします。

なお明日は到着後の解散式、現地報告会等はございません。どうぞよろしくお願いいたします。
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十八成日記 7月30日

2011年07月31日 06時42分33秒 | [東日本大震災]被災地ボランティア
夏休みスペシャルの牡鹿半島十八成地区での宿泊をともなう活動がはじまりました。

宿泊は10名、0泊3日弾丸は34名。
午前は雨もふる中で、十八成浜避難所周辺の瓦礫撤去。
避難所に向かって右側にあった船外機つきの船から、船外機をはずし、船の位置をずらして一気にテンションがあがるとともに、作業効率もはかどりました。

午後には、日本福祉大学付属高校和太鼓部楽鼓(らっこ)の和太鼓演奏が十八成と小渕で行われました。
楽鼓は27日に岩手県で行われた高文連(文化系クラブのインタハイのようなもの)の郷土芸能部門で優良賞(3位)を受賞したすばらしいクラブです。

笑顔一杯で演奏する約60名の高校生たち。
その笑顔とすばらしい演奏に涙ぐむ人もいました。
アンコールもいただきました。
小渕でのアンコールでは小学校2年の男の子も飛び入りで演奏。かわいい姿に笑いと拍手がたくさん。
牡鹿の海にすばらしい和太鼓の演奏はぴったり。
牡鹿の地域にはそれぞれにお祭りで和太鼓の演奏があり、和太鼓を演奏できる方がたくさんいらっしゃいます。「なつかしいなぁ。たたきたいなぁ」とおっしゃる方も何人かいらっしゃいました。
十八成避難所の邦ちゃんは「今まで泣くことはありませんでした。今日はみなさんの笑顔を見て涙がでてきました。ありがとう。また来てください」と挨拶。そして、邦ちゃんのあいさつに泣いた人もたくさん。

午後4時すぎに0泊3日組が「行ってきます」の言葉で名古屋へ。
S1宿泊組は避難所のお風呂にいれていただき、夕食はご飯を炊いて、レトルトカレーバイキング(10種類くらいのレトルトを好きなだけ食べられます^^;)。

となりのおじいさんから被災の話を伺いました。それはまた後日に。

洗濯、ミーティングをして、午後11時就寝。






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新たな出会いの始まりです

2011年07月29日 23時04分32秒 | [東日本大震災]被災地ボランティア
いよいよ明日から夏休み宿泊プランが始まります。

事務局長の久世は昨日の夜から走行距離10万キロを超えた軽自動車で
先入りし(途中何度もエンスト。宮城に無事に到着出来ないと覚悟。。。)、

昼間に無事に到着し、買出しや今まで関係のあった所に挨拶に行ってきました。
一軒行くと「上がれ・上がれ」とでなかなか帰れないです。
今日も夕飯を2箇所で頂きました。

これもボランティアさんの結果が被災者の方を優しくしていると思っています。
ありがとうございます


6月11日 怒られて始まった十八成浜との関係
『もう二度と十八成浜には出入りが出来ない』と思っていた地区に、
毎週・毎週バスを出し避難所の前の瓦礫を撤去する事で
被災者の方と真剣に向き合うことができ
今ではボランティアさん・被災者と一緒に汗をかきながら瓦礫を撤去し
避難所の前の景色が変わった事で一緒に涙を流してきました

そんな素晴らしい関係の十八成浜地区をもっと・もっと綺麗にしていきたいと思います
怒られた場所から新たな出会いの場所へとこの夏変化します。
一緒に汗・涙を流しましょう!!

夏休みの予定です
ぜひ申し込み下さい
愛知ボラセンのHPにて

〔S1〕7月29日(金)~8月04日(木)6泊7日(車中2泊、現地4泊)
〔S2〕8月02日(火)~8月07日(日)5泊6日(車中2泊、現地3泊)
〔S3〕8月05日(金)~8月11日(木)6泊7日(車中2泊、現地4泊)
〔S4〕8月09日(火)~8月14日(日)5泊6日(車中2泊、現地3泊)
〔S5〕8月12日(金)~8月18日(木)6泊7日(車中2泊、現地4泊)

毎日ブログにて現地報告をしたいと思います
お楽しみにしてください
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【6/25】宮城県 牡鹿半島 十八成浜(くぐなりはま)地区 活動報告

2011年06月28日 16時06分33秒 | [東日本大震災]被災地ボランティア
こんにちは
日に日に暑くなっておりますが
皆様の体調はいかがですか?

愛知ボランティアセンターで事務局長してます
久世です。

久しぶりに現地報告をしたいと思います。

愛知ボランティアセンターは
先週から十八成浜(くぐなり)地区
支援を初めています。


作業内容は避難所の前、3ヶ月間風景が変わらない田んぼの瓦礫撤去


ハエが飛び、言葉では言い表せない匂いがし、
朝起きて、夜寝るまで
同じ風景を見て、同じ匂いをかきながら生活を続けていた
十八成浜地区の方々

先週は110名のボランティアさんで3ヶ月間変わらなかった田んぼが
ここまで綺麗になりました。

区長さんを初め責任者の方々も「人の力はスゴイ・これで生活が変わる」
との感謝のお言葉を頂きました。
ありがたい限りです。

愛知ボラセンは十八成浜地区の方々が
本当の笑顔を取り戻すまで(きっかけを作るまで)
十八成浜地区を応援していく予定です。


これからも十八成浜地区の皆様と共に
愛知ボラセンは頑張っていきます。

これからも
ご協力応援よろしくお願いします。




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牡鹿半島春物衣料配布プロジェクト 牡鹿の避難所へ物資を届けます。

2011年05月06日 08時10分52秒 | [東日本大震災]被災地ボランティア
愛知の皆さんからお預かりした物資は
これまで、石巻市立湊小学校で
四月の毎週土曜日に計5回配布してきました。
新品春物衣料、タオル、お花をはじめ、
計5,000箱以上の支援物資をお届けしてきました。

「毎週、楽しみにしてるよ」
「愛知からの物はほんとうにいい物が来るからね」
などといった声をたくさん聞いています。

これまでの1ヶ月で、それなりの信頼関係を
湊小学校で築いてこられたかなと思っています。

一方で、石巻市中心部では、
大型店などで営業が再開されています。

GW前半に、石巻市の牡鹿半島の避難所を視察しました。
同じ石巻市ですが、町村合併で石巻市になった地域のため、
石巻市の中心部から車で1時間近くかかります。

牡鹿半島の漁村のすべてが被災しており、
避難所数は牡鹿半島荻浜地区で8ヶ所、616名、
牡鹿地区で36ヶ所、1405名(4月28日現在)、
合計44ヶ所、2021名の方が避難所生活をされています。

基本的な物資配布はどこでも行われてはいます。
しかし、春物新品衣料はどこもほとんど届いていません。
作業着やジャージなども強く希望されています。
水道はまだ不通です。沢の水などで洗濯されている避難所もありますが、
全体としては肌着は使い捨て状態のようです。

牡鹿半島全体では、営業を再開している商店はまだ1軒もありません。
1軒だけ野菜を移動販売されているお店があるだけです。
集落によっては殆どの車が流され、移動手段が殆どないというところもあります。

愛知ボラセンでは、14日からの土曜は「牡鹿半島プロジェクト」として、
牡鹿半島の避難所を一つずつ周りながら
愛知の皆様からお預かりした支援物資を届けていきます。
このプロジェクトを通じて、
牡鹿の方々と顔が見える関係を築くことができればと考えています。

湊小学校では、支援物資の配布は行いませんが、
自衛隊の炊き出し(どんぶり物、汁物、おかず一品)にあわせて、
新鮮野菜サラダの提供(野菜は石巻のコープ宮城で調達)
キッズコーナー
健康相談&リラクゼーションを実施し、
これまでの関係をさらに深めていくようにしたいと考えています。


GW後半に、気仙沼市小泉浜ボランティアセンターで瓦礫撤去作業を行いました。
小泉浜ボランティアエンターでの活動は今後も継続していきます。

そこで、5月13日(金)~15日(日)の第8回現地ボランティアは
当初、バス2台の予定でしたが、バス3台で実施します。
1台は石巻市(湊小学校体育館&牡鹿半島プロジェクト)、
2台は気仙沼市小泉浜ボランティアセンターでの活動とします。

愛知ボランティアセンター
 代表 久田光政
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被災地レポート

2011年05月01日 10時02分24秒 | [東日本大震災]被災地ボランティア
こんにちは。愛知ボランティアセンターです。

愛知ボラセンでは、GWを利用して、1泊4日(車中2泊)の
被災地ボランティアを行いました。前回の4月22日からの
被災地ボランティアでは、大型バス3台の総勢130名の参加者で
被災地を訪れましたが、今回は、現地での宿泊を伴うため、
バス1台(46名)での実施となりました。

出発日の4月28日は、午後5時から東別院にて、
支援物資のトラックへの積み込み作業を行い、
午後7時に石巻へ向けて出発しました。
たくさんのボランティアさんが、積み込み作業に
手伝いに来て下さったほか、積み込み作業終了後も、
バスの見送りのために多くの方に残っていただきました。
いつも、仕分けボランティアに来て下さっている
「森林を守るバナナクラブ」さんからは、
毎度、たくさんのバナナの差し入れをいただいており、
今回も、バスに乗り込む参加者に、バナナが手渡されました。
みなさん、本当にありがとうございました。

バスは、東名高速道路、首都高、東北自動車道を通り、
翌29日の午前5時頃に宮城県に入りました。
各種メディアでは、GWの被災地ボランティアの殺到が
報道されておりましたが、目立った渋滞もなく、
午前6時頃には、石巻市内に入りました。(実際に、
被災地でボランティアが過剰になっている状況には、
一度も遭遇しませんでした!)

私は、今回で3回目の被災地訪問でしたが、一部地域では、
3週間前に比べ、ずいぶんと状況が変わっているという
印象を受けました。石巻河南IC付近では、ほとんどの土砂が
撤去されていましたし、私たちが活動拠点としている
湊小学校の近くも、がれきの撤去が進み、道幅が大きく
広げられていました。しかし、全半壊した家屋、
横転した車両、ひん曲がった電柱など、津波の爪痕は
未だはっきりと残っていました。

少し到着時間が早かったため、湊小学校から車で
10分ほどのところにある、日和地区を訪ねました。
日和地区は、北上川の河口付近、太平洋に面した
ところに位置し、石巻市内の中でも最も被害の
大きかった地域です。津波で、なにもかもが
流されてしまった、日和地区の惨状を目の当たりにし、
参加者の多くが絶句しました。日和地区は、
西側に日和山という丘があり、その下に門脇小学校があります。
この門脇小学校の付近では、大規模な火災が発生し、
校舎は全焼、校庭付近には、完全に燃え尽き炭化した
車両の骨組みなどが、露骨にグシャグシャッと
積み重ねられています。小学校の内部に入ると、
焼け焦げたにおいが漂っていて、はがれ落ちた天井、
骨組みだけになって整列している椅子と机、
炭化した教科書など、たいへん心が痛む光景が
広がっていました。
破壊された家、車、街を見ると、あたかも、
もともと、そこにそのような形で存在していたかのうように思え、
実感がわきません。しかし、そこに命があり、
笑顔があったことを想像すると、胸が締め付けられる
思いになります。







日和地区を視察後、一行は湊小学校へ向かいました。
ここからは、泥出しグループと、医療グループに分かれての
行動になります。





まずは、泥出しグループについてです。
校庭の一カ所に集められた土砂を土嚢に詰めるグループ、
小学校の近くのお宅にお邪魔して、泥出しを行う
グループに別れ、作業を行いました。お宅にお邪魔して
泥出しをしたグループの話を聞くと、泥との格闘が
予想以上にたいへんだったが、それ以上に、
被災された方々の日常と大切な思い出が詰まった品々を
処分していくことが、とても心苦しかったようです。
また、作業をしながらの被災者の方との会話も、
とても印象的だったようでした。作業が終わって、
「ありがとう。みんなのおかげで、明日からも、
またがんばれる気がする」という言葉をいただき、
それが本当に心に残っていると話していました。
一方で、言ってみれば「誰からも感謝されない」、
校庭の土砂の土嚢詰めに従事したグループは、
山積みにされた泥との格闘が本当にしんどかったようですが、
彼らの努力の成果で、校庭がとてもきれいになりましたし、
彼らの働きを見て、多くのグループが途中から作業に加わり、
人のつながりを実感できたと聞いています。
作業の終盤には、重機が入ってしまい
「今までの努力は何だったのだろう…」
と少し悲しみを覚えた方もいらっしゃったようですが、
みなさんが、一かきひとかき丁寧に作業したこと、
そこに込めた愛は、必ず被災地に届いていることと思います。

医療グループは、今回で3回目になる健康相談会を、
湊中学校にて行いました。現在、30名が避難生活を
送っている湊中学校では、講堂の1階に「みなと食堂」が
もうけられ、昼には、たくさんの方が、ここに集まって
お食事を取られています。その「みなと食堂」の横に、
健康相談コーナーを設置し、内科医・看護師・薬剤師が
中心となって、健康相談を行いました。高齢者や、
持病のある方を中心に、多くの方にお越しいただき、
できる範囲での健康面での支援活動を行いました。
もちろん、各医師会や赤十字社による医療活動は行われています。
しかし、様々な理由から「病院には行けない、行かない、
行きたくない」被災者の方にとって、私たちが、避難所で
行っている健康相談へのニーズはあり、愛知ボラセンでは、
今後も、こうした活動を継続的に行っていこうと思っております。
従って、現地ボランティアへの、医師・看護師・薬剤師の方の参加を
心よりお待ち申し上げております。
また、前回・前々回は実施した整体師によるマッサージ会は、
今回は、資格をお持ちの方がおらず、実施できませんでしたが、
また、参加者の中に整体師の方がいらっしゃれば、避難所で、
マッサージの実施もしたいと思っています。
震災発生から、1ヶ月がたち、ようやく自分の身体を
いたわれるようになったという被災者。
健康面における支援活動が求められています。



この日、南三陸町、気仙沼方面へ視察に出かけたスタッフからは、
完全に壊滅した南三陸町の痛ましい惨状に関する報告があり、
気仙沼ではボランティアの募集に関して「ボランティアが必要な
人を訪ねるのではなく、必要ではない人を訪ねることで、
ニーズを確認している」というほど、ボランティアが
必要とされているとの話がありました。日和地区の惨状でも
絶句した私たちでしたが、それを超える被災地があることに、
多くのメンバーが驚きを隠せない様子でした。

2日目の30日は、スタッフ3人が、湊小学校で8時から行われる
班長会議に参加することに、5時に起床し、6時に湊小学校へ
向けて、先に車を出発させました。5時半に朝食をとったのですが
、千人近くが収容できる食堂には、すでに、満席となるほどの人が
集まっていました。

湊小学校での班長会議では、各ボランティア団体からの報告や
連絡があったほか、湊小学校避難所の代表者からは、ボランティアに
依存しきっている湊小学校の現実に関して、被災者の自立という
観点から、現状の見直しが必要との提案も出されていました。

2日目も、1日目と同様に、泥出し作業を行い、湊小学校体育館で
健康相談会を実施しました。そして、私たちの活動の中心である、
応援物資の配布も、2時から行いました。「新品衣料を持ってくる
団体がある」という噂は、湊小学校避難所の被災者のみならず、
石巻の広域に広がっているようで、かなりの方が避難所に
集まってきました。配布開始を告げると、まるで戦争のような、
物資の「取り合い」が起こってしまいました。これは、
、私たちの物資の配布方法にも問題があると思っており、
たいへん反省しているわけですが、一方で、
一部店舗で営業が再開している湊地区においては、
こうした物資配布のあり方について、改めて検討する
必要があるということも感じました。







そのころ、スタッフの3人は、再び車で湊小学校を離れ、
視察のため、牡鹿半島へ向かっていました。途中、いくつかの
避難所を回り、現地の状況を確認してきました。なかでも、
もっとも印象に残った避難所は、蛤浜避難所で、20人規模の
小さな避難所です。入り江の地形のところに、26人が住む
小さな集落です。津波でほとんどの家が壊滅しましたが、
少し高台にあった集会所だけが被害を免れました。食べ物や
飲み物が全くないわけではありませんが、支援は、はっきり
いって行き届いていません。支援物資が必要とされています!
特に、春物の衣料はほとんどないといいます。

しかし、一方で非常に興味深く感じたこともありました。
流されてしまった木材から釘を抜き、がれきの中から使えそうな
板材を拾い、便器を拾い、浴槽を拾い、それを巧みに組み立てて、
お手洗いや浴室を手作りで作り、少しでも快適な生活を送ろうと、
さまざまな工夫を凝らしながら、生活をされていました。しかし、
集落にあった車が全て流されてしまったことから、山間の蛤浜から、
街へ出るための足がなく、非常に困っているとのことでした。
支援物資のニーズは、小さな、山間部の避難所にあるようです。
さて、余談となりますが、蛤浜では、牡蠣の養殖が盛んだそうで、
避難所の代表者をされている方も、牡蠣の養殖業を営まれていたそうです。
「肉が無くて困っている」と言われた矢先だったのですが、
生牡蠣を食べないかと勧めていただき、ご厚意に甘えて、
生牡蠣を食べさせていただきました。その場で、貝殻を
割っていただき、食べましたが、本当においしかったです。





そのほかにも、いくつかの避難所を回りましたが、
牡鹿半島の小規模な避難所では、やはり避難物資が
不足しているほか、常駐のボランティアもおらず、
ボランティアに依存していて、支援物資を求め多くの人が
殺到するという湊小学校の状況とは大きく異なっている
ことが分かりました。

また、牡鹿半島の沿岸部は、やはり壊滅的な被害を受けていて、
残っているのは基礎だけという光景が、いたるところに見られました。
大きな船も、多数、陸に打ち上げられています。だんだん、
そうした光景が「当たり前に見えてくる」恐ろしさも感じました。
感覚が麻痺してきているような気がしました。また、行けども行けども、
津波の爪痕ばかりで、今回の震災の被災地が、実に広域に
及んでいることを、改めて実感したところです。

4時には全ての作業を終え、名古屋在住のパキスタン人が
行っているカレーの炊き出しをいただき、名古屋へ向けて
バスを出発させました。バスの出発の際に、泥出しを行った
家の方が、最後まで見送りをして下さいました。そのお宅で
泥出しをしたボランティアにとっては、特にうれしく、
また感動的な光景だったことでしょう。



今回の訪問では、いつも通りの支援活動に加え、他地域の視察を
通じて、あらたなニーズを発掘できたほか、現状の支援のやり方への
問題点についても把握することができました。今後も、愛知ボラセンでは、
現地ボランティアを引き続き行っていく予定です。常に、現地の状況に
即して、あるいは、新たに入手した情報に基づき、支援活動の形態に
ついて検討し、よりよい支援のあり方を模索していこうと思っています。

また、愛知ボラセンのメインとなる支援は、現地に行くこと
だけではありません。名古屋の地で、丁寧に、愛を込めて仕分けを
して下さっているボランティア活動があり、そして、その上に、
被災地ボランティアが成り立っています。従って、現地に行くことだけが
、立派で、すばらしいわけでもありません。被災地を応援している
全ての人の気持ちを代表して行くのが、私たち、現地ボランティアの
使命だと思います。今後とも、皆様のご支援・ご協力をよろしく
お願いいたします。


PS
被災地レポートですが、今まで、2回にわたって、
執筆を怠ってきました。誠に申し訳ございませんでした。
今回こそは!と、バスの中でPCに向かっています。
このレポートを通じて、皆さんに、愛知ボラセンの活動について
知っていただきたいと思いますし、また、現地の状況についても、
ニュースや新聞が伝えない実情をお知らせできればと思っています。
今後とも、愛知ボラセンブログをよろしくお願いいたします。

文責:広報担当・鈴木健介
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[重要]現地ボランティア参加者の方へ

2011年04月26日 14時33分29秒 | [東日本大震災]被災地ボランティア
現地ボランティア参加者の方へ

こんにちは。
愛知ボランティアセンターです。

週末の現地ボランティアへ参加される方へ、
お願いがあります。

東別院へお越しの際は、
公共交通機関等をお使いになってお越し下さい。
東別院は、地下鉄・名城線「東別院駅」から徒歩3分です。

マイカーでお越しの場合、
東別院の駐車場に駐車することはできません

もし、お車でお越しの場合は、
近くのコインパーキングを利用するなど、
東別院内に駐車されないよう、お願いを申し上げます。

なお、応援物資をお届けになる際など、
短時間の駐車であれば、東別院内の駐車場を
ご利用下さっても結構ですが、
長時間の駐車はなさらないよう、お願いいたします。

私ども、愛知ボランティアセンターは、
東別院さんのご厚意で、お茶所をご提供下さり、
日頃活動をさせていただいております。
皆様のご協力をよろしくお願いいたします。


文責:鈴木健介
コメント (3)

差し入れありがとうございます

2011年04月26日 00時59分09秒 | [東日本大震災]被災地ボランティア
ご報告が遅くなりました。
先週の金曜日の石巻ボランティアは総勢129名(スタッフ含む)の大所帯でした。

出発に際し、バナナくらぶさんより
こんなダンボールにいっぱいのバナナを3箱も、差し入れ頂きました。
 配り終わりそうなころに撮った写真なので、伝わりづらいですが、
 本当にたくさんのバナナでした。

ありがとうございました!


毎回金曜日の出発の度に、いろいろと心配りの差し入れをご用意して頂いていますし、
仕分けボランティアとしても、たくさんの方がご参加して下さっています。
120人もの参加者がスムーズに受付できたのも、みなさんのチームワークのおかげです。

愛知ボランティアセンターはいろいろな方に支えて頂いて、継続することができています。
ありがとうございます。
コメント

被災地レポート3

2011年04月16日 08時19分53秒 | [東日本大震災]被災地ボランティア
愛知ボラセン・鈴木健介です。仙台市に入りました。津波の爪痕がはっきりと残っている地域を目の当たりにしました。まだ田畑には海水が残り、瓦礫があちらこちらに散乱しています。一方で、そこから数分車を飛ばせば、被害がほとんどなかったりと、道路一本、橋一本が命運を分けたという、この現実が、私にはとても複雑に感じました。
石巻まであと40キロ。09:30から10:00ころの石巻到着となりそうです。
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活動予定カレンダー