色々と書きたいことはあれど、時間の奴隷になってしまうと休日はあっという間、昼間は蒸し暑いですが夕方になると涼しかったり、朝方は冷えたり、電車の中と店は冷房効きすぎだったりと温度差に体がついていかない日々の中、郷里の生活に慣れないところへ、さらに慣れない仕事をするという無理が加わり、緊張感ハンパなくって、どこまで自分はやれるのだろう、これから自分はどうすればいいのだろうと考えてしまうと眠剤なしでは眠れなくなってきました。余裕なさ過ぎていつもぎりぎり、生きていくということは大変なこと。がんばれって言われるのつらいし、一日一日いつケリをつけるかわからないので外へ勤めに出るようなったこと、あまり言いたくないの。でもがんばんないといけないんですよね、与えられたいのち、終わりの時が訪れるまでがんばって生きて抜いていくほかないんですよね。二人のさゆみさんの退団公演をみるまでは死ねないからさ、7月の平日と9月の平日の日帰りバスツアー、催行決定したからさ、それまでへこたれずに生き抜くだよ、自分。星組のチケット、取れてない方たくさんいらっしゃるみたいですが、花組は旅行会社に割り当てられるチケットでさえも大変なことになっているようですが、郷里近郊からのバスツアーはチケットあります、催行待ちだったりします、催行になると思いますが、車の密度は高いけど人の密度は低いとこうなるの?っと驚き。おかげさまで自分はバスツアーに参加して観劇できる予定なのでありがたや、ありがたや。
『壬生義士伝』、「吉村寛一郎や大野次郎右衛門をはじめ、この小説の登場人物はみな真面目で、切実で、痛ましいほど余裕がない」と原作者の浅田次郎さんがプログラムに書かれています。そして幸運な小説であるとも。「おそらくは観客の皆様のうえにも、劇場を出て涙の乾いたその瞬間から、思いもよらぬ幸運が訪れるにちがいない。」とも。希望がもてる言葉をありがとうございます。レミゼを観劇したあとの感覚に少し近いものがわたしの中ではあるかなと思いました。寒さの厳しい中、今のように設備が整っているわけでもなく食べるものがどこにいても手に入るわけでもまだない時代を一日一日生き抜いていった人々の物語。生きていくということは壮絶なことなのだということを思い出させてくれる物語。握り飯が大きな役割をもっていました。寛一郎が自分の分を分け与えた握り飯と寛一郎に切腹を命じた次郎右衛門が長男に運ばせた握り飯に寛一郎は口をつけないまま旅立っていった、ふたつの場面の握り飯。朝美絢んさんの、卑屈な斎藤一、弱そうにみえて実は強い寛一郎、郷里に残してきた家族の自慢をする寛一郎に嫌悪感をおぼえて最初は斬ってしまおうとするいやらしさなど絶妙でした。歌も芝居もますます冴えわたり。日本物の伝統をたがえることのない、雪組らしい役者がそろった舞台だなあと感じました。新選組の隊士たちが登場して歌い踊る場面、動きの美しさが雪組味だなあと。切腹を命ぜられながら自分では死にきれなかった小川信太郎を演じていたのどなたかなとプログラムをみると久城あすさん。所作も芝居もほんとに雪組味。土方歳三の彩凪翔さん、沖田総司の永久輝せあさんも美しい雪組味。この作品を上演するための役者がそろっています。専科から凪七瑠海さんはショーにも出演。同期が続々と退団していくなかでの望海さんとの同期共演、おそらくもう二度とないであろう、真彩ちゃんと望海さんとの三角関係の場面は希少でした。
芝居のこと、本当はもう少し腰を据えてがっつりと書き連ねたいところですが疲れてしまっていてだめですね、中途半端になってしまいました。明後日のことはわかりませんが、お給料をもらってしまったので明日は行かねばならず時間切れとなってきました。生きていくためには収入が必要、生きていくために働く、寛一郎のように命がけで働かなければならない。みんなそうですよね。働くことの意味だとか仕事があることはそれだけで尊いとかきれいなこと言ってられない。生きていくために働く。己に鞭打って起き上がって電車に乗る、みんなそうですよね。 明日動けるかしらね、自分。
25日の花組の横浜アリーナチケット、結局手放していません。行けないけど、ライブビューイングに行くんだけど、ぴあの掲示板やツイッターをみているとわたしのように行けなくなった人のチケットが余っているのかな。自分のも含めて当日券として売ってほしいぐらいですが、発券されたチケットはわたしのもとにあるからどうしようもないですよね。チケットは早い時期から申し込まないと入手できない。キャンセルは不可。行けなくなった時行きたい人の手にわたる仕組みがあるといいなあと今回しみじみ・・・。
『壬生義士伝』、「吉村寛一郎や大野次郎右衛門をはじめ、この小説の登場人物はみな真面目で、切実で、痛ましいほど余裕がない」と原作者の浅田次郎さんがプログラムに書かれています。そして幸運な小説であるとも。「おそらくは観客の皆様のうえにも、劇場を出て涙の乾いたその瞬間から、思いもよらぬ幸運が訪れるにちがいない。」とも。希望がもてる言葉をありがとうございます。レミゼを観劇したあとの感覚に少し近いものがわたしの中ではあるかなと思いました。寒さの厳しい中、今のように設備が整っているわけでもなく食べるものがどこにいても手に入るわけでもまだない時代を一日一日生き抜いていった人々の物語。生きていくということは壮絶なことなのだということを思い出させてくれる物語。握り飯が大きな役割をもっていました。寛一郎が自分の分を分け与えた握り飯と寛一郎に切腹を命じた次郎右衛門が長男に運ばせた握り飯に寛一郎は口をつけないまま旅立っていった、ふたつの場面の握り飯。朝美絢んさんの、卑屈な斎藤一、弱そうにみえて実は強い寛一郎、郷里に残してきた家族の自慢をする寛一郎に嫌悪感をおぼえて最初は斬ってしまおうとするいやらしさなど絶妙でした。歌も芝居もますます冴えわたり。日本物の伝統をたがえることのない、雪組らしい役者がそろった舞台だなあと感じました。新選組の隊士たちが登場して歌い踊る場面、動きの美しさが雪組味だなあと。切腹を命ぜられながら自分では死にきれなかった小川信太郎を演じていたのどなたかなとプログラムをみると久城あすさん。所作も芝居もほんとに雪組味。土方歳三の彩凪翔さん、沖田総司の永久輝せあさんも美しい雪組味。この作品を上演するための役者がそろっています。専科から凪七瑠海さんはショーにも出演。同期が続々と退団していくなかでの望海さんとの同期共演、おそらくもう二度とないであろう、真彩ちゃんと望海さんとの三角関係の場面は希少でした。
芝居のこと、本当はもう少し腰を据えてがっつりと書き連ねたいところですが疲れてしまっていてだめですね、中途半端になってしまいました。明後日のことはわかりませんが、お給料をもらってしまったので明日は行かねばならず時間切れとなってきました。生きていくためには収入が必要、生きていくために働く、寛一郎のように命がけで働かなければならない。みんなそうですよね。働くことの意味だとか仕事があることはそれだけで尊いとかきれいなこと言ってられない。生きていくために働く。己に鞭打って起き上がって電車に乗る、みんなそうですよね。 明日動けるかしらね、自分。
25日の花組の横浜アリーナチケット、結局手放していません。行けないけど、ライブビューイングに行くんだけど、ぴあの掲示板やツイッターをみているとわたしのように行けなくなった人のチケットが余っているのかな。自分のも含めて当日券として売ってほしいぐらいですが、発券されたチケットはわたしのもとにあるからどうしようもないですよね。チケットは早い時期から申し込まないと入手できない。キャンセルは不可。行けなくなった時行きたい人の手にわたる仕組みがあるといいなあと今回しみじみ・・・。