たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

はみだしっこ

2016年10月22日 22時47分23秒 | 日記
 今日は憲ちゃんルド、中日劇場で大千穐楽でした。カテコの挨拶がこれまたすごく可愛かったみたいで、帝劇で会えなかったのかえすがえすも残念。ということでお写真は憲ちゃんルドとエリザカンパニー。アンサンブルメンバーの福永悠二さんのツィッターからお借りしました。憲ちゃんの肩を抱いているのはたあたんママ(エリザではばあば)というのも嬉しい。蘭ちゃんシシィとソンハさんルキーニも清々しく大千穐楽を迎えられたようで、ツィッターをあれこれと読みながらしばし幸せな気持ちになることができました。蘭ちゃんシシィを見逃してしまったことを後悔。もうないのかな・・・。

 お写真とは全く関係なくここからはまたグチ日記です。今日責任者の女性にタイミングで、「たんぽぽさん仕事はできるけれど、そのほか色々なことでアルバイトの話を紹介するのは厳しいと思うので自分で見つけてください」って言われてしまいました。昨日書いたように一応手を挙げたもののやめておけばよかったかな、辞退しようかなと考えていたので、「自分でもきびしいかなと思っています。お心づかいをいただき、ありがとうございます」と返事をして話を締めました。これ以上はもういいです、ほんとに。言われた内容のどこまでが組織体としてのご意見なのかどこからが個人的なご意見なのかよくわかりませんが、2月8日の就労開始からあまりにも怒られ続けてきているし、あんまり評判のよくない方だと教えてくれた人もいるし、組織体としてあまりにも古すぎるし、こういうかたちで借りをつくるような、こういうつながりをつくってしまうようなことは辞めた方がいい気がするのでこれでよかったのかなとほっとしているところがあります。ただこっちから辞退する前に言われてしまったのがちょっと悔しいです。まあわたしはこの方個人が求める規格、組織体として求められる規格から大きくはみ出し過ぎてしまっているということなんだとあらためて思います。13年間働いたカイシャから使い捨て同然のモノ扱いにされて、損害賠償を求めたら凄腕弁護士が出てきてズタズタにされ、社会への怒りと悔しさでどうにもならなかったところからここまでなんとかやってきましたが、なんか悪いことした人みたいに一生懸命にその事実を隠しながら、なんでもないようなフリをしてきたのがすっごい苦しいです。かなり鎮まってきてはいるけれど、まだまだ怒りと悔しさは渦巻いているし、社会のヘンを見過ぎてしまったので、ヘンに気づきすぎてしまって、見えすぎてしまってすっごい苦しいです。たぶん他の人たちが感じていないようなことをたくさん感じすぎてしまっています。社会の矛盾をさらに知ることとなってしまったようで場所と内容で、勉強にはなりましたがもういいです。一般的にはよかったね、っていうイメージですが、それは違うのだということがよくわかってしまいました。ツテだのみで居続けたいとは思いません。カイシャでそんなに根詰めてがんばっていると病気になっちゃうよってなんどか言われましたが、カイシャよりもさらに果てしなく根詰めて覚えようとしたりがんばろうとしたりすると病気になってしまいそうなこと。それを黄色い声あげ続けている責任者と一緒に雇用形態を変えてもなおやりたいとは思わないし、ヘンなつながりも持ちたくありません。わたしには合わないこと。評判とか人のうわさとかおそろしいような気がします。残り二カ月と一週間となりましたがその前にマンションの契約終了日がやってきます。こんな病気になってしまいそうな仕事を無理しても仕方ないし、がんばっても仕方ない。実家に引き上げるんだったら年末の契約終了を待たずにフェイドアウトするしかない。なんのために働いているのか、仕事ってなんなのか、限りある人生の時間、これから自分はなにをすべきなのか、なにを信じて生きていけばいいのか。大きすぎる決断をなかなかできないままズルズルときてしまっているわたしがいます。1月と2月に舞台のチケットを何本もとっているのでそこまではいるか?収入途切れるのに何いっているんだか・・・。

 あと一週間で11月だというのになんだか暑い。鳥取で大きな地震があったし、ほんとどこでどうやって暮らしていけばいいのだろうかと考えてしまいます。3.11の恐怖体験のあとからずっと考えて続けていますが答えをみつけられないままズルズルときてしまっています。父も母もお星さまになりました。本当に自分のために生きるとき。使い捨てからの仕切り直しというにはあまりにも合わない就労場所と仕事でした、ってまだ終わっていません。明日一日休んだだけで来週はフル勤務なんですけど気力失せました。どうしましょう。今日もお写真とは全く関係なく長々とグチ日記でした。

大きくなったね

2016年10月21日 22時35分58秒 | 日記
 明日は名古屋で『エリザベート』前楽。ということで山崎育三郎さんのツィッターにアップされた憲ちゃんルドとのお写真をお借りしてしまいました。残念ながら帝劇で会えなかったけれけど、憲ちゃん6月から始まったロングラン公演の間に大きくなったね。表情がちょっと大人になってきています。万里生さんフランツのブログにはハンガリー国王の王冠をかぶせてもらっている憲ちゃんルドとフランツパパとのツーショット写真。田代さんが舞台裏の写真をアップされるのはめずらしいので嬉しいショット。

田代万里生オフィシャルブログ「ハンガリー国王?」
http://ameblo.jp/mario-capriccio/entry-12211856521.html

 兄弟で同じ役を演じて、同じ役者さんと舞台に立つなんて加藤兄弟ぐらいかな。来年ガブローシュを期待してしまいます。期待していいかな・・・。こうして子役が成長していく姿におばさんは元気をもらっています。

 明日は土曜日ですがわたしの中では出勤日の週末、金曜日。来週は五日間の間に13時半からのお昼休憩が三回もあってぞっ。今は考えない、考えない。まずは明日一日が一秒でも早く無事に終わるようにと願っています。ここからはいつものグチ日記ですが、今日は責任者の女性に「服装にメリハリをつけて」って言われてかなりむかついてしまいました。表情には出しませんでしたけどね、今さらのようにそんな嫌な言い方しなくてもいいのに、と思いました。前職のカイシャでも着ていたもので黒やグレーの地味な色ばっかりだし、たしかに他の人より一枚多いけれどヘンな恰好しているつもりはないけどなあ。そもそも職員さんたちがそんなにメリハリのある恰好しているように見えないし、むしろ、えっこんな恰好でいいのかしらと心配になるぐらいの方が散見されますけどね。どうなんでしょうか。一般的には、よかったね、次の仕事も引き続きあるといいね、って言われる就労場所ですが、色々と勉強にはなりますが、内容が面白くないし、何に疲れるのかよくわからないですがなんだかすごく疲れるのでわたしはもういいなあと思います。わたしも確かに漠然としたイメージでいいなと思っていたところがありましたが実際に入り込んでみるとあまりいいと思えません。わたしなんでこんなところにいるんだろう、何やっているんだろうとふと思ったりしています。一応一月からのアルバイト紹介希望に手をあげましたが、それでこんな嫌な言い方されたりすると、この方に紹介してもらったりするのはやっぱりやめておいた方がいいのかなという気がします。あとで色々と面倒くさそう。業務内容よりも環境でわたしには無理かなあと思います。かといってほかに行きたいところも行くところのあても全くないのでむずかしいところ。本当は一度リセットボタンを強く押したいです。残念ながら今の就労場所と業務内容ではリセットボタンを強く押すことになりませんでした。完走できたら心の底から一度リセットしたいです。あと二か月と一週間と一日。ここまできても一日一日でしか考えられません。明日も長い一日。面白い仕事ではありませんでした。もういい・・・。

可知さんのツィッターにも元気な憲ちゃんの姿が・・・。
https://twitter.com/Kachi_de_Gesu/status/789329310637170688

 すごく気持ちが救われます。元気をくれる加藤兄弟に感謝、ミュージカルに感謝。こうしてどうにかこうにか生き延びる日々は続いていきます。明日も帰宅したらツィッターなどチェックするのを楽しみになんとか一日を過ごしたいと思います。どうか一秒でも早く無事に終わっていきますように・・・。




映画『クハナ』観てきました

2016年10月20日 22時22分44秒 | ミュージカル・舞台・映画
 朝から晴れわたった一日。『クハナ』を観てきました。地下鉄の出口を間違えてしまい、さらに同じような高層ビルが立ち並ぶわかりづらい場所で、なかなか映画館にたどり着くことができずに焦りましたが、電話で問い合わせながら歩いてなんとか上映開始に間に合いました。対応が丁寧でありがたかったです。このあたり日陰がほとんどないので陽射しがたっぷりの時は暑くって大変なんですよね・・・。

 作品は、心の中に光のさざ波がしずかにゆらめくような余韻が残る仕上がりでした。低予算でよくぞここまでという完成度。エンディングで流れるテロップのスポンサー名をみながら、ゼロからよくぞここまで集めたなと思いました。押しつけがましくなく元気をもらえる作品。しっかりとした脚本と役者さんたちのたしかな演技力。上映時間も、飽きることなく同時に物足りなさを感じさせることもなく、ちょうどいい長さだと思いました。清史郎君の小学生役に違和感なし。モテ役だったんですね。あまり多くを語らない静かな演技に役者としてのたしかな技量を感じました。W主演の松本来夢さん・久志本眞子さんとのバランスもよかったと思います。お二人の演技も素敵。松本さん足長! 東京に本社のある大会社?の派遣社員として工場で働く地元の人たちが一斉に解雇されるという背景はわたしにとってすごくリアルでした。そこに子供たちを巻き込みたくない大人たちのあったかさに気持ちが救われました。「人生楽しまなくちゃ」。ウド鈴木演じるバスの運転手がいい味出してました。あれやこれやの想いはまた後日あらためて書きたいと思います。

 今日がわたしの土曜日。明日と明後日出勤でまた曜日の感覚がおかしくなってリズムが崩れ、来週はまたぞっとするような5日間連続勤務。こんなことがまだあと5回も・・・。先を考えると心の底からいやになるので、まずは明日と明後日。自分勝手オバチャンにイラついて眉間にしわ寄りそうになった時は清史郎君のサインを想い出すことにしましょう。そしたらなんとか生き延びることができるでしょうか。



ライトの加減でうまく撮れず・・・。




『就職・就社の構造』より_OLから見た会社_清水ちなみ(1)

2016年10月20日 16時53分50秒 | 本あれこれ
 (しみず ちなみ。一 九六三年生れ。OL時代、会社を余裕とユーモアをもって観察。のちに「OL委員会」をつくり、「 おじさん改造講座」を『週刊文春』に長期連載。 他の著書に『 会社の真実』(佐高信との共著) など。)
  
 先日、聞いて笑ったのは「 東京海上の女の人はみんな眉が太い 」という話だった。
 
 もちろん私は確かめたわけではないし、こういう話は多分に 誇張されるものだし、またどこにでもある話なので、東京海上さんにはこんなところに登場していただいて申し訳ない話である。「 眉が太い 」というのは、たぶんはっきりとした顔立ちの美人だ、ということでしょう。

 「去年入社の女の子は全員長身で髪が長く、人事部長が変わった今年は全員ぼっちゃり型」「人事の人が紳士で、こういう人と一緒に働きたいと思って入社したら、入社後せまられた」などという話は、掃いて捨てるほどある。どうしても、OLは、いつまでたっても「仕事をする人」としてではなく、「面倒をみてくれる女の子」としてしか見られていないようなところがある。女子学生の採用にしても、景気が悪くなったとたんにどん底まで落ち込んだ。もちろん生理も出産も子育てもしない男の人とはモノが違うので、一方的に企業側が悪いというわけでもなく、これは他のいろいろな問題とも絡み合っている。

  就職活動は、学生のうちに行なわれる。

 「会社」という場は経験したものにしかわからない部分がとても多く、厳しい面と甘い面、仕事内容から人間関係まで、それはとても説明しづらい性質のモノだ。そういう「会社」を未経験のまま、学生はもしかしたら一 生のことになるかもしれない選択をしなければならない。未経験者のあやしい想像力だけでコトは決まってしまう」この点、就職は結婚と似ている)。これは男子学生にとっても大問題だと思うが、女子学生の場合さらに困難なのは、会社に入っていきなり男女差があからさまになってくることである。あやしい想像力ときびしい現実とのギャップがあまりにも大きい。
 
 会社に入ればそこは「 仕事をする場だ」と思って当然だし、そこに待ち受けている人たぢは「上司」のはずだ。しかし、入社してみると、「お茶入れて」「弁当買ってきて」「指ケガしちゃったんだけど、包帯ある?」「お金なくなっちゃったんだけど、おろしてきてくれない?」「今日は子供が誕生日なんだけど、そごうに行ってウルトラマン買ってきてくれないか」……。OLは「 部下が入ってきた」ではなく、「 女の子が入ってきた」というふうに迎えられる。
  
 職場がギクシャクする原因の元は、まず入社の段階にあると思う。「社員」を求めているのか、「女の子」を求めているのか、入社の段階ではっきりとさせるべきだ。採用する側も、採用される側も、すべて「たてまえ」だけの採用試験など、何の意味があるのかよくわからない。 女子社員の採用にあたって、会社側の本音は何か、女性側の本音は何か。
 
 正確な答えを出そうとすれば「会社による」「人による」と答えるしかないだろう。本当に女性も使わなければやっていけないと思っている会社。やさしくて見栄えのする女の子に面倒をみてもらい、数年経ったら辞めてほしいと思っている会社。何らかの形でずっと勤めていたいと思っている女性。内容はともかく楽な仕事で給料をもらっていられればいいと思っている女性。確実に、両方存在する。
  
 しかし会社が「容姿端麗」と言えば、きっと聞こえも悪いし圧力もかかるだろう。就職希望者が「腰掛けです」と言えば、採用試験に落ちてしまいそうな気がする。押し並べて全員が「バリバリやってもらテ」「バリバリ働く」と言うしかない状況にある。人も会社もバリバリを望んでいるという前提だ。入社の段階で、もっとうまく本心のすり合わせができないものだろうか。
 
  それには、やはり、もう少し転職が当たり前になるべきだと思う。新卒時に何もワカラナイの がむしろ当たり前。学生がいったん就職をし、会社員とは何か、仕事とは何かを自分なりに掴んだうえで「 じゃ、私はどうしたいのか」を選択できるようになったら一 番いいと思う。新卒はプレビュー、第二新卒が本番というのはどうだろうか。特に、女性は出産があるので、どうしても一度辞めざるを得ない状況がくる。その後の受入先はないも同然。三十歳とか、三十五歳とかの社会人経験者が長期的な視野でもって就職をする、企業側には新入社員よりむしろこっちを重要視してほしいと思うのだが、なかなかそうならないのは私の知らない何かマズイ点があるのだろうか?
  
 さて、そんなこんなで、一般的にOLはあまり会社から期待されていない立場にある。期待してくれない相手に「 期待しろ」と怒ってもはじまらないので、その辺を責める気はない。そういえば総合職などというのもあったが、あれは景気のいいときに企業側が余裕をみせていただけで、 ただの企業のPRだろう。とても本気だとは思えない。現実の問題として、今の例階で女性に総合職と一般職というコースがあるならば、上司にも「総合職を仕える上司」と「一般職を使える上司」というコースがなければ話にならない。
 
 というわけで、一般に、OLはあまり会社から期待されていないということにさせていただく。会社から期待されないということに関してのラッキーな点とアンラッキーな点を考えてみたい。

  まず、アンラッキーな点。

  給料が上がらない 、昇進しない 、かわりばえのしない仕事が長期間にわたる等、普通に考えていけばいくらでもあるが、大きなのを二つばかり挙げたい 。

 ひとつは、精神的につらい。

 会社がOLに期待しない、できない一番の原因は「いつ辞めるかわからない」ということだろう。責任のないつまらない仕事ばかりしていれば、数年で嫌になるのは当然だと思うが、もしちゃんと仕事を与えたとしても「いつ辞めるかわからない」危険性は男性より高い。最近は、結婚退職よりも出産退職が目立つので、根本は「 出産」である。

 つまり、仕事における能力差ではない。 仕事に向いている人も、いない人も、男女の区別なく存在する。ということは、現在の職制で、 仕事に於いては「ムリざせられすぎている男性」と「ラクさせられすぎている女性」が多いと思ってまちがいないだろう。

 尊敬できない上司の下で、「バカみたい」と思いながら毎日を過ごすのもつらいものである。 どの上司と組み合わされるかは、もう運だとしか言いようがない。

ふたつめは、割りと壮大な話なのだけれども、会社がOLに期待しないということは、OLが会社員として一生過ごしていくことがムズカシイということになる。会社員でなくなったOLは どうやって生活の糧を得ることができるか。会社以外の場で働くか、自らで事業を起こすか、結婚か何かで誰かに食べさせてもらうしか手がない。女の人はたいてい男の人と結婚するので、会社が男の人中心でやっていくということは、社員の男の人それぞれに一人ずつ女房がぶらさがってくるということだ。たぶん今までは、こうやって必要以上に男性が働き、女性が内にこもって いた。
  
 大人の人を見ていると、男性は「女房子供を養っていかなければ」の思いが優先するために必要以上を堪え、女性も社会参加から隔離されて必要以上に教育ママに走っているように見える。何もかも「会社のため」「家族のため」「子供のため」にしてしまうのは、あまりにも「自分」が なさすぎやしないか、これじゃ結婚したと同時に自分は死んでしまったも同然だと思うのだがどうか。家族や子供がいなくなったりしたら、自分さえも消滅してしまいそうだ。
 
  会社や税金やの仕組みには、扶養手当とか、扶養控除とか、男性社員しか社宅に入れないとか、 ゴミは朝出せとか、こまごましたことまで全部、「女性が働く」と不都合なことがとても多い。 本当に会社のなかで男女の区別なくみんなが働けるようにしたいのだったらば、雇用の機会の均等というだけでなく、扶養控除や扶養手当の撤廃、保険制度の見直しから、ゴミの出し方まで変えていく必要があるのではないかと思う。なんにしろ会社のしくみと家族のしくみは、切っても切り離せないものだ。

  短絡的だが、次の世代は教育ママをおんぶしたマザコンが大量に入社するのである。みんな、それで幸せなんだろうか。 次にラッキーな点。

 会社に 期待されなくてラツキーな点とい うのは、ひとことで言えば、会社の思想の中に入らなくていいということだ。会社からみれば、体内に異物を飼っているような状態かもしれない。
  この「会社の 思想」については、会社に期待されている(はずの)上司の方々を通して考えてみたいと思う。変であるのは確実だ。なぜそれを変だと思わないのか、不思議なことはたくさんある。
  
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 以前、ゲストに呼んでいただいたあるテレビの番組で、おもしろいことに気がついた。 その番組では、日本の企業で働く外国人の女性が「日本の会社はヘン」と思うことについて列挙していたのだけれども、これが十のうち九までが、私たち日本の女性が「ヘンだ」と思っていることと共通していたのである。だからたぶん、私たちOLの疑間と、海外から向けられる疑間とはわりと近いのではないかと思う。
  
(『就職・就社の構造』岩波書店、1994年3月25日発行、113-119頁より引用)。


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 10年あまり前の卒業論文執筆時に読み切れなかった参考文献をぼちぼちと読んでいます。
 
 ここに書かれているような一般職の正規雇用の女性、いわゆるOLが現在どれぐらいいるのか私はわかっていません。「面倒をみてくれる女の子」をハケンに求めているというのが私の実体験。新しくハケンの「女の子」を雇うっていうと、若くて使いやすい「女の子」を求めているというのが私の実体験。様々な雇用形態の人がひしめきあっている会社はますます「ヘン」なことになっているというのが私の実体験。「ヘン」なのは会社だけじゃないですけどね・・・。

 今日はわたしの土曜日だったので映画を観た後、久しぶりに大手銀行の窓口に行きました。行きたくなかったけれど雨で湿った通帳の記帳がATMではできなくなってしまったので仕方なく。去年パートの募集で面接に行ってしまってからますます嫌いになった某大手銀行(この面接の詳細はもうひとつのブログに書いています。)自動ドアが開いて入るとさっそくロビーの案内係の女性が「ご用件は?」と声かけてくる。私これうざくって大嫌いなのでささっと交わして番号札ひきました。番号を呼ばれると窓口で必要最小限のことだけ伝えてささっと用事をすませました。この小さな営業店の中に正規雇用の職員はどれだけいるでしょうか。少なくとも案内係と窓口の女性は、私が一年前間違って面接に行ってしまった、系列の派遣会社が採用代行を行って採用された、なんとかスタッフと名付けている専業主婦のパートタイマー。扶養控除の範囲内で働くっていうやつです。ロビーでご高齢の、お金たくさんありそうな男性に盛んに外貨預金など売りつけようとしていたすごい化粧の女性もやはり専業主婦でしょうがこの方はたぶん中途で採用されたフルタイム勤務。扶養控除の範囲外で働けますってやつです。こういう営業業務だけフルタイムで採用しているというのが私の知ったこと。小さな営業店の中だけでもいくつもの雇用形態の人たちがひしめき合っているであろう銀行に行く度になんとも言葉にしがたいギスギスした気持ち悪さを感じてしまうのは私だけでしょうか。

 ますます「ヘン」になってきている会社で働きないとは思いません。私はこれからどうやってごはんを食べていけばいいのか、私はこれからどこでどうやって生きていけばいいのか、全くわかりません。


就職・就社の構造 (日本会社原論 4)
クリエーター情報なし
岩波書店

静かな一日でした・・・

2016年10月19日 23時27分05秒 | 日記
 昨日は初めてこのブログを訪問してくださった方が多かったでしょうか。ありがとうございます。平日&月の二回は土曜日の出勤日はほぼグチを書き連ねています。大草原の小さな家への旅の写真アップなど遅々として進んでおらず、ぼちぼちとやっていきますのでよろしかったら気長にお待ちいただければと思います。一応FBのアカウントを持っており時々人とつながりたくなって投稿しますが、なんか苦手で友達は20人いないかぐらいで増やそうとも思っていません。自分がつながっている人のつながりで全く知らない人が、お友達じゃないですか?って表示されるからでしょうか、全く知らない人から承認リクエストがくることありますがおそろしいので削除します。承認欲求になっちゃうし、長々と好き勝手に書くことができないので、やっぱりブログがいいなあと思います。閲覧の多かった記事、自分で読み返しながら、こんな文章を書いていたんだと驚くことがあります。今日も驚きました。

この文章、今の自分には余裕がなくって書けません。
http://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/07ac9127f0eaf4ac6a08d5245f4c4e59?fm=entry_awp

 今日も何とか一日が終わり残りの稼働日数が一日減りました。明日はわたしの土曜日でお休み。今日は自分勝手&おしゃべりパワー全開オバチャンの土曜日で不在だったので静かな一日でした。怒りをぶちまけてきそうな方がいらっしゃってドキドキしましたが、責任者を出してって言われたのですぐに役職者を呼びにいって対応してもらったら事なきを得たので嵐のようなことは起こりませんでした。オバチャンの吠え声がきこえないとほんとに静か、ふだんどんだけ自分勝手にうるさいんだよ、ってあらためて思いました。毎日こうだといいですが残念ながら月に2-3回のこと。あと二カ月と一週間余りとなりました。あと数えるほどになってはきましたが、まだカウントダウンをはじめるには早いです。クリスマスが近くなってからだなあ。今朝も無駄に早く目がさめてしまい、そこからまた眠ったので起きた時は辛かったです。なんだか気疲ればっかりしてしまって、出勤を控えていると眠っていても緊張しているみたいです。詳細は書けませんがほんとにひとつひとつ注意力が必要で油断が禁物な難しいことばっかりなんだなあと今日も実感しました。求人票からイメージしたような単純なことはほとんどありません。作業自体はたしかに単純ですが、怒りをかわないようにすれすれのところで言葉を選びながら対応しなければならない感情労働なんですよね。すごく疲れます。そこへもって自分勝手なすごい人が身内にいるから気力が失せそうになります。ほんとに細かくて難しいことの連続。カイシャでやってきた仕事と全く質が違うのでやっぱり慣れません。高齢の方々にほぼ毎日のようにお目にかかることも初めてなので、色々と考えてしまいます。人はこうやって老いていくものなんだ、自分もいつかはこうなるのだろうか、自分はどうやって老いていき、どこで最期を迎えるのか、考えてしまいます。90歳を過ぎてすごくお元気な女性にお会いしましたが自分にそこまで生き抜ける力があるのだろうかと考えてしまいました。生きている、ただそれだけで尊い。生きている、ただそれだけですごいこと。

 明日は『クハナ』、早い時間しか上映ないの、行けるかな、がんばれるかな。休日に朝から出かけるのはつらい。がんばれたらがんばろう。くじけるかもしれません。次の土曜は出勤で日曜はまた帝劇だから明日しかないんですよね。がんばれるかな。歯医者に寄ったらやっぱり遅くなってしまいました。おやすみなさい。


秋は深まりゆく

2016年10月18日 22時33分11秒 | 日記
2013年12月1日のブログ記事

レミゼ終わってからの徒然http://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/19f0fdd61b3aa0b5cdcdc56058862925

 画像フォルダの中から懐かしのお写真と再会。2013年『レ・ミゼラブル』最終イベント。カンパニーのみなさんが横浜Fマリノスの応援で「民衆の歌」を歌唱した時の画像。『レ・ミゼラブル』は11月27日に帝劇凱旋公演の大千穐楽を終えたばかりでした。わたしはさすがに日産スタジアムにはいきませんでしたが帝劇で清史郎君ガブローシュの大千穐楽を見届けたあとで気持ちがすごく盛り上がっていてYouTubeにアップされた動画を繰り返しみていました。大千穐楽では客席と舞台が一緒に「民衆の歌」を大合唱。アカペラからはじまった「若者たちの歌がきこえるか、光もとめ高まる歌の声が~♪」。今もあの時の空気感を忘れることはありません。二度とない貴重な時間でした。それから三年の月日が流れましたが、色々なことがありすぎたのでもっと時間がたったような気がしますが、三年前のことだったんですね。わたしがこの三年間の間に起こった困難と向き合いなんとかここまで生き延びていられるのは、心の引き出しにたくさんのストックがあるからにほかなりません。心のアルバムに刻まれた幸せな時間があるからにほかなりません。心の引き出しのストックがなかったらわたしはとっくにつぶれて二度と立ち上がることなどできないぐらいにへこんでいると思います。いやへこむなんていうレベルではなく、もう埋もれてしまってどうしようもなくなっていたと思います。それぐらいきつことの連続。ミュージカルの舞台に感謝、清史郎君に感謝、心のエネルギーを満たしてくれる出会いのすべてに感謝。

 今日は久しぶりに忙しく、特に午前中は早かったです。わさわさやっているとあっという間。疲れましたが妙に緊張しながらただ時間を過ごさなければならないよりはずっとマシ。今日もなんとか無事に一日が終わり、また残りの稼働日数がマイナス一日となりました。やれやれ。朝礼で、今の業務を一月以降はアルバイトで対応するので希望すれば引き続きやれる道があるような話が出ていましたがどうなんでしょうか、名乗りを上げる人はいるんでしょうか。究極の選択。名乗りをあげれば一応とりあえずいくばくかの収入の道を確保することができるわけですがやりたくないのが本音です。なんだかまあ色々とよくわからないことばかりですが、この人の下で、この人たちと一緒に仕事をするのは二度とごめんだと、今年が終われば二度と会いたくないと、今日自分の中で再確認したのでした。詳しく書くことはできませんが、同じ立場の仲良しさん三人組(自分勝手オバチャン含む)がもうすぐ一番近い外国に週末旅行しようとしているのに、責任者の女性も一緒に行くことを知って、はあっ?意味わかんない、っていう感じになっています。正直ベースで話せる女性は以前から知っていたそうですが、わたしは今日知りました。プライベートな時間にこんな公私混同が許されるのか、わたしには不思議でなりません。組織として別にいいのかなあ。わたしにはわかりません。そんなの公平じゃない。えこひいきみたいなこととかになりませんか。不思議です。わたしはただ必要以上にかかわりたくないだけ。プライベートはどうでもいいです。ただ業務中にプライベートタイムの話題を持ち出すのはやめていただきたい。それだけです。生活ありますが、これ以上今やっていることをこれ以上、この人の下でやりたくありません。アルバイトに名乗りをあげたりなどするまいと思いました。究極の選択。次に向けて情報があればくれますが、介護の資格を持っていればまた道もあるようですが、PSWの手は間に合っている、そもそも必要な口数が少ないと言われてしまいました。なんか心が折れました。まあ臨床経験ないし、仕方ないと言えば仕方ないですけどね。はあっ、何を信じてこれから歩んでいけばいいのか。こんなことより英語を少し頑張りたい。もちろんそれでごばんを食べるなどありえませんがもう少し頑張りたい。その前に断捨離ね。その前にさっさと寝なければね。

 今日も気がついたら長々とグチ日記でした。明日の夕方はまた歯の治療。はあっ。明日も秋晴れかな。早く無事に夕方になりますように・・・。

眉間にしわが寄っていました

2016年10月17日 22時41分59秒 | 日記
 長い一週間の始まり。来週はさらに長いことを考えるとぞっとするので今は考えません。とにもかくにも今日でまた残りの稼働日が一日減り、二カ月半マイナス一日となりました。あー長い、ほんとに長い。こんな付け焼刃の寄せ集めのチームで前例のない仕事をガタガタやるなんてうんざりなり、二度と真っ平ごめん。夕方いつ来所者が来てもいいようにずっと立っていた時(そういう担当だったので)、正直ベースで話せる女性に、「眉間にしわ寄せてどうしたの?」って声かけられました。妊娠何か月ですか?っていうお腹を堂々と突き出して(私と同じ年なので妊娠なんてしていません、念のため・・・)自分勝手に振る舞っているオバチャンの身勝手さに怒りをぐっとこらえていたら眉間にしわがよってしまっていたようです。あとの人のことを考えてとか、自分が同じ立場だったらとか、みんなが奥に引っ込んでしまって誰もいませんとか大声あげるわりには、自分がやっていることは全部正反対なんですよね。いい加減にしろよ!アホくさい!自分が勝手知ったる慣れたところだったらこんなこと言わせません。静かに闘いますよ。不慣れなところなのでそうできないのが悔しいです。なんでこういう自分勝手な人にこっちが気を使って合わせなきゃいけないんだよ、って思ってしまうから、わたしどこに行ってもダメなんですよね。前職のカイシャでも、「たんぽぽさん、下手ですね」って言われたことあります。そうなんです、わたし下手なんですよね。だからどこに行ってもダメ。ちなみにわたしにそういった方、東大の大学院卒の優秀な方で入社して数年でカイシャには見切りをつけてもっとすごいところに転職されました。本当に優秀な方は違います。わたしがカイシャで働き始めてまだ半年も経っていない頃、飲み会の席で、「こんなカイシャ早く辞めた方がいいですよ」って言ってくれました。優秀な方の言うことはちゃんときいておくべきでしたね。

 前の前に住んでいた部屋のご近所にあったカイロプラクティックの先生のことをふと思い出しました。その頃で50代後半、60歳近いぐらいの男性でしたが、もともとは都心のホテルマン。職場での人間関係が辛くて辛くて死ぬことすら考えたそうですが息子が大学を卒業するまではと踏ん張り続け、息子が卒業すると退職。カイロプラクティックの専門学校で勉強し、独立開業した時はすごい借金を背負っておそろしかったそうです。開業してからはずっとアシスタントなど雇わずに一人でやっていました。電話を取るのも施術するのも一人。ベッドはひとつだけだったかな。こじんまりとしたビルの一室。「一人がいい」。しみじみとそう話されていました。ビルの外階段でタバコを吸われている姿が思い出されます。今も続けているのかな。引っ越してから15年ぐらいご無沙汰ですが、遠くないから行ってみようかな。こういう生き方もあるんですね、こういう方だっています。わたしはこれからどうしましょう。

 法律も行政も信じられなくなったわたし。どこに希望の芽はあるのでしょうか。どこかに希望の芽があるって信じていいのでしょうか。社会の仕組みの何を信じてこれから生きていけばいいのでしょうか。労働法制、労働行政ほどすっとぼけのザルはないかもしれません。ほんとにすっとぼけ。巧みに弱者を振り落としていくようにつくられています。大企業が数字をあげて生き残っていけばいい。そのためには人件費を抑えなければならない。そうできるような仕組みばっかり。そんなところにはもう足を踏み入れたくありません。マンションの契約更新、11月の第二週目には決断しなければなりません。いろいろ考えると今は更新するしかないのかな。疲れた頭で大きな変化をもたらす決断をするのは危険すぎます。今はとにかく一日も早く今の業務から解放されたい。もういいです。今日のお昼は11時30分から。明日と明後日は13時30分から。金曜日はまた11時30分から。はあっ! わたしの土曜日である木曜日は『クハナ』観たいけど朝だけの上映なんですよね。がんばれるかな。歯のセメント入れている所がまたとれてしまったし、ほんと歯がボロボロでなさけなや。明日はまた気温がちょっと上がりますね。今年は特に気温の上下が大きいので大変です。


こんなニュース。 

自殺だからですか? 悲劇的な事件や事故で亡くなった方ならいいですか?
ストレオタイプ的な偏見でしかない。無性に哀しい。一生懸命に生きた輝くような瞬間(とき)があったことを大切に考えてほしい。


内定一転 最高賞取り消し/黒石写真コン、被写体に自殺中学生
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161017-17111219-webtoo-l02

始まりがあれば終わりもある

2016年10月16日 16時46分34秒 | ミュージカル・舞台・映画
 ほかにも書きたいことありますが、ミュージカルの記事、連投。名古屋の中日劇場では、『エリザベート』2016年の旅が終わりに近づきつつあります。昨日は古川さんルドルフの千穐楽で、蘭ちゃんシシィと井上さんトートとの組み合わせが最後でした。今日は井上さんトートの千穐楽。始まりがあれば終わりもありますね。

 蘭ちゃんのブログに、ルドルフたちとのオフショットがアップされていてほっこりなっています。みんな笑顔のあったかい写真。ルドルフズがそろった写真はなかなかないので貴重なショット。


 蘭乃はなオフィシャルブログ 
 http://ameblo.jp/ranno-hana/entry-12210177228.html

 憲ちゃんルド、帝劇で会えなかったのほんとに残念。子役の成長はすごくって、名古屋で歌も演技も進化しているようです。会いたかったなあ。そうすけ君ルドは地方公演のみだったので帝劇では会えませんでした。2012年から観てきた古川さんルドルフ。小池修一郎という演出家と出会い、見初められたのも実力のうち。大きいと思います。『黒執事』の追加公演の抽選があたったので観劇予定です。おばさんがひとりで大丈夫でしょうか。今からドキドキしています。そんなこんなでミュージカルは心の糧。観劇は大事な心のエネルギー補給。自分を取り戻していく時間。やっぱりひたむきに生きなければと思える時間。

「千秋楽まで自分の想うエリザベートを生き抜きます。」
 
 蘭ちゃんのこの言葉にエネルギーもらっているわたしがいます。強いなあ。蘭ちゃんシシィを見逃したことを今さら後悔。観劇していたら花ちゃんとはまた違う芯の通ったエネルギッシュなエリザベートに出会えたようです。ただの少女が運命のいたずらで皇后になってしまった感がより納得のエリザベート像だったようです。舞台との出会いも一期一会。
 
 
 写真は全て東宝の公式FBから転用しています。








『ミス・サイゴン』_10月15日プレビュー初日

2016年10月16日 12時47分09秒 | ミュージカル・舞台・映画
2016年10月15日(土)18時15分開演。市村さんエンジニアラストラン。地を這うように生きる人々の物語。

 入口で違うの日のチケットを出してしまうしオペラグラスを借りようとしたら財布の中にお金足りなかったし、席に着こうとしたら他の人が間違えて坐っていたしで、わたし疲れているんだなあと実感しながら観劇。最後列だったので本国からきたスタッフさんや音楽監督の山口さんが舞台をずっと見守っている姿をみかけました。これから手直しが入っていくんでしょうね。歌の難易度がものすごく高い作品なんだとあらためて実感。アンサンブルのみなさんも少しも気を緩めることができません。(まあ帝劇で難易度が低い作品なんてないですが・・・。)

 市村さんエンジニア。この人がいるサイゴンの舞台にはやっぱり風が吹いています。「アメリカン・ドリーム」を歌う時のダンスのテンポの良さ。お若いです。間の取り方、エンジニアのしぶとく生き延びるいやらしさ。この人にしか出せない、いやらしい奴だけど憎めない、どこか共感してしまうようなエンジニア像。こんなエンジニアを待っていました。

 笹本さんキム。渾身の歌と演技。キムの生涯を思うとやっぱり心が痛くて、せつなくて、やりきれなくて辛い幕切れ。自分の命と引き換えに守ろうとしたタム坊やは、エレンとクリスに愛されたでしょうか。どんな大人になっていったでしょうか。母のことを覚えているでしょうか。

 クリスにはうーん、やっぱり共感しづらい。こういう人現実にたくさんいるんでしょうね。

 トゥイの藤岡さんの声量と歌のうまさにびっくり。

 一昨年キムだった知念さんがエレンをやっているの、なんとも不思議な感じ。エレンとキムの二重奏、対比はつらかったです。

 ドラゴンダンサーのアクロバティックなダンスとエリザのビジュアル系のトートダンサーのダンスとは全く違うんだろうなあ、なんてことを思いながらみていました。ダンサーとしてこの舞台に立つのも、すごくハードルが高いんでしょうね。初日なのでまだまだこれからパワーアップしていく予感。

 「ベトナム戦争は、初めて戦争の様子がテレビで伝えられた戦争だ。1975年4月30日、ニュースで北ベトナム軍の戦車が南ベトナムの大統領官邸のフェンスを突破し、建物に北ベトナム軍の旗が打ち振られる映像を人々は目にした。超大国アメリカと南ベトナムの敗北、サイゴン陥落を象徴する映像だった。

 そして、サイゴン陥落の混乱の映像もニュースで流された。北ベトナム軍の報復を恐れた市民たちが、アメリカ大使館やタイソンニュイット空軍基地に押し寄せた。離陸しようと滑走する飛行機にすがりつく人々、それを排除しようとする米軍兵士、今日が混乱を引き起こしていた。(略)そして、次々に飛来するヘリコプターが市民や兵士を搭載し屋上から飛び立ち、海上の空母に向かった。収容しきれないヘリは海上に投棄され、実質的にベトナム戦争は終結した。」

(公演プログラムより)。

 ヘリと映像を駆使した演出でクリスを乗せた米軍のヘリがフェンスにすがりつくキムを置き去りにしていく様子がよりリリカルに描かれていました。サイゴン、今のホーチミン。ベトナムの南側。わたし、前職のカイシャで海外にDHLなど送ることも多く、ベトナム宛の送付状もよく記入していました。ホーチミン市は、英語表記だと HoChiMinh City だったかな。三音。なんか面白いなあと思いながらいつも書いていました。HCMC って略して書くとDHLに怒られてました。日本からベトナムに行くのは、タイのバンコク経由。わたし、一度も海外出張に行ったことありませんが、海外出張精算や請求書を処理するために連日タイ航空の搭乗券をみていました。ベトナム航空の搭乗券もよくみていたし、ベトナムの通貨VND(ベトナムドン)の日本円への換算をしなければならないこともしばしばありました。VNDはゼロが多いんですね。1VNDは、0.0001円とかだったかな。それだけ価値が低いということなんですね。

 舞台を観ながら、超大国アメリカの有り様、カオスが深まるばかりの世界、今も戦争は続いているしキムやタムはきっとたくさんいる。今この瞬間も命の危険にさらされている子供たちはたくさんいる。強い国が弱い国の、弱い立場の人々を踏みつけにして生き残っていくという構図はかわっていない、などなど考え続けていました。アメリカという国、大統領選挙でやっていることの低俗さをみるとやっぱり好きになれません。(カナダの人々は同じ北米大陸でもアメリカと一緒にされたくないというプライドがあるとプリンス・エドワード島で聞きました。)

 前職のカイシャにいた頃はみなさんが出張にいくアジア圏には絶対行きたくない、なにがなんでもっと遠くに飛びたいというエネルギーで10何時間・20時間かけて地球の裏側に行っていました。ストレスをため込みながら一人で留守番している自分がみじめて仕方なく、年に一度遠くにいかずにはいられませんでした。ベトナム、タイ、カンボジア、ラオス、ネパール。いずれも一度も行ったことありませんが、出張精算やら書類やら、なにからなにまでカイシャで起こるありとあらゆることで毎日のようにお馴染みの国でした。出張に行ったことのない、しかもハケンだったわたしがタイバーツの表記を社員にきかれたし・・・。ちなみにタイバーツの表記はTHB。あはっ、まだ体に沁み込んでいますね。昨夜舞台を観ていた時には、一度行っておきたいなあと思いましたが、行ってみたいと思えるようになるまでにはやっぱりまだしばらく時間が必要みたいです。まだまだ半年余りと13年間では、わたしの中で13年間が圧倒的に勝ちです、残念ながら・・・。

 次回は23日に観劇予定。土曜出勤の翌日。長い長い一週間が始まる前日なんですよね。なんでわたしここにいるんだろう、なにやっているんだろうって不思議な気持ちになりながら、わたしなりにどうにかこうにか一日一日を生き延びる毎日。キムの歌声が今の心の中で響いています。
































ついでに『レディ・べス』の告知看板。


秋晴れの一日・・・

2016年10月15日 15時59分45秒 | 日記
 久しぶりのさわやかな秋晴れの一日。マンションの裏山が黄色く色づき始めています。穏やかな木漏れ陽に包まれていると、いつまでたっても慣れない緊張感の中にいる時間が悪夢のように思えます。つかの間悪い夢をみているだけのような、そんな心持ちになってしまいます。どこでクレームにつながるようなことをやらかすかわからないし、いつ間違ってクリックしてしまうかわからないし、いつスルーしてしまうことがあるかわからないし、ひとつひとつおっかなくっておそろしいです。少しも難しい操作はありませんが間違ってクリックしても戻ることができないようになっているし、キャンセルボタンもないし、どこでどんな不具合につながるかわからないのでおっかないです。面白くないし、これ以上やりたくないんですよね。妙に緊張していて出勤日はあまり眠れません。だから今朝はゆっくり眠りたかったのにどっかの部屋から7時前に洗濯機を回す音が響いてきて目がさめてしまいました。耳栓してても響きます。朝早いと思うかどうかは人それぞれで生活時間たが違うのだから仕方ありませんが集合住宅はむずかしいです。わたしも来週の土曜日は6時起床だし、あーあとこれが5回か。ぞっとするなり。履歴書を送りたいところすらないので家賃払い続けていくのは限界。家に帰る決断をしなければ、と思いながら今は頭の中整理できずにずるずると先延ばし。契約更新するなら書類準備してお金を払わなければなりません。家賃一か月分+いろいろで十万円弱。ほんとかかるよなー。でかい。これからどこでどうやって生きていけばいいのだろう。わたしにできることはないのだろうか。考えているだけでなんにも具体的な展望はなし。どこに希望の芽を求めていけばいいのかわかりません。たぶん既存の仕組みの中に求めてもどこにもない。だったら自分で創り出していくしかないと思うのですが具体的になにをどう始めればいいのか全くわかりません。自分にごはんをたべさせなきゃいけないし。どこかで大きくリセットボタンを押して前職のカイシャのこと、使い捨てにされたこと、弁護士と闘ったこと、社会から孤立し果てしない孤独の海を漂うような日々を送ったこと・・・。もういいのでリセットボタンを押したいと心から願う。だらだらしてないで出かける準備しなければね・・・。

 さわやかな清史郎君のお写真と共に徒然日記でした。写真は「クハナ」の舞台挨拶。シネマトゥディより転用しています。