たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

正解がわからないのはおそろしい

2021年09月25日 00時55分25秒 | 日記
 昨日の打ち合わせでパートタイムの仕事の出勤曜日が一応確定したので、紹介状はまだありませんがインターネットから総合病院を予約してみました。紹介状が10月上旬になると言われたので10月半ばで第一希望日から第三希望日まで入力。住まいからバス一本で行くことができて、3年前業務で一度だけ行ったことがあるところ。HPをみると整形外科、月曜日から金曜日まで毎日診療していて担当医師が当然ですが違っています。どの曜日のどの医師がいいのかなんてわからないので出勤曜日を外して選択。主に入院、手術が必要な疾患を対象とするとHPにあります。ここで納得できなかったらどうなるのか、また○○整形外科かリハビリ専門病院かに紹介状をたのんで、通うには大変な他の総合病院を受診することになるのか。その間痛みと痺れがきている足をどうすることもできないのか、リハビリの余地はないと言われてしまった以上どこでも治療を受けることはできないのか。ガンを告知されたわけではないですがなにが自分の体にとって正解なのかわからないというのはおそろしいです。

 一昨日当事者のサイトの投稿を読みながら、悶々となってしまいました。信頼できる医師に出会うまで1年半かかったという方もいらっしゃれば初診から手術まで短かったという方も、手術した医師を信頼してはいないという方も。医師とのコミュニケーションはむずかしいという声には深く頷きました。わたしだけではないのだと安心しました。わたしのように生まれつき股関節を脱臼しているというのは、遺伝により子宮の中で脱臼していたということのようです。乳幼児健診の時にわかって大学病院に通院してギブスをしていたということなのか、大学病院の治療はその時は完結したということなのか。10代の頃父親が思い出話として通院していたことを話した時ちゃんときいておくべきでしたが加齢と共に筋肉で支えきれなくなる時がくるなんてきかされなかったし、親にもそんな認識は全くなかったのでしょう。いつかのためにきいておかなければと10代のわたしが考えることはできませんでした。今さら親を恨むこともできず、恨んだところで摩耗した軟骨が戻ってくるわけでもありませんが、よりによってコロナ暗黒時代の、年金受給開始まで遠いタイミングでの手術告知なんて過酷な人生です。無理に無理をしてきた自分がいけないし、若い時のように筋肉でかばえきれなくなる年齢ですがもどかしい、悔しいです。70歳まで働きたいわけではないですが働かないと自分を食わせていくことができないから働くしかないです。今すぐというほど緊急性は高くないけれど、手術以外の選択肢はないのか。手術などおそろしいのでやりたくありません。役所に保証人の相談などしたくありません。

 3か月前まで杖を使うことなど考えたことがありませんでしたが、杖を使っていた方がバスの乗降つらくって時間がちょっとかかるときの言い訳になるのか。高齢化率が高い時、自分よりあとのバス停でおじいちゃん、おばあちゃんがたくさん乗ってきた時席を譲ってくれない圧を感じなくてすむのか。でもなんか優先席に座らせてください、席を譲ってくださいと言っているみたいになってしまいそうで微妙だとも思います。ヘルプマークをつけることも微妙なものがあるようです。杖を選ぶ相談、どこにすればいいのかもわかりません。かかりつけ医の処方箋で胃の薬をのんでいますが痛みは止まらず、手術云々の前に心と体がこわれそうです。

 雪組、10月初旬、2階席の上の方、転ばずに席までたどり着けるか心配になってきました。おトイレに並んだりとかきついのかな。いやまだ大丈夫なはずと自分に言い聞かせます。

 #シャーロッキアンが語る宙組ホームズ 東京宝塚劇場とシャンテのキャトルをハシゴしてグッズに舞台写真まで購入してくださっているのに心がほっこりなる夜ふけ。人とのつながりが途絶えているけれど、人とつながっているから楽しさ倍増。明日と明後日はライブ配信で現実を忘れませう。

 『プロミセス・プロミセス』、池袋は遠いし当選するはずもありませんが友の会の二次抽選、一応申し込みました。それまで死ぬわけにはいかない、なんで自分がこの世に生まれてきたのかわかりませんがそれまで生きなければなりません。星組もあるし、まだ死ねない・・・。











 

この記事についてブログを書く
« 「「書いて生きる」わたしが... | トップ | 宙組『シャーロック・ホーム... »

日記」カテゴリの最新記事