いくつかの意味で最後。上野にいってから4日、なんとかまた歩けるようになったので不安神経症にうちかってなんとか部屋をでなければなりません。予想気温がどんどんあがってきて外はものすごく暑いし、部屋の汚れを気にしはじめるとあちらもこちらも汚れていて掃除しなければの強迫神経症になってしまうのが非常につらい。昨夜は左足がなんだか燃えるように痛くてしびれもひどいし、右をかばってきた左の方が先にダメになるのか、両方だめなのか、いずれにしろ死ぬまでトアラセットを飲み続けるしかない人生、自分がわかっていなかっただけで、おそらく死んだ親もわかっていなかっただけで、生まれる前からの右足股関節脱臼によりずっと苦労してきた人生、あのときもこのときもこのせいでおかしかったのかと思い当ることだらけ。体の中心がおかしいのだから心身共におかしいのは当たり前。半世紀以上前の医者を恨むこともできませんが根源的な治療はなされずこのまで生きてきた人生。自力であるけなくなったら終わり、自分で自分の世話ができなくなったら終わり。それがいつくるのかはわかりません。わたしが終わるのが先が、日本が終わるのが先か。みりおちゃんのファンクラブイベントに清史郎君扱いでいけることになったし、ラブネバも当選、生きる目標、そこまでは死ねないし、歩くのだという気力を持ち続ける。生きたい、歩きたいという気持ちがなくなったらもう一歩も歩けません。気力だけ、気力だけで生きているぼっちの日々。不安神経症に打ち勝ってなんとか歩き出しませう。