たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

小さな幸せ_映画『赤毛のアン』

2016年07月17日 23時05分22秒 | 『赤毛のアン』
 朝からどんより曇り空。外に出ると霧がかかったようにもあっ。昼間に大きな地震があったし、なにか大きな自然災害が起こる前触れなのかな。いたずらに不安になるのはよくないですが鉄筋コンクリートの建物がゆっくり、みしみし大きく揺れると東日本大震災の時の恐怖感をどうしても思い出してしまいます。はやくおさまりますように、これ以上大きな揺れがきませんようにと祈りながら、なす術なく過ぎていくのを待つことしかできません。たぶん数十秒だったと思いますが数分に感じられました。東日本大震災とそのあとに繰り返しやってくるゲリラ豪雨のたびに感じた、近くに知る人がいないひとりぼっちの心細さもまたよみがえってきます。遅めにお昼を食べた後お昼寝で元気を取り戻して、夕方ようやく買い物とお茶するために外出。少し前から気になっていたレモンジュレムース(正確な名前は思い出せません)と紅茶をいただきながら、映画『赤毛のアン』のシナリオを読み始めました。

 10年ぐらい前に購入しながら、なかなか手をつけられずにいました。難易度は最上級。『赤毛のアン』を原文で読むセミナーに何度も参加て、原文を少しずつ読み進めた今なら、対訳もついているし、なんとかかんとか大丈夫かな。あくまでも映画なので原作の文章そのままというわけではありませんが、原作のエッセンスをうまく凝縮した作品になっているので、原作を読んでいるときのような幸せ感にしばし満たされました。

 ブライト・リバー駅に孤児院からやってくる男の子を迎えに来たマシューが、これはなにかの手違いだと言いかけるものの瞳をきらきらさせている女の子を前にして、男の子を迎えに来たとは言い切れず、馬車に乗せてグリーン・ゲイブルズに連れて帰れて帰る場面。撮影場所は、オーウェル・コーナー歴史村かな?!大好きな場面です。

 シャイなマシューおじさんに出会って、家に帰る喜びにあふれたアンはこんなふうにおしゃべりを始めます。

We,ve got a long piece to drive yet,haven,t we?

Oh,I,m glad,because I love driving.

It seems so wonderful that I,m gonna live with you
and belong to you.

I,ve never really belonged to anyone before.

「道のりはまだ長いんですよね?ほんと良かった、だって馬車に乗るのが大好きなんです。
 あなたの家族になって一緒に暮らせるなんて本当に素敵ですわ。今まではずっと家族が
 いなかったんですもの。」

(外国映画英語シナリオ スクリーンプレイ・シリーズ 赤毛のアン 1996年9月10日第一刷 (株)フォーイン クリエイティブ プロダクツ より)

 生後三か月で両親がなくなり孤児となったアンを支え続けたのは、豊かな想像力、夢見る力でした。


No,I prefer to sit here.

There,s so much more scope for the imangination.

「いいえ、ここに座ってた方がいいんです。うんと想像力がめぐらせられますから。」

 原作にはないブライト・リバー駅でマシューを待つアンの様子を映画は描いています。
想像の余地があるという言葉は原作に繰り返し登場します。映画はうまく取り入れているなと思います。

 1歳で母が病死。再婚した父と離れ、母方の祖父母に育てられた作者のモンゴメリさんを支え続けたのは豊かな想像力だったにちがいありません。アン・シャーリーという実在しない、豊かな想像力をもつ女性をうみだしたのは、モンゴメリさんの豊かな想像力に他なりません。言語を文字で追っていくとぐっとせまってくるものがあります。

 連休なのでこんな余裕も少しあり。いつ読み切れるかわかりませんがぼちぼちといきます。言語で味わえるなんて、小さな幸せのひとつ。


トップの写真がなぜかうまく表示されていませんが、春のオーウェル・コーナー歴史村です。まぶしい緑と赤土。アンがPEIにやってきたのは春(6月)でした。

こちらは、オーウェル・コーナー歴史村の中にあるワンルーム・スクール。
カナダの国家元首はイギリスのヴィクトリア女王だったのでイギリスの国旗が飾られています。


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