たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

ゲーテの孫

2023年09月17日 17時09分55秒 | 本あれこれ

(慶応義塾大学通信教育教材『三色旗』、2000年6月号より)


「-テーテの孫-石原あえか

 文豪ゲーテ(1749-1832)は大変な子供好きだった。とりわけ三人の孫達を目に入れても痛くないほど可愛がった。ゲーテの日記にはたびたび孫との楽しい時間が記されているし、孫に背中によじのぼられて困っているお爺ちゃん・ゲーテの姿も来客に目撃されている。

 しかし優しい祖父の死とともに、偉大なゲーテの名は、孫達にとって重圧と苦痛になった。メンデルスゾーンにも師事した音楽の才能ゆたかなヴァルター(1818-85)。その弟で文才があったヴォルフガング(1820-83)は、匿名で作品を発表することが多かったという。ふたりはいずれも社交界から身を遠ざけ、内気で上品な独身者としてこの世を去った。なお末の孫娘アルマーは17歳で病死したので、ゲーテ家は事実上孫の代で断絶している。

 ゲーテの孫でなければ、彼らは才能ある芸術家として一生を送ったかもしれない。長い間ゲーテは孫達の行く手を阻む障壁だった。しかし40歳を過ぎた頃、ヴァルターはゲーテの孫としての使命を自覚する。それは他ならぬ祖父の遺品の守護者という役割だった。

 ゲーテには異常なまでの収集癖があった。自家書庫の蔵書数は5400点を越え、書簡や草稿は紙一枚でも捨てなかった。加えて膨大な美術品やコインのコレクション、あまたの鉱物や植物の標本。ふたりの孫は、書簡編纂とカタログ作成を発注し、祖父の邸宅の保持と遺品の整理に全力を尽くした。愛孫が守り抜いたゲーテの書簡・日記・原稿類は、ヴァルターの遺言によってヴァイマル公妃ゾフィーに委ねられ、選り抜きのゲーテ研究者が30余の歳月をかけて、全133巻143部の巨大な「ヴァイマル版ゲーテ全集」を完成させた。現在多くのゲーテ全集が出版されているが、今なおゲーテ研究の神髄はここにある。また1885年、遺稿所蔵庫としてヴァイマルに国立ゲーテ文書館(現ゲーテ・シラー文書館)が建設された。

 実際この孫達がいなければ、今日のゲーテ研究は全く異なっていただろう。博士論文執筆中、私も何度かヴァイマルの文書館で、ゲーテの未発表の草稿を調べた。そのなかの一枚、小説構想メモの裏に、どの孫のものだろうか。可愛い人形の落書きがあったことが印象に残っている。孫に優しい眼差しを向けながら執筆を続けたゲーテ。偉大なる祖父ゆえに苦悩しつつもその意向を守るために、ゲーテの孫が祖父を慕う気持ち、その深い愛情に心から感謝せずにはいられないのである。」

 

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