状況は深刻だ。
その市場に「長」が居る体勢なら、”それ”が市場へ「利益」を供給し続けねばならない、のだ。
本来の自由市場なら、「誰か!」それが何処かから現れて状況を救済してくれる、が。
その時、それは下剋上その他、体勢の崩壊、或いは騒乱、と言う変化は起きる。
そして昭和の頃、そう言う事は無く、その時の長は、かなり上手くやってしまった。
具体的には?
実際には、自分が毎日やってる「ショートサーキット出張動画版」このレベルで良い、のだけど。
ともかく「創作」利益に成る、ぶっちゃけ日記でも十分かもしれない…ともかく末端へ利益を供給し得る、”そう言う物”だ。
体勢の問題として、コンビニ業界は、ブラック化してしまった。
客のニーズに合わせるのではない、客に買わせるのだ。
結論で、独裁体制は”ここ”に帰結し、それを語り、そして”それ”は利益に成らない。
ある程度民主的な決定を導入してれば、その限りでは無い、のかもしれないが。
昭和の頃、良くも悪くも昭和天皇は、「太平洋戦争開戦」その過失と後悔の後で、頑張り過ぎてしまった、のかもしれない。
良い王として、理想的な体制が長く続いた時、人々は”それ”が当たり前に成ってしまっていて。
それを失った時、”それ”を補う手段もまた、同時に失ってしまった訳だ。
急激に悪化した経済を支える時、中華思想の皇帝、”それ”は、「黄昏の狩人」それを持って、そこに居た。運命か因果の様に、世間はそこに依存して、今に至る。
ともかく今、責任?それは「皇帝の弟子」そこへ集中は、している。
「お金を下さい」下からの要求に、それは応える事が出来ないでいる。
”それ”を供給出来ない限り、ブラック化の末に、それは衰退を始める訳だが。
帰結は、果たして。