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あげちうのブロマガ

あげちうの日々の色々な事

麻雀と言うゲームの必要性

2019-01-31 16:23:38 | インポート

今日は麻雀日和ではある。

「脱衣麻雀α」、悪いアイディアでは無い、かもしれないしかし。

不意にここで、「相手はハコテンです」ふと。

ある意味で、「勝った」かもしれないが、「ロン、役満です12000点」「もう2000点しかないけど」この後、どうすべきか?と言う話。

どうすべきか?

それは勿論、「このゲームは終了」である。

その、12000点を得られたなら?その「脱衣麻雀α」それは具現化し得た、かもしれないしかし?実は今は、難しいのかもしれない。”今は”相手には2000点しかない訳だ。12000点を取れれば?創って利益は出たかもしれないが…今は或いは、”無理”だ。

2000点分だけで(市場範囲が想定の1/6しか無くて)今、この企画は意味があるだろうか?

と言う時、或いは期待される結果に成らない。


これは市場原理での、肯定し得る侵略範囲、と言うべきだろうか。
単に、「面白いから」任意で参加し、ハコテンに成った時点で終わり。
「お金は掛かっていない」が、実は市場は少し、取られている。

「今のゲーセン麻雀微妙だよね」

それは、微妙に、有り得る話か?
ある意味で、実際の卓上麻雀にちょっとプラス、それは良い話。
ただ或いは、ネットの麻雀ゲームに微妙にマイナスが発生、と言うのは。

良くも悪くも、こういうニュアンスで「評価が下がった」所に、普通のゲームとかが浸食する訳だが。それはもちろん、ある意味で不足分を指摘されると言う事な訳だが。ともかく既存の麻雀ゲームが、「麻雀の意味とは?」に意識の不足が有った、という事態はまあ、存在し得る。こういう書き物も、利益は無い、が故に、何かのゲームとして機能する、のかも。


まるで意味が解らんぞ。




衝動とリアリティの行方

2019-01-31 15:10:24 | インポート

ちょっと、実現性?があるのか無いのか。


ストリード
プロデューサーシート
タイトル「脱衣麻雀α」仮
 概略 一人でも出来るリアル麻雀機

コンセプト「本物の牌で」

ハード的テーマ「全自動卓」否定肯定
 一応、4台接続?すれば4人打ちとかも出来るけど

ソフト的テーマ「脱衣麻雀」肯定否定
 モニター画面には対戦相手のお嬢様が!

目的 商業的成功
それは無い 目的を達成しない

ディレクターノート

イメージは、ゲームセンターのゲーム筐体。
しかし、座る場所はテーブルになってて、実際の牌が出てくる。
”それ”で自分で牌を集めて、眼前のモニターに映る相手と対戦。

end



わかるわかる。
まあ、牌にICタグとか付いてる訳だけど。
牌が、筐体の外に飛び出たなりした時点で警報が鳴る、とかでも良い訳だ。

この先、試行錯誤。

だからまあ、通信対戦時は、親に成った筐体の牌を軸に考えて。
他の筐体は、配牌された中の、任意を選び出して渡す、訳だが。

そうそうまあ
少し広いテーブルに牌を並べて。
それを認識し、アームで拾う訳だ。
内部的には4人打ちなんだけど、一人でも可能。
だからあれだ、筐体自体は4人打ちなんだけど、欠けてる所はCPUが担当できちゃうと言う?
一応地デジモニターに接続したりは出来て、その場合は脱衣モードがある、と。

どやって?

だから、その辺で、イメージが全然違って。
配牌は機械式で、”専用の窓口から”送られる。

CPUが処理する時は、表には牌は出てこない。全部、内部的な処理に。

チーとかポンとか、は?

ぐぬぬ。
「専用の捨て口に、その牌を入れてください」
うーん。

卓の前に座って、インカムすれば、それでゲームが始まる。
脱衣モードを選択したい場合は?追加でもうちょいインカム。
※ハードの設定で、時間帯とか出来ないとかも可能?
一人で遊ぶ場合、ゲームスタートで、全自動卓よろしく、自分の前に配牌されて。
少し離れた所に設置するモニター上に、他の捨て牌状況は見える、或いは手元で解る。
配牌されるんで、手牌に入れて、捨て牌は自分の前の任意の領域にして。
ポンとかチーとかは、或いは音声認識で?対応してくれる。
ツモッたとか、ロンとかも、音声認識で。

終わったら、全ての牌を捨て牌エリアに入れて、洗牌して貰う。

それを、適当に繰り返す。

複数人で遊ぶ場合は、足りない分はCPUが担当。
ただし?PC版も無料で有って。ネットに繋げば、そのPCユーザーが、足りないメンツとして場を埋めてくれる、とか?


…これを「出来る」と言うべきか否か。



こういう。


「飽きる」と言う現象についての考察

2019-01-31 11:39:45 | インポート

オペレーションのイメージ、だ。

「脱衣麻雀」は、割と定番なPCゲームだが。

「何故?」
その理由、だ。ゲームとは、”個人的な幸運”を精製する機構である。
…その、「女性を脱がす」幸運は、適当なのか?

という部分で、考え方。
「これは萌えキャラです」イメージ的には、”何かのゲーム”それを象徴します。
結局、「それを脱がしてる」訳だ…一面クリアする度に、一枚ずつ、とか。
全部脱がして以下略、になると?そのゲームをクリアし得る、可能性が、そこに。
ゲームをクリアするとどうなるのか?それは、そのゲームが精製し得る”幸運”を得られる、訳だが。
つまり、脱衣麻雀で脱がす時?「その手助けをした」事には成る…訳だ。少し返礼。
でも、二回目は結論で「同じモノしか得られない」から、必要性は薄くなる。
「クリアしたからもういい」と言う感覚。飽きるとは少し違っているモノ。
既に持っている、新しい同じモノは費用対効果が合わないから、やらない。

と言う時、それを4人打ち麻雀に適用させる。

プレイヤーらはそれぞれ、「標的」となる”ゲーム”、それを意識してる。
困難が前に有る、目の前に居る人々は、”それ”を妨害せん!とする守護者ら、だ。
各プレイヤーは、とにかく一位を取る時?その「標的」をクリア出来る、訳だが。

ここで、ある意味で問題が出る。

「麻雀は?」

あらゆる”ゲーム”を脱がしまくって、”これ”が、最後に有る頂点、かもしれない。「クリアする」脱がす、とは、どういう意味か?良くも悪くも、「標的から価値を奪う」対価を要求する?ニュアンスが、ある。「麻雀」その価値を貶める事になる、訳だが。何かの失望の理由、だ。最後は自分自身を消費してしまう。

「飽きる」と言う奴。

…逆に、だとしたら、その時、「麻雀以外」を視る意識が不意に、そこにあるのかも。

これは、どんなゲームでも起こる訳だが。その時、意識が違う方向へ向くなら?逆に「麻雀を狙わなくなる」訳だ。そうして他に対しても奪いまくる時、「麻雀は楽しい」が膨らんで、そして最後に「麻雀」を標的にして、そして飽きる。でもその時は?他のゲームは回復している、訳だが。

そしてまた、それを標的にして、ゲームは延々と続く。

麻雀で勝つ、その報酬は、「自身がクリアしたいゲームを突破し得る」その可能性の精製、ではある。神経衰弱、みたいな物も、ゲームとして認定して良いかもしれない。

何だか、良く解らない話。
ともかく麻雀で賭けない時、暫くすれば飽きて、他のゲームを始める。

それで良い。

麻雀も、ゲームの一種だ。



教訓と可能性の境目

2019-01-31 08:51:14 | インポート

何だか、バカい話ではある?

世界経済は「麻雀」みたいなモノだ、と言う時、薄ら怖い想定がある。

「…本当にそうなんじゃないか?」

インターネットが、今の把握なら自分の「黄昏の狩人」その中にある設定を土台にしている、様な話で。「あ、面白い」が、そのまま現実のシステムに適用されてしまう…そう言う異常がどうも、ある。経済システムとしての概要を、当時「麻雀」に求めた、そう言う可能性は、もしかして。

だから、だ。このシステム上で破綻する人が出ても、設計した人は「違う」のだ、責任を持ってない、「被せ」という技術?そして?麻雀その物を考案した人はとうの昔に他界しており、その真意は結局、消えてしまった、或いは「解らない」まま。残っている構造とその理念は、しかし現行のシステムと、妙な対立関係に成りつつ…或いは。

ともかく今の経済システムで破綻が出ても、責任を負う人が居ない理由、だ。ハコテンは出るのに、システム的には救済策が無い、何故か?「これはゲームだから」だ。土台の声に依存する時?そこには何の罪もなく、それを正確に描写した人にも責任は問えない。有るのは、これはゲームか現実か?の違い、だけだ。

「健康麻雀」と称して、”賭けない麻雀”が高齢者を中心に普及してきた、らしい。自分も以前、麻雀牌にICタグを埋め込み、読み込み可能な雀卓で、点棒計算から「この役まで後、何シャンテンです」とかも表示してくれる物を考えた事はあるが、それを運用する上でも、「勝った人には縫いぐるみ進呈」くらいに設定してた、筈。ゲームとしては面白いのだ、賭けに成るとキツイが。

「麻雀は博打ではありません、単なる娯楽です」

既存の経済システムに精通してる人だろうか、この返答に、重い失望がある。

発言力に関しては、間違いなく「麻雀で強い人」には強い発言力がある?それは、間違いなさそう。逆説的に、”それ”が、「麻雀で賭けよう」を主流にしてしまった原因かもしれないが。もっとも勝った奴が、「麻雀で賭けよう」を主張してしまった。以前に有った何かの破綻、だ。奇妙なシャーペンによる博打が格差と貧困を産むと言う奴。それはそのままもしかして、世界経済をも飲み込んでしまった、訳だが。

ともかく、この時、「麻雀は利益を産む事は無い」それは、ハッキリはしている。これはゲームだ、それは解り切ってた訳だが、麻雀で強い人々の意向を覆す事が難しかった。或いは同じく”麻雀”で、彼らをハコテンまで追い込む必要があった…そう言う事だったろうか。

ともかく「現行の」経済システムでの最強に成れれば?麻雀を「娯楽です」と言い切れる訳だ。

そして、何かが変化する、訳だけど。

麻雀は難しい。




それは貴方のなんなのさ

2019-01-30 12:43:06 | インポート

この視点は、主観ではあるのだけど。


この動画、或いは、「2BRO」の「マリオ動画」の”肯定的な被せ”だろう、とは思うが。

「なんで?」

叢雲と、武蔵と、天龍は、それぞれ”誰”に対応してて、「この接続にした理由」は?
そしてラストに居るアクィアは、”誰”なのか?

…そして、その先はぶっちゃけ、”プライバシー”である。


自分の感覚だと、ここでのキャラ設定は、こうなる。

武蔵、大和、江風、最後がアイオワ?あたり。

いずれも今のMMDでは「キャラである」という印象が強い艦娘なので…他へのプライバシー的な接続は、弱そう。

こんな事を気にする奴はそんなに居ない、のだけど。一人でも「これは?」になって、それが正解だったりすると?ここで一気に評価が地に落ちる、事には、成る。

「なんで?」

重い混沌だが…それはでも、技術の低さ、と言う主観ではあろうか。

良くも悪くも、「売れる人」それは、この辺に関して感覚を持っている、筈ではあり。
逆説的にそれは今まで、平成の間中、その「なんで?」を問う、中華思想の皇帝と、その支持者らによって排斥されていた、訳だが。この辺、テレビが「大賀さん」その表示機構になって、変わった、或いは変わる方向になった、気はするが。

それでもまだ、この辺についての「何が悪いのか?」それは、主観に依存していて。

今話題に成ってる、明石市長の暴言、実際ああいうのが「中華思想の皇帝」ではあり、そしてまだそれは、こういう感じで残っている、訳だ。テレビがそれを今、事態その物は2年も前であるにもかかわらず報道する選択をした?それは、何かの大きな変化、そう言うべきかもしれないが。

人の作品を勝手に議題にし主観で品評するのと、人の作品かを勝手に土台にして模写するのと、どっちが悪いだろう。

創作は今もまだ、混沌の中にはある。