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あげちうのブロマガ

あげちうの日々の色々な事

「大変な仕事」という異相

2022-04-30 10:48:38 | 日記

エロ漫画とは何をしているのか?と言えば単純に「男性の性欲処理」である。

それに対して需要は高いがしかし、応じてくれる人々、それは何をしているのか。

必要な事か?と言うと、そこに少し疑問と言うか、そう言うのはある。

自分の場合は特に、か。ともかく今は、「自分で描いた絵で、十分代用出来ている」と言う、有能なんだか切ないのか解らない感覚ではあり。色々、状況の幸運その他もある、とは思う、「女性とは?」に関して、良くも悪くも体験か知識の様な物は、必要量はある、供給はされてる、らしい。男女の性差とは、個と多の違いである、という要約も、今もって問題はほぼ起きてない、多分、正しいだろう。理解出来ていれば?不足分は創作で補える。

だから、エロ漫画を買う奴はキモオタであり劣等なので排斥して良い、か?と言うと、それは多分、違う。


極論と言うか、「薬局にはTENGAが売っている」現実はある。自分で処理できない状態であれば?そう言うのに頼る必要、それは少しある、ともかく”それ”で危険衝動それは、間違いなくある程度は沈静化する、訳で。その結果、その人が日常で危険行動に入る可能性が減っていくのなら?それはそれで需要として問題なく…また、本人もそれに対して快楽を伴う必要性を感じるなら、それは対価を得て然るべき何か、ではある。


「お金が無い?仕事しなさいよ」

は、こういう場から有る物、ではあり、自分ももちろん同意は、ある。拘りさえしなければ、持ちうるスキルその他は需要に対して応じられる部分、それは多々ある筈だ。ともかく自分の理解、今までの経緯その他に寄る理屈では?「創作として十分な利益性が出てないと、世間にお金が増えない」結果、給与の支払いが滞ったり人員の切り捨てが発生したりする。それをまず抑止しなければならない、という主張はあり、今の”これ”もその為に続けている訳だが、しかし。「利益に成ってる様に見えない」のでは。ちょっと第三者に「だからあなたも」それは、言いにくい。なので、「これでは困る」そう言う、主張に帰結していくのだけど。

これは、理解しない奴が馬鹿なのだろうか?

それとも、何かの社会悪に寄る物、だろうか。


「一銭にも成ってない事をして何の意味があるんだよ」

反論し難い不満ではある。無形の利益、安全や安定の確保、それは得られている筈だ?

そうだろうか。

重篤な問題は、或いは理由の様な物と共に残ったままではある。”こういう行為”を続ける上では問題が無い、だけだ。その意味での環境の改善と言う点では改良され続けては居る、のだが。同時にか、”外”の世間は震災に見舞われコロナ禍に陥り、結局は戦争が始まってしまっている。そこに集中する問題、理由、それは一つだ。

お金がありません。

経済的なそれは相変わらずだが、「だったら」その先は、やっぱり遮断されている。

ソドムとゴモラの対立を止める術は無かった、そう言う事だろうか。

愚者は要らない、そう言う意味だろうか。

 

 


願い続ける先に有る物

2022-04-29 12:14:23 | 日記

庵野秀明氏、紫綬褒章受章。

先日の話も含んで、それは良い事なのか、それとも。



「なんで?」

というのは、正直言いたい部分はある。ぶっちゃけると「エヴァンゲリオン」以外に、庵野氏に目立った功績、というのが見当たらない、という理解。そのエヴァンゲリオンにしろ、かなり長期に渡ってグダった経緯はあるし。「シン・ゴジラ」は、アメリカの方では爆死、という評価だったと言うし。その他でそんなに社会的な貢献度のある様な、そんな話はあったろうか?そこは謎ではある。

国の方での、何かの必要性に迫られて、というか、そう言う話、だろうか。

ともかくしかし、先日までの「扉絵イラスト転」も、帰結かで「公明党の候補者がトップ当選した」と言う結果と共に沈静化、そしてその話、ではある。「大衆は神である」その主観として何でか、世界?は、彼を支援する、という方向へ流れている、というべきか。或いは「創作を娯楽として楽しんでいた層」そう言うのの、何かの認証?それを、彼に求めた、そう言うのはあるのだろうか。

まあ確かに、「就職氷河期世代」それと、エヴァンゲリオンそれは、かなりシンクロ率の高い、そんな何かではあったのだけど。

何というか自分も、近年では何でか、衝動の様なモノとして、彼の創作?に手を出してる場合が、結構あって。亡くなった増尾昭一氏の、何かの執着みたいな物、だろうか。ともかく結果的に言えば「大衆は神である」それもまた、実は「新世紀エヴァンゲリオン」そこから掘り出された理解、ではあって。「なんでこの作品はヒットしたのか?」答えはシンプルだ、「人々が求めたから」そこに、それ以上の理由は無い。売れるか売れないか、それは誰が何が決めているのか?ヒットしたのは何故か?そう言う意味で、今の”それ”の想起に対してこの存在は無視出来ない、そう言うのは、実際はあるのだろうか。

全く持って、「結果オーライ」に全て依存する、そんな作品ではあったのだけど。

”今”の理解では、まず何処からか「黄昏の狩人」が、彼らの元に届いた。”それ”を主に、増尾昭一氏が「使う」感じで、エヴァンゲリオン、それが誕生する。この時の「黄昏の狩人」は、結論で言えば失敗を抱えていた、だから、だろうか?彼らのその際の、結果的かの方法論、「土台を破壊して乗っ取る」それに対しても、その作者は何の否定もしなかった、訳だ。元々オープンワールド的に考えていた作品である、世界観をちょっとパクってる位で、何が問題だったろう?

時代と言うか状況でもある、「インターネット」それもまた、同時に普及が始まっていた。「問題ない」それを、この作品は結論で言えば通してしまった、という事だろうか?それは、土台は誰かの作品だが、結論で言えば盗品だが、しかし結果オーライである、インターネットは公共物であり誰のモノでも無いだろう?なら、誰が創っても問題は無い筈だ、この場は利益を期待してある場では無い。あくまでも、人々の意識、そう言うのが集う場所として。

エヴァンゲリオンもまた、世代にとっては「そう言う場所」に成っていた、のかも。

もちろん、その経緯に感じる「え?」と言う部分は、その後に、少し面倒を創っていく事には成るのだけど。

現状では、この辺に問題はほぼ無くなっている…それだけに、この結果の意味とは?それは少し考えたりはする。


何が、認められたのだろう。

 

 


無能と言う否定と結果

2022-04-28 10:48:24 | 日記

一人の天才が創った完璧な環境は、果たして。

数多の凡人が結集して建てた、不備の多い環境より、良いモノか。

とは言っても、スペースシャトルは採算の悪さを超えられなかった訳だが。
理念、理想、それだけでは物事は上手く行かない、それはもちろんそう。
インターネットもまた、似た様な問題?を抱えている、感じは最近不意に重い。

「たかが世界掲示板を創る為に、こんな施設は必要か?」

極論すれば、そう言う事ではある。違う事は言える、人々の意思が集まる”それ”がお金の担保、「価値」の足場であって。インターネットの今の構造は、そう言うのを集めるのに適しては居る、これに集い発生する「価値」を大事にする事で、経済的な貢献は問題なく要求して良い。経済にとっては世界的にも重要な機構である。

…と言うのは、あくまでも”今の”あげちうの、言い分である。

これに相当するモノを、或いは「実際に運営してる人々は持ってない」のだ、返答が無い、或いは真意は言えない。実際にはあげちうの考えた「黄昏の狩人」からの転用でしかないなら、”そこ”に有るのは、単なる低俗と言って良い、そんな功名心の様なモノでしかなかったのかも。

だからこそ、逆に「掲示板だけ?」という否定に追われる様に、或いは今の様な発展?になったのかもしれない。

そして、結局は利益性、そう言うのに今も、見放されている訳だが。


最近考えている、或いは一つの絵ではある。

基本的には送受信6Kbながら無料で利用出来るネットワークと、テレビ放送がセットになった環境があり。主なデータはテレビのデジタル放送で受信し、備蓄されて行く物を利用する事で、ネットワークへの負荷を最小限にしつつ利便性などの向上を図る。その上で、インターネットの大容量ネットワークは”その”副次的なサポートとして利用する。

「6KBでは何も出来ない」訳では、無い。昔のガラケー時代は”それ”以下で、十分何とかしてた。6KBに固定する事で、電話回線的なニュアンスで利用出来るなら?インターネットの利用者の増大による負荷は「各サーバー毎の設備の問題」でしかなくなる。この感じなら?負荷の増大はコンテンツの否定に繋がらない。結果、増える利用者を問題視する必要は、運営側は無くなる。


ともかく、今苦慮されている問題の殆どを、改善した環境と言うのは、今からだって創れない事は無い、筈ではある。ただ?”そっち”に舵を切ろうとするなら、今までのインターネットは否定する事には成る、訳だ。ネットワークが二つあっても問題は無い、が。しかし、インターネットにしたら「別のネットワーク」それは今、自身の否定に他ならない。

余りにも、その構造その他に問題が多すぎるから、だ。
無理の先に出来た虚体と言うか、採算が合わない、維持するメリットに疑問が累積していく。

その構造は、その事態に対しても、対処する能力や意識を失っては、居る。

残るのはただ、「無能だから捨てられる」”それ”への、何かの恐慌と言うか、幼稚な不満と言うか。

正論と、無能と言う悲痛と。そんなどうでも良い対立がまだ、燻っている?

 

 


神という像を眺める

2022-04-27 10:47:03 | 日記

「神」と言う存在への、そこにある何か、は常に思う話。

「絶対」逆らってはいけない、それを前に、人に有る物。

前に創った「ダークネス・ダンジョン」試作は、色々と想定と言うか、その後にプランは先行し、「アルティアン」と言う異世界を構築する、事には成って、居る。”そこ”は「アルテア」と呼ばれる唯一神により支配された世界で、そこには「召喚機」と呼ぶ特殊な神具を使える勇者らが存在(大概はプレイヤーである)、その世界を護る為の戦いを続けている。一応、理解では「アルテア」とは阿弥陀如来と”等価”な存在、「その世界での物理法則その物」であり、”それ”に対して疑問を持つ、という事は無意味だ、という話に成っている、が。

「なんで?」それが、この世界では脅威、或いはモンスター、”それ”を産んでも居る。この世界の全てはそのアルテアの「趣味」に過ぎない、私はそう言うのが好き。”それ”への反発が、この世界に脅威を発生させているが、この中に居る人々は”それ”を倒す事でこの世界に富を呼び込み糧を得ている、そう言う構造もある。階層はあり、末端に行く程、人は人では無くなっていく。そこから脅威は現れるが、アルテアは”それ”によって人々の生命、財産が脅かされようと、”それ”を消そうとはしない。

現実と同じで、「存在する事を否定はしない」から、だ。ルールは敷かれ、アルテアの理想とする世界はマクロで描かれ続ける。魔物の存在もまた、その絵の一部として、この世界は成り立っている。


「そう言う物なんだよ」物理的事象に文句を言ってもしょうがないんだ。”この”世界が好ましくない?それは良かった、現実はこういう世界じゃない。ただ、この世界を好ましいと思い暮らす人々も居る、それはそれで、等価な他の世界ではある。自分らだって、時にはこういう世界で魔物退治をしたい様な意識には成るだろう?”そう言う”思いを汲んで、それにより対価を得て、この世界は成り立っている、逆も或いは真なり。

「アルティアン」に、現実で言う”漫画”があるかは、まあ少し謎ではある。


求めている返答は、こういう説明じゃない、とは思う。「アルテア」とは”誰”で、何処に行けば会えるのか?だ。「そう言う存在じゃない」と言う理解を、相手に要求出来ない現実はある。ともかくこの位に「解らない」先で、ある程度安定する「大賀さん」その意向、それはある。ともかく「アルテアとはどんな?」と言うと、良くも悪くもこのイメージが、今は最も合致はするだろう。

今年のコミケが、いやそれ以前に界隈がどうなっているか、考えると中々恐ろしい部分は…まああるが。

現状の「大賀さんに逆らえる人々」の最上位は、結論では平成が始まる前に”この”、現実を象徴する様なイメージの女性を、理不尽にか殺している、のだ、そしてそれを罪に問われなかった。昭和天皇が崩御した結果、「紛争解決機構」それが機能しなくなっていたから。多くは、「誰がどうやって決めているんだ?」への返答に、納得し得る物を提示できなかったから、だろうとは思う。今は?だから、問題は”そこ”になる。

「大賀さん」に象徴される「紛争解決機構」それによって決定している。

”それ”はもちろん今も、その存在を否定している、訳で。平成の始まりに「成功」した、神の座を得る術、それに依存し、減り続ける財産を前に、博打をまだ続けている。

…そう言う「達観した視点」それは果たして、どうなる物か。

それもまた、神のみぞ知る、か。

 


「遊び」と言うその帰結

2022-04-26 10:12:34 | 日記

地元で選挙がある、公明党の候補者が、なんかトップで当選する。

…同時に、自身の何かの熱意?の様なモノも沈静化した、それは一体何だったか。


「良い結果だったか?」

に、少し考えてしまう、公明党と言えば創価学会、だ。”それ”に対して個人的にはあまり良いイメージが無い。自身の体験の様な何かとしてか、あの宗教かは破綻していく末端を救わなかった。甘言で取り込まれ、貢ぐ先で結局、最後は見捨てられて終わり…そんなニュアンスの。

が、噂と言うレベルかもしれないが、主に芸能関係で、”彼ら”の影響は無視出来ない範囲にある、そんな話もある。そして?逆に言えば創作への重要性?そう言うのにも、或いは彼らほど精通してる人々も居ない、のかもしれない。ただ、その教義、そう言うのを見ても…ちょっと二次創作的、ではある。最近問題にする「二次創作は一次創作を超えられない」”それ”に挑んでいるのは、実際は”彼ら”かもしれない。

とは言え、地元、である。

隣の町の自民党か、自身が暮らす街の公明党か?だ。

ともかく何だか、53回で終了させたニコニコ動画での「扉絵イラスト転」は、”その”終了と共に意欲が薄れた、感じ。タイミングその他、どうしても「”祈祷された”から?」それを少し、考えてしまった。

自分の状況を良くしようとしたら、決して間違った選択でもない、だろう。自身の街から出た候補者が、その自身が住む街を大事にしない、と言うのも考えにくい、筈だ。議員を議会に送れれば?少しは環境への話も変わってくる。その時、それは些細な問題だ。

ろうか?

「大衆は神である」その信仰は、相変わらずか、自身の状況を最終的には改善してない、気もする。本来なら、個人創作、言えば遊びとしての”それ”は、自身の状況を改善する為にやっているのだ、フィードバックは状況の好転で無ければ成らない、が。その結果、地元で公明党の影響力が増した、と言うのは、良い事なのか…果たして。

地方の衰退、自身の見ている範囲のそれは、喫緊の課題以前の、火急のそれでさえ有る。原因は何か、ともかく”こういう感じで”自身が、利用された?かもしれないそれには、自身の今してる事が逆に、自身の状況を悪化させてるだけなのでは、そんな気にも不意になる。すさまじく個人的な主観的理解では、「王の権威」そのイメージもまた、世間の数多は「利用」している、のだ。何故トランプ氏等が、大統領の在任中に「自身の給与は1ドル」とかにしていたか?だ。そう言う可能性に対して、自身は今も、何の対策も出来ずにはいる。

飼い慣らされた時代、というべきか。

「牢陽帝」自身でそう自嘲している場合、なのだろうか。

ともかく今も、裏側の前には、欠落した暴君の壁、それはある。

それもまた”神”の、何か意図あってのそれ、だろうか。