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あげちうのブロマガ

あげちうの日々の色々な事

とあるペンギンの様な物言い

2019-03-31 10:09:48 | インポート

それは、否定しているのだ。

「”それ”には価値が無い」と。

栗原容疑者は、今も何だか、心愛ちゃんを虐めている、そんな気分には成る。「栗原容疑者は自分の娘を虐待し殺した」それ以上に必要な情報など、後は刑期が何年に成るか位だ。陰惨な虐待内容などを、細かく伝える必要は有るのか?しかし。

一部か、報道は伝えて居る。

そこに、まだ残る、この新たな皇帝の影響力?それをふと感じる。

スマートフォンは誰が創った?と言う点で、一般論としてはスティーブ・ジョブスであり、そして平成の産物として、それは或いは「中華思想の皇帝」、その意向に寄る。そこに投影されている価値観は一貫している、「王の権威」その否定だ。マクロ的?には良い、王道ばかりでは無くマイナー文化にも光を!しかし、結論でそれはマクロな利益性の完全否定に陥り、”それ”が有ると言うだけで、この箱は、否定してしまった。

道理と、現実と、感情論の狭間にどうにも、納得のいかない理不尽は感じる。

現状の脅威?だろうか、そこに有るのは社会主義、だ。共産主義の先、と言うか、「皇帝に一任すると多様性が失われる」結果として、正妻と側室を重視する、と言う理解。正妻が認めた側室?は許容する訳だが。良くも悪くも「艦隊これくしょん」その、”秘書艦”その存在ではある。ゲームとしては単にキャラクターへの色付けに過ぎないが、社会主義では「この存在が有って他の存在が許容される」のだ。”それ”を否定するか否かは正妻の判断が重要になる、切り捨ては、有りえる。

「で、”誰”が秘書艦なんです?」

「艦隊これくしょん」その形が有り、それが大ヒットした結果、毎度の呟きが、重い。ソビエト連邦は崩壊したにしろ、資本主義に対して唯一対抗し得た存在だった事も間違いなく、資本主義はそれほど良いか?と言うと、そうでもない。民主主義も、結論で切り捨てを創ってしまい、それは今に繋がる面倒な混沌と悲劇の温床と化した。だから社会主義を!それは、微妙に残る欲求だ。

日本はその時、自然発生的にか、「ガンダム」を、その秘書艦的なポジションにした訳だけど。

ガンダムは、コンテンツである。天皇陛下と皇后様の合意の上でそこに有る「倫理観」価値観それを投影した、見えない物を視える様にした「造形」により、数多のそれを許容しよう、と言う形式。これが発生する前は、日本でも様々な騒動は起きた。これが発生してから、日本での大きな騒動は、それほど起きていない。かなりの精度で、紛争解決機構その原型として、これは今もまだ、ここに有る。この結果として、日本は世界で最も成功した社会主義国、その微妙な評価を得る事には成った。

そして、これは結局、微細な問題を発露していく事には成る。

「人間には、産まれついての差がある」

この物言いを、この構造は”否定し難くなってしまった”訳だ。
何故なら?最後に決着を付けるのは当時も、「王の権威」その昭和天皇だったから、だ。

作品の中でも「ニュータイプ」とそうでない存在の対立?は、時々描かれはする。良くも悪くも、「昭和天皇」とそれ以外、と言う「平等」を、ガンダムは創ってしまった訳で。昭和天皇だけは特別である、ここだけに、最後の決定をする権限がある。結果論だろうか、昭和での天皇家は、世間が平和だったのとは裏腹にか、それほど良い話が無かった。平成に成って、昭和天皇はか、”それ”を次の天皇陛下に引き継ぐ事をしなかった。それは民間に堕ちてしまい、”それ”を良くも悪くも「自分は拾ってしまった」訳だが。

その時、自身の「秘書艦は誰?」それは、想像以上に重い話に成ってしまった訳だ。

妙な話ではある。問いに対して、「艦これMMDの、ポンプ長式大和」と言うのが現在の、ある意味で一番軽い選択ではある。

それが何を意味しているか?は、それは解る人々だけで解っていればいい話だが。
ともかく”ここ”に、あの「大賀さん」それもある、それは或いは間違いも、無い。

つまり?

一体いつになったら、この牢獄の様な場所から出られるのだろう?

とは言え、外もそれほど良い環境にも見えないが。



とある魔王様の憂鬱

2019-03-30 09:07:39 | インポート

自分は、何が欲しかったか?だ。

ともかく、ガラケーが有って。
”それ”に対してテザリング(ともかく連携)する、小型のタブレットで良い。

”それ”が今、自分の手元に、”側だけ”は有る。
スマートフォンを買ったからだ、今まで便利に使ってたガラケーは、電話機能を失った。
自分が常に想像してた物の間には今も、この断絶があって。
それが物理的な実感として、”ここ”にはある。

昔の、個人的な理想?だ。

ガラケーに、電話が掛かってくる。
ガラケーを取り出す。”そのまま”細々調べものをする必要があるなら?小型のタブレットを取り出して、通話環境は変わらないまま、ブラウジングしつつ調べたり、確認したりする。

他、ガラケーで写真を撮ったり、録音したり、ちょっとしたメールの確認をしつつ。
込み入った情報に関しては、タブレットを取り出して、そっちの方で詳しく見る。

ここから先は、ちょっとしたバリエーションだ。

ガラケーを閉じると、ゲームパッドに成ってて。
タブレットを立てて使えば?相応のゲーム機として機能する。

或いは、そのモードなら、「タブレットのマウスとして」使えても良い。
タッチパネルは必ずしも便利、と言う訳じゃないからだ、ポイントし難い時、マウスは有り難い。

或いはそのガラケーは、他の端末などもコントロールし得るなら、家に設置してる”それ”を操作して、テレビの大画面でコンテンツを見れたりする、そう言うのはある。


手元に今、スマートフォンと、ガラケーが有る。

ガラケーに今、電話が掛かってくる事はない。
そして今?このハードに対して、スマホと連動し得るソフトの提供は、有りえない。

ガラケーは、PDS(小型情報管理端末)と、カメラと、メモ帳と、ICレコーダーその複合機に成って、今も何だか便利だ。

ただ、受話器には、成れない。

そして、スマートフォンは電話としてはあまりに何というか、”不便”だ。
スマホケースがそもそも、通話に向いてない。滑稽と言うか、無様さえ感じる光景。


「王の権威」それを超えねば!的な、そう言うベクトルの先に有るモノ、だ。

スマホとガラケーの間には、何かの大きな溝が?残ったまま、だ。

これじゃない、これは”笑った物”だ。

それが、オーダーの結果、の様な物として今、手元に有る。


相手を「愚者だ」として、侮蔑して良い状況だろうか。

悩む。




古い対価の行方

2019-03-29 13:02:18 | インポート

誰かの声、ではある。

「こうさー、何でもかんでもこれさえ有れば出来る!って奴は無いの?」
「ねえよ」

と言う帰結の果てに、自分は一つのアプリを創っている。

「美鶴さんの長い妄想」

そして、それは、ものの見事に、売れなかった。

「オーダー」とは、ちょっと違う訳だ。反論の様な物、でしかなかった。
一応?「大衆」と言う”神”を通せば上の反論が正論だろう、自分は、”それ”に応えてしまった、訳だが。

ともかくその結果に対して自分は納得もしたが、世界?は納得しないまま。

…でも、やがて何かの破綻へと向かう。

「スマートフォン」も、実際には自分が過去にデザインした実在の怪しい携帯ゲーム機「ドリームキャスト・パスポート」、その「皇帝創作」そう言うイメージが、強い。
”その”作者は、上の「何でも出来る箱」を求めて突き進み、そして消えてしまった。
残った何かはその意思を継続し、その道を模索し続けるが、土台が「皇帝創作」ではあり…やがて、スマートフォンは利益性を失って行く。

奇妙さは、ある。
土台を失ったスマートフォンは、何故か今、「美鶴さんの長い妄想」そこを、足場にしようとしている訳だ。
”作者”はもう、居ない。元々は皇帝創作である、作者の著作とは言い切れず。だから、或いは”何か”が戻ってきた…そう言うイメージ、だろうか。

作者が変わったのなら?何かは”変える事が出来る”訳だ。

「”これ”は何でも出来るよ?でも、他でやった方が良いよ」

実際には、何かの、「御守の様な物」でしかない…のかも、しれない。
「独裁創作は売れない」
破綻へ続かない選択、”それ”を、支え続けた様な、そう言う。

スマートフォンに付き纏っていた懸念、だ。

PCもデジカメもラジカセも!このままじゃ何もかも売れなくなってしまう!

「それは無い」

何故なら?”その全て”が、他の専用機でやった方がずっといいから、だ。

元の作者は”この”返答を認めなかった。
でも、それは変わった、かも、しれない。

ともかく手元にある物に対しては、そう考えれば良い、のかもしれない。

少なくとも、前の電話機はもう、使えないのだ。

…対価、だろうか。



スマートじゃない奴のスマホ評

2019-03-29 07:40:01 | インポート

或いは、唯一の欠陥ではある。

「スマホ買いましたー初LINE~」
「どんなの買ったの見せて~」
「…えーと、どうやって写せば良い?」

この時、ガラケーは気にもしないか、或いは古いガラケーで映す、鏡を使う、などを検討する訳だが。
スマートフォンは、不意に、止まる。

…出来ない?

何かの恐慌がここに有る。


それは唯一無二、圧倒する性能!とかを目指す先に有る、不思議な欠陥だ。
思想か、病理の問題だろうか。スマートフォンは、自分を映す事が出来ない。
唯一無二の完璧な存在!なら、”不可能など無いから”だ。「他などいらない」ので。

馬鹿なの?

意外と、延々と続いてしまう侮蔑の連鎖、その起点かもしれない。


ホントに、何というか。

スマホのパケット制限は、重い。
だから、「Wifiの傍で」使う事になる。
でもWifiがあったら、パソコンあるよね、普通そこには。
大きなディスプレイも、大容量のハードディスクも、ブルーレイも、ハイレベルなスピーカーも、USBポートも、プリンターも、スキャナも、だ。
で?

スマホには、その場でそれ以上の事が出来ず、それ以下の事しか出来ない。

頭悪いんか。


”それ”を、「面白い」と言うべきなのだろうか。
ここまでやってあっても、これは「面白くない」のだ。
動画配信もネットブラウズもメールも通話も、何もかもよほど高度に可能なのに。

何だか”そう言う意味”で、面白いハード、と言うべきなのかもしれない。

「贋作は何処まで行っても贋作」と言うべきだろうか。

ともかく「価値が無いハード」では、もしかしたら、価値はより強調されて見える、かもしれない。

そうだろうか。

その為には、何かの壁?を超える必要があるかもしれない。


これは、駄作だ。

それを、これから或いは、変えていく作業が始まるのかもしれない、が。
完璧を謳ったそれは今まで、幾千の侮蔑に耐えては来たのだ。

世界への否定を蓄積しつつ。



とある変化とその後

2019-03-28 18:12:44 | インポート

「殴る相手が居ない」それは、吉報ではあるが。

今までどうしてたのか?を考えると、やっぱり重い失望と共に喪失感、その他もろもろは、痛みでさえある。
「被せ」を、「高度な事をしている!」そう理解し、或いは皇帝の示す方向へと進んだ結末だ。

殴る相手が、居ない。

…そこでただ、茫然としている感じ。


「大衆」と言う神が居て、その神に相応しい奥様として「大賀さん」それがある。
その二つの狭間に、立ち入る余地など無い。それはもう、完成した何かだ。
そしてそれは、別に色々と叩いた結果でそこに有る、訳じゃない。
”当り前の話”を、その何かは信じなかった…それだけの話だ。

それは全くあの、「フルル」と言う”立て看板に”恋したグレープ君、と言うフンボルトペンギンの如く。

それでも気づく?事態は何か、有ったろうか。
栗原容疑者は、何かの結末に至ったのだろうか。

「じゃあ我々は!一体何の為に頑張ってきたんだ!!」

絶叫に近いそれに対して、返答は出来ない状況があり、そしてそれは、その中心から離れる程に、強く?は成る。
”それ”がその、狂気とも言える敵意を向けていた相手は、実際には「何の問題も無い」単なる犠牲者、だ。
道理としては、その”外に居る”人々は、単純に土下座でもしてるしかない、そんな事態。意味論的にはか、栗原容疑者と同レベルの、その、分厚い何か。

”それ”が目指したのは、「被せ」による世界支配か、或いは”新しさ”か何かだ。

寝言言ってんの?

ありがちだ、二次創作者が、「自分の方が絵が上手い」から、オリジナルを名乗らんとする、その。

スマホは、つまり「掌の上に有るパソコン」である。
そして、それはPCで出来る事をそこで、しかし”より悪い環境で”出来るに過ぎない。

ガラケーならまだ、ガラケーとしてのオリジナルは有って、まだ使えた感は残るが。

スマホはふと気づくと、”全て”PCでやった方が、何もかも良い。
そして、それ以上の事はほぼ、「何一つ出来ない」のだ。

なんだこりゃー・・・。

知らずに特権階級だった、自分が言って良い話かどうかは分からない。
みすぼらしいセレブは、華やかな乞食か野党の群れに苦心してた、訳だが。

その、華やかな貧者らが、その生涯を賭して創ったモノに失望している、それは。

どれだけ非道な目に有っても、何かの邪悪な様…だろうか。

失った物が、大きい気がする。
元々あったかどうかは謎だが。