あげちうのブロマガ

人前に立つ怖さと栄光

理念の暴走と、結果の悦楽という問題は深刻さを時に招いたりする。

全てが平等でなければならないが、しかし英雄は英雄として人々の希望としてある。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。

人間の能力が理想通りに平等?等価なら、役職が回り番でも何ら問題は無いのだが…実際には、それでは多く、問題が起きたりする。実際には「向いてる人」には長期にやってもらう方が状況は安定したりして…ただもちろん、その時、それに寄る弊害、癒着?そう言うのは、深刻な議題には成っていく訳だが。

良くも悪くも、「アイドル」それは、その人々に対しての要求、そう言う物である可能性はまあ、重い。

要するに「特別な存在」それは、何処の領域でもどうしても発生はする、訳だ。向いてる人、というのは居る。そして、”その”存在が要求される職務を熟してくれればそれでいい、時。「要求とは?」ではある。現場の特別、その本人にとっても、そして、それを支持する人々にとっても。その時、”そこ”に求められる「仕事」として、何が必要か?それを熟した時、そこには利益、成果、報酬が有る、訳だが。

そういう、「存在での肯定」或いは「勇気」そう言う物を代行、或いは盾に成ってくれる、そう言うのが、実際には「アイドル」への要求である、それはまあ、少し定義していい。

会社の社長、実際には”それ”に何を求めるか?ではあり。技術か?容姿か?何かのセンス?現実的に言えば、社長に求められるのは「職場の安定」それ以外にはない。なんというか?「問題は無い」無いだろう結果も。これで良いそう言うのを示し続けるという方が、何だか大事に成っていく、気はする。それを、結局はアイドル、タレント、そう言うのも求められる訳だが。

要するに?テレビに出てるタレント諸氏は、何かの「社長」それである、訳だ。その時要求される事は?ではある訳で。或いは、集まる人々は自分の会社かのその社員であり、もしくは顧客の面々である。彼らに対して、社長が出来る事は何か?だ。「俺は優れた存在なんだよ!」それは、必要だろうか、ちょっと疑問には成る。

もちろん?心配になるような低能では困る訳だが。

その辺の微妙さ、匙加減?それは本当にアナログではあり。人々の要求があり、それを人々の前に立って、それを問題なく熟して、何もかも順調に推移している、そんな納得を与えた感じで一区切り、それを実現する上で必要な事は?というのを”理解”して前に立っているという事が、その場に求められる結果ではある…それは或いはその時、もう技術ではない。しかしまぎれもなく、何かの感覚的な収斂の結果ではあるだろうか。

ジャニーズ事務所が看板的に消滅した、というそれは。何かの結末と言う感じに成った、のだろうか?

システムそれは、問題ない。ただ「このツールを使えば描けない絵は無いです」が解っているとしても、描きたい絵が描ける訳じゃない、それはまあ、問題としては残る訳だが。

自己責任、無責任との境目には居る。

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