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あげちうのブロマガ

あげちうの日々の色々な事

後継者が消えた家の中で

2023-08-31 07:47:28 | 日記

ともかく今も、「一文字10円」それは自分の前で具現化してない、とは思う。

もちろんか、今も「どういうルートで?」それは、自分も明言出来てない訳だが。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。

「大衆は神である」と言う思想?は、逆に言えば酷く頭の悪い感覚だ、とも言える。「神は完璧であり絶対正義であって。つまり、”それ”に任せれば全て上手く行く」失敗するのは”それ”を掴み切れていないから、だ。現状の維持は、そう言う感覚の帰結としては有っても、「上手く行ってますか?」に関してはまあ、ちょっと公言し難い、そう言うのはとても重い。

安心感、それはいまだに、無い。

何故か今は、「人力発電機」それが有っても不安感が残る、そんな状況ではある。

現場的には、後継者に十分な実力者が居ない、というのはある。先日の「なかの凱旋門」良くも悪くもそれを創案し、具現化させるだけのパワー、そう言うのを自分は持っていない(とは、思う)。不安感の原理はこの地区で言うなら、長きに渡って議長を務めていた存在が、居なくなった・・・というのは重い。結果、「どうしましょう?」それを聞く存在が消えてしまった、感じ。

今までなら何となく「現状維持で良い」筈が。その先の暗雲が見えてきた、そういう状況だろうか。

未だに相反する感覚を処理し切れてない、というのもあるかもしれない。現状維持は大事だが、後継者の意向も正論を持つのだ。農業で言うなら政府からの補助金その他は必要で、その分の利益を何処かで稼ぐ必要がありつまり、農業だけに依存は出来ない。「そんな事は無い」大分声は小さくなっても無視できないモノとして、それはやっぱり今も何かどこか、残ってる感じは少し、ある。

ともかく創作と言うのがあまりにもか、博打でしかない、需要が見えない、それは今、深刻に重い。

”普通”の職業にしたら「それでいい」のだが。そんな博徒になるよりは、貧しかろうが真っ当な仕事を続ける方がよっぽど道理である。”それ”に対して自分の理屈は、「創作の利益性が無いと経済は回復しない」もちろん相応の面倒はあるが、安定した利益性それは確保し得る、とは言うが。「その証拠に、自分は今もこういう事を続けられている」事は、あまり説得力に成ってない、気はする。

ともかく、今まで畑を耕してた人々にそう言う事を要求するのは、もちろんナンセンスではある訳だが。

マクロで言えば、経済的発展の為にはもうちょっとヒットし、現場に利益を落としてくれるコンテンツ、作品、そう言うのが増えねば成らない。それが増えれば全体的に状況は改善する、とは言えるのだけど。景気のいい話はあるのに、何だか「今は売れないから」そう言う感覚に支配されている現状ではある。

売れてますか?

「数値は制御されているんだ!」

出口は、どっちだ。


鬼畜米英を勝者は忘れている

2023-08-30 08:20:41 | 日記

良くも悪くも現状、まだ「上意下達」が強い世相では、ある。

上の方から見捨てられた領域ならともかく、上の庇護下にある時、下は上の意向を待つしかない。


※ちょっとテスト、「タイトル」をそのままPixAIのプロンプトに使用したら?という感じ。枯れ木も山の賑わい、ではあり、というか・・・

 

”上”は、変わってきたのかどうか、まだ不透明は続いている。自分の法がそこにある、としても逆に「大賀さん」それは同時にそこにある、という事でもある。つまり、”相手”に戦力が残って居るなら?例えリーダーを失ったとしても、それはまだ抵抗勢力として残り続ける…という事でもある。状況が極端な変化、そう言うのを嫌う時、相手はまだ「今まで通り」を続けられる、訳だが。

ずるずると、そうやって「今まで通り」が続いている、現状ではある。相手はまだ、直ぐに次の王を立てるだけかもしれない。愚者は幾らでもいるのだ、そう言う感覚は、不意に面倒なモノとして意識はされる。

最悪、「物理的に無理だ」と言うのは、今の民主主義にとって何の抑制にも成らないのであって。

今までもそうやって、現場に無理を強いて潰して、”それ”を誰か何かの責任にして続いてきた、のだ。それが民主主義だった、というのもまあ、少し解ってきた部分ではある訳だが。

とは言え、「物理的な無理を超える」超えられないと負ける、そういう状況であることもまた、変わらないのかも知れない。ズォーダー大帝の乗った超巨大宇宙戦艦に、その1/100にも達しないような、半壊したヤマトが体当たりして何か意味が有ったのか?は謎である。物語はそれで、なんとなく感動的な雰囲気と共に幕を閉じた訳だが、しかし。

その後、何事も無かったかのようにリスタートしたのがヤマトではあるのだが。

「ストリードの中にはお金が入っている」それは、なんとなく要求し得る”理解”に成ってきた、気もする。創作者が「お金が欲しい」なら?ストリードを貰い、そこから”お金になるモノ”を引き出せばいい、或いは体感的に解ってきた何か、かもしれない。ただ問題は、”それ”を選択するという事が、「ズォーダー大帝に負ける」と言う絵にしか成らない、事だ。「話に成らないだろう」それは、意外と大事な問題にはなる。

「価値を護る」と言う事は、実は「そう言う面」を持っている、事には成る訳だが。

ヤマトは命を賭して地球をズォーダー大帝の魔の手から救ったのである、とか言う話だからこそまあ、意味があるというか…何かの「強制力」さえ発生させる、のだけども。「命を賭したけど無理でした」では、その物語は、その程度の話でしかない、という事でもある。いわゆる「古い」もうそんな時代じゃない、そう言う象徴みたいなモノかもしれない、のだが。ズォーダー大帝は、徹底した悪役に描いてしまった、ああまであしざまに表現した相手が正しかったです、というのはあまりにも何というか、愚者ではあり。

そんな想いが、何かの小さな物理的な無理に乗ってしまっている、気はする。

何もかも値上がりしていく中、戦争それは、不意に続いている。


一次創作と言う特権への抵抗

2023-08-29 07:11:32 | 日記

「二十歳過ぎたら自己責任」は、自分の理解でしかないが。

それでも、現実も如何に外部的な要因が有ろうと、過失は本人の過失としてしか計上されないのかも。

 

今の理解では、「テレビ番組」その需要それは、「視聴者の皆様お疲れ様です」そこにある、とは言う。日々の仕事その他に疲れて帰ってきて、そしてテレビを見る。そこに映っているのは、自身らを慰労する為の仕事に従事している人々、だ。なんというか、「彼らも大変だ」そんな同意が、自身に蓄積する何かの疲労、それを軽減してくれる。或いは、ここまでしなくても良い労働で暮らせる事は幸運である、そんな。結局その為には、現場は働いてないといけない、訳だが。

「お金儲け」=「労働」ではある、のだが。価値観の問題で、そこには深刻な疑問、その壁は厚い。

或いは、現場にはブラックを要求しつつ、自身らは無理を前に逃げている、それは不愉快の起点には成る。そういう状況が、ちょっとかなり長く続いてしまった・・・それは、ちょっと深刻な過失として重いのかもしれない。

テレビが「面白くない」と言われ始めて、久しい。そこは「広告代理店」平成の始まりと共に、不意に面倒を背負わされた人々の、実際は欠損していた能力にはよるのだろうか。本来は?現場に丸投げで良かった、可能な限り視聴率を上げてもらうだけで良かった、が。番組の是非が解らない時、特に「今までにない」それは、単なる奈落にしか見えない。

そしてその是非を計れる人はその時、もういなかった訳で。

経緯は似ている、テレビも、昭和の頃から色々とケチを付けられつつ今の状態ではある。放送して良いモノとしてはいけないモノ、その境目は何処?を、平成から特に判断しにくく成っていった、そう言うのはある。無難な”仕事”に成っていく、「面白い?」惰性こそが視聴者、みたいな状態の中、視聴者の現場は窮乏していく。新しい打開を!「解らない」時、番組は現状維持を続ける事になり、衰退していく現場を前に、ただルーチンワークが続いていく、事には?

・・・それは、面白くない。見ていても、自身の生活に対して何の改善にも成らないのだ。とは言っても、昭和のコンテンツをトレースしてるだけの二次創作者らに、”その”欠点をどうにかしろ、それは無理だ。そして一次創作、というのが・・・酷く理想に反した物だった、というのも、状況の悪化には拍車をかけた訳だが。

”物理”に同調し得る奴にしか、一次創作、それは創案できなかった。

技術的に上手い、というのはその時、意味がない話だった。

納得してしまえば良かった、というのはある、幹の人間ではない、枝葉には枝葉の生き方しか出来ない。幹の人間に依存し、その周囲で美味しい汁を吸う、本来の「広告代理店」はそう言う業種だったかもしれないが。そこで幹を目指した?というのは、周囲の問題だろうか、それとも自身のプライドのせいだったろうか。

ヒットラーのしっぽは今もなお、あちこちで正論を語りつつ、燻っては居る。

ズォーダー大帝の独裁に立ち向かえ!或いはそんな正論と共に。


自認する有能さが見ている色の世界

2023-08-28 07:07:59 | 日記

それは、神を呪う瞬間ではある。

「私は有能なんだよ!」と、それは利益を出せない。

 

”利益”にフォーカスした場合、求めているのはほぼ協調性、でしかないというのは…現場的には何かのストレスではあって。いわゆる「空気読めよ」全体を形成する雰囲気に合わせられるか否か?みたいな、もちろん表現的には間違ってるが、”そう言う感じ”が現場で求められる何か、ではある訳だ。その中で、自身の技能を誇り他を卑下する奴は、その場にとってはお荷物か面倒の種でしかない、訳だけども。

とは言え、無理に対して「無理です」それを言うのも、或いは有能さの一面かも知れない?ちょっと自分も、だんだん何を書くべきか解らなくなりつつは、ある。

 

要するに、このところネタにする「売れない編集長」の問題は、想像以上に面倒になりつつある、感じはする訳で。

”彼”が制作現場に関わったら、利益が発生しなくなる、訳だ。しかし、公告代理店のか、プッシュを世間が無視できないまま、それは芽を出し始めた「ちょっと面白い」に関わっては、そこで問題を起こす様になって。現場は目的がある、その上では有用な筈が、提案されるそれは現場にとっては「面白くない」ネタでしかないし、或いは「無理」だ。最初の頃はまだ良い、ある程度は抑えられる、そして、相手も表面上、単なる技術者だ、が。

その後、そこで今まで何が起きたか?というと、「君は無能だから要らない」で排除した後、”その現場が”制作領域から排除される、という事態があった、訳だ。それで現場は”理解”していく、その無能を抱え続けねば成らなくなった・・・それが平成の多くの失敗作の原理に成った、訳だ。”それ”は更に歪んでいってエスカレートし、「面白い!」ウケた、所に行ってはそれをぶち壊す、様な事を始める。広告代理店はそれでも彼を王に据え続けた、悲願が有ったから、だ。「朝鮮の復活を」それの為には、その王による独裁は維持せねば成らなかった。騒動の原理そのものは、それが「無理」だった事に起因はする。その後継者は、手厚い保護と期待を背にしつつも「それは無理だ」に挑まされる結果、それを現場に発露、無意識かの八つ当たり?それをしていた、事には成る訳で。

状況はだから、公告代理店は状況の悪化などから、”彼”を王としては排除する、事には成った?

ただ、そこに残ったのは肥大した自意識の、しかし既に老年に成りつつある未熟、である。庵野秀明氏も過去には言っている、「絶望してからが始まりですから」。本来なら、或いはグレートマジンガーの頃に「自分は下手だ」ある程度の自覚、理解、それを得てその上に知識や経験を積み上げていく事に成るのに、”それ”がまだそこには起きてない?訳だ。「自分は天才なんだ」そんな、周囲から持ち上げられた結果の誤認かプライドは、「売れません」と言う結果を前に、今も何かの戦いを続けている。

・・・ある種の理想はある。「無能でも前に出れる」それはそんな、歪んだ同人の象徴として、奇妙なフラグシップに成っていった…訳だが。

今その、「売れない編集長」それがどこに居るのか?それは、ちょっと解らない。

 

想定では、切り捨てたとしても「死ぬ」様な事には成らない、しかし。排除される理由が今「結果を出せないから」それだけ、というのはどうなのか?ではある。自分の主観は、何かの横暴を我慢してる状況ではある、権限が無い事が・・・何かの幸いでしかない訳だが。民尊主義、民にとって最善とは何か?を選択する時、しかし個人のそれは、何かの暴走の原理でしかない…それはそれで重くある訳で。

結局最後は民主主義を否定できず、そこに依存していく?のは、果たして是か非か、ではある。

 


選ばれなければ消えていく世界の中で

2023-08-27 07:04:29 | 日記

意識が少し「広告代理店」その「枠」を意識すると、そこにあるストレスも大分深刻さは、ある。

”それ”が創られたモノか、或いは?ともかく意外と解らない感覚だった、というのは問題なのかも。

 

「選ばれなければ前に出れない」のだ。

もちろん、仕事もないし、報酬も得られない。

「当たり前だ」が。しかし、今までの自分の経緯その他で考えると、そう言う感覚を疑問に思うくらいに無視してた、気はする。思想の問題かもしれない、「大衆は神である」神は常に見ている。それを使うか否か?買うかどうか、それは何処に出たか出ないか、ではない、作品のクオリティによるモノだ。

「で、なんでこれは採用されないんですか?」

単に追い込まれた境遇とその中での感覚の欠落、だろうか。神のみぞ知る、その先へ進む事を、意識してか止めている、のだ。創作のネタというならまだ解らないでもない、創案当時にしろ、同人やネットワークは存在した、訳で。良いモノさえ作って居れば認められる!というそう言う熱意はその場の正論ではあったろうが今、果たしてそれはどこで何をしているモノか、まあちょっと考えはする訳だが。

ともかく俳優にしろ、前に居る監督に選んでもらわないと、参加は出来ない訳で。

”それ”が普通、という当然を意識してなかった訳じゃないが。”それ”を制御し得る、というその影響力の大きさに、少し事態の深刻さみたいなのを感じない事も、無い。漫画家にしろ、雑誌に採用されなければ作品は前に出ない、のだ。その時、そこに「逆らったら道は閉ざされる」存在が居た、という。その事案の深刻さ、ではある。

新たな採用基準、それを提案はした。

状況は前のその「監督」売れない編集長が、大チョンボをした、という把握はある。

だとしても、「放送枠」それはテレビのチャンネルの如く有限、ではある。良くも悪くも「戦争を否定した環境」ではあって、紛争解決機構での決着、それには難色は強い。最後の神判を昭和の様に「王の権威」それに委ねる、として。

どっちにしろ、スポンサーに見せたPVが可を得られなければ、その先は無いし労苦は無駄になるのだ。

その時多分、”彼ら”は自身らの技能、そう言うのに理解は無いだろう、それは思う。

視点は、「当たり前」の、店で売ってるクオリティをどう運用するか?でしかない。そのクオリティその物には要求というかは無い。単に、要求に対して応じるか、妥当か?だ。農家の内情がどうであろうが、ともかく売りに来た野菜が要求に満たないのなら買えない。志やら理想やら、に対してそこがお金を払う訳じゃない。彼らはもっと、なんというか「評価」を求めているだろう、しかし。買う側にとっては、自分が買える物しか買えない、その時多く、農家の意向は無関係だ。

現在の状況では技術者が、自身の理想や熱意を買って貰える状況ではない訳だし、それは今後も、だろう。

・・・単にこれは、今まで選ぶ側だった存在が、選ばれる側に成った、その際の深刻さ、だろうか。

だとしたら、因果応報の一つでしか無いのだけど。