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あげちうのブロマガ

あげちうの日々の色々な事

人気なキャラとそこにあるモノ

2018-10-31 08:44:40 | インポート

それは、無茶な話だ。

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なんで?


まず、「結月ゆかり」と「紲星あかり」とは”何”か?と言う観点から入って。
一応、”そこ”に共有認識の領域があり、「答」的な物があるのだが。
”それ”が「誰か」では無く、「何か」作品、それだったりして、
それが何故か、前者がOVA「機動戦士ガンダム0083」であり、後者が一般的には表に出ていないだろう「フィロソマ」ライクシューティング「テラフォース 惑星シファから来た恋歌」だったりする、訳だが。

ともかくすっ飛ばして、何故か「結月ゆかり」は”ゲームが好き”で、「紲星あかり」は正に、その”ゲーム”であり。この辺、鶴巻マキにも通じる、彼女は「FPS」であり、故に「結月ゆかり」とも仲が良い。


…おう。

ともかく?”こういう感覚”の領域での「正答」に近い物がウケる、「好ましい」評価になる、訳だが。「意味が解りません」その返答に対して返答する根拠が無いのも現実で、しかし、”解る”人々は奇妙な同意を集めつつそう言う絵を描く時、そこに集中と共に、混沌が発生したりは、する。


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なるほどわからん。

そもそも、この「テラフォース」とか言うネタを何故、「紲星あかり」と言うキャラにしようとしたか?と言うのも謎だし、そもそも作者らがそれを何故知っているのか?も、大いなる混沌ではある。前記した、「1000円にしか成らなかったPCゲーム」を創るだけの理由、熱量、そう言うのを持った人々にしか解らない「絶対」のある領域があって、そこを人々は土台にしつつ暮らしており、人気作は当然の様に、”そこ”を土台にしてそれはそこにある。二次創作はその上に乗っかってるだけに過ぎず、良くも悪くもその中から、その「土台」に正確に接続していく人々の中で、次の一時創作みたいな物が発生していく、訳だが。その絶対領域に誰が居るのか?と言うと、昭和は「昭和天皇」だったが、平成に入り混沌化して、今は「大賀さん」が終端に有り、結論で1000人位の合議制、的には成っていて。その領域で「正しい」に成った物が土台に成っていく、そう言う形而上の領域はあるのだけど。

この混沌の結果、或いは今のカウンタ制御、それは有る訳だが。

数値に囚われるな、心の眼で見ろ!

そうは言われましても。



岡本太郎の塔を見上げる

2018-10-30 16:24:50 | インポート

その世界の中に居れば、話は簡単だ。


「お金が無い?働きなさい」

話はそれで終了である。そしてその世界が「PS5草案」で有る時、概念的には何かの「不可能」それは消えている。この世界なら「働けば良い」のだ、そうすれば普通に、環境は維持できる。そして。

この世界では唯一「朝鮮王朝の末裔」その思想だけが、何故か”いらない物”に成る。


結論で、目指したのが「岡本太郎」そのアートではあり、しかし。当時の状況では、そこに「これ何?」的な、素朴な一言は、書き込む事は許されなかった。それを言うのは、その辺に居るテレビゲームに怪訝な顔をする婦人ら、である。その結果、ふと、そう考えてしまう人々、それはその世界に居る事が出来ず、結果、排除?されてしまい。その時、その理想は結論で具現化しなかった。何処に原因があったかは解らない。そしてそれは今も、不意に感じはする。

お前は何を言ってるんだ。

その声は何故か、奇妙にパワフルで。その時”切り捨てられた”人々は今も、「誰が悪かったのか?」或いはそんな自問を続けつつ、夢の向こうに有る「その世界」へは行けずにいる、訳だ。そこに居る事が出来なかった。


状況は、それでも多少は、改善した?の、だろうか。


良くも悪くも、だ。誰かが、その「岡本太郎の絵」に”匹敵するモノ”を、創らねばならなかった、のだ。それでいて幾らでも書き換えが可能な状態として。必要なのは技術では無く?或いは同じような環境。それは一人の手によって、もしくは”何の対価も求めないモノ”として創られ、開示された、全てな訳だ。「同じ」と認められる時、その試験、試行は可能になる。これは良い意味か否か?は解らない。当時、その世界に入れなかった人々を、その岡本太郎の理想、そこに取り込む時、それは何を意味するのか?それは「その先」にあるとしても、今はもう、平成も終わるのだ。

大きな懸念の一つではある。ともかく「黄昏の狩人」或いはそこに有った「PWS-VA-H500」その、若い女性が使っていた仮想のノートパソコン、”それ”は或いは、平成最大のヒット商品として、現在までまだ続いている。その唯一生き残ったモノは、何を宿し、その先へ進むのか。

神の選択それは、神のみぞ知る話。



お金と理想とその先と

2018-10-30 06:37:01 | インポート

このゲームは、結論で売り上げは”1000円”だった。

「破魔師 美鶴の初仕事外伝 -美鶴さんの長い妄想-」


これは、失敗作だったか否か?だ。

利益と言う観点では、100%間違いない失敗、ではある。良くも悪くも壁を超える事が出来ず、利益には繋がらなかった。結局、今はフリーウェア的に提供、と言う形には成っていて、そしてそれ以上には成っていない。本人的には今も、”これ”が失敗作である、その認識には成れないしかし、その後に語っていく物としては、そこに道理は埋まっていく。

一人の力には限度がある。
期待されるクオリティは”これ”なのか?
コンビニのワンオペを肯定は出来ない。
一人で全部やれるなら、”他に人はいらない”のだ。
この作品が高額になる時、貴方は他の人の市場を食う事には成る。
貴方が目指しているのは、一人勝ちする、そう言う事だろうか?
etc

これらを総合して、「独裁創作は利益に成らない」その、結論がある。

そもそも、”これ”は何だろう?

seirei


以前に、ちょっとおかしくなった?時に感じたモノだ。ともかく「見ている存在が居る」そう言う、何かの感覚。”それ”は常にそこに有り、その行動の全てを視られ、測られている。目の前にある「それ」は、”その結果”だ。そこには何かが居て、こちらをみている。

そんな感覚の結実として、PS5草案は有る、訳だが。

疑問と、問いと、そこで止まるモノがある。
そして解る?事は、「美鶴さんの長い妄想」それは、1000人は同意している、事だ。
”そこ”に1000人は居る訳だ。
彼らは、どんな人々なのか?

自画自賛ではある、PS5草案は、かなり、インパクトのある企画ではある。
良くも悪くもだ、「岡本太郎」その絵が目指すモノに、相応、近づいている感覚は有る。
が、その時、”ここ”に。右下辺りに、「へんなのー」とか?”誰の声とも思えないモノ”が書いてあったら、どんな物か?

何か問題でも?

昭和の頃、”これ”は不可侵だった、余計以外の何物でも無い、しかし。
ともかく結果として、”それ”が無かった絵は、結論で具現化せず、そしてそれは何かの不幸と共に、そこにあって。

問題は無い。
そしてその結果、その声の主は、”そこ”に居る事が出来る。

目指すべき理想とは、何か?

結局、「どうすれば?」それはその、「1000人の中に居ないと解らない」のだ。
この程度の利益しかない事に、ただ必要かもしれない”それ”に、挑める物か?

何の為に?

そこに居る1000人にしか、解らないし、伝えられない。
ただ、”そこ”まで行けば解る事ではあるし、それは誰だって、気合い次第だ。

と言う訳で、「美鶴さんの長い妄想」それは1000円だった。

利益が必要なら、これは、目指すべき道では無い。



道祖神と同人の境目

2018-10-29 21:28:41 | インポート

それは、とある古い会話だ。

フランス料理ばかりだと飽きる。

すると自分はポテチですね。

じゃあ、私はこれで。

一般論として、これは「女性を侮辱したシーン」だ、とは思う。
漫画として描くなら、たまにはポテチが喰いたい男は最悪の何かとして切り捨てられる、的な方向かもしれないが。とは言え、漫画は何処まで行っても、実際の現実とは違う訳だ。そこに居た女性は、違う事を考えた可能性もある。

「フランス料理じゃない」訳だ。

そんなもん、要るか?
フランス料理の最後にポテチ出す様な、それは有りなのか。
妙な無理をされても、迷惑だ。
と言う訳で、この話はこれでお終いに成った訳だが。

しかし、だから、と言う訳でもないだろう。しかし。
この話に対して、違う人は”違うアプローチをした”感じがある。
上の「フランス料理の最後にポテチ」を、具現化する?訳だ。

誰かが言い残した、説明すれば解って貰える、的な事を信じ?て。
これも有りじゃない?!で、説得して回り、ウケて。
「何ら遜色有りません」そしてそれは、そこの定番になった。

どっちが良いでしょう?的な。

一応、結果で言えば「切り捨てない」方向で、後者。
前者を「良い話」にする向きも結構ある、そこにあるのは悪い物でも無いからだ。
しかし、何かの悲痛が残るのも現実ではあり、後者は、それを認めなかった。


PS5草案、それは果たして何かの意味を持つのだろうか?

ともかく良くも悪くも、「ウス異本購入師隊」は、奇妙な拡張性を見せた訳だが。
ゲームに全く興味が無い様な、更に高齢の人々をターゲットにした、違うアプローチ
それは全く、フランス料理の最後にポテチ、そんなニュアンス、ではあって。

PS5で動く、そのヘビーなゲームの最後に、スーパーに買い物行って来て?の不思議。

この結果?は、果たして。




昭和の栄華とその末路

2018-10-29 09:21:24 | インポート

この辺、今は「小林よしのり」氏にも、通じる。


「赤信号、みんなで渡れば怖くない」

ちょっwおまっww(=゚ω゚)ノ

その時、それを言った本人は”本気”だ。


昭和の時代に名を上げた人々の中の、何人か?は現在、”この”変質をしては居る。変質と言うか、ツッコミ役、しばき役が居なくなって暴走してる、そう言うべきかもしれない。「如何なる卑劣な手段を用いようと生き抜いてやる!」的な、それであっちにフラフラこっちにフラフラと、今はもう、小林よしのり氏そのスタンスは、単なる根無し草に成ってしまった。結局この辺も、朝鮮王朝の末裔、その思想、「犠牲は必要なのだ」的な?そこへ通じてしまった、と言うか、かもしれない。才能の有る無しも、結局はサイコロ運である、産まれついてのそれは、しょうがない。

「情けない事を言うな」

的な、しかし。昭和天皇は”それ”を結局は、間違ってると理解させる?事は出来ないまま、昭和は終わってしまった。立場の問題も大きい。昭和天皇は特に、太平洋戦争前は神その物で、その後も、彼以外には利益性のある創作、それは想起出来なかった。自身こそが多数決の多数派、それが絶対正義であり、その国家全体の利益を目指せば、彼は多少の強行論も容認せざるを得ず、反発する少数派は敵だ。昭和の名声らは、その先兵だったに過ぎないが、本人らも自覚は無かったろうか、俺は偉大なる存在である!自意識だけが病気の様に肥大してしまって、比例する様に無能に成っていって。その時、そこに、何かの些細な歪みが始まって、それは膨らんで。昭和の終了と共に、それは歪な化け物と化して、暴れ出した、訳だ。

「王の権威」それが、何の特権も無い民間人に降りた、それは必然だったにせよ。それは今も、彼らの暴走を止める事は、基本的には出来ずにいる。惨めに無様に変質していく、昭和の名声?らの醜態は、今の自分らに、何を言わんとしているのだろう。

彼らは今、実際には、利益性から見放されてはいる。手を出す全てが大損害を出す状況だ。それを養い続けねばならない、或いは昭和から続くその権威、権力が、実際には彼らと同じ変質をしているのかもしれない。利益性だけを問うなら、彼らはもう用無しだろう。でも、それは、切り捨てでは無いのか?

彼ら、老いた権威が、しかし、昭和を創ったのは間違いなく。沢田研二が、かつての「ジュリー」それに程遠い有様に成っていても。それでもそれが「沢田研二で有る」時、7000人はまだ、彼を、追い続けているのだ。

「中華思想の皇帝」共産主義の本懐、だろうか。昭和は本当に、良い時代だったのだ。1%を切り捨てていたにせよ、逆に、それは現実を超えた快楽をも、そこに現しはして。我々は何故か、そのツケと共に、今を暮らしている。

「働け」今の彼らにそれは”無理”だ。それを求めるこのシステムに、問題は無いのか。