それは変化と言うか否か。
ともかく、区切りの様な物は、ある。
「可能性を追及する!」
その結果、二兆円以上の不良債権が発生した時、それは誰に責任があり、何が悪かったか?だ。
面白いゲームを遊んでいて、やがて楽しい時が終る時。「もっと」それを目指す先に、古いゲームは何だか、応えてしまって。それは結局、ゲームセンターを衰退させていく要因と化していく、プレイ時間の増加、”作法”の窮屈さ、初心者の締め出し。「もっと」その同意と追及の先、だ。その先には、その場には、何かを超えた未来さえ見えた、として。
その推奨と容認の結果二兆円以上の不良債権が発生する時、それは何が原因だったか。
ともかく、だから、だろうか。一瞬とは言え、何かの「交代」が発生する。「次は?」それを決める権利がその場から消え?こっちに廻る時。それは、例えその場で「好ましい」とされるモノであっても突如、批判の対象になる。
何で”それ”を選ぶんです?
今まで選んでいた人に、その権利が一瞬とは言え消えたから、だ。二兆円、そう言う金額は洒落に成らず、それが何の為に使われたか?或いは独裁創作は売れない、その現実に立ち向かう!可能性はある!そんな物言いに対してのモノだった時。「出来るよ?」そのゲームは普通は10万点取るのがやっとだけど、我々は100万点取れる、そう言う場合があって、それは一つの事実として有って。一般論が見てる視線と結果に、笑みを浮かべて「その先へ」進む時、或いは何かの限界を超えた!そう言う瞬間なのかもしれないしかし。
それは現実の前では、「それは出来ません」単に、容易く否定されるだけな訳だ。
「バカだ」とは、思う。だからこそ、その或いは頂点に有った物は、「少し」ズレたのだ、それを許容していた…そこに、何の責任も無いとは言えないからだ。今まで、その温かい世界を好んでいた人々にとっては、突然の天候不順で有る。選んだ物が、決して悪い訳じゃない、単に。
何で貴方が選ぶんです?
その「空気」の広がりと、或いは現実、「大賀さん」その結果、その異相は果たして、この先に何を創る物か。「マニアには諦めて貰う」ゲーセンに損害を与えてまで可能性を追及する必要は無い、そう言うスタンスはその場を、果たして良い方向へ、向けるのかどうか。
数兆円もの損害を出した、それは重い。それだけ投入しても、現実の反応とは単なるサイコロでしかなく。それでも、何かの妄執だ、そこで7以上が出るかもしれない!そんな夢はまだ、その場には残っているのだ。
経営者の前に有る現実と結果、支持者らの希望と失望。利益を上げる為には?それは大事な話だ、しかしその為に、それは失って良い物か。
「失敗した」のだけど。