goo blog サービス終了のお知らせ 

あげちうのブロマガ

あげちうの日々の色々な事

正義は勝つと言う絵の裏表

2021-03-31 16:08:35 | 日記

つい、考えてしまう。

それは或いは、否定したか、持ち込めなかった物、だ。


タイトル
「仮面ライダーVG(バージュ)」仮

テーマ
「正義は勝つんだ、諦めるな」

ゲームシステム
 サイドビューのジャンプアクション。画面上にチェックポイント(道標みたいに輝いて浮いてる)が有り、”それ”を取る事でパワーが溜まり(またHPも少し回復)、一定量溜まると”変身”でき、パワーアップする。ダメージか、一定時間で解除になるがその間は強力。一応、チェックポイントを最短で?通る事が最もスコアが高い、という構成。

物語
 世界は突如、邪悪なる軍団「ガイアス」により侵略を受けた。貴方は立ち向かうが倒される。しかし、彼らは貴方を殺さずに連れ帰り、改造し、自身らの戦力として利用しようとした、が。貴方には脳改造は何故か効かなかった、変身し、拘束を解いた時、貴方には自身に力がある、それを感じた。
 と言う導入から、敵の本拠地を目指して戦い進む。途中で、改造された強力な怪人らが立ちふさがるが撃破し、遂に居城へ乗り込むが、そこに居たのは脳改造されていない、彼のかつての友人だった。行方不明になっていた彼は、今の歪んだ世界を正すと言うガイアスの先導役をかって出ていたのだ。苦闘を制し、その先に居るボスを倒し、世界は辛うじて危機を免れた。


「影の伝説」と言う古いアーケードゲームを、改良?する事を考えると、しかし。そこに有るのはでも、割と有り触れたニヒルさ、ではある。

画面の中で実際には命懸けで戦ってる姿、”それ”に対してかっこいー、を言う、それへの否定と。

報酬的に「結果でお姫様は落ちました」的な、そう言う、或いはそう言うモノだ的な、理解と。

何かの憤慨と、否定感と共に。ともかく「影の伝説」はそんなにウケ無かった、らしい。

改良?を考えたら、お姫様が浚われてる必要は無かった、のかもしれない。

単に、邪悪なる軍団が攻めてきた、迎え撃て!で、テーマ的には問題なかったかもしれない、が。

この後で、返答はある。

「なんでそんな事をしなきゃいかんの?」

そう言うもんなんですが。

時代と、世代の、或いは立場の?問題、と言うべきだろうか。企画原案には、その辺にどうも同意が出来なかった訳で。庵野秀明氏もかつて言っている?が、「平和を脅かす脅威と言うのが、どうもイメージ出来なかった」と言う、それが正直、平成か昭和だった、感じは実は有る。平和ボケ、そう言えばそう。生活が脅かされる、という危機感を、もちろん自分も当時、感じた事はあまり無かった。戦って勝たねば世界は護れないんだ、その至極当然な感覚は、昭和から平成に掛けて、日本ではか、結構「はぁ?」そんな感覚に成っていた、そう言うのはある。

それもまた、そんな理解の帰結だったろうか。

幸運と言うべきか、否か。良くも悪くも自身はかなりひしひしと?感じる感覚に、支配されてはいる。何と戦ってるのか?と言うのにちょっと切なさは有るが、ともかく結構、命懸け、という賭けの中には常に居る、訳だ。幸いと言うか、時間と共に、何かの安心感、堅牢さ、そう言うのは増してくる、としても。今もミャンマーの騒乱は治まらない、それに対して紛争解決機構は介入してないのか、そう言う話は、その危機感と共に有る。

良くも悪くも、”それ”を凌いだかの先にしか、何かの価値は無い…それはその領域にしか解らないリアリティ、だろうか。

「大賀さん」が有る時、今日も、誰かは戦っている。


基本と言う塩と砂糖の狭間

2021-03-31 10:22:18 | 日記

象徴的な事例だ。

「起承転結なんかそんなに重要じゃない」

この結果、表の環境は、利益性を失ってしまっている。


解っている事だ、基本中の基本だ、それを知らない創作者、それはほぼ居ないだろう。
ただ、その後に有る理解、それは要するに”そう言う事”だ。
そして、それを言う人が?結論で言えば金銭難に陥っていく、訳で。この辺も、「王の権威」それを否定した、そんな環境の歪みだったろうか。

今の理解では、”ここ”には物理がある。

「物語とは”異世界に介入”し、その世界に幸運を届ける行為なのだが、その介入には手続きが必要になる」

その「形式を単純に言った」のが、起承転結。ちなみにこういうのも作った。


ただ?もちろんこれは、数学で言う「虚数の理由」それに近い絵かもしれない。

虚数、それは単に、実用性を主眼とする時、距離計算での混乱を避ける為に出来た「マイナスにマイナスを掛けるとプラスに成る」その定理と、”それによる矛盾”を埋める為の、ある種の応急処置に過ぎない、と言うのがここの見解ではある。実際には、計算上は掛け算に一度でもマイナスが入ったら?数値はその時点でマイナスである。ただ、数学の要求から見る時、”それ”が必要な場面がほぼ無かった、実数以外は必要無いからだが。

ともかくその切り捨てたかの向こうに、違う実用性はあった、というか。

起承転結、その理解の理屈としては、「投てき」ではある。放物線を描いて飛んでいく時、それは上昇し、重力に引かれて減速し、そのまま落下に入り、目的地へ?落ちる。目標に向けて”何か”を投げている訳だ。物理にシンクロし、変化を促すその結果、テーマは前半と後半で差が出てくる。

「正義は勝つ」
正義の主人公は最初は無双するが、後半に強敵出現、テロに至る理由とか語られ、その正義が揺らぎつつ、それでもお前は無辜の民を殺した、とかそう言う理由で悪は断罪される。

大まかには、こういう流れ。後半に成るにつれ、正義とは?が、一見しても解らないレベルで問われる事に成り、そこに面倒は出てくる訳だが、それを超えて通す時、そこには価値がある、訳だ。

この辺、細かく追及すると色々と面倒なのだが、自分としては「説明」「行動「事件」「解決」その語感による流れ、という設定にはしている。

「説明」 現状はどういう状況か?
「行動」 その現状に基づいて動いた状況
「事件」 動いた結果、何の変化があったか
「解決」 その変化を如何にして?

大体自分は、この流れで上手く行かなかった事は無い、ので。気に成る人はちょっと試作するのが良いとは思う、が。とは言えこの先にまた、問題もある。

「独裁創作は大きなそれを許容し得ない」

ぶっちゃけ、例に出した「正義は勝つ」のテーマ、と言うのは価値が大きく成り過ぎるので、個人創作としてはほぼ許容されない、気はする。”これ”を個人創作で通す時、デチューン、「意図的に欠損を創る」と言う操作が必要に成り…そう言うのが「なんで?」的な、そう言う面には出る訳だが。それを見る時?起承転結が崩れている様に見える、事は多い。

目的は、「売れる事」である。
独裁性に拘ったかつて、その時の方法論は色々だったと言うべきか。

とは言え、売れない理由もまた、多岐に、意味不明に存在する。

結果オーライしか、最終的には言えないのだけど。

 


有り触れた商店街の是非

2021-03-30 09:13:40 | 日記

矛盾を内包する環境とは言える。

「王の権威」、商店街が総じて流行ってる光景、”それ”を構築し得る環境、それを創案した存在、”それ”だけを特別扱いすれば?他は平等に成る、訳だ。期待されるか、人々にはほぼ同じ環境が提供され、本人の努力次第で生活は可能と言う、そんな理想は具現化する、可能性は高い。

「”雅”市場」で査定され、「ストリードの連携」で提供され、「大賀さん」で審判される訳だが。この時、王の権威は何をしてるか?と言うと、何もする必要が無いし、ほぼ何の特別扱いも無い、残るのは「この環境を構築した人」それだけだ。

「※美味しいです」を考案したのは誰ですか?という、実はこの時、「誰が考えたの?」が消えてしまっているのだ。”企画”か、要求した存在は、この形態を考案していない。「なんか良いアイディア無いか」それを言っただけだ。実際に考案し構築した奴は、この要求をしていない。「王の権威じゃないの?」違う、ストリードの連携をする時、最終的には「神様」その所業、という事には、成る。この時、この立案には独裁性と言うか、そう言うのは、出ない。

結果、人々は何かの思想を”ここ”に感じる事も無いまま、このシステムをストレスなく?利用する事が出来る。それでいてそこには指向が残り、その具現に対して意欲?を見せる事には成る訳だが。

従来の懸念、「神様は誰?」を、このシステムを経由する結果で意識する必要が無くなる。「朝鮮王朝の末裔」その、「王にストレスを載せ、過失を負わせる事でそれを自身らに都合よく操る」的な、そう言う事は、非常にやりにくくなっている。

サイコロに「お前は無辜の民を殺したんだ!」そう、責める事は出来ない。

それは、最終的には「大衆」神様、(0±0)に繋がっている。それはそのまま”物理の否定”に繋がってしまい、否定?無茶、それを言う存在へ、決して良い返答はしない。こういう結果がしかしあの、「スエズ運河封鎖」そう言う、「なんで?」の事故や、或いは新型コロナウイルス、その猛威となっていく…自分はそう言う理解、だ。世界は今も、何かの物理へ喧嘩を売っているのだ。

ただ、(0±0)←これを「数学的視点で見る神様」?と言う、それに理解を求めるのも多少、無理は有るかもしれない。

”結果”は、十分満足し得る、とは思うのだが、その結果が今までに対して否定を産む、のもまたリアル、ではある。昔の様にブームは起きない、商店街が総じて流行ってる光景を求める時?1店舗に客が押し寄せパニック!と言うのはあまり歓迎されないからだ。マクロで見て、そこに客が来る事が周囲に恩恵を、という感じで無い限りは、昔の様な騒乱でさえあるヒット、そう言うのは、無い。

大鉈が欲しい場合も、ある。区画整理的な事を志向するなら、それは全体に対して改変とストレス、或いは単一の願いによる破壊、そう言うのは許容される。

そう言う可能性を志向する、それは、反社会性と表裏の、そんな何かではあり…不用、とも言えない訳で。

認証、許容、そう言うのはあり、不意にあの「ウマ娘」それに、理解が繋がっていく部分もある。このシステム上では「ああいう扱いに成る」訳だ、彼ら?は。それでも既存の、今の所は問題ない社会に対して、それでも”次”を示さんとする、そう言うのは、面倒と共に、必要性はあるのかもしれない。

ウケるかどうか、それは神のみぞ知る。

 


犠牲のある楽園と制約ある平等

2021-03-29 07:23:39 | 日記

衝動の疑問ではある。

常にあるのが、「アダルトビデオが無くなる」風俗に行けない、それへの否定感だ。

自分の場合、色々あって今も、MMDでの”適当”なそれを見てれば何となく満足?してる心理状態ではある、のだが。その上で、ウマ娘、とかにはちょっと重い否定感はあり。意識の中で、自身のシステム?それが具現化する際に有る喪失、それへ、返答は重く、陰鬱にある。

「反社会的な思想の産物に対しても、最大で500万円程は出てしまう」訳だ。

反社会的な存在だから、故に生活出来なくさせる、という否定が最終的には無い。

この結果、「15haの田んぼを一人で管理する」様なそれであるとしても、そこに居る限りは「生活は成り立ってしまう」訳で。何処まで追い込んでも反社会性のある彼らは、破綻しない。人本位制であれば?お金は「”その”社会構造を肯定し守らんとする」限りは無尽蔵に出てしまう、的な感覚も有り…基本的には不足、という意識は出ない。

切り捨てて、「風俗嬢に落す」事が出来ない、訳だ。

その時、そこに有った何かの快楽?それは、一つ消えてしまう。

もちろんこのシステム?の基幹でさえ有るのが「大賀さん」紛争解決機構、そのクオリティの問題ではあるのだが。戦争、対立が”ここ”で解消する限り、テロリズムは基本的には、意味が無い。訴えて非道に却下される、という状況は存在しない、通らなかったのは”単に負けたから”だ、自己責任であり?その要求の、構築度の低さでしかない。テロ、暴動、そう言う懸念が無い限りは、反社会性を過剰に恐れ、否定する必要それは無い。

日本の、水と安全はタダ、というそう言う今までの、その環境での話、だが。

ミャンマーのクーデター、その後の民主的反発?を見ても、”それ”を言えるか?と言う、そんな事態でもある。軍部の主張にも個人的には同意してしまう、民主的選挙、と言うのがこの前のアメリカ大統領選で信用出来ないモノである事が、何となく解ってしまっている。その上で、”その”民主主義の帰結は、国家に対して何を齎すか。票をコントロールし得るパワーに国を玩具にされるよりは、多少の犠牲に目をつぶっても、今は。とは言え、100人以上の犠牲を出しても押し寄せるデモ隊それは、物理的脅威としてはある。

平和的に?犠牲を殆ど出さずに政権を奪った軍部か、”それ”を奪還する為なら甚大な犠牲さえ無視し扇動するデモ隊か。

等価な二択を前に、善悪は混沌としている。


いらないモノを創る土地

2021-03-28 07:46:10 | 日記

割と深刻さはある。

遊休農地、というか耕作放棄地は、果たしてどうすればいいか。

前にも出たが、日本の農業従事者は30年前からすると半分になっているのに、スーパーから必要な農作物が消えた事は無いし、値段も相応だ。今でも農家は経営が厳しい、後継者が居ない、という深刻さを抱えたままで、その数少ない後継者もまた、近代化農法に取り組む結果で、昔より遥かに少ない労力で、倍近い生産力を見せてしまう。「農作物の生産に必要な農地は昔の半分で済む」事に成っている、訳だ。そして消費者も、減少傾向は続いている、「若者が少ない」結果、消費量も頭打ちであり。結局今の消費量では、「農地は今耕作してる以上には必要じゃない」訳で。

かつての半分以上の農地が、例え若者が居ても、その使い道が無いまま放置される事に成っている訳で。


果たしてそれは、整備して有れば良いのか?ではある。


「それが畑として運用可能な状態なら、1haあたり月額15000円出す」と言う、前提が「漫画やアニメが売れたら」と言うそんなプランを考えた事はある。体感的にもか、その位出してくれるのならやらない事も無い、そう言う感じの反映だが。しかし、”それ”であっても、その農地はただ「農地として使える」状態でしかなく、”そこ”では何も生産されていない、訳だ。ただ整備され、芝の様な平地に成ってる畑?は。それはそれで良いのか?ではある。

それはもちろん、その所有者の選択でしかない…訳だが。

しかし、すると、月額15000円出す、というそれの理由が、何となく弱くなる感じ。税金の無駄遣いでは?それは、無視出来ない声には成ってしまう。


”雅”市場、自身が提唱してる?「金本位制」を今は支えていると言う「人本位制」は、理想論では無尽蔵にお金を生産し得る、そんな感覚ではある。「一人の同意で一円」である。”それ”が集まる絵を描けば、それはその分のお金の担保に成る訳で、それをそのまま換金する事が可能になるなら、お金は必要分だけ生産できる訳だ。「大衆は神である」神がそれを必要だと言えば、それは存在する。漫画やアニメ、ゲームは必要か?もちろん必要だからこそ、それは文化、或いは市場として存在する訳で。

そしてその発展は、そのまま経済の発展でさえ有る。


今まで?は、その理解で続けては来たし、”それ”が上手く行っている…としたら、「1haあたり月額15000円出す」と言うそれも、決して無理じゃないだろうし、そして、単に整備されてる”だけ”の畑、それで何か問題が?そう言う気も、しない事も無い。月額15000円出るなら、そこで多少過剰な農作物が生産されて出荷、その結果で単価が安くなるにせよ?その15000円は、それを後ろで支える事には成る。多少の無駄は、許容される筈だ、が。

それは果たしてその、「今の耕作地に匹敵する遊休農地」それを、埋める?事には成るのだろうか。理屈の中では、広大な「何も作ってない整備されてるだけの畑」が存在する訳だ。それがそうである理由、それを”自身は”問題ないとしてしまうが、果たして。

問題の無い事を問題にしている感覚も、少しある。しかし。

「全ては漫画やアニメが売れれば解決する!」

そうだろうか。