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あげちうのブロマガ

あげちうの日々の色々な事

とある視線とその結末

2020-09-30 10:57:57 | インポート

とあるサービスが有る。

そのスーパーでは、「今日の夕食」と言うコーナーが人気だった。その夜の献立を、レシピと共に食材その他をひとまとめにして提案する、と言う形式が値段と共に主婦層に好評で、柱の一つにさえ成っていた、が。結果論か、時代で「ネットスーパー」業務も取り入れる時、”これ”を注文する客が増えた。それを見ていた誰かが考えた。

もう提案と配達、”これだけ”で事業出来るんじゃね?

実は懸念がある、まずパクリ?っぽくもあり、さらに言えばこの時点では「この発案者の独裁創作」に過ぎないのだ。売れるか?と言う時、その発案者は「認められた」存在だろうか?もし違うなら、そこには重い懸念が発生する。

「こんなに良いサービスがなんで?!」

だから、だろうか。


ちょっと、「反逆者」の懸念が不意にあって、どうも考えてしまう。PS5のそれは果たして、「目標値は30だからそこまではいらない」と言う事か、それとも?だ。「馬鹿」と言う逸話は、皇帝を前に馬を鹿と教えた存在に対して言われたのが最初、と言うが。ともかくその後、皇帝はその存在を「認めなくなった」のだろう、彼は信用を失った、そう言う存在を「馬鹿」と言う訳だが。



現状での「皇帝」それは、つまり「大衆」大賀さんの決定、ではあり。

”ぞれ”に対して反逆する、「それは間違っている」その存在がつまり、「馬鹿」な訳だ。

「馬鹿とはどういう存在を言うのか?」それは一つ、定義されたかもしれないが。

その時その、「反逆者」は、何処まで馬鹿で有り続けるのか。

「新聞記者」は、「自殺しなさい」
「漫画家」は、「破産しなさい」
「宗教家」は、「教祖を辞めなさい」

従わない場合、反逆者として対処します。
「大賀さん」その決定として。

なら、彼らはもう”死ぬまで”だ、反逆者の汚名を削ぐ事は出来ない、「認めない」訳だ。それでいて現行の法律では「彼らを直接は罰する事が出来ない」時、彼らは贖罪も出来ず、如何なるハイクオリティを用いようと失敗を続ける事に成る訳で。


…妥当、だろうか。そこにもう、成功は無い。


”そこ”に、理由はある。




売れないハードの次の売れない?

2020-09-30 07:49:11 | インポート

感覚の中では騒乱ではある。

「PS5草案」と、現状のPS5には大きな、というかほぼ真逆ベクトルに舵を切っており…、微妙に「大衆は神である」その理解からするとどうも剣呑ささえそこにある、「神の決定に逆らった」のだ、これは?

ともかくこの結果、PS5は「PS4PROのPRO」と言うスタンスでしかなく、そこに提供されるモノもほぼ同一、という事には成る訳だ。所で、何故PS5が求められたか?

「このままでは、ソフトが売れないから」ではあるまいか。

市場が冷え始めた時、ベクトルとして「ソフトを改良する」よりも、「土台を代える」と言う選択が選ばれやすい、結局はコンシューマの傾向として、「ソフトメーカーの責任に出来ない」或いはしない、と言う不文律があるから、だ。その為、ハードにはハードだけを購入して満足する様な、「ウチにファミコンあるよ」そのブランドが求められる、それを持ってソフトウェアの微妙さをカバーする訳だが。その上で、現行のPS5がPS4の速度&メモリアップでしかないなら?コストや傾向も変化は無い、と言う事にはなり。このベクトルが行き詰まったからこそ、PS5と言う話では無かったろうか。

懸念通り、最初から「いらない」その重いフラグはそこに有る。

現行のPS4用のソフトウェアも、極論すれば「7000円前後を支払い100時間前後の労苦は投入し、”誰かの自慢話”を聞かされるだけ」と言う、そう言う傾向は有る訳で。そこから得たいモノを得る、訳じゃないのだ、あくまでも一方的な作家性、それを強要される、と言うニュアンスの方がやっぱりある。「面白い?」と言う事に関して疑問から、「PS5草案」そのオーダーが有る訳だ、が。そう考えると、PS5のデモに関しても、実際にはかなり深刻な虚構はあるのかもしれない、今まで通りに。

PS5になったらソフトウェアの傾向も変わるのか?と言う点に、という事は、今の状況では懸念が重く、そして「神の決定に逆らってる」その雰囲気も、次第に積み上がっていく危機感?も、微妙に重い。

「責任は取って下さい」

不意に、そこに深刻な呟きはある。

「宗教家」その影の結果、だろうか?



古い断言と苦境と未来

2020-09-29 10:43:25 | インポート

懸念は重い。

「バベルの塔を創る必要は無い」

この断言が、何処まで重いか?ではある。

言うまでも無く、現状の経済に大きな影響を持っているのはユダヤ資本、そこに流れる旧約聖書の倫理観、それではあり、その果てに「相対性理論」その辺も有る訳で。「お金」と言われた時、それが何か?に対して、最も強い発言力を持つのがユダヤ教な訳だ(多分)。そして懸念と言うか、その感覚は、間違いなくか、「”雅”市場」のそれとはかなり違う。そこに最終的に流れるのが、「バベルの塔を創る必要は無い」そこではある。

人類を統一し、そのパワーを結集して、”神へと届く塔”を創らん。

それを目指した王は、神の怒りを受けて自身の力、総力を結集した塔を破壊され、その王国は滅んでしまった。

この故事?に何を見るか?ではある。ともかく今までの経緯でも、”これ”を目指せる可能性が出た時点で、それは破壊?されてしまった感覚は有るのだ、代表的なのがWindows8.1とは言える。スマホからタブレット、PCまでそのIFを統一してしまおう、的なその可能性を見せた時、それは拒絶された。

ただ、現行の「と言う訳でリストラしましょう」それは、”この”倫理観から発生している可能性はある、訳だ。バベルの塔を創る必要は無い、結果、そこに至らねば出来ない事は「最初から否定してる」訳で。「大賀さん」と言うそれは、人類の統一的な「仮想の戦場」として提言されている、が。これもまた、或いはユダヤ資本は否定しているのかもしれない、訳だ。

「神に逆らうんじゃない」

信仰の問題として、「大衆は神である」の神と、ユダヤ教の神と、何処が違う?と言う命題は有るがそれ以前に、ユダヤ教のそれが妄信的な”それ”でしかない時、同じ事を言いつつも「似て非なるモノ」の対立、という構図には成ってしまう訳で。「大衆」と言う、目に見える神様と、「ヤハウェ」と言う正体がハッキリしない存在と、個人的には後者の方に不安はある、が。ユダヤ資本とは結局はそれによって世界を金融的に支配する存在と化している、訳で。

後者の「利益」には、どうも問題の様な物を感じない事も無い。
彼らは、何を利益として認識しているのか?

彼らは戦争を止めようとはしない、その前に逃げてしまうのが”彼ら”ではある。
そしてバベルの塔を否定する時、人類統一を志向する様なモノ、それへは敵意が有るかも。

イエス・キリストは、最終的には磔刑されてしまった。

彼らはキリストを認めていない、と言う。

状況は、変わったのだろうか?


とある立場と理解の問題

2020-09-28 07:28:56 | インポート

そんな対立の仲裁など絶対に嫌っぽいが。

現行のシステムで、利益を出せる人と、出せない人の間にはかなり?溝が有る。
単純にはストリードの連携に対応する、”そこ”に感覚で抵抗が無い方が勿論、良い数値が出る、訳だが。

その結果、思想的にか、合致する人としない人には理不尽でさえ有る差は、出る。

当然の様にシステムに好意的な方がウケるし、その上で技術力があればいいが。


とは言え、女性Aと女性B、そこに有る溝は重い。

ある意味で、どちらも女性的な女性かもしれない、が。
Aの夫は権力を持っているかもしれないが、現状は罪人であり、システム上も「反逆者」とされている。この肯定は全否定の対象でさえ有る。
Bの夫は平民かもしれないが、そう言う過失は無く、システム上でも特に否定される存在では無い。”ここ”を救済する事が、現状の回復でさえ有る。

Aの創作は、幾ら高度な作品でも利益に成らない。
Bの創作は、稚拙さが有っても、高い人気を誇る。

これは、道理ではある。

プライバシーに相当する情報で、つまり「夫」と言う把握が正確かどうか?も不明瞭さが有る上に、問題ない”それ”は本人の同意ないまま公示する事は出来ない、時。Aに問題が無くても売れない、その理由は明言し難くなる訳だが。

責任?は、システムを構築した側に集中はしてくる、が。
とは言え、そこに加害が有ると言うなら、それは道理でしかなく。

一応は今は、昭和後期や平成初期では無いのだ。誰かの独断で決まってる訳でもなく、自分も今、自分を止めているのは誰だ?!に対して鏡を怒鳴ってる事に気づくまで、結構時間が掛かる事態はある。商店街が総じて流行ってる光景が理想である、その時、「王の御来訪である!道を開けよ!」それはいらない。「大衆」と言う神に対して、世間は「国債」的な形で重い借金がある現実はある。”その”意向に逆らう事は基本的には出来ない、生活さえままならないしかし。

そもそも公言として「王様はいらない」と言ってる訳で、現状「王の権威」それは概念上は存在しない、訳だが。

とは言え、下層の平民に対して「死ね!」それは正しくない。

自分で設定?しておきながら、「無理」の範囲が良く解らない。

ともかく平成は、「王の権威」に対して蔑視し殺意さえ向けるのが正義だった。

その時代の正義は、今。




とある主観と財布との協議

2020-09-26 07:54:34 | インポート

不意に深刻さはある。

主観でか、「面白いゲーム」を遊ぶには、高額PCが必要なのだ。
「PUBG」や、「地球防衛軍5」とかがそれに該当するのか?と言う感覚は微妙だが。ともかく高いハードパワーを必要とするこれらは、高額PCで無ければ起動さえままならない、と言う現実は、不意にある。

10万円を超えるPC、と言うのが、高額か?と言うと、今は高額ではある。
昔とは感覚が違う、10万円なんか一か月バイトすれば良いだろ、と言う「そのバイト先が無い」のが”今”である。何処もかしこも、何となく「余剰人員を抱えている」と言う感覚の中、バイトを許容する場所が無い”感じ”で、そこで何かの線引きが、不意に。

更に言えば、理解の問題だろうか、「お金は増えない」のだ。
その環境下で、貴方は、お金が欲しいと言うのか?浪費の為に?

”末端”へ利益を送る感覚が無い。


この、特徴的な感覚の帰結に有るのが「デッド・バイ・デイライト」ではある。

「2BRO」で頻繁に実況動画が上がっている、が。正直言うと「彼らだから」と言うニュアンスは感じる所で…「仕事」と言うニュアンスが他の実況主に比べて非常に強い、のがここの特徴ではあり。そして良くも悪くも、ある意味でその「映像作品を創る」と言う目的に対し、このゲームは非常に上手く合致してしている、と言うべきで。

このゲームもまた、相応のハードパワーは必要である。

そしてその線引きが、微妙に思想の対立、それを少し鮮明にもする。


「仕事」なのだ、この感覚ではゲームを遊ぶ事も。そしてだから、ゲームも「そう言う物」としてデザインされるのが正しい、訳だ。「デッド・バイ・デイライト」この場に居る人々は、サバイバーもキラーも、「暗黙の了解」は必須だ、単に「娯楽として楽しむ為に来る」奴らは余計である。何かの真剣さを許容した上で”ルール”を守り挑む時、そこには”誰かが望む理想”が或いは有り、そしてそこに「評価」がある。野球の試合の様な感覚、だろうか。心技体、その最高のプレイヤー同士による真剣勝負にこそ、客を集める魅力が発生する。野球の試合で選手はデッドボールを恐れるのか?それは不備では無い、そこに重い断言はある。

「ゲームと言うのは子供が遊ぶモノでは無いのか?」

コンシューマとして、日本市場でXBOXが苦戦する理由かもしれない。日本におけるゲームとは”そう言う物”として認識されていて、今のゲームデザイン?には、微妙に衝突する部分はある…気はする。PS5はどっちとかと言うと「日本的なベクトル」で構成されていても?このハードパワーを駆使するスキルはPC市場の方が勿論高く。或いは、何かの混沌はそこに残る。まだ残っている戦い、だろうか。その為か。XBOXとPS5、どっちが土台として好ましいか。その先の話は、その決着が付いてから、かも。

高い技術力、好ましい良品が、日本市場では認められないのだ。

それはつまり、われわれが間違っていると言う事か?

核兵器を躊躇わずに使用し得た、その意識が或いはそこに有る。


今も、アメリカでの新型コロナウイルスの猛威は洒落に成らない。死者の数は既にベトナム戦争時の戦死者を超えている、と言う。アメリカその物も断言はしている、”これ”は戦争である。しかし、微妙に劣勢だ。ただ、その帰結は或いは、ここに有るのかもしれない。

とある断言と、そこに有る結果は、それでも、「これはダメだ」そう言うのだろうか。

「仕事の道具」が高額なのは当然だろう。

そうだろうか。