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あげちうのブロマガ

あげちうの日々の色々な事

報道のディレクターそれは何か

2022-08-31 07:42:49 | 日記

報道とは、創作行為ではない。

故に、「ディレクターに成れない」云々は、この場合関係が、無い。

打開?が、悠長ではある。

とは言え、「嘘を報道する」それは、相応のダメージには成る、筈ではある。

朝日新聞社にしろ、他の報道機関にしろ、現状はかなり部数を落としていて。金銭的には大分気まずい状態であり、その打開の為には?利益になる情報を報じる必要はある筈、「伝えていい事実を伝えていい範囲で伝える」それが、報道にとっての利益性その最善。

・・・そこにまあ、混沌はある。情報の是非その判断も、「仕事をする」事以外での利益性、それも。後者での収益が十分なら、報道が如何に嘘を流そうが関係なかったりもする。”それ”が情報統制等々に有益ならその方が良い、そういう現実は実際は有りそう。

統一教会の汚染、反天皇制、それは、しかし自身らの基幹の喪失に繋がっているのでは。それでも、彼らは安倍首相を支援し、或いは汚染する事に成功してた、そういう思想ではある訳で。

信者が少ないとか、そういうのは問題にならない。


基幹となる部分は、大分否定された、とは言う。

「天皇は我々に不可能を要求した!」救うつもりなど最初から無かったんだ、そんな存在を王にしている日本という国は邪悪だ!それは、一応?「誤認だ」という事にはなった、感じもする。過失の責任と共に喪失する権利があり、創作現場のディレクターは、今後か重い枷が要求される、「アルカディア」というゲーム機で売れるゲームデザインが出来ない人をディレクターには出来ない。「大賀さん」での決定であり、大賀さんが存在し続ける限り、”これ”もまた存在し続ける事になる、のかもしれない。その前では、創案者も単なるディレクター候補の一人でしかない。

その流れの中で、報道のディレクターは、それに該当するのか或いは?ではある。現状の流れの中で、経営者の何人かも解任、という事にも成っていて。”それ”は報道機関には該当しないのか?だ。報道は創作ではない、その時、その内容が如何にフェイクに満ちていても、そこにこの定理は適応できない?

そうだろうか。

ともかく広告収入の下落は、報道機関にとってはかなりの痛手の筈ではある。思想的に偏っている時、その紙面は嫌悪され、売り上げは下がっていく。永世中立である事を求められ、ゴジラに踏み潰されようが前線で真実を伝える、というそれは、結局はもちろんフィクションの中にしかない、というのが現実かもしれず。とは言えそういう所が、伝える前に逃げ出して憶測のみで記事を書いていた、らそれに取材費を出すのも憚られる。命は大事だ、同時に生活費も、もちろん。

末端の「売れなくなったんですけど」それらは、報道のそれに対してある程度の、抑止効果はある物か。

「先輩」という、面倒さは果たしてどこまで面倒か?ではある。現実、”それ”に逆らい難い時、しかし。それによって損害が出た場合、その責任を彼らに要求し得るか?だ。創作領域は今、ディレクターの資格を問う事で排除し得る感じはする、でも報道関係は?そこは創作現場ではない、何をもって彼らの過失を問うのか?

報道に求める「資格」それは何だろう。

報道の”先輩”に発生してる歪みは、果たして打開し得るのか。

 


単なる主婦という脅威と壁

2022-08-30 07:35:34 | 日記

多少かの理不尽は、やっぱり残っては来る。

何の罪もないのに実際にはディレクターが出来ない人、それはもちろんいる。

「普通の主婦」に、ディレクターを要求する事態の方が狂っている、とは思うが。とは言え、その人々が過去、漫画家をしてたり目指して夢半ばだったり、という話は、かなりある。ある程度の年齢になり、少し日常が軽くなった時、或いは逆にでも、不意にか「昔の夢をもう一度」というその時、今はその「アルカディアでゲームデザインできない人は、ディレクターに成れない」その規約?が無言で理不尽に、止める。

ありがとうございます。

とか思っちゃうのは、自分の横暴の様な物、だろうか。

 

理由は、妥当だ。”それ”が、「大賀さん」紛争解決機構を基底に発生した、というのは神秘でさえある。とは言え、まず理解だ、「独裁者の存在は排斥を創るため、経済を衰退させる」という原理に同意はまず、必要。どれだけ聖人だろうと、最後の主観は否定できない。サイコロの出目が如何に神の意志だと言っても、その数値に同意できない瞬間、”それ”はどうしても発生し、それに逆らう時、末端には「無理」が強いられる。

独裁者を創らずに、しかし明確な意思決定をどうやって行うか?

そしてこの時、「民主主義」それは、意外なほどに今までも「間違い」それを繰り返し、経済を衰退させてきた経緯がある。”これ”を最終的な決定にするには、ちょっと今、問題が多い。何より「票の操作」が横行してる現状、民主主義の基幹「民意」それは、著しく無視されている現状は、経済の衰退と良く合致している、訳だが。

ただこの事態を打開せん!というのは結局は「独裁性」でしかなく。その幾つも乱立する”それ”の衝突が、結局は「戦争」それを呼び、排斥、いや直接的な犠牲それを量産し、経済どころか環境その物を悪化させていく事になる、それはもっと避けねばならない。

独裁はダメ、戦争もダメ、となったら。では、最後の決定はどうやって決めればいい?だ。ここで理解は飛躍ではある、「戦争が発生しても、物理的な損害が出なければいいんじゃないか?」それなら、独裁ではなく決着は付く。

そして、「コンピュータゲーム」その世界は”それ”が今、視覚的にも可能、に成ってきていて。「仮想現実で行われているはずの戦争が、そうは思えない」くらいのグラフィック、音響、そうは成ってきている、訳だ。”ここ”で、現実に発生する「戦争」それに投入されてるルール、を”再現”出来れば、戦争は此処で出来るんじゃなかろうか、そして、”それ”に従えば、独裁者を創らずにその決着を導く事が出来る。

という、理解で発生した?のが「大賀さん」であり、「ガンプラバトル」それも、”それ”を足場に発生した、そんな「紛争解決機構」である、それに従う事が最良、最善、何故なら?大衆は神だからだ。

ともかく、「神とは?」に、私だ!以外の返答としては、これがほぼ妥当である、聖書その他にある「神」を「大衆」に置き換えるとほぼ合致する。そして、その思想による結果は今のところ、問題を見せていない。

かくして、世界は「大賀さん」に支配された、訳だ。

そして、その決定として、不意に。「アルカディアでゲームデザインできない人はディレクターが出来ない」それが発生した、自然に?だ、「大賀さん」その決定として。過去、このゲームハードは「朝鮮」ともかく後進国、それをイメージしてデザインされた。”ここ”で何とか維持、利益、それを発生し得るなら、後進国の自立性も、発展さえも期待できる、”それ”をデザインできる人とは、後進国の内情を理解しつつ現実的な「打開」を提案できる訳だ、なら広く、そこまで届くほどの声を上げてもらいたい、が。出来ないのなら?それは単に後進国を生贄にする宣言しか出来ない、事になる。それは要らない。

という訳で、出来ないあなたにディレクターを任せる事は出来ません。

主観以外での反論が出来ない時、それは、妥当ではある。

 

岸田総理の言い出した「アフリカに4兆円規模の支援を!」それは、こういう話への対抗、だろうか。不意に不安にはなる、過去、「アルカディアがある程度売れた」という国では何が起こったか?だ。統一教会の断言だろうか、「アルカディアは売れない」絶対に、それを売れたというのは、自腹買い以外にはない。

岸田総理もまた、何かの暴走に陥っているのかも。

 


その正義を賭ける先に未来はあるか

2022-08-29 07:43:44 | 日記

一応、今のところは主観だとしても「ダインスレイブ」の兆候は、無い。

本当に、「ファミコンは撤退した」そんな感じには成っている。

そういえば、不意にか、盆明けに「戦争をしてる気がする」そんな事を書いた。この辺から、何かの対立は始まっていた、というべきか。重大な断言があった、悪夢と共にある”何か”だ。「ハードパワーには勝てない」或いは物量、それは確かに昭和にしろ不文律だった部分だ、が。理屈の世界なら「そうでもない」それはある、紛争解決機構の存在は、そんな「正義は勝つ」それが有って初めて意味を持つ、そういう何かではある訳だが。

苦笑か失笑する人々が今も、ウクライナで抵抗を続けているし、支援している人々は世界中に居る。自分も今は、以前に書いた「ウクライナとロシアでガンプラバトルをした結果」が正しい、だろう事を足場にしているがしかし、もちろん公示は無いのだ。マスコミが報じなければそれは事実にならない、という現実?もある、「正義」それをどこに持つか?で情景はかなり変わってくる。ロシアの侵略は非道だ!というのが既定の論調だがしかし、もしガンプラバトルをした後であるなら、ウクライナのそれは世界平和に対する、重大で剣呑な挑戦ではあり。

しかしその後、イーロン・マスク氏が「プーチン、戦いを挑む!」の結果はどうなかったか、ともかくメタバース推進のメタ社も「見通しが甘かった」それを認める事にはなり、金銭的には”かなり”旗色の悪い状態には陥っている、気はする。最近では、「IMFから連絡です、利子の支払いが滞ってますが、何とかなるんですか?」とか言われてるウクライナ、ディフォルト(これ以上借金できません限度)もほぼ不可避、くらいに財政は悪化している、という話。アメリカなどが送った?兵器も、前線に届かず横流しされているという話で、報道だけなら、どうやってロシアと張り合っているのか、謎な位の現状ではある。そんな状況で、自身の把握は今も、あまり変わっていない。

ウクライナは、ガンプラバトルで負けたのだ、それに反している。

自分も当時の把握で「νガンダムの圧倒」とは思ったが、性能を考えたらビームコーティングと剛性を基本装備のバルバドスルプスとグシオン・フルシティのタッグだ、ファンネルがハイパワーだとしても、相手は中々に強敵だった…というべきだろうか。「実際にやってみた」結果は、その結果に準じつつある、とは思う。ウクライナが核施設を攻撃する時点で、勝敗は決してはいるのだが。

という把握が正しい、時。「ファミコンは撤退した」それもまた、何かの真実と共には無いか。

統一教会は、「アルカディアで売り上げを出す事は出来ない」それを断言して、歪んだ。それが「そうでもなかった」としたら、その後の対応もだいぶん変わってくる、単に文鮮明氏が、そういう面に関して理解も経験も不足していただけだ、という事になる。天皇はサタンだ!というそれも、大分「馬鹿」な一面として見えてくる何かだ。そして、”それ”に同調して膨らんだ統一教会の信者らとは、果たして?ではあり。

「アルカディアでも勝てた」事を実証し得た、という…しかし”結果”は、何かの形而上かの領域、そこにしかないのか、或いは。それは、不思議なくらいにか、今も曖昧な霧の中ではある。

 

自分にとっては、今は問題は一つだ。

自分は、「正しい」事を書いているのだろうか?

それが間違っている時、何かの破綻はそこにある訳だが。

 


悪夢の地へ帰れという無理

2022-08-28 06:30:58 | 日記

立場からくる感覚の是非、ではある。

逃げられる人と、逃げられない人の間には、重い溝は有る。

表面的な言い方で、「学生らにはまだ、ディレクターの資格は無い」とは言える、何故なら?多くの彼らは何処にでも行けるから、だ。その場が嫌なら他の場所に出て行けばいい、彼らの未来はまだ、多くの可能性に満ちているのだ、誰が好き好んでこんな、何もかも足りない環境に居たいだろうか?それが生まれ故郷だとしても。むしろだからこそ、嫌だ。

”この”感覚で創る創作は、同意もありつつ、最終的には「駄目」だ。

だから今、或いは文化的な主役は、40代から50代、「もう、逃げられない」そこにしかないのかもしれない。

 

”多くの人”は、その産まれた場所、ともかく今いる場所から逃げる、それは難しい。その上で?その場をどうにかせねばならない…そんな環境の中に居る。その、象徴的なのが「朝鮮」だったのかもしれない、そしてしかし、その場の多くの人々が、「こんな場所から逃げたい」実はそう考えるほどに、その場の環境は切ないモノだった、というのが現実だろうか。日本でも、もちろん歌さえある、「おら東京さいくだ」は、この時、この感覚にか合致は有る。

”それ”を諦めて、その場を何とか発展させねばならない…今、ディレクターに要求されるのは、”それ”へのスキルやその他、ではあり。それが象徴するのが、「アルカディア」それでのゲームデザイン、には成る。最近、新たなる絶望には晒される。

実際のRAMは、512byte+64byteくらいしかない。使える物はこれが”全て”だ。

手元に100円しかないのに、メニューの最低価格は500円、そんな絶望ではある。

ここは諦めて、カイワレ大根とカップ麺で本日の夕飯にせざるを得ない、そんな状況。

この現実をどうにかせねばならない、訳だ、今は特に。

 

自分の理解の中では、「人力発電機は無いのか?」は、一応は言う。そして無いなら早期の導入を願いたい、と行政には言いたい、が。その時?行政が応じられるか?が、「アルカディアへのゲームの要求」ではある、今だと、どんなゲームだったらその要求に応じられようか。ともかく?動いて、「面白い」と思う、一般論で、そういうネタが無い?と、その環境は事態の改善を目指せない、訳だが。

「グラディウスは無いんですか?」

出来るんだろうか?それは今も、ちょっと未確認だ。

ともかく凄い無理がある、のは間違いない。”これ”はファミコンと同時期に売っていたゲームだ。

ここからグラディウスへ、道は本当にあるのだろうか。不意に不安には成る。

 

「アルカディアで成果の出るゲームをデザインする」その必要性は、結構語れる、しかし。その場が悪夢でしかない、そういう人もまあ、かなりいる訳だ、家出して都会に出てるとかも、深刻。「統一教会」も、その最深部はそこに意識があるのかもしれない、あの環境には二度と戻りたくない。”そこ”を自力で改善しろ、自分の生まれ故郷だろう?昭和天皇の要求に、当時の文鮮明氏以下も、納得できなかった、というのは重くある、だから彼らは今も、アルカディアでのゲームデザインは出来ない、そんな状況なのかもしれない。

朝鮮を見捨てて逃げた人々に、朝鮮を救えという要求、それはまあ、確かに無理だ。

一説では、韓国でも「統一教会」それは、そんなに関心のあるカルトではないらしい?

実際は放浪の民なのかもしれない、彼らは。

 


古い歴史を書き換えるモノ

2022-08-27 08:29:54 | 日記

PS5、突然かの5500円、値上げ。

本体価格が6万円を超えた時、それはちょっと、壁は発生する。

何故ここで?は、少し思う。最近ある、「一身上の都合」それによる退任、”それ”にもかかわる流れの一つ、だろうか。売り切れ続出、テンバイヤーが横行、市場でほとんど見かけない、という話題沸騰の”それ”が値上げ、というのは今までの「普通」からするとちょっと違和感だ。ただ、もちろん”この”性能が、5万円台だった?というその方が、実際には問題視しなければならない違和感だったろうか。

また主観でも、不意に、「アルカディア用の拡張ROMによって、使えるメモリの増大とさらに音楽が流せるように!」という話というか意欲?も、なんか立ち消え感にはある。”主観”では「そこまでは必要ない」状況になった、雰囲気で…妙な執着?感覚、脅威の喪失、そういう感じもある。「パワー、或いは物量で圧倒する!」という流れに対して、”それ”が後退、或いは撤退した?そんな雰囲気もしない事もない。

立場、そういうのはどっちなのだろう?苦境に陥っているのは、果たしてどっちか。

少し想像する流れでは、「PS5は当然か原価割れしてた」という話。それを、しかし、事ここに至るまで補正できてない、その結果。補正する為には?購入者が相応のソフトを購入せねばならない、が。その売り上げが、実際には思った以上にか芳しくない、費用対効果が、悪い。それは実感もある、特に遊びたい様なソフトがない。ダウンロード&導入に3時間、クリアまで100時強、複雑な操作系、続くムービー的なイメージ。ゲーム内容は多くTPSかFPS、飽きるほどに見飽きた美麗画面は、萌えキャラのように違いが判らなくなりつつはある。悪い面を言い出せばキリがないが、問題は”それ”を補う?或いは必要とする内容が、今まではちょっと顔をしかめる様な物しかなかった事、だ。

結局、「パワーや特権で非力を圧倒する!」それを正義にせざるを得ない時、そこにあるのは何らかの虚無ではある。どれだけ軍事力を持っても経済は失速し続ける時、必要な事は何だろう?侵略する場所も既に、自国と似たような状況では旨味もない。「敵がいない」時、その軍事力は重い足かせでしかない。

利益性は何処に?その時、「アルカディアでの利益性」それはちょっと、意味の大きい話だったろうか。

リアルであれば、なかなかにドラマティックな絵、ではあるのだが。40年前に、アルカディアが発売されてからの話、その「IF」だ。4か月後にはファミコンの発売が控えている、或いは発売されてしまい窮地、”そこ”からの対抗。アルカディアでの利益性を模索し続ける中で、何だか向上していく性能、市場の雰囲気が変わっていく、「ゲーム」それを求める客が増える。その時、任天堂にとってファミコンの挑戦的な低価格、”それ”は悪夢に変わっていく、売れば売るほど赤字が膨らみ、そしてそれをソフトでは、ハードパワー!では回収できない。やがて。

「ファミコンの値段を24800円にします」とか発表され、アルカディアは、何かの脅威から解放される事に?

もちろんここで、「鉄血のオルフェンズ」ラスト付近、不自然に撤退していくギャラルホルン、も少し想像する訳だが、この状況で、「ダインスレイブ」それに相当する物は有ったろうか・・・ちょっと解らない。

「アルカディアでグラディウスが動く?」という、イミフな可能性を考えてしまう状況、また「アルカディアでゲームデザインできない人はディレクターには成れない」という不意の正論?ちょっと発生してるそれ以外の枷も含めて、「ファミコンの猛攻を押し返した」という、絵に見たいそれは、希望的観測だろうか。

これをリアルと言うべきか否か、まあちょっと悩む部分もある。

ファミコンがこういう方向で撤退?してしまえば、拡張ROMの話もちょっと意味薄になるのは間違いない。今まで500円で売っていたソフトが2000円になる、それはまあ、内容に比するとしても、その時はちょっと悪夢なのかも。この先は自分自身で、今までの経緯を否定する事にもなる、むしろ逆効果か。

妄想の中で遊んでる、ともいえる。事態の打開は果たしてどこへ。