あげちうのブロマガ

特別に成りたかったという願いの行方

実感的に、「普通のおっさんに成ってしまった」と言うそれは、少し重要な感覚かも知れない。

自分は許容せざるを得ない、思想的にだが。しかし、似たような他の人は、違うのかも。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力

特別には成れなかったが、それは問題は無いのかも。

 

本日、15時からニコニコ動画が再起動!という、一応の復活はある、訳だが。何故か不意に、「喪失」と言うか、それと伴う危機感?それへの可能性を少し、考えない事も無い。再びの再構築、である。もちろんか、ウイルスに感染し難くする、のは当然ではありしかし。逆にこの時、その「ウイルスを感染させる可能性」を構築した奴は、もちろんか要らない訳だ。

それを仕込んだ人物は、この時その、「特別」それを喪失する事には、成る。

以前の懸念にある「プログラマーA」ではある、それは一つのアドバンテージを失う、訳だ。理屈の上では、”これ”が存在し、許されてしまう理由それは、「別の特権があるから」では、ある。しかしそれは?同じく理屈の上では消えた、という事には成る。

概念的には、だ。個人の主観迄、それは影響し得るモノ、ではない。

自分の場合で言うと「美鶴さんの長い妄想」レベルを、他の奴が創る事が出来ない、訳じゃなくなった、訳だ。個人で、「アートスケール」それでの70点を超える作品は、今は創れる、訳で。一応何故か?というと、制作を否定される原因の多くが解明されているから、だ。それを或いは信用する時?その先に道はある。そして、その先にある「喪失」換金できない?という問題もまた、今は打開されている、最大値のスコア%での報酬。実際は、あまり評価される事じゃない、一人でプロクラスの作品を創る、という事はその他の人々の仕事を奪う事にも成る。もちろんクオリティだってたかが知れている、訳だ。しかし、一応は全体を見通せる理解を得たい、という時、それには一回くらいは許容が有ってもいい訳で。

ここに今、特権の混沌は無い。

「打開するまでに20年も掛かったのか?」と思うと多少、神を呪う瞬間ではあるが逆に言えば、それだけ「同じような奴ら」がいっぱいいた、という事はあるかもしれない。それまではある種の通過儀礼みたいな物だった、が(それでも昭和ならコンテストでの入賞と賞金、という”そこ”はあったのだけど)。平成に入って、それらが薄くなった、というのはまあ少し、有る。その辺で鬱積した物は、今は打開し得る、訳だ。

社会の理想とは、「商店街が総じて流行ってる光景」ではある。それを具現化するにはどうすれば良い?

それへの返答を持つ事が、スコア70点を超える、プロレベルへの一つの道、ではある訳で。

「出来る」事は解った、が。問題は「出来ない人」の、その感覚では、ある。

一応、「特権」それは否定された、理解さえあれば誰でも出来る事だし、それは公開されている。出来る「才能がある奴ら」はズルい、だからない連中は彼らに対抗する物を邪でも持っていい、という事には、今は成らないしかし。古くからその「才能」に煮え湯を(個人的な感想で)呑まされ続けた人々としては、個人的な憤り、それは道理とは別に残って居る、のかも?

ニコニコ動画が「破壊」される前と、後では、”この”部分で少し、境目はある。

グリコの出荷システムが再起動した直後も、Windowsが一斉にブルースクリーンになった、事件はある訳で。

地雷その物は、まだ残って居る可能性はまあ、ちょっと懸念として、ある。

「それは悪である」と、断言し得る状況に成った、時、それは阻害されるのか?

今日もまだ、日差しは強い。

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