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あげちうのブロマガ

あげちうの日々の色々な事

年の瀬に冬を思う

2017-12-30 22:22:31 | インポート

どうにも、年の瀬気分が出ない。

出張動画版の方は、本日で取りあえず更新終了、再開は来年の1/3から、を予定している。私事ではちょっと正月と言うのに忙しい、だからだろうか。何とも正月気分も、クリスマス気分も無かった。何だか、状況は改善しつつ、不意に無意味な壁に止まる感じ。シニア世代に残る混沌はまだ、そう簡単には動かないのかもしれない。

今もなお、「紛争解決機構で決着にしよう」それには、重い否定?が有るのだ、そう言うのは何となく感じる。
…ただ、それに対するリアリティを問うても今は、意味が無いのだけど。


平成に入っても、紛争の危機は幾度となくあって。その都度、時の大統領等々が何とか交渉を続けて、実際の戦闘に入らんと言う危機を回避してきた。そう言う苦労が、ゲーム機で決着に成るとは、到底思えない。

で?

反論?には、この先は…無いのだけど。他の打開案、平和への努力それは、何を示しているのか?この先は、言葉は濁る。朝鮮は日本の介入により、様々な不幸を受けて来ている。北朝鮮は脅威だ、彼らはアメリカを恐れつつ上手く交渉を続け核兵器を持とうとしている。危機は高まっているのだ。

だから?

”それ”に対して、「だから、紛争解決機構なんか意味は無い」それは、繋がってこない。非常に曖昧なまま、結論的には紛争解決機構の否定、”そこ”へ何故か、その意識は向かう。「テレビ」と言う媒体の、そこに持つ実際には邪の発露、それの様にも思えて、最終的には否定感が消えない。テレビには、”表”に独裁者が居るのだ…平和主義?な。

ただ、その表の意向により…大阪での長女監禁遺棄事件は、起きたのだが。

「個人的にいらない人」を否定する結果、彼らは或いは、自身への否定を子供へと偏向(八つ当たり)し、長女はその牢獄の中で、理不尽に緩やかに16年費やして、殺された訳だ。

現状、それらを起こした意向としても、「神様」のポジションに入ろうとすれば「死ね」単純な”それ”にはぶつかる。平成の諸問題の全ては”そこ”に原因がある、世界を救わなかった神など死ぬべきだ。実例としても独裁者が居る状態では、利益性に重大な懸念がある。アベノミクスには、実際には明確に景気が回復する理由が無い、単に博打に成功しただけ。通常の経済学などには景気を回復させる方法論は無い、だからこそ平成の大不景気は発生したのだ。それらを理解した上で現状、景気が上向いている?時。果たして”何処”に、その理由は有るのか。

”ここ”は、一応は打開案の提示も、実践もしている、のだ。

”雅”市場が出来たのが2009年付近、「電影旅団オーガ」”大賀さん”のコアが発案されたのが2010年頃。その頃からこっち、やっと景気は回復基調に成ってきた訳だけど、それまではどうもかなり危なかった、のだ、実際に戦争も起きてた。効果がある、としたら存在を否定する理由は無い、しかし。その結果、今までなら存在した「独裁者」中華思想の皇帝、或いは王の権威さえも、”そう言うの”は、不要になる。

テレビが目指しているのは、一体何なのか?

果たして高速道路を逆走する老人は、単にボケただけなのか。

既に決まった事に彼らはまだ、逆走しても、抵抗しているだけなのでは。

昭和の頃に出来た、妙なブランドと、それに伴うプライドと、尊大。
シニア世代は?時々、微妙に歪んで、おかしくなる。
彼らの心の中に有る、その邪の塊はまだ、何かの逃げ道を探して蠢いている。

「正義は勝つ」時、狂った親と、それに養われる子供は、どっちが勝つのだろう。

そしてその結末は「良い結果」に成るのだろうか。



人殺しと英雄の境目

2017-12-29 09:26:40 | インポート

環境の変化はある。

NHKは人を殺しました。
もうあなた方に発言する権利も資格も有りません。
ご理解ください。あなた方はもう罪人です。


的な、感覚に正当性が何となく有る、時。相手の「正義」は揺らいでしまう訳だ。ともかくテレビを中心としたメディアの根っこと言えば、NHKではあり。テレビが不快である、時。その基幹はNHKから、それは確かで。結局その辺が、自身らを顧みずに、いやむしろ自分らへの批判を偏向する感じで、ニートだとか引き籠りだとか言う言葉を創ったのかもしれない。ともかく自由!を得るにはお金が必要だ。利益を!その衝動の結果として、表側では新宿アート展火災により5歳児が焼け死に、そして大阪では、16年に渡って女性が監禁され、凍死した。

「誰か金を払えって言ってんだよ!!」

それは、”その結果”だ。

裏側は、そんな悲劇は起きない。人力発電機を廻し続ければ良いから、だ。表側は、”それ”に同意できないだけだ、働くなんてとんでもない!我々には崇高な理想が。ちょうど閉じ込められたあの長女の様に、”その”環境でも利益を発生させる事が出来ないと、死ぬ。「何とかしろ」それを要求する先で、その女性は凍えて衰弱し、死んでいった訳だ。

…ここは、現代の日本なのだが。


表の異常と、裏の正常?を比較した時、表側の方法論を選択する理由は何処にもない。マクロで見た時、表側には”それ”を継続する理由が、消えている。中心に成っていた罪人を罰し、関係者各位に等しく賠償?を要求し、歪んでいた理想”その物”を消滅させるべきだ。NHKが或いは見ていた夢想、そんな物は、存在しなかったのだ。

表側の狂信、或いは「内部的良識」にしたら、”これ”は正に、表側が陥った「監禁状態」だ。仕事しない限り”ここ”では暮らせない、それは絶対に出来ない。我々は理想を。世界は、神はこんな非道を何故許しておくのか?我々には目指すべき未来が。

その果てに、彼らは人を殺した訳だ。数千人を殺した訳じゃない、だから、単なる人殺し。


と言う理解、或いは感覚として見る時、結果「相手の主張」にかなりの後退がある、「責任が取られた」訳だが。相手の言う通りにしていても利益は発生しない、社会は成り立たない、誰かまた死ぬだけだ、従う道理が無い。その結果、ふとよぎる感覚がある。

「…ならお金は、生活費は”誰が”払ってくれるんです?」

NHKは?「お金の供給源を失った」訳だ。「金を出せって言ってんだよ!」それで出してくれる人は、死んでしまったから。彼らは国家的な権威を背に集金を強要するが、”それ”に正当性が現状、無い。「報道機関として求められる事をして下さい」至極当然な話が通るなら、今のNHKは、もうちょっとマシなのだろう。集め消費する、そのお金の殆どは、何かの見えない負債として…蓄積されて行くのかも。その結果、或いは何かの正当性を失って、今まで通り、と言う訳にも行かなくなる、そう言うのは有り得る。

「けものフレンズ」のたつき監督も、結局は製作会社と共に、この作品を降板になった。メディア的なイメージでの歪みは有る、「この作品は彼のオリジナルでは無い」単に、アニメ版が微妙に疑問符が残る感じで知名度を獲得しヒット?しただけだ。彼はどうも、その成果?を元にこの作品を私物化しようとしてしまった…何かの騒動の、それは一つの結末なのかもしれないし、それはそう言う事が横行していた領域での、一つの変化なのかも。

…とは言え、千の言葉より一つの実例ではある。

「強制力」それは、どうすれば。



小さな箱の中から出られない

2017-12-28 07:47:35 | インポート

不意に、ポエニスト現る。


テレビは倒産しました
何故なら人を殺したからです
使えない物だと判明しました
宜しくご理解頂き
即刻その手続きをしてください
テレビは死んだんです
もう蘇りません
聞いてますか?
テレビ


大阪の長女監禁遺棄事件に、不意にそう言う事は言いたくは成る。
割とだんだん、他人事じゃない。隔離され監視され行動を制限されるその結末、だ。世の「引きこもり」とか「ニート」とか、そう言うレッテルの末路、そう言う絵である事は間違いなく。この両親も或いは社会的にそう言う無形のレッテルの末に、異様に「自身らに起こる不備」を、恐れる様になったのだろうか。不味い事は隠蔽し外に出さない。長女が死ぬまでは、”それ”は大した罪じゃないのだ。

社会には、迷惑を掛けていない。

ゴミ屋敷とかとは違う疾患の、その一つの発露なのかもしれない。表側の病理、その結末は、あの「新宿アート展火災」に次いで、何だか重く、テレビへ?その「お前の責任だ!」”それ”を向けなければ静まらない様な…そんな憤りは、加速させる。

年末だと言うのに、クリスマス気分にも正月気分にも成れない理由だろうか。
”こんな話”が、まだ放置されてて、何処かに残ってるかもしれないのだ。
テレビの態度は今も変わってないからだ。
表側の「狂気」は堅牢で…人が死んでも、揺るがない。


「何故神様は、彼女を救わなかったんですか?」

当然の疑問へ、しかし自身の「大衆は神様です」それは、一つの答えは創る。

等価な力を持った神様が100人居た
二派に別れて争いが始まった
双方がやがては言い始めた
神様!こんな理不尽あって良いのですか!
戦いは泥沼化しやがては幼い神が死んで
勝負は付いたがしかし
疑問だけは残った
神様は何故戦いを止めなかった?
この被害はそんな神の責任だ
神を殺せ!

「八百万の神」と、日本では言う。「神は一人じゃない」訳だが。「大衆は神である」その時、”それ”を構成する人間一人一人もまた等価であり平等、逆に。”これ以上が存在しない”時、彼らが二派に分かれたら?片方は片方へどんな影響を…及ぼせるのだろう?

大阪の長女は、そんな、救わない、「歪んだ神」の体内で、死んでいった訳だ。

前から話が出ている、表と裏の対立。決着?的なモノは出ている、のだ。こうやって、相手は破綻を発生させるから。”そこ”にいた女性は死んでしまった、もう蘇る事は無い。そこには重い罪が残り、そして罰を発生させる、それも等しく神であれば、そこには何かの魔力は残していくのだ。

テレビは死んだのだ。
もう、蘇りはしない。

問題は、”それ”に気づけないからこそ、「ゾンビ」と言う存在は有名なのだろうか。

屍だとしたら、随分巨大なゾンビだ。


借りた服に自分の名を書く

2017-12-27 08:38:29 | インポート

不意に、病理。

ガンダムのデザインをリファインしたのはカトキハジメ氏です。

だから、ガンダムをデザインしたのはカトキ氏です。

…いや、その理屈はおかしい。


中華思想の皇帝は、森宮から「黄昏の狩人」を盗んでいた、訳だが。その病理の帰結が、要するに”そう言う理解”ではあって。主観の問題で、カトキ氏のリファインはプラモ化する上で問題なく元のデザインよりリアリティが高く云々、とか言われれば…その通りでは、あって。大河原氏の?大元のデザインでは間接構造も怪しく、その視点でカトキ氏のリファインは製品化する上で、非常に優れているのだけど。

…それでも、ガンダムをデザインしたのは、カトキ氏では、無い。


平成に入っての、病理の様な気は、する。
二次創作が、何故か、一時創作的扱いを受けてしまっていて。
「それで良い」みたいな、感じだがしかし。
…やっぱり、オリジナルは、オリジナルではある。
二次創作を「本物」と言うそれは、要するに「偶像崇拝」それに成る、訳だ。

…平成は、或いはそんな邪を蔓延らせた時代ではあったのだろうか。

8枚切りのピザの話で。要するに新規の人が、1ピースに相当するピザ分を自前で持って来れば問題は無い、訳だ。何かの市場、足場?メカデザイナーそれは、様々「代表作」そう言うのを、持っては居る。どんな形であれ、”その領域で”成果を出した、そう言う実績こそがデザイナーの武器ではあって故に。デザイン”だけ”では、メカデザインと言うのは成り立たない、のかも、しれない。カトキハジメ氏は、それでも「電脳戦記バーチャロン」これの方が、出世作的な、そう言う感覚は…有るのでは無かろうか。オリジナルを手掛けていない、リファインだけでは、幾らスキルがあっても、招かれざる9人目、でしかないのかも。

問題はその、「実績」を、どうやって積むのか?ではあるけど。

やっぱりデザインそれは、何かの物語、その上にこそ成り立つ、のかもしれない。”そこ”で何かの、ある程度の成功”それ”を得ていないと、そう言うポジションが出ない、と言うか。現状「自分は王の権威だった」と言う理解の上では、「トールドアーマートランディ」これではちょっと、微妙感は有る、のだが。自分で創った物語、その上で輝くロボット、そう言うのでも…それはそれで実績なのかも。
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二次創作では無く。

「まずは面白い物語から」

まあそう言うのは、或いは重い話。あくまでもそれは主観に過ぎないのだが。ともかく「成功」した物語の上にあったロボット、そのデザインこそが、何かの糧に成るのかも。

いわゆる「萌え絵」その絵が、どうにも軽く扱われるそれは理由、なのかもしれない。”オリジナルじゃない”のだ。あくまでも、それはそのオリジナルへの、非常に効果的な呼び水に過ぎないのだ。それに依存しても、その先は…悪魔に呑まれてしまうのかも。

と言う理解で居た方が、混沌は晴れるか。



8枚切りのピザの前に9人

2017-12-26 09:56:06 | インポート

一枚の、ピザがあって。

最初、8人いたので8枚切りにしていた、が。
途中で一人増えた。

緊張が走った。


「日本は狭い」と言う事だが、ともかく「一人増える」それは、そう言う事態を必然、発生させる。安直に「もう一枚頼もう」が出来れば良いが、お金や時間、その他の問題で難しい時、その一人は果たして、ピザに有りつけるだろうか?

「ガンダム」による否定は、そう言う部分も多々、あって。
にも拘らず、その「一人増える」それは、次々と或いは、来るのだ。


現実としては、「むしろそうあって欲しい」のだが。現実問題、8人から1/9ずつ切り分けて貰う、と言うのも現実的じゃ無く。新しい一枚を頼めば、待ってる間に他8人だってお腹が減るだろうか。新しいピザを9等分する事には、新しい一人は不同意かもしれない。この面倒さを前にすると、どうにも動きは止まってしまう。

仮想現実、頭の中だけなら、「最初からやり直そう」9人いた状態から話を始められる、が。現実はそう言う訳にも行かず、問題は不動で。「問題が発生した」時点から打開策の模索は始まる、その解決には…相応の時間はどうしても取られる。やはり思う呟きだ。

「予定外に来るなら自分の分くらい買って来いよ!」

リアリティの問題として、ピザ位なら、でも。
状況は「それは難しい」位に、ひっ迫しているのかもしれないのだ。

まあ要するに、新しく食い込むのは面倒だ、って話で。
提案してる「プール金の%分配」なら、それは割とフレキシブルに対応するのだけど。
ピザの例の方が、実は一般的かもしれない訳で。

「自分の作品が受け入れて貰えない!」時には、その9人目である場合はまあ、多々ある。
新規とは、「災いの種である」…その自覚は、必要だろうか。