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あげちうのブロマガ

あげちうの日々の色々な事

期待と過去と今の光景

2021-03-24 10:30:58 | インポート

理解の問題として。

その人は、現在は?一人身だ。しかし農家として、一人で田を維持し畑を耕し、年商で500万円は稼いでいる。純益的にはそう高くないにしろ、生活は、そこそこ裕福でさえある。

…と言う”それ”を、空想?を、現場に求めるべきだろうか。

農家でなくても、”これ”がどれだけ無理のある話か?と言う、そう言う話ではある。そもそも「一人で」と言うのが、もう”ほぼ不可能”だ。それは「頑張れば何とかなる!」というレベルなのか?利益性にしろ、物量にしろ、500万円と言う額は、一束100円を”5万本”である。収穫作業だけでもそれは個人の労苦その許容範囲を超えている。そして本当の作業は、その後の梱包にこそ有るのだが。

その上で、炊事洗濯掃除等々、生活に必需な労苦もまた、そこには存在するのである。


”今”に成ると、「個人創作の利益」”それ”は、そう言う意味には、成る。状況は変化しつつ有って、最終的な「市場管理者」それが、”ここ”に戻って?来た…様な感覚は、少しある。何を許容し何を否定するか?現場に微妙に反映しつつある、”それ”はでも、やっぱりあの、「美鶴さんの長い妄想」そこへは、回帰してしまう。



これ、500万円位に成ってもええんちゃうの?

しかし、真実としてこの作品は、当時本当に、「一人で全部創った」のだ、マップを描くツールまで含めて。出来のクオリティに関し、疑問その他はあるにせよ、ちゃんと組み上げる事に成功した…それは一つの達成ではあり。無視出来ない価値、そう言うのはここにあり、それはある程度の報奨、それを要求はする、のだけど。

今の把握だ、創作と第一次産業にはリンクがある。食事をする事で減っていく価値を、創作は補わねばならない、”それ”が第一の目的であり。その時、そこに見えているのは、現場の感覚ではある。その創作は”そこ”へ、それを要求するのだ。

そこまで追い込まなくてもいいのでは。

人間のキャパシティとして、可能性として、”余裕”は少しある。「やれば出来る!」それは、一つの真実としてそこに有るかもしれないしかし。市場管理者と言う立場で”それ”を認めると言う時、現場は何を考えるか、優秀である、それは間違いない?にしろ。

昭和かな?

市場管理者が”それ”を否定しても、無理のない話の様な。

今も、感覚的な許容は”この程度”ではある。ここからプラグイン等々の利用や追及、技術の習得やその労苦を考えたら、もう趣味とは言えない領域だ。MMDにしろ、コンセプトの問題としてか、創れた場合に「価値が上がり過ぎる」?感覚はある。原理的な必要性はそう言うモノではあり、恐らくは?メインで創ってる人々にしろ、完全な趣味、と言うのはほぼ居ないのでは。

「市場管理者」が、変わった、としても。
逆にそれだけに、独裁性?そう言う物だろうか、そこは重い疑念と共に有る。

良い変化か、悪い変化か。

自由と利益は、常に対立はしている。



理想を目指した果ての部屋

2021-03-23 08:21:43 | インポート

貴方は牢陽帝だから。

”自分で”言った、それが現実である、と言う感覚で…何かの安定こそあるのだが。

上手く行ってますか?

少なくとも自分はそう言う感じはしません。
「電源」に上手く行くも行かないもないけど。
安定してる事”だけ”が、それへの要求ではある。

多分、「面白くない」と言う、そう言う評価と共にこの座はある。
つまり、働いては居る、筈なのだ。自身もまあ、PCの電源に関しては「安定してて当然」と言うのは要求してる事ではあるが。

”それ”を単に、自身が、仕事として要求されてる…それに何か、問題が?


あらゆる事例に対して現状、説明?は出来てしまう。牢陽帝、現行の”雅”市場の作者、それは権限や能力的にも”システムその物を破壊しかねない”ので、十分な安全装置と共に行動も存在も制限される。それさえ押さえこむ事が出来れば、後はそれ以下だ、システムに逆らう事が出来ないなら、その環境に不平等は無い、その各自が持ちうる才能をいかんなく発揮して貰えば、つまり世界は救える。

「牢陽帝」それに関しても、その説明は「正当な評価」だ。ある意味で、”求めた評価の帰結”ではある、そして?その結果はもちろん、本人がその創作に対して理想として投影したモノだ。ほぼ万全の反論はそこに有り、そして、それは具象でもあり。

”そこ”に有るのは動いているのはシステムであって、”誰か”では無い。サイコロの出目は相変わらず任意には成らない、そして最終的には”それ”を軸にした構造は、誰かの任意で動く、そう言う物では無い…単なる「環境」だ。許容された中で、人は自由が許される、もちろん、責任と共に。


勝てばいい、訳だが。

「創作の”中”にリアルを見てください」それは果たして、正当なる要求だろうか?

「物語」それは、”異世界の光景”だ。そこに居るキャラクター、それが投影されてるモノもまた、”異世界に居る存在”である。実在はしても、現実のこの宇宙には居ない。それへの投入が、評価と共に現実へフィードバックしてくる、それを期待し、物語は紡がれる。

この話は、かなり前々から言っていた事だった、筈ではある。検証が終った、というべきだろうか?ともかく「上手く行かない!」求める評価が貰えない、のは。「対抗するパワーが壁に成ってる」から、だ。それに対して対抗し得る戦力を、まだ形成出来てない。その上で、状況の改善を目指さねばならない訳で…でも、「普通」の話だ。理想を唱えれば唱える程に、その「現実の自分の戦力」はハッキリしてくる、漫画的には勝たないと話に成らないそれはでも、物理的には、無理だ。

サイコロの出目とは、感情に訴えて変化し得るか?は、その時、そこに有る物に聞くしかない…と言う気はする。

甲子園は今年、何とか開催された。”そこ”は目指すべき理想の世界、そこでの意欲と願いと悲喜こもごも、それを含んでの「理想」ではある。平等かつ対等な環境の元で、最終的な栄光を手にするのは、勝利したその一校しかない。”それ”を目指す時、そこには負ける現実、それもまたある。

「理想」それはでも、多数決じゃないのだ。

解っている、解っている事だ、しかし。

東京オリンピックは日本人のみの観戦と言う事になった。
正当なる帰結か、あるいは。



黒き龍は憎悪と共に

2021-03-22 18:18:44 | インポート

そんなに需要有るんだろうか。

「システム2復活計画」呼称として「キングスブランド」それに、ネタを出せと言われれば現状も結構、出る。

ちょっとニュアンス違う感じも有りつつ。



タイトル
「ダークドラゴン2」

テーマ
「努力してれば何とかなる、チャンスはその先に有るのだ」

ゲームデザイン
 「ダークドラゴン」とほぼ同じだが、今回は適当な場所に、前回の黒龍を倒した結果として復活した(と言う設定の)「ガチャの壺」があり、敵を倒すと得られるポイントを用いて、そこでガチャして、”必要なアイテム”をそこで出さないと先には進めない、という構成が主。
 ガチャで出るアイテムは、殆どが重要アイテムなのだが、ラスボスを倒す為に必要なアイテムさえ”最初から”出る。しかし装備可能なアイテム数には制限があり、「当然の様に全部は持てない」ので、いらないアイテムは消す事に成る、その際にポイントはスコアに変換され、帰ってこない。短い時間でクリアする方がスコアは高い方向。

物語
 何とか姫を助け出したが、しかし、姫君にはまだ邪龍の呪いが残っていた。病に伏してしまう姫君を救う為、戦士は竜を滅ぼす宝玉を求めて探索の旅に出る。しかし、姫君の病状が悪化するに従いあちこちには魔物が出現し、戦士の行く手を阻んでくる。幸運に助けられつつ、主人公は最後の宝玉を入手し城に戻るがしかし、城は魔物に制圧され、姫君に憑りついた邪龍は姫の体を依代に、復活しようとして居た。だが手に入れたアイテムを用い、姫君から竜を引きはがし、竜を倒す事に成功する。



「諦めたら負けだぞ」それは、今の自分としてはどうも皮肉的には成ってしまうし?ゲームセンターとしても、それは或いは微妙な絵はある。「遊輪R」その形態が出てきたのは、或いは偶然に等しい。当時の理解では、ガチャの途中で辞めてしまった、のだ、何だか当時には、それはあまりにもレアリティが高すぎた。資金も無く、それによって世界が滅んだ、とさえ言える状況、失意と憤りを或いは深く蓄積した後に、その結果は言う。

諦めたら負けなんです。

最早。

自分も今もまだ、自身の”この”事態を打開し得るレアアイテム、そう言うのは見つけていない。時間はただ過ぎて行き、事態はただ悪化していく?感覚もある。視点を変えてみれば、これは月に100万円貰って残業100時間、とかじゃなく月に20万円程度に就労は5時間程度、という事態ではあるかもしれないし。家族がいっぱい居る時、自身で使えるお金や環境などどの程度?という、そう言うリアリティも有る、そしてまた、自身が王の権威だ、というなら、今のシステム的問題を打開し得るのも自分しか居ない訳だ…それは何処にいるべきか?

それらを考えたら、今の事態は必然にも見える…、しかし。


何だか、皮肉的に成ってしまう。

そして「大賀さん」それが有る時、相手に戦力が有る限り、籠城も反抗も出来るのだ。

自身の正義もいつひっくり返るか解らない、80億人の一人でもシステムの犠牲に成ったら、それで「終わり」である。

世界は、理不尽だ。



非現実的な現実と言う論と証拠

2021-03-22 08:18:00 | インポート

状況の再認識はある。

ただ、リアリティは感じない。

「金本位制」は、養える人口の物理的な限界に達し、現在の資産のその多くはバブル化している、担保的価値と実際の数値が一致してない。”それ”を補う必要があり、洗脳でさえある強硬論で圧し切ろうとする、が、その前に有るのが”物理の壁”だ。100kgある!と言っても、そこに10gしかないなら、それは10gでしかない…それは必要な重さに成らないのだ、が。

それを前に、その、発覚その他を恐れた、それによる「過失」と共に、「金本位制」はその責任の多くを、既に他者に依存する状況に成ってる。

依存先、”雅”市場の導入?により、「人本位制」それが、その引き受け手に成っており?それは結論では、密かにか、世界規模での通貨単位にさえ成ってる、訳だ、「一人の同意で一円」であり。”それ”があらゆる通貨を支え得る物、という事に成る訳だが。その結果として、その作者は、特別扱い、多少のそれを許容されている。と言うか「している」。

作者は、ネットに公示した一文字に付き、10円を得る権利が有り、また、そのアイディア?は、通常の「ストリード」それとほぼ同じ意味を持つ。

ただこの結果、”作者”はシステムその物からは切り出されては居る、権利としての特別を失ってる訳だ。最終的な決定は「大賀さん」紛争解決機構、そこに依存し、作者のそれは、或いはその場において有力な一つの意見に過ぎない、そう言う状況。

”この”状況である事で、色々な物、過失、喪失したモノ、過ぎた時間、発生した悲痛、それらは比較的、安定した状況には有る。「現状、この”雅”市場と言うシステムが最上位で有り、その作者が森宮である」と言うそこは確定で、それに反する事は、先に出た悲痛、喪失、それらの責任をも負わねばならない、それは無理がある。


という、その「無理がある」が、今もまだ、微妙に周知徹底されていない、感じ。

「大賀さん」その決定には逆らえないのだ、と言う理解はもちろんと言うか、今も薄い。結果で発生する動乱と悲痛は、そこに理不尽を蓄積していくが…それでも、その理解は微妙に動かない。

ミャンマーの動乱、その結果は果たして。


「人間を動物扱いする奴の末路はこんなもんよ」という、それが”薫風と菫の動物園”ではある、のだが。ウマ娘とか、これは違うのか?と言うと、何だか微妙感はある。何かのテーマの様なモノ、だ。この牢獄から、どうやって脱出するか。今の所、その突破口は無い、自分も含んでだ、が。夢オチを否定する時、「もし自分がこの状況に陥ったら?」その仮定はしかし、重い絶望と共に、奈落を創る。

漫画だから。

相変わらず、些細かつ、面倒なテーマだ。




地下で座る一人の呟き

2021-03-21 09:02:16 | インポート

表現に御幣はある。

ともかく現状、「”全て”は私(のシステム)が支配?してて”それ”によって環境は安定した収益性を得ている訳だ」的な話が、出ている、感じもする。

自分の状況としても「仕事してる筈なのに自身への利益性のフィードバックが無い!」のが問題な訳だ、けども。

ただ、「と言う訳で」への帰結が、微妙にちょっと混沌。

正直言うと、「”全て”を支配してると言うなら、今の自身の現状も、そのシステムの結果なんじゃないの?」と言う…そこにこそ、その疑念は有る訳だけども。ストリードの連携、それはかなり良い結果を出している…だろう。その時?自分はストリードの発生した売り上げ、その5%を受け取る権利がある、という設定が、自身の想定する感じには動いてない、作者だから、と言うのはもちろん考慮しつつも、事態は良いやら悪いやら、不満と言うか不安と言うか、それは今も消えていない。

しかも、最終的には?「嬬魔」によって、オペレーションは壊される可能性もある訳で。嬬魔、萌えキャラ、それにはそれなりの意図や理由は有るにせよ、面倒がある、それは間違いも無い。

ともかくシステム的な理想、「自立し得る環境」それは果たして具現化してるのか否か、様々な思惑こそ有っても、どうもアプローチの方向性に弱含みはある。

先の「かむろぎでBS放送のチャンネルを設立する」その辺とか、どうなったのだろう。そもそも「どうなった」以前の状況は相変わらず、だ。そうじゃ無くても単に精神的にヤバイだけ、という視点さえ有る中で、新型コロナウイルスに関しても、東京オリンピックに関しても、悪化していく感覚しかない。

全然良くなってないじゃん。

個人的な把握では、「新型コロナウイルスは、強奪連鎖の結果に反応して重症化する」のだ。そして、東京オリンピックは場合によっては自身の描いたエンブレム案、”それ”に乗っかっている…勝手に、だ。問題は無いのか?と言う点で、この容認、それは新型コロナウイルスを活性化させる、と言うのは何ら問題のある帰結では無い、今まで通りでは、もう通らないのだ。経済的な破綻を避ける上でも、事態の打開は不可欠であり。

で?

そこに有るのは、どうも良いイメージは、無い。

変化が急激過ぎる、と言うのはある。アダルトビデオは女性だけで撮影するモノで、そうじゃないなら違法扱いだ。カウンタ数値の制御は、犯罪でさえ有る。商業創作は必ずストリードの連携、”これ”を経由する様にしてくれ、じゃないと経済的な問題は打開し得ない。結果として風俗産業が不要になるにせよ、それは道理の様なモノだ。

牢陽帝、それは何を目指しそこに居る。