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あげちうのブロマガ

あげちうの日々の色々な事

ピンポンダッシュ百回目の罪状

2023-06-30 00:03:50 | 日記

日本の税収がなぜか70兆円を超えている、のに。「楽天」は奇妙な資金難の中にいるという。

日銀が500兆円くらいの国債を保有してる、という話にも、なんだか理不尽か歪みか、そういうのは思う。

 

話は、良くて「契約不履行」それでしかない。

「最初に提示されたプランと違うものを作った」というのは、「テロリスト」とまで言われるような罪か?だ。ただ、その「理由」は掘り下げていくと、根っこにはだいぶん重いというか、暗いものはそこにある。

求めているのは「戦争」その勃発であって。今のウクライナとロシアのそれでは違うのだ、今のは「違反行為を犯したウクライナをロシアが罰しようとしている」だけに過ぎない。求めているのはそんな道理の戦いではなく、善悪が吹き飛んだ破局である。一番いいのが、世界が核兵器かで吹き飛んでしまうような、そんな”戦争”だ。

”それ”は、それを目指して、社会にメディアを通じてストレスを与えている…というのが今、納得しうる理解。

ともかく「その」視点では、「”彼ら”は重大な犯罪行為を犯してしまった」事にはなる、訳で。意図と損害、それを想像すると、あの散弾銃乱射事件にさえ比する。人を4人も殺して、「無理を要求されたから」その破綻だとしても無罪、という訳にはいかない訳だ。その構成員の?ほとんどというかが、過去の過失や或いは間違い、失態、そういう致命的な物を抱えている、として。基本、”そういうもの”を背にすると、まず技術があってもヒット作は作れない、過失に対して”神”はなんだか極端に拒絶があり。償いが済んでいても、今度は「償いようがない過失」を背負った連中は、彼らが逃げるのを許さない、訳だ。過失のブラックホールみたいなのが、不意に形成されてる?

そんな彼らが紡ぐのは、社会への重いストレスだったりする、訳だ、過失が過失を呼んでいく、感じ。

「大衆は神である」として。今もなぜか、その神は、”彼ら”をなんだか罰するような事をして、無い?むしろチャンスのようなものを与えつつ、過失を積み重ねさせているだけ、ではあって。何かの不備のような結果としての存在なのか、それとも因果応報に対する思想的な対立なのか、そこは分からない。ともかく、人々の憤り、それはもちろんかその”中心”へ集中はしていく。そこで何が起きているのか、今もちょっとよく分からない、ともかく剣呑が累積していくような気もするのだが。

そして、”それ”がある限り、何かの理不尽、そういうのも何故か続いてしまう、訳で。

「大賀さんの決定に従え」としても、勝ち組と負け組は居る。後者が或いは博打に至って多額の負債を抱えても、それはシステム的には「自業自得」でオチになってしまう、そういうのはもちろんある。言い分としては「人力発電機」それがあれば、いかに破産したとしても生活は可能だ、とは言うが。それであっても、或いは「昔は道理に反するいかがわしい仕事をしていた」という過去は、何時までも強請られるネタ、という事にはなるのだろうか。

世界レベルの話、ではある。

税収が上がった?のは日本くらいだったりしたら、何かの「負債」もまた、日本に重く乗ってくる、そういうのはあるのかも。

潜水艇「タイタン」は爆縮し、ワグネルの反乱は失敗に終わった。それでも今も、次々と日本で信じがたい事件が起こる、そんな現状ではある。

「お金」という、そんな呪われた何かの対価、だろうか?

ともかくお金には困っていく、のだが。

 


予定は何処まで未定かの議論

2023-06-29 05:30:17 | 日記

話題になった「リトルマーメイド」の最新作を創ったチームが解散になった、らしい。

原案を歪めてまで通す、という今風のそれに、流石に待ったが掛かった、という事か?

 

「ゲーム」と、「テレビ」その、立ち位置の様な物は少し明確化した?感じもする。

「ゲーム」で出た結果を、「テレビ」が報道する、訳だ。今までは何処か逆だった、テレビで報じたモノを具現化する、その可能性をゲームで検証していた、感じはある。どっちが正しい?という視点は混沌としている、ともかく施政者的には後者の方が良い、上意下達だ。しかし、それだけ考えても、ちょっと無理はある。「出来る!」と言っても、その可能性の低さに挑むのは単なる無謀だ、そう言うのは実感を伴って重い。

良くも悪くも、この前の「潜水艇タイタン」の行方不明事件、あれは一つの解りやすい結果には成った、という事だろうか。その前に、数回成功してる?というのも不幸の一つだが。「出来ると思えば出来る!」と言う、それは実際には無理はある。

だから、という訳でもないが。「民尊主義」と呼んでいるモノも、一つのゲームと言えば、そう。

それは”神”の、人々の為になるのか?が判断の分岐。
反論が無くなったらそこで終了、決定。
「私は嫌いだ」そう言うのは反論に成らない。

この条件で論戦を行い、残った主張が通る、それが民尊主義的議会政治、という感じ。多数決では、始まる前に既に決定している場合は多いが、この場合一応、「期待される議論が行われるなら」一人でも反論し得ない提案が出来れば、それを押しとおす事は出来る、状況を変える事は可能ではある。

まず、「議論」によって決定した物を、「報道」する、というのはこの時、何かの統一性は現せる。

表現として適当か?はともかく、「ゲーム」が上で、「テレビ」は下、ではある。ただゲームは如何なる気まずい結果さえ表す事があり、何のフィルタも無く報じられる事は適当ではない。故に、まず報じる内容に対しての是非は「テレビ」その方が先、ではある。テレビは、ゲームで決まった事しか流せないが、どれを流すか?に関しては自己責任ではあるがテレビの方に決定権がある、訳だ。”嘘”を報道すれば、それはテレビの責任、そうなる。決定されたモノを報道して問題が起きたらそれは、ゲームの責任。

少し、明確さは出てきた、感じはある。

ゲームシステムの是非も、それは論じられるべき議題ではある訳だが。

「多数決」は状況的に、創作者は選択するべき基準ではない。

 


「面白い」それは罪を照らす

2023-06-28 07:03:21 | 日記

昨日の「水星の魔女」ネタを意識してから、「祝福」のPVを見るとやはり思う事はある。

”これ”が通って、何故本編がああなったのか?そこには深刻な歪みは間違いなく、ある。

 

とは言え、タブーに挑んだ結果は「権利」その、重大な喪失には成った、のだろうか?それは、今後の話にはなる、訳だが…少し不意にか、責任の追及は権利の移動を産み?「調査する可能性」熱意ある取材、そう言うのに、”許容”が出た…感じも、する。

日本だけ?だろうか、それとも。「私は資本論の作者、その正当な後継者である」というのは、「資本論」その影響、という物に、最終的にどれだけ影響を与えるのだろう?自分は要するに「そこが狂っている」と今、主張はしているのだが。そこに居る個人の是非が、「客の期待を自身の私利私欲の為に裏切る」という、”それ”を具現化しているのか?だ。当事者で無ければ解らないが、最初に提示したプランは、最後まで全体に影響を与える、そんな気はするのだが。

という感じに現状の「原因」は、「水星の魔女」そのストレスの結果で追求され、「私は資本論の作者、その正当な後継者である」という主張に重い疑念を向ける事には成る訳だが。どうも結果で、血脈的な部分に疑問が発生し、権利が移動した、感じは少しある。

ともかく移動した結果で、作品への許容は良い方向へ変わるのか?だ。昭和の頃の様に、と言えるかは不明瞭だがそれでも、Youtubeで一応は5000万アクセスに至った様な「客の期待」を無視する様な、そんな横暴には否定が発生しても良い筈、だが。

…結果が出ないと、まあ解らない。

良いアイディア?だろう。「まず非公式でもPVを制作し、客の、ともかく反応を見る。それに依存して作品を創っていく」製作スタッフが目指すべきは、そのウケたPVその具現である、それはウケた実績があるのだ、利益性その他にも、確実性は発生している筈、ではある。

ただこの結果?何故か、「資本論の作者の後継者」が恐慌、”それ”を破壊する様に圧力が掛かった、というのが自身の主張になる訳だが。「面白い」は、秘められた問題を掘り起こそうとする。その時、その人物は「犯罪の告発を目的にしない限りは、プライバシーの侵害は違反」という全体ルールでは自身を護れなかった。

のかも。

変化の帰結、だろうか。

どうも、曖昧な事しか言えない。

 


主観という等価な差異の衝突

2023-06-27 00:55:30 | 日記

それは、あくまでも個人的な趣味、そういうものだ、とは思う。

しかし、それでも執着しちゃう時、そこには何かがあるのかもしれない。

 

色々話題の「機動戦士ガンダム 水星の魔女」、しかし、当初から微妙感があった自分はもちろんか、自分にとってはまた例の「別案」というのはつい、考えては居た。初めの案は「ヴァルブレイブ」あのアニメのリテイク、みたいな感じだった。過去にいろいろあったスレッタの母親は、ひそかに体制への反逆を試みていた。学園コロニーに偽装された兵器開発環境にて開発されていた新型MSを、その学園コロニーごと(ひそかに移動要塞になっていた)強奪、敵対する国家へと亡命を図る、という事態へ。だが母親の思惑と現実との乖離など、紆余曲折を経て学生らはなんとか奔走、両国の休戦協定までこぎつける、と。それはそれで悪くもない?と思っていたが、もちろんか実際には違う方向へ話は進んでいく、そしてあの「やめなさい!」BAN、で、全体の空気は大きく変化する事にはなった、訳だが。

それからまた補正するような感じで考えたのは、「世間知らずのミオリネが、父親の支配から逃れたい一心で独立を目指し挑む先は、しかし荒廃した戦場という現実だった」的な展開。一方スレッタはそれ以前は、「ガンダム」を研究する母親の、その私兵的に傭兵業をしていて、「地球」側では「水星の魔女」と名の知れた存在だったが、彼女は学園生活にあこがれて母親に願い、”学校”に行く事に。そこでミオリネと出会い、ミオリネと共に流されるように「MS販売会社」の一員になってしまい、という感じから、地球圏での現実、停戦合意どころか、戦争そのものを目的にするようなどうしようもない意識に直面するミオリネ、無茶する”それ”を何とか助けるスレッタ、母親の助力もありつつ、みたいな展開の末に、一つの終着には至る、が。結局、ミオリネは父親を否定するどころか「同じ選択」をせざるを得なくなり、スレッタもまた、ミオリネと共にいる限りは学園生活という夢は終わっていく、様な感じで。ともに二人は進んだ先の結末を、語り合う事に。

「・・・そうなんだ、ごめんね?つまんない事に付き合わせちゃって」
「いいんです。私、単に友達が欲しかっただけですから」

・・・じゃあ、二人で二つだね、って感じでオチになる、様な。

「こいつら何で戦ってんの?」というネタが沸いた後には、ちょっと残ってしまうそんな、感じではある。

「ガンダム」というコンテンツは、現状社会的な共有物といえる状態ではあり、その内容は、”そこ”に住む人々にも重い影響が、無いとも限らないコンテンツではある。「価値がある」という状態にならないと、社会は期待する糧を得られない、時。今の内容は、メディアの盛り上がり?はともかく、重い不足のある”それ”なのかも知れない。異様な?絵的コストの投入された本作は果たして、何を目指していたか、それはちょっと暗い混沌の中にはある。

ともかく「祝福」を見た人々の多くは、そのショックから今も立ち直ってはいない、だろう。客の期待からの逆走、ほぼタブーに挑んだような先にあるのは、果たしてではある。

ちらほらと、「ゼビウス」その執着が今も見え隠れする、そんな現状ではある。

 


戦いを求める先の失望

2023-06-26 06:46:15 | 日記

一本5000円のゲームソフトが、一年後もその価格で売れるなら、それはそのまま5000円札と同じである。

それに支払った筈の5000円は何故か、外に、そして自身に、そのまま残って居るのだ。

 

「で、そのゲームソフトはどうやって作ればいいんだ?」は、経済学の領域ではない。しかし?”これ”が無ければ経済は成り立たない、現状の経済学は”これ”を失っている、というのが自分の主張ではある。まず”これ”を意識しなければ、創作の是非も計る事は出来ない。「売れる」それは最優先である、もちろんコストが利益を上回る様なそれでは困る。原価100円もしないDVDを5000円で売るという技術というか知恵?或いは経験則、それは貴重というか、意識される事には成る訳だけど。

その時、割と普遍的なのが、「女性を護る」そう言う意識、ではあって。

ゲームの世界では基本でさえある、「浚われた姫君を助け出せ!」それは冒頭の理由として定番。実際には”それ”は無給である方が良い、が。流石に現実的にはそうもいかない、結果。主人公はその危機的状況のヒロイン、”それ”が好む、最終的には夫として適当と認識する人物、”それ”に依存する事には成る。物語の、作品の需要は「その人物をバックアップする」という事には成る訳だ、貴方が、ともかく誰かが”その”ゲームをクリアし得る時?その向こうに居る二人は救われている。”それ”が現実としても具体的な時、その作品は相応の「価値」評価、面白い、そう言うのを得て、その5000円、という価値をキープする事には成る訳だが。

「この対戦ゲームを遊ぶ結果、女性は救われます」

と、「ストリートファイター2」の価値に関しても、どうも”それ”は言えるのだが一体どこにどういう意味で”それ”が言えるのだろう?ではある。後続の類型が結局はいまいち感を残して沈んでいくのは、最終的にはどうも”これ”を意識し得ないから、そう言う面はあるようで。或いは「春麗」というキャラ?”その”キャラクターボイスを担当した人の意向?そんなニュアンスはあるだろうか。ともかく「街角で喧嘩を始めるような連中」が、ゲームでその衝動を昇華し得れば、それはそう言う剣呑を嫌う多くの女性にとって有益、そう言うのは間違いない。

これ、そう言うゲームでしたっけ?

民主主義と、現実との境目ではある。利益はしかし、後者の方にある、とは自分は主張する、が。「ゼビウス」が実際には失敗した、その原因もまたその民主主義の失敗にはある、「ゲームなんだから残機が3つってのは普通でしょ?」それが失敗の原因である時、そのゲームは結論では「民主主義を否定し始める」事にも成る訳だが。

なら売れる創作を、民主主義は作れない現実は、ある。

そこにある壁、だろうか。