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あげちうのブロマガ

あげちうの日々の色々な事

左斜め下へ進む話

2020-07-31 09:43:39 | インポート

ともかく、確定にしてしまう。

問:何故「マイナスにマイナスを掛けるとプラスに成る」と言う定理が有るのか?
答:距離計算が楽だから。

距離は、基本的には「直角3角形の斜辺を算出する方法」で計算する訳だが(by ウィキペディア)


図で言えば、CからAがy軸、CからBがx軸である。C点をその基点値0とすると、

斜辺c=√(x^2+y^2)

と言う事には成る。

このx、yの二乗計算で、もし「掛け算中にマイナスが入ったらそれはマイナスに成る」と、数値がおかしくなる。例えばこの図の例にしろ、x軸は既に、通常の感覚ではマイナス方向ではあり(BからC方向が、CからA方向が、通常のプラス数値だから)。つまりBC=3、CA=2、だった場合、座標的にはBC=-3、CA=2、に成る訳だ。このまま、「掛け算中にマイナスが入ったらそれはマイナスに成る」で計算すると、

c=√(-3^2+2^2) c=√(-9+4)
c=√-5 約2.23i

虚数は”ここで”出てくる訳だ、…いやそれはおかしい。

この時、数学の定理的に言えば、
c=√(-3^2+2^2)
c=√13 約3.74

で、そこには正確な数値が現れる。

つまり、当り前だが数学のこの定理は、「実務的に、平面を基準にしての距離計算がやりやすいから」と言う理由で設定されてる、訳だ。数学が発生した時代にしろ、これは「実用性を重視している」そう言う意味かもしれない。

が、設定した人が亡くなり、後世の人々がその理由を失う時、”実用上は問題ないから”使っていても、「なんで?」が解らない、そう言う事には成った、と言う事だろうか。

実際問題、数学の利用として、これ以上の必要性はあまり無い。それでも距離の出し方一つにしろ、「知らなければ解らない」のだ。学ばない訳には行かない、計算はどんどん複雑には成っていく。だから、学問として設定された、その名残、ではあろうか。

ここには実際、何かの思惑の対立が、そのまま残ってしまった、のかもしれない。実測計算と、座標計算と、実用性はどっち?結局今も、答えは出ていない、と言う事か。

問:虚数は、何故有るのか?
答:マイナス数値を√する場合があるから。

実用性を問われて、定理が設定されたのなら?それに倣うべきではある。

ともかく数学を文学的見地で利用する、場合は、age数学「掛け算中にマイナスが入ったらそれはマイナスに成る」の方が、恐らくは道理は通る、と思われる。

良くある話か、それが何故そうであるか、誰も知らないけど使っているモノ。

混沌は晴れた、ろうか?

大根を摩り下ろしていく様に

2020-07-30 14:44:11 | インポート

思案する部分も有る。

独裁国家だったら、もっと簡単だったかも知れないが。
逆に今の時点でも、独裁性がある故に、「対抗する何か」が発生し、どうもそれを抑止し得ない。
それをどうにかする為に「紛争解決機構」その存在がある、定型の流れ。

ちょっと主観的な感覚。

朝日新聞社の社主、その”正妻”が、「紲星あかり」。

”それ”に対して抑止する存在が「ポンプ長式大和」。

どっち?に関しては、「大賀さん」での決着で決める、そう言う。


結局、それはつまり「大賀さん」が王様、というスタンスに成る訳だ。

「と言う感じで」それを決めたのが、”ここ”ではある。

主観の問題ではある、一時的にか、集中した特権、その中での話。
どっちにしろ、存在してる何か、とも言えないのが微妙だが。
ただ?何故「紲星あかり」が?というと、今までの流れの中での理解、「新聞記者」に殺された女性、と言うのがどうも”こういう女性”に該当するらしい、からではある、主観の問題。鎮魂も含め、この子を「朝日新聞社の社主」それが求める正妻、という立場に置く…事で、何かの道理を通す、そう言う感じ。

しかしこのままだと?世の中は「紲星あかり」の独裁国家に成ってしまうので、カウンターとして「ポンプ長式大和」お目付け役か何か、その辺を置く。”それ”は、森宮の「今日の呟き」を嬬魔化したモノ、というニュアンス、自身の意向はその位は反映したい、と言う感じで、それはそれで有りそう。
※嬬魔とは、「標的を監視し得る視線」と言うニュアンスの魔物、ではある。”それ”に期待される様がその容姿となり、標的が”そこ”から外れると「性的な魅力」として発露、”それ”に対して性的な欲求を向ける事で抑止効果を発生させる…そう言う構造ではある。萌えオタらは、美少女キャラにもえもえしてるだけで世界を補正してる事に成る訳だ、”ここ”が或いは何かの「独裁的な利益」を発生させたりする。

こうなると、朝日新聞社の社主に発生してた独裁性、そう言うのは薄れる、かもしれない…少しそれは様子を見たい部分は、ある。

新型コロナウイルスは、感染の拡大を続けては居る。今の所は重症化しない、にしろ、「毒性が弱まった訳じゃない」と言う現実も変わらず、何かの危機感は重くある。自分の主張が正しいのなら、このウイルスは強奪連鎖の否定、単刀直入に言えば性風俗の犯罪化、それにより抑止される筈、ではあり、その最も期待し得る方法論、”それ”は「頂点がそれを罪と認める」事ではある、しかし。

朝日新聞社の社主と言っても、やっぱり独裁者では無い、と言うべきか。
今もまだ、こちらの期待が通った、と言う事はほぼ無い訳で。

少しずつ、不愉快を耐えつつ、削りながらか、前に進むしかない。

作家の夢想と読者の現実

2020-07-29 07:57:58 | インポート

確実性のある話でも無い。

ただ、「名探偵コナン」の人気は、相応に同意し得る物、ではあって。

この辺、「ストリードの連携」に同意できない場合、意味の無い話かもしれない。


ともかくこの作者は、昭和から既に名のある存在ではある、要するに昭和天皇の認証した選抜構造、”それ”を通って「認証された存在」な訳だ。その足場は、平成に入ってむしろ重要視される様になった、が。とは言え、売れる売れないには大きな壁が発生していた。

作者の独断と偏見それは、否定される事が多くなった訳だ。

この中で、この作家か作品が選択した、のが。ある意味での徹底した「作家性の否定」と言う方向性、ではある。ネタからして一人では考えず、シナリオの方を重視し、アニメ化が決まってからは、アニメ重視にシフト、マンガの方はシナリオの列記みたいに成っていったが、それはまた「単品として大きくしない」と言う、当初からの方向性でもあって。この辺、「独裁性は否定される」と言う環境の中では実は重要な要素であり、現在考える”雅”市場、その方向性とも合致が有る。昔からの物理法則に近い現象を、作者は独自に解析かして、「利益の為に」作品へフィードバックしていく結果が、今の成功と言う絵では、あって。

とは言え、”それ”を他の、特に平成から始まった作家が真似しても?多くは失敗する。何故なら彼らは「昭和天皇の認証を受けていない」から、だ。平成が始まって1992年以降は、DOS/Vの侵攻に合わせ、昭和天皇の残した影響は完全に破壊されてしまった…そう言うべきかもしれない。認証されないままプロに成った作家が増えてしまった、と言うべきか。この辺実際は、大問題が蠢いている…そんな気も、する。売れない物を無理矢理売れる様に見せた、そう言う話があちこちに有るのかもしれない。

ただ、作家志願か、微妙な作家らには多くある「この作品への不満」は、そのまま現状への面倒さ、その象徴でもある。「やりたい事は出来ない」描きたいモノは描けない、訳だ。利益の為に、自身の方向性はむしろ否定しなければならない、それを我慢し得るか?で、この作品は地道に足場を固め続けて今が有る、訳だが。

それじゃ何の為に漫画描いてるのか解らない、訳だ。
利益の為に、上の奴隷か筆記用具に成れと言うのか?

一面の正義と、実際には「強力な独裁性」の発露は、平成を混乱させる、大問題にも成っては行った。何はともあれ「王の権威」が居る、と言う事実を無視しての話である。混乱は熾烈を極めた、そう言うべきだろうか。

現状でも、カウンタ数値は、当てに成らないのだ。
しかしだったら、「正しい」それは何処に有るのか?
その時、「王の権威」と言う、物理法則に最も近い個性、それの意見は正論として有る。

逆に言えば、カウンタ数値さえ信用し得る物なら?王の権威でも、単にそこに居るミーハーの一人に過ぎない訳だ。”これ”を弄っちゃう事が、状況を混乱させる最も重要な要素だが。

曖昧は続いている。


虚言なる正義と事実なる虚構

2020-07-28 21:14:15 | インポート

状況に安定も有る。

新型コロナウイルスに関しては、雰囲気として「脅威」と言うニュアンスは大分薄れつつ有って…、WHOも何だか、日本の現状を評価する方向に変化は有った、様だ。ともかく日本での被害それは「風邪」以上のモノとは言えない状況には落ち着いた。時々、突発的に死ぬ例もあるが…おおむね、只の風邪で治っている、感じ。

日本の様な価値感であれば?「単なる風邪です」このウイルスはこれ以上の毒性を見せない、それは言えそう。自分の思想的には、ウイルスが人間の思想によって挙動を変える、と言う事態に不自然は感じない。時々ある、「神よ!何故このような暴挙を放置しておくのですか!?」に対する、一つの神の返答と思えば、その是非は考える部分だ。

その上で、その神によって放置されてる状況にも、自分は居る訳だが。

考える部分はある。

「赤松健とは今、あげちうの事を言うのです」
「私はセガの経営に関与しているのです」
「朝日新聞社の御家騒動にて、自分は重要な立ち位置に居るのです」

最近はここに「ガンダムSEEDの企画原案は私です」「エヴァンゲリオンもそうです」とか言うオプションも付いてきて、”ここ”の閲覧カウンタ数値が常時50以下、という現状を意識しなければ、何か不味い事態さえ起こっていてもおかしくない訳だが、カウンタ制御はまあ、今も尚効いており、それは逆に、何かの安全性、それは担保されている訳だが。

ともかく「王の権威」として、本来有ってもおかしくなかった権利、そう言うのが、戻ってきている?と言う雰囲気は…少しあるのだけど。

平成が始まる際、「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ」で、ペーネロペーが勝利した、と言う結末その結果として、自分は「昭和天皇」その後継者として、何かの特権に付く「筈」だったのだ、が。それをその時、歪ませられ、そこに有った特権の殆どを、他者に盗まれた、訳だ。その歪みは、やがて致命的な破綻へ繋がっていくが、昭和天皇が居ない状態では、それに対して苦言を呈する存在はおらず…事態はそのまま、違和感を残したまま流れてしまった。その後、自分は「虹色宝珠」で入選を果たすも、それも隠蔽?否定され、やがて「黄昏の狩人」は盗まれ、本格的な排斥&否定、それは始まる。そう言う中で、平成と言う時代は流れて行った訳だが。

現状にも、奇妙な感覚は有る。朝日新聞社の社主を巡る御家騒動での、主体は何処か?と言う命題だ。「旧村山派」は、しかし実際にはダイレクトな継承権を持たない。「血族派」の方が継承権に関しては正当を語れても、そこには大いなる暗部が存在し、それは否定される。この時、勝利しているのが「旧村山派」でも、それは”ここ”を「次の王」としているが故、だ。如何にここに対して弱みを握った状態でも、道理を問われたら、何故か王の意向それは”ここ”に有る。

と言うニュアンスは、不意にあったりする。

世界とは、どれだけ理不尽に見えても、道理に支配されているのだ。

以前の書き物の中で語った事だが、その道理の帰結で、或いは「正当なる独裁者」が有る、と言う状況の、是非ではある。期待する結果を目指すなら、王の意向を満たさんとしている、と言う道理が無ければ状況を圧し切れない。その王の意向は、果たして道理として適当か?

確率の低い博打ではある。

会社に損害を与えてその能力にも疑問がある?それはもう責任とって貰って退社して貰うしかないでしょ。

道理は何処に。



それは美しい夢の後にある

2020-07-27 22:07:37 | インポート

夢を見る。

ただ、その前には現実の壁が、何かの重荷の様に有る。

現状、直ぐに娼婦を営業禁止にする、と言う事は出来ない。
新型コロナウイルスが有って、”それ”がかなり、「風俗関係で広がる」と言う事が解った今でも、だ。風俗関係を営業停止にする!様な措置は、世界の何処でも取っていない。今も尚、この産業は、その位の、従業員の人命など無視して、重視?され続けている、訳で。

”ここ”に十分な娼婦を供給し得れば、今まで通りは続くのであって。
「ストリードの連携」が目指す理想、それはでも、この壁を前に、逡巡はしている。

創作が利益性を持てれば、結論では経済は娼婦の存在を必要としない。しかしその為には、創作は「利益が出る形」を要求され、何かの意向、やりたい事、作者側の願い、そう言うのは否定される。多くの視聴者には夢の様な絵に見えても?それは必ずしも、作者の理想とする絵じゃない、事もある訳だ。単に仕事として依頼され描いただけだ、その時、報酬としては利益と、見た人々の評価しかない訳だが。

…”それ”が自分の願い?をむしろ否定してしまう場合も、時々、ある。

邪悪なる存在は殺さねばならない!と言う正論はでも、人殺しは犯罪です、貴方は罪人に成るべきでは無い、そんな正論に抑止されているのかも。

「商店街が総じて流行ってる」その絵を具現化するには、結局は一人だけ儲かってる、様な状態は否定せねばならなくなる。すると、自分の分は小さなパイに過ぎない訳で、その範囲内で何が?と言う時、「つまらない」その感想しか出ないかもしれない。昭和の頃の愛された暴虐無人、そう言うのは厳禁。節度を求められる、良識も。どんぐりの背比べで皆、それを喜びとせねばならず。

それを理解する時、創作はどうにも微妙に、説教臭さは発生する。

開放感の無さは、節度の存在でもあるのだが。企画時点で、どうも何かの嫌な絵は想像する。求めているのは突き抜けた何かかもしれないが、結局そこに有るのは「と言う事をすると結果はこうなるでしょう」止めた方が良い、そんな無言の小言だ。利益は出るにしろ、求めたモノじゃない、それは何となく、不意に。

未来は見ている。
ただ、解らない事の方が多い。

捨てられない願い、それは或いは昭和の頃に出来た。

それの再興を求められ、そして結論では何か違う、その感覚と。

それが邪である、その理解と。