ブログの引っ越しサービスも始まって、何とも雰囲気に失望感の様な物は、重い。
ITと言いつつも、その利益化は難しい、これはそう言う話の帰結だろうか、だとしたら?
※「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して翻訳して出力。
「これじゃパン一切れも買えないのよ」その時、”それ”はただの紙切れだった。
だもんで既に移行サービスに依頼はした、が。考えるとグラフィックデータがギガである筈?と思うと中々切ない部分はまあ、思う。クラウドという利便性と、その対価みたいな物だろうか、運営側の胸先三寸でサービスは終了してしまい、そこに有った物も同時に消えていく現実。考えると、プロバイダ側でのHPの容量増加、の方に舵が切られなかったのは、当時の問題だったろうか。どっちにしろアクセスが集中すると、そこには深刻な負荷がかかる事に。
負荷に弱すぎるのでは。
とは言え、多分この話は、雀荘と、人力発電所併設の雀荘、その存亡の行方に関わっては来る、のだった。
麻雀での賭博行為だけでは、その場は維持出来ない。日々の食事その他でコストは発生しお金は消えていくから、だ。それを打開する術は無く、結局は人力発電所を併設するしかない、が。それは前者の思想その終焉という事にはなる、そして或いは「失敗」間違い、そう言う結果でも、有る。
すると今までの理論や教育それは、何だったの?
「経済学とは、麻雀必勝法に過ぎなかった」事になる、それはそう言う話の帰結、だろうか。
理由は解っていても、変えられない何か。
※という訳で、今後の更新は少し頻度下がると思いますよろしく。
ここ「Gooブログ」が、今年の11月には閉鎖される、という事らしい。
多少か唐突な印象はある。資金が尽きた、というそれだとしたら、悲しみはまあ、少し。
※「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して翻訳して出力。
子供の頃は皆、天井の高い世界に暮らしていたのだけど
関連する話、だろうか。「グレートマジンガーは、マジンガーZを超えられない」それへの反発か否か、それはかなり深刻な事態を現場に産んでいる、というその、具体的な”何か”がちょっと対処し難い問題、そう言う面を見せている、様な。
状況故か、その例え話はたとえ話とは言い難い絵には成ってしまう。
とある人物が、STGのヒット作「怒首領蜂」とか「沙羅曼蛇」とかが創れる、ゲームエンジンを開発した。
その内部データを弄れるツールも開発?した。機能的には類似のSTGゲームが十二分に創れる、筈である。
しかし、”それ”を人々に公開したら、評価が悪かった。
”この”把握だと、この失敗は「結局このツールはコピー品しか作れない」と言う、”そこ”にはある。「独自要素を入れる余地はない」訳だ、”それ”を考えちゃうと途端に混乱して作れない。STGと言うジャンルの問題に深刻さはある、RPGのそれみたいに、「独自の物語」を”そこ”で表現する、事がちょっと難しい。ここで相性のいいのは?やっぱり同人的な、ちょっとふざけた感じのそれだ。例えば。
「だらだらいきますぅ(Cv クロワ)」
魚帝国がサイボーグ魚を主力戦艦に改造して侵略を開始した。主人公は愛機「ジェリーキャット」を駈って立ち向かう!
とか、
「絶句節句数」
外惑星「エリカ」より救難要請。地球は急遽、超戦闘機「オクトパスロック」を惑星エリカへ派遣した!
とか。
「お前はそんなもんしか作れないのか?」と言う、まあ評価的には、”そういう感じ”がターゲット、に成ってしまうそんな是非、ではある。不思議さはある、ゲームエンジンには「ダライアスとかゼクセクスとかを創れる能力は有る」のだ、なのに?オリジナルは創れない。考えてみれば?先駆者のゲームエンジンと搭載されたコンテンツは”その”要求を全て満たしてしまっている、訳で。”そこ”におこぼれ貰いに行こうとしても、早々あるモノでは、無い前者だって、大ヒット…にはちょっと苦笑はあるのでは有るまいか。
単に、自分にも出来るだけ、ではある。”それ”は市場として小さい、逆に言えば、軽い。
「自分にも出来そう」の先にはしかし、「定員に成りましたので募集は締め切りました」の、そんな看板。
衝動的な同意と、結果の納得が、何だか過去の悪夢をどうしても。
「ヒット作は良い作品ですか?」は、問われる話ではある。その人々にとっては制作中の高揚感こそが目的で、結果は半分どうでもいい、そう言うのは解る部分はある、が。しかし自分も「売れません」と言うのを体感した後は、”そこ”に踏み込む事はもう出来ない現実はあって。しかし特に平成、「カルト否定」を理由にした、警察ニートの密かなる支配、そう言うのの影響下で何とか続ける、時。”そこ”には多少の安住の地はある、のだが。
良い作品は、警察ニートの否定を受けて壊される。ふざけたそれでは、利益には届かない。
そんな状況の中で壊れてしまった?という様な、”それ”は何かの深刻さを秘めている、様な。
ここも、11月には閉鎖になる、という話で。結果的な絵としては「頑張った事は無駄でした」みたいな絵に成ってしまう、感じが無い事も、無い。平成の文化は、大概はそんな感じで終わる、”ここ”もまた、決して例外では無さそうではあり。悪夢の警察ニート、の影響は薄まった様な?の、後の”これ”というのは果たして、邪悪な城が瓦解していく様か、それともまだ残って居る邪悪の影響か、それはちょっと考えてしまう。
そもそも「無制限に動画や静画をアップロードできる」と言うクラウド、そこには深刻な無理が無いのか?だ。平成のそれが瓦解していく、というその時、瓦解していくのは何なのか?ではある。youtubeにしろXにしろ、blueskyにしろ、だ。クラウド利用のプラットフォームにはいい話が無い、AIも実際にはまだ利益性には届いていないという。なら今までは?だ。”この”先にあるモノは果たして。今利益に成っていないモノは、過去には利益に成っていたのか?それを考えると、不意に深刻さはそこにある。
”そこ”に有るのは、奈落への嘲笑か、悲痛な救済への懇願か。
ともかく解っている事は、「という訳でリストラしましょう」しか今の経済対策は「無い」と言う事だ。
結果、トランプ大統領が相互関税による内需拡大を狙おうと、失業者は増えるだけだ、そう言う事ではある。
※「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して翻訳して出力。
その賭場では、「次に誰を喰うか?」の試合が始まろうとしていた。
「自給自足体制の経済モデル」は、前にも書いたがシンプルに「人力発電所が併設された雀荘」である。そして現状は「それが無い雀荘」である。後者は敗けた奴から喰われていくし、麻雀の性質上か、負けた奴が浮上する事はほぼ無い。この店の中で全てが完結している時?この店は単なる廃墟の様な物でしかない。
しかし、「なぜ人力発電所を設置しないのか?」は、その雀荘のオーナーに聞かねば解らない、いや聞いても解らない固執だ。大概は、楽しさの先で一度客を喰ってしまったら、もう元には戻れない、というそれかもしれず、それには深刻さとリアリティはある。当然だがそれが解ってしまったら、”その”店からは逃げるか近寄らないか、だ。食人鬼と化した”彼等”を説得する術がない時、この店はもう終わっているが…しかし。現実的には「経済」とはこれである状態が続いては居る。結局、だから、「という訳でリストラしましょう」そう言う話に成って行く訳だが。この世界の中では、人を喰う事に躊躇いの無い奴の方が、強い。
「大衆は神である」時、”この”事態は崩壊、という形で直ぐに終わりそうなもの、だが…ただ「ノアの箱舟」や「ソドムとゴモラ」それも、結論では主人公らは全体に対してはほぼ何も出来ずに逃げるだけ、だ。現状、「悪夢」が悪夢に成らない。物語に対する理解?それも汚染された中での、歪んでいく悪夢の中に居る、それは現実である。
自分は、思想としては「この外」に居る、のだ。違う外の家だ、隣が如何に日々、奇声と悲鳴が聞こえる、としても。警察が無い状態では、或いは有っても。それに対しては何も打つ手は、無い。”彼等”もまた「大衆」の中の存在である、筈だが。だったら体の不調、陥没爪や粉瘤は何故起きるのか。マクロとしては”そう言うモノ”かもしれず…でもそれは、中には深刻なそれもあるのでは有るまいか。
その時まで気づかないだけで。
ともかくか政府の予算と企業の予算には大きな違いはある。前者は消費する事に意味があるが後者は逆だ。ここだけは、「夫の昇給が望めない専業主婦的な感覚」が必要にはなる。限度ある”それ”を何処にどう使うか?で、生活の豊かさは変わってくる。貯蓄だけ増えようと、日々が荒廃していたら長くはもたない。
という訳で切り詰めます。お父さんのお小遣いは50%カット、子供らもお小遣いは無しで。
ここでお母さんだけ昼はレストランに食事に行っていたら家庭内の危機は待ったなしではある。ともかく精神衛生上、「生活予算を削る」と言うのは非常にストレスに成るのは間違いなく。主婦の立場で給与を上げる事に貢献出来ないのなら、せめて生活上のストレス、その軽減に知力を廻すしかない、訳だがしかし。
…まあ、この例え話でも、この主婦に「もっと生活の質を向上させるように知恵を絞って!」と言うそれは、意味のある話か、ではあるのだった。
他者の家の話だ、余計な事は言わないに限るのだが。
ともかく日本でも、「無駄な公共工事その他を、5兆円規模で削減します」と言うその是非は深刻さを持っては居る。良くも悪くも、国の予算は「その分の市場でさえある」モノで、”それ”が消えるというそこには重いストレスは発生する、”それ”を当てにしていた人々は、突如給与を失う事には成る、訳だ。この視点では、その中身が意味のあるものか否か?を精査すべきだが…、その時間が有ったか無かったか、ともかく”それ”が主観での切り捨てでしかない時、末端から始まる政府への不信感は、ちょっと無視できない騒乱のネタに成るのでは有るまいか、それは深刻に思う。
そして、日本でも行われた事業仕分けは。結論では良い結果を齎さなかった、文化的に必要性のあるモノまで「無駄」で切り捨ててしまった感は否めず、その後の政権崩壊?にも繋がっていく失態だった、それはまあ、深刻ではある。
こういう様を見ていると、確かに北朝鮮やロシア、その独裁国家はもっと簡単かもしれない。家長の一存で全てが決まるのだ、問題に成るのは家長の能力でしかない。一人が全てを支配する時、正に健康に留意しているだけで問題は無いかもしれないが。ただもちろん、それが豊かな暮らしか?というそこには深刻な絵は有る訳だが。
2001年宇宙の旅、でのスターチャイルド?あれは、”幸せな結末”進化した先の姿、なのか?
ともかく「対案は?」と言う話の先にあるモノは、何処か頼りない話である事もまあ、現実ではある。
テレビとは何の為にあるモノか?だ。昭和期は、人々はそこに何を求めていたのか、齎したのか。
※「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して翻訳して出力。
アメリカという国の態度に、世界は思案顔である
「国民は”利益”を求めている」不意にある、主張には成る。この所、米国ではイーロンマスク氏、苦境が続くらしく。「末端は明日切られるか飢えるか解らない状態なのに、政府によるリストラ策って頭ハッピーセットか?」とか、個人的には非常にイーロンマスク氏の印象が悪くなっているので、彼が何やっても評価出来ない、そう言う状況かもしれないそれはともかく。それでも一応、「創作者なら対案無く批判しない」と言うのは今も、奇妙な要求としてはあって故に。「ではどうすれば?」そこに、ネタを少し考える事には成った、のだが。
結論で「テレビで”面白い”番組を放送すれば」そこに成ったのは、ちょっと説得力がない気も多少、する。
色々考えはしたが、リストラ以外での「今すぐ」と言う流れは、想像以上に無理がある、感じは有った。人力発電所にしろ、だ、設置すればすぐに良くなる?訳でもない、もちろんか”それ”を希望にするには、あまりに作業内容が前時代的ではある。言い分は政府寄りのそれではある、”それ”が存在する時、「失職した」状態は存在しない。「貧乏です?働かないからでしょう?」そう、切り捨てる事が出来るそれはでも。現場的には希望とは言い難い部分は、ある。ともかく?「という訳で半年以内くらいに、十分な数の人力発電所を建てて?」結構無理な話で有るのは不意に思う。
もっと、短期に、一気に、広範囲に。せめて「という訳でリストラします」それと同じくらいのレスポンスで出来る事、それは何か?というそこを考える時、「テレビとは何だったか?」時代的にも不意に、それは考えては観る。
視聴者は、「テレビ番組」と言う娯楽を”何かの対価として与えらえる”事で、明日の仕事の活力にしていた、のだ。
それは今、出来ないのか?という、そこは少し思った。
しかし同時に、”それ”に対して失笑する、そう言う正論も深刻な重さを持っている、そこも考えはする。
ここから先は、思想的な話、だ。人本位制での経済において重要なのは「創作」特に消費される娯楽作品、ではある。人間は毎日”価値”を食べてしまう為、担保はどんどん目減りしていく事になる(経年劣化や物理的消費など、体感的にも生きているだけでモノの価値は下っていく)。故に、”それ”を補い続けないと担保は維持できず、結果で経済は停滞する。人力発電所で10万円稼ごうと、家に帰って寝るくらいしかやる事が無いのでは切ない。何かこう、先へ進むような。そういうモノを提供する事は、世界を維持する上での或いは最も重要な要素だったりする、訳だが。
ともかくそう言う理解の時、テレビは、何を提供するべきか?では、ある。
という理解の中で、多少か考えてみたのが、この、テレビ特撮ドラマの企画だったりはするのだった。
本人的には「単なる趣味」の方法論だったが…知らず知らずにあちこちインスパイアしまくる感じのいつもの話、だが。ともかく「サラトガⅡ」という巨大戦艦?による、人類救済を目指した「アースセイバーズ」の戦いの行方は?的な。ちょっと、良くも悪くもイーロンマスク氏のリストラ策、”それ”への対案、というニュアンスで話を始めているので…トランプ政権とその行方、そう言うのがまあ、イメージソースでは、ある。この辺で事態を打開してゆくサラトガⅡ!邪悪な巨獣を打倒すヘラクレス!という絵に、多少かこう、希望?そう言うのを持てないか・・・まあそんな趣旨の作品企画だったりはする、訳だが。
個人的にはまだ、トランプ政権のしている事に失望、というかそう言うのは、無い。
トランプ氏は公約を果たさんとしているだけ、だ。それを選んだのは国民であり、そして勝利した、結果でしかない。
紛争解決機構の決定に従う、今はそれが最後の神の意向である、という理解としては、まだ「その方向を向いている」という感じはしている。実際多少か報道もあったが、「そうだ!アメリカ製品を買わずに自国の商品を買おう!」そんな声があって「そう、それでいい」ではあった、訳だが。内需を重視する、それは自分としても同意できる、ただリストラは微妙に頂けない。
テレビは果たして、今もまだ、世界を救えるモノか。